姫は愚者だが、領主は平和を望む

LAST STAR

第一章 転移。そして、リテーレ領とゲレーダ領

第1話 現実世界

「それでは来週の火曜日までに児童相談所に関するレポートを提出するように」


初老の教授が講義の終わりを告げると人がチラホラと出口へ向かっていく。そんな中、同じゼミに在籍する敦志あつしから声を掛けられた。


「なぁ、達也! この後さ、俺たちカラオケに行くんだけど一緒に来ないか?」

「あっ……悪い。俺、この後すぐバイトなんだ」

「あ、そっか……。じゃあ、また次の機会にな!」


敦志は他のゼミ生達を誘うためか、講義室の上の方へと消えていく。きっと『ノリが悪い奴だ』などと陰では言われているんだろうが、今は大学生活を楽しむ余裕も資格無い。


「時間だ。急がないと」


俺が向かう先は自宅から10分ほどの距離にある居酒屋だ。

大学入学後からこの店で夜遅くまで働き、家に帰ってから一日の講義を振り返り、仮眠を取ったのちに再び、大学へ向かう。そんな日々を送っている。


「倉敷君。コレ、四室のお客様! それが終わったら1室の片付けと2室のラストオーダーを取ってきて!」

「は、はいっ!」


常に慌しい日々が流れていく。だけど、これは仕方の無いことでもあった。

自分の力で大学に通うためには莫大なお金が必要だし、いくら奨学金があるとはいえ、バイト代が無くなれば生活を維持することが出来なくなる。


詰まるところ、俺の懐事情は常に寒々しい。

故にバイトを休む事は許されないのだ。


「先輩、すみません。お先に失礼します。お疲れ様でした」

「はーい。お疲れさま! 明日もよろしく!」


居酒屋でのバイトが終わると毎回、コンビニに立ち寄り、125円のおにぎりを一つ買って頬張りながら帰る。行儀は悪いが、夜中だから滅多に人と出くわすこともないし、この方が家に帰り次第、勉強に移れるから効率がいい。


「はぁ……今日も代わり映えのしない1日だったな……」


家に帰ると毎度、ため息を一つ付く。そして、テーブルの上においてある写真立ての前に座って必ず、こう言うのだ。


「今日も誰一人、助けられなかったよ。さや


無邪気に笑っている幼馴染の写真は何も語ることは無い。だが、それでも自分を戒めるように毎日、報告しているのだ。


『今日も夢を叶える事はできなかった』と――。


俺にはどうしても叶えなくちゃならない夢がある。それは『誰かを救う』ことだ。いつか誰かに本当の意味で「ありがとう」と言ってもらえる。そんな人間になりたいと思っている。


「でも、そんなこと……俺にできるのかな」


答えの無い問いに心をグッと締め付けられ、薄っすらと涙を浮かべる。

常に寝不足で、バイトで疲れた身を休ませたいという思いが何倍にも膨れ上がってくる。だけど、ここで倒れるわけにはいかない。


「……死ぬ気でやらなきゃ、誰も助けられないんだ。彩。俺は絶対にやりきるよ」


強い意志を胸に、涙を腕で拭い去ってから必死で勉強に打ち込む。

眠気に負けてもいい。どんなに格好悪くてもいい。

今、出せる全力でぶつかっていく。それが俺の信念だ。


「俺は……彩のために……頑張ら……ないと――」


しかし、俺も人間だ。眠気に敵わなくなるタイミングがいずれやって来る。

俺はいつの間にか眠りへと落ちていった。だが、不思議なことに意識が遠のいた瞬間、意識がはっきりと戻る感覚を覚えた。


「(ん……? あれ?)」


確か、俺はテーブルで勉強をしていたはずだ。急に視界が変にぼやけたせいで、ここがどこなのか全然わからない。それでもすぐに『ここが夢の中』だと気付いた。


なぜなら、何処からともなく聞こえてくる冷ややかな笑い声と人をさげすむような視線がこちらに向いていることに気付いたからだ。そして、こちらの意志とは関係なしに自然と耳が研ぎ澄まされていき、俺に向けられた悪口の数々が聞こえてくる。


『マジであいつ、よく分かんねえよな?』

『影薄いし、死んでるんじゃね?』

『アイツ、生きてても誰の役に持たねぇだろ!』


その悪口の数々に、心を抉られるような不快感を覚えながらもため息を吐く。


「(……ああ、そっか。またこの夢か)」


この声は中学生時代、同級生だった奴らの声だ。

奴らは常に自分たちの存在が上であるかのように振舞い、俺が『下』だと蔑む。実際のところ奴らと俺の間には、なんら大差は無い。


だが、悲しいことに俺たちの世界には、『優劣』があるらしい。この難解な『優劣』という言葉をもっと噛み砕くならば、無意識に発生する上下関係みたいなモノとも言えるだろうか。 


それは学校という閉鎖空間の中でも、社会という大きな世界の中でも原理は同じで必ず存在している。どの場所、どの環境に居ても『上』か『下』という区別があるこの世界では俺の居場所は少なかった。


そんな俺に唯一、手を差し伸べたのは幼馴染の彩だった。


「アンタ達だって、生きてて何の価値があんのよ! このアホども!」


彩はいつも優しさに満ちていて、正義感に溢れていた。

しかし、皮肉にも俺との関わりが原因で彩も『こちら側』になってしまったのだ。


「(彩、駄目だ。俺から離れろ。でないと――)」


ブーブーブ―と携帯のバイブレーションが鳴り響く。


「(やめろ、やめてくれ。その電話を取るな!)」


だが、そんな思いは夢の中にいる俺には通用しない。

その鳴り続ける携帯電話を手に取る。


「はい。もしもし?」


携帯の先から聞こえてきたのは彩のすすり泣く声と風きり音だけだった。


「彩……? 大丈夫?」


何一つ、喋ろうとしない彩の事が心配になって声を掛けるが、そんな俺の思いとは裏腹に恐怖と悲しみに溢れたような声が電話越しに聞こえ始める。


「ごめん。達也……。もう私、達也には会えない。ごめんね……」

「彩……? 一体、何があったんだ? すぐ行くからどこに居るか教えろ!」


いつも元気に、明るく振舞ってくれた彩が弱々しくそう語る。明らかにただ事ではないことを悟った俺は慌てて叫ぶが、彩は一言だけ喋った。


「さようなら、達也。幸せになってね?」

「彩? おい、彩!!」


そこで通話途切れ、目の前が暗闇に包まれる。

そして、俺はこの夢の最後にいつも彩へと質問をするのだ。


「彩……。俺はお前に対してどう償えばいい? 頼む、答えてくれっ……」


だが、その言葉に答えが返ってきた事は一度もない。

その場を支配するのは静寂のみだ。やがて、そんな夢にも終わりがやってくる。

空気が軽くなり始め、その映像がぼやけていくのだった。


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