BADEND PILGREAPER

糾縄カフク

久慈聖堂立てこもり事件

幸福保全維持機構

 都心から離れたベッドタウンにある一軒家には、老夫婦と五十半ばの男が住んでいた。老夫婦は年金暮らしで、そろそろ介護をと考える年ではあったが、男は無職で、老夫婦――、すなわち男にとっての両親の年金を当てに、周囲との交流を断って暮らしていた。


 夜。人気のなくなった住宅街に、MISCOと書かれた名札を下げる、一つの影があった。街灯の中に浮かび上がる影の名は、小糠草勉こぬかぐさつとむ。昨年日本政府によって創設された、幸福保全維持機構MISCOの職員である。


 一糸乱れの無い制服は、春も終わろうというのに、羽織った外套まで正装である。白髪交じりの髪はオールバックで固められ、微動だにしない鋭い視線の上には、無機質な眼鏡が煌めいている。小糠草は白い手袋をはめ直すと、一度だけ頷いて歩を進める。


 家は二階建てである。一階は灯りがついているが、二階とカーテンが閉め切られたままで、人のいる気配はない。小糠草が静かにドアを叩くと、おどおどした表情で老夫婦が顔を出す。書類を差し出す小糠草に、老夫婦は諦めきった表情で判を押した。


「息子さん……岩井隆司りゅうじさんはお二階でしょうか?」

「はい……TVの前にいると思います」


「分かりました。それでは三十分ほど、お時間を頂きます」

「お願いします……本当に、申し訳ありません」


「構いません、そういう仕事ですから」

「……はい」


 いっときだけ柔和な笑みを見せた小糠草だが、すぐに冷徹な眼差しに戻ると、螺旋状になった階段を踏みしめる。築四十年以上が経過した家屋は、歩く度にギシギシと音がした。


 一言もなく開け放たれるドア。中には一人の大柄な男――、岩井隆司がジャージ姿で背中を丸めていた。断りもない誰かの入室に一瞬たじろいだ後、すぐに睨みつけてくる岩井だが、それが家人ではないと知ると視線を逸らし硬直してしまう。


「岩井隆司――、間違いないな」

「だ、誰だよお前……ここは人の家だぞ……警察、警察を……」


「そう、人の家だが、お前の家じゃあない。私はこの家の、家主に許可を取った上でここにいる。ゆえに、引きこもっているだけの君に、私を追い出す権限はない」

「ば、馬鹿にするな……洗濯も掃除も、自分の事は自分でやってる……引きこもりじゃ……」


「ふむ、それでイタチの最後っ屁に通り魔でもやろうと思ったか。包丁二本、ナイフ一本押収。証拠としては十分だな……まあ、証拠なんざなくともやるが」


 会話をしながら足元のリュックサックを探った小糠草は、そこに目当てのものを見つけ笑みを浮かべる。


「家を出よう人を刺そう。思想もなく一人で死ぬ勇気もない屑らしい腐った考えだ。まったく、これでこそ処分するに何らの惑いもない」


 白い手袋を握りしめ、悠然と部屋を歩く小糠草に、岩井は慄きながら背後に下がる。


「なんだ……家の中で包丁を持っているだけで、何の犯罪になるっていうんだ……だ、誰か……パパ……ママ……」


「それが犯罪の時代になったんだよ。死にかけの両親の脛をかじって、じゃあ年金が尽きたらどうする、どうなる? こういう風に包丁を持って暴れまわって誰かを刺すか? それで未来ある子供や、皆に必要とされる誰かの命が奪われるなんて事は、あっちゃあならない。今更言う話でもないだろうが、命は等価じゃないんだ」


「お、俺だって好きで生まれた訳じゃ……なんで俺だけ許されないんだ……俺だけ、俺だけがッ……」


「ははは。だからってお前のような甘えん坊に、税金をつぎ込んでケアしましょうなんて無駄遣い、納税者の皆様が許さない時代になったのさ。誰だって好きに生まれたわけじゃない。望まない人生もある。それでも必死に生きている。死ぬなら死ね。――ただし一人で。それができないなら……私が殺してやる。いいや……その為に私は来たんだ」


「くそっ……あいつら……俺を捨て……ちくしょうッ!!!」


 壁際まで追い詰められた時、岩井はカーテンの裏に置いたナイフを取り出すと、叫びながら切りかかってきた。しかし動作は鈍重。小糠草はやすやすとそれを避けると、みぞおちに一撃、縮こまった所で頚椎に一撃を入れ、岩井が昏倒した所で首の骨をへし折った。


「甘えていいのは、甘える相手のいるヤツだけだ。岩井……お前にはもう、甘える相手はいないんだよ」


 ドサリと崩れ落ちる岩井。無表情にスマホを取り出す小糠草は、待機していた別のメンバーを呼び寄せる。




「先生! お疲れ様でした!」

「お陰様で息災ですよ。滞りなくインビンシブルを抹消しました。では撤収と行参りましょうか」


 そこに立つ小糠草は、先刻の口ぶりが嘘のように落ち着き払っていた。丸眼鏡をくいとさせ、後からきた後輩――、村瀬玲海むらせれみに指示を出す。


「はい! しかしおっきいですね。よいしょ……はい、先生もそっち持って」

「はいはい。分かりましたよ」


 身長180cmに迫る岩井の死体は、痩せ型ではあるが重かった。運動も武道の経験も無いとはいえ、この巨体に襲いかかられれば、二、三人の死者は覚悟しなければならなかっただろう。


「包丁にナイフですか……未然に防げてよかったですね、先生」

「ええ。こんな塵が振るう刃に限って、無辜むこの命を断つのですから……まったく神は死に絶えましたよ。さればこそ、私たちが害虫を駆除せねばならない訳ですが」



 

 ――令和XX年。引きこもりや失業者による凶悪犯罪の増加に対し、福祉による抑止が最早不可能であると判断した日本国政府は「事前に不幸の芽を摘むことによる犯罪の防止」に舵を切った。その先鋒として設立されたのが「幸福保全維持機構(Misery Cleansing Organization:MISCOミスコ)、すなわち小糠草が所属する組織だった。


 将来を嘱望される科学者、エリート公務員、未来ある子どもたち。まさに代えがたい人材を奪う「社会的弱者」の犯行を、世論もまた許さない風潮が醸成された。それは不景気による社会全体の余裕の無さの現れだったのかも知れないが……ともあれ政府は、念願だった特例法の成立に漕ぎ着ける。


 ――幸福保全維持法案。寄る辺を失いつつある社会的弱者を「無敵の人インビンシブル」と定義し、例外的に社会から隔離……抹消する。その遂行の為に集められたのが、小糠草を始めとしたMISCOの面々だった。




「では、失礼致します。息子さんは我々が預かりますので」

「ありがとうございます……これで私たちも、心置きなく発つ・・事ができます」


 事実上の死刑。されどそこをぼかす事で、暗黙の了解のもと「社会のお荷物」は闇に葬られる。家族は「隔離」だと自らに言い聞かせ、MISCOは適当な時期に死んだものと、後々書類を作り上げれば全ては終わりだ。


「無事、終わりましたね先生」

「ええ、まあ、やりやすいですよ。年金暮らしの親御さんに齧りついたニートっていうのは」


 担架を紺のハイエースに入れ終えた二人は、自販機で缶ジュースを買うと一気の飲み干す。小糠草はブラックコーヒーを、村瀬はカフェオレを。


「ぷはあ、ま〜酷いものですよね。加害者の家族叩き……いや、メディアも意図的にやってるってのもありますけど」

「仕方がありませんよ。死刑の無い日本で怒りをぶつけられる先といえば、残された加害者家族ぐらいなものですから」


 法案の成立に伴い報道機関各社は、加害者の個人情報を多く出すように方針を変えた。これはもし自らの抱える爆弾が誰かに迷惑をかけた場合、晒し首に遭うのはその家族なのだという恐怖を、周知徹底させるのが目的だった。


「ごちそうさまでした先生、じゃあ、帰りますか」

「ええ。こんなところで飲んで喋っている所を見られでもしたら、また機構のほうに苦情が入るかも知れませんからね」


 小糠草が助手席に乗り、村瀬がハンドルを握る。こうして住宅街の夜の闇に、紺のハイエースは姿を消した。――これは不幸の芽を刈り取る為に命を削る、さる人々の物語である。

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