「私」は「誰」を殺したか?
塚内 想
事件編
三十路の独身男は殺人事件の加害者になることはあっても、拉致監禁の被害者になることがあるとは思わなかった。
今日も残業が終わらずに、いつも通り途中で切り上げて会社近くの牛丼チェーン店でカルビ牛皿と冷や奴を生ビールで流し込む。
しかし、〆に牛丼を食べたのがよくなかったようだ。ついこの間までは平気で夜風を浴びながら、ほろ酔い気分で終電間近の駅に向かえたのに、今夜に限って胃もたれが止まらん。やっぱり俺ももう若くないってことか……。
夜風の心地よさなど微塵も感じないまま駅へ向かう裏道をノロノロと歩いていると、道の脇に見慣れない黒のワンボックスカーがデンと停まっていた。
……あからさまに怪しすぎる。車両の前方がこちらに向いて、道の右端に停めてある。
どうやら後部座席のスライドドアが左側にしか付いていないタイプらしい。つまり、わざわざスライドドアが壁側ではなく、道側に向けて停めてあるということ。
この辺りに住んでる女性を狙ってるストーカーがいるのか?警察に連絡した方がいいだろうか?
それにしたって、ワンボックスが視界に入ってるところでスマホを取り出して警察にかけるのは危ないだろう。少し先の角を曲がってから電話しよう。
ワンボックスカーの車種とナンバーをチラリと見て覚える。本当はスマホのカメラで撮りたいが自重する。怪しい奴と思われたら俺の方が被害にあいそうだ。
ワンボックスカーを見ないようにしながらヨタヨタと通り過ぎる。
すると、ガラッと背後からドアの開いた音が聞こえたかと思うと、あっという間に頭に布袋のようなものを被せられて、腹を殴られた。
そんな怪しい態度をとってただろうか?それにしたって、よりによってこんな時に腹を殴るか?
その場にへたり込んだ俺は両脇から持ち上げられ強制的に立たされて歩かされる。袋のせいで目が見えないがどうやら二人組のようだ。
恐怖と腹の痛みと何よりゲロを戻しそうな苦痛に耐えながら必死に抵抗する。ここで車に連れ込まれたら何をされるかわかったもんじゃない。
だが、奮闘むなしく二人組によって車の座席に放り込まれた。そして、そのショックでリバースしちまった……。
犯人グループが口々に何かわめき立ててる。何を言ってやがる!袋を被せられた状態でゲロを吐いたら、もっとも被害にあうのは俺だ!そんな腹の痛みとゲロの臭いの中、俺の意識はワンボックスカーの後部座席の中で遠のいていった……。
目が覚めると、まだ暗闇の中にいた。
だが、ゲロまみれの袋は取り外され何かで目隠しをされているらしい。それに猿ぐつわに胴と腕をロープのようなもので縛り付けられている。ワンボックスカーの中ではないみたいだ。もっと広い部屋のような気がする。
声を立てようとしたが、どうやら部屋には俺の他にも人がいる。なにか会話しているようだ。
聞く限りでは三人くらいの声がする。男が二人に女も一人いるようだ。会話の内容から仲間割れしているみたいだが、そのうちの一人の声に聞き覚えがある気がする。誰だったろう?
胴をぐるぐる巻きにしているロープの結び目がゆるいことに気がついた。言い争っている奴らに気付かれないように慎重にロープから腕を抜く。
まだ目隠しと猿ぐつわを取ると気づかれる恐れがあるから、まだ取らないでおこう。
だが、そんな思いをよそに一味の女らしい声がした。
「ちょっと、こいつの縄、解けてんじゃん」
しまった!仕方ない。俺はロープをシャツを脱ぐように体から外して立ち上がった。
立ち上がった俺の体を誰かが掴む。その手をロープで叩いて後ろに逃れる。すると、腰になにかがぶつかった。反射的に手を後ろにやって、それに触る。どうやら、机みたいだ。その机の上を手探りする。何かがあった。思わず掴む。
両手で持つとどうやら折りたたみ式のナイフみたいだ。こいつは使えるか。俺はナイフの刃を出して
「近寄ると刺すぞ!」
と、叫んだ。だが、実際に口から出た言葉は言葉にならない呻きだ。猿ぐつわをかましたままなんだから当たり前だ。
だが今、目隠しと猿ぐつわを外して隙をつくるのは自殺行為な気がする。
俺はナイフを振り回しながら威嚇する。どこから奴らが近づいてくるかわからないから、前後左右あちらこちらに振り回す。
そうやってジリジリと後ろに下がっていくと足元にある何かに引っかかって倒れかけた。体制を崩しかけた俺に誰かが近づく気配がした。
俺は倒れないように右足で支えてナイフを近づいてくる奴に向かって突き出した。
……肉を刺す手応えを感じた。
昔、スーパーの精肉コーナーでバイトした時、豚バラ肉のブロックに包丁を入れた感覚がこの手に蘇ってきた。
俺が刺した奴は俺に向かって倒れこんできた。俺はそいつを跳ね除けると、その場に尻餅をついた。
直後、後頭部に鈍い痛みが襲ったかと思うと、また意識が遠のいていった。
目が覚めるとやっぱり真っ暗だった。目隠しはされたままのようだ。
だが、猿ぐつわは噛まされていないし、腕も縛られていない。それどころか人の気配すらしない。しかも軽く火薬くさい。
横たわっている状態で恐る恐る手を顔まで持っていく。ゆっくりと目隠しをずり下げる。やっぱり動いてるものはなにもなさそうだ。
起き上がって目の前の現状を確認する。
今、俺の目の前には動いていない血まみれの死体が三つ転がっている。
「どうやら、起きたようですね……って、いったいどこに行くんですか?」
立ち上がって部屋の隅にうずくまって吐いてる俺の背後から声が聞こえる。まだ誰かいたのか?しかし、今は吐くのに忙しくて振り返る暇もない。
「おや、もしかして死体を見てまた吐いてるのですか?それにしても車の中を汚物まみれにしておいて、まだ吐くものがあるんですね」
うるせえ、もう胃液しか出ねえよ。
「まあ、吐きながらでいいから聞いてください。あなたは今、この地下室に閉じ込められています」
地下室?胃液を口から垂れ流しながら周囲を改めて見回す。電球はついてないが真っ暗ではない。天井近くの小窓から微かに明かりが差し込んでいる。どうやら半地下のようだ。
その明かりを頼りに部屋の中をさらに見てみると小窓から二本のコードが垂れさがっているのがわかる。そのコードを目で追っていくと部屋の中央に鎮座ましてるスチール製のテーブルの上にまで伸びていて、そこには何か握りこぶしくらいの大きさの機械が二つ置かれている。声はそこから聞こえてるようだ。
よく聞いてみれば何か細工をして声を加工してるみたいだ。実際の声じゃないのだろう。
「事情があってあなたをこの部屋に強制的に招待したわけですが、残念ながら話し合いが始まる前に事件にまでなってしまいました」
二つの機械のうち一つはスピーカーのようだが、もう一つはなんだ?スピーカーの声はこちらを無視してさらにしゃべり出す。
「あなたが頭を打って記憶喪失とかになっていなければ覚えてると思いますが、あなたは人を一人殺しています」
手に“あの感触”がよみがえってくる。
「あなたが殺した人物は目の前の三つの死体のうちのどれか一つです。あなたにはそれが誰か当てていただきたい」
目の前?……こいつ俺が今、死体を見てることに気が付いてるのか?と、いうことはあのスピーカーの横に置いてある丸っこい機械はカメラか。この薄暗がりでもはっきり見える赤外線式のカメラってことか。
……ちょっと待て。今、死体を当てろって言ったのか?
「念のために言っておきますが、その死体がどこの誰かを当てろと言うわけではありません。あなたが作った死体は三つのうちのどれかを当てろということです」
それくらいはわかってる。そうじゃなくてなんで俺がそんなことをしなくちゃならないのかが知りたい。
「実はあなたが殺した人物がこの部屋の鍵を持っています。つまりあなたがここから出るためにはあなたが殺した人物を特定して、そこから鍵を取り出さなくてはいけない。まあ、リアル脱出ゲームってやつです」
「ふざけるな!」
思わず大声で怒鳴る。
「とっとと、ここから出せ!」
俺はカメラとスピーカーに向かってさらに怒鳴り散らす。
「……残念ながらあなたが何を喋っているのか、マイクをオフにしてるから聞こえません。余計な質問は受け付けたくありませんから。ですから喋るだけ無駄だからやめた方がいいですよ」
“スピーカー”の奴は平然とした声でそう言ってのけた。
それならこちらも考えがある。何も頭を使って特定する必要はない。死体ひとつひとつを調べればいいだけだ。奴の言うように死体のどれかが鍵を持っているなら三つともすぐに見つかるはずだ。
死体に向かって動き出した俺に気付いた“スピーカー”が語りかけた。
「三つとも探ろうなんて考えてはいけませんよ。それでここから脱出できたとしても、いずれここに警察の捜査が入ります。その時、全ての死体にあなたの指紋が付いていたら、どうなりますかね?」
その言葉に俺の体が止まる。
「今の状態なら警察が科学捜査しても正確にあなたが誰を殺したか判別してくれるでしょう。だけど、そのためにはあなたがここから出なくてはいけません。ですから、あなたは自分が誰を殺したか推理しなくてはいけない。……これは、なかなかのジレンマですね」
奴の声は心なしか楽しそうだ。
「あなたにとって残念なことに今日はもう日付が変わって土曜日。あなたは都内のワンルームマンションで一人暮らし。それに今日明日の予定は全くの白紙。ですから行方不明だと気が付いてもらえるのは最低でも明後日の月曜の始業時間。鍵を発見できなければ五十時間以上はその地下室に閉じ込められたままになります」
……どうして“スピーカー”は俺が一人暮らしだって知ってるんだ?思わずジャケットのポケットを探る。……無い。俺のスマホがどこにも無い。
「スマホを探してるのですか?ダメですよ。セキュリティはちゃんと指紋認証とパスコードの二重ロックにしておかないと。気を失ったあなたの指を使って指紋ロックを解除するなんて簡単でしたよ。今、あなたの個人情報は私に丸見えです」
畜生、これじゃ助けを呼ぶこともできないのか。
「さて、これであなたは私の言う通りにしなくてはいけないということがわかっていただけたでしょうか?助かりたければあなたが殺した死体を特定しなくてはいけません。それと、その部屋から飲食物は全て引き上げさせてもらいました。五十時間以上飲まず食わずはさすがにキツイでしょうが」
俺は“スピーカー”を無視して地下室に唯一ついている扉に近づいて本当に開かないか試してみた。結果は言わずもがなだ。
続いてカメラとスピーカーのコードが伸びている小窓に近づく。何か台があれば窓に手が届くだろうが俺がくぐり抜けられるほどの大きさじゃない。だが、大声を出せば近くを歩いてる人に気付いてもらえるかもしれない。“スピーカー”がここから離れたら早速試してみよう。
「私も鬼ではありません。この状況で特定しろと言っても無理があると思います。そこでヒントをさしあげましょう。まず一つめ」
スピーカーから奴の息を吸う音が聞こえた。思わずその音に意識を集中させてしまう。
「その三人のうち一人は、他の二人の内のどちらかに殺されました」
続いて、
「二つめ、もう一人は私が殺しました」
なんだって?“スピーカー”も人殺しだったのか。
「そして残りの一人はさっきから言ってるようにあなたが殺した。一発で当てるのが難しいなら消去法という手もありますよ。頑張ってみてください。おっと、それともう一つ」
まだ何かあるのか。
「私はあなたに対して嘘はついていませんが、ゲームを面白くするために死体を多少、
奴はそう言うとスピーカーからプツっという音が聞こえて無音になった。まさか?
俺はカメラとスピーカーのコードをおもむろに引っ張る。しばらくズルズルと引きずった後、途中で切られたコードの先が窓から落ちてきた。
その小窓から車のエンジン音が鳴ったかと思うと、そのまま走り去る音が聞こえた。
奴がいなくなって早速スチールテーブルを小窓のある壁まで動かしてテーブルの上にのぼる。俺の背丈ではこれでも窓に届かない。だから、せめて外の様子を耳で聞いて確認してみる。ほとんど音らしい音が聞こえない。時折、自動車が走る音が聞こえるが止まる気配はない。人が通る様子も感じられない。かなり寂しい場所に建ってる建物のようだ。これでは大声で助けを求めても気付いてもらえそうにない。念の為、大声を出して助けを呼び求めてみる。……反応はなかった。
続いて鍵のかかった扉に体当たりをかましてみる。ドラマなんかだと二、三回ぶつかるとドアが開いたりするものだが、この鉄製のごつい扉はびくともしない。
他にもいろいろとやってみたかったが、“スピーカー”が言ってた「指紋をつけると三人とも殺したことにされてしまう」という言葉が頭をよぎる。この部屋の中を俺の指紋だらけにしてしまったら“スピーカー”の指紋がなくなってしまうんじゃないか?そうなったらここから出られたとしても“スピーカー”の存在が証明できなくなって俺が疑われてしまうんじゃないかと考えたら余計なことができない。途方に暮れてしまった。
自分が倒れていた場所に座り込んでジッと三つの死体を眺めてる。そのうちの一つ、俺から見て一番左側に倒れている小太りの男を凝視している。そう俺はこいつを知っている。なんでこいつがここで死んでるんだ?やっぱり、あれはやばい代物だったんじゃないか?
俺は目を閉じて口を半開きにさせたまま死んでいる会社の同期の
俺と三縄は社員研修は一緒だったが俺は商品企画三課、奴は営業一課に配属されてからはまったくと言っていいほど接点がなかった。そんな三縄からおよそ十年ぶりに声をかけられたのが先週だった。
「申し訳ないが、ちょっと頼まれてくれないか」
会社の廊下のフリースペースで自販機のコーヒーを飲みながら休憩をとっていた俺に急に語りかけてきたかと思うとむりやり紙袋を手渡してきた。けっこう重い。
「何だこれ?」
訊ねると
「すまないが一週間ほど預かってほしい。実は田舎から弟が出てきてうちに泊まってるんだ」
そう言ってきた。俺はピンときて
「エロいやつか?」
聞くと
「まあ、そんなもんだ。ただ観るのはおすすめしない」
強い口調で言ってきた。なるほどということはかなり特殊なやつか。
「わかった。一週間でいいんだな」
「助かる。礼はするから」
そういうなりそそくさとその場から離れた。それにしてもあいつに弟がいたなんて知らなかったな。でも、弟が来るからって隠すものなんてなんだ?
そんな風に疑問はあったが、たいして気にもかけずに家に持って帰って念のために見つかりにくい場所に隠しておくことにした。うちも突然、誰かやってこないとも限らないから。
あれ結局ヤバいヤツだったんだろうな。こいつはそれで殺されて俺もこうやって捕まってしまったんじゃないか。
いや、ちょっと待て。俺は三つの死体に目をやる。
俺から見て一番左側に三縄がいて、頭を左側、小窓のある壁に向けて仰向けになって倒れている。“スピーカー”の言うように三縄の上半身には厚手の黒いナイロンジャンパーがかけられている。右手は見えるが左手はジャンパーの下に隠れてるようだ。
その三縄の下半身に頭を乗せている死体がある。パンチパーマの男で目を見開いて口もあんぐりと開けたまま仰向けになって絶命している。両足を俺の方に向けている。この男も上半身に茶色い
そして、男たちから一メートルほど離れた場所でうつ伏せになって倒れてる女。顔を横向きにしてつり上がった目が飛び出るほど見開かれている。足を男たちの方に向けて、頭は地下室の扉に向けて倒れている。
彼女の背中にも薄手のおそらく薄紫の長袖のカーディガンがかけられてる。ジャンパーやジャケットは色が普通にわかったが、カーディガンの方は血で濡れていて、ほとんどどす黒くなっていた。血がしみていない袖口から地の色が何とかわかる。
俺が連れてこられた時は声の聞こえた様子から俺を除いてこの部屋に三人いると思っていた。だが、“スピーカー”を合わせたら四人いたことになる。
そのうちの一人は三縄だ。聞き覚えのある声がしたと思っていたら奴だったのか。そして女の声もした。と、なるともう一人の男の声がパンチパーマか“スピーカー”ということになる。……いや、“スピーカー”は声を加工していたから、もしかしたら女の可能性すら考えられる。
どちらにしても、あの時、部屋には俺を除いて四人いたが、そのうちの一人は一言も喋っていなかったってことになる。
そうなると、パンチパーマの男の下敷きになっている三縄はパンチパーマよりも先に死んだことになる。離れて倒れてるつり目の女とどちらが先に死んだかはわからないが、まずパンチパーマは除外していいだろう。
俺が殺したのは三縄か、つり目の女か。
拉致られたときはなにがなにやらわからなかったから、奴らの会話はまったくと言っていいほど頭に入ってこなかったが、ここで最初に目を覚ましたときは奴らの会話が多少耳に入ってきていた。それがなにか特定するヒントになりはしないだろうか。
たしか知らない男の声で
「もう、こいつは用済みだろう?だったらさっさとバラしちまおうぜ」
と、言っていた。今考えるとヤバい話だったんだな。おそらく俺を殺そうという話だったんだから。
それに対して女の声が
「やだよ、また血が出るじゃん」
そう言ってた。そうしたら三縄の声が、
「お前がそれを言うのかよ」
って怒ってた。その後で俺がロープを解いたことに女が気付いた。それでナイフを偶然手にして俺に近づいてきた奴を刺しちまった……。
女は俺を殺すことを嫌がっていたみたいだ。それに対して三縄は反対していた。だったら、俺がナイフを持って振り回していた時に近づいてきて倒そうとしたのかもしれない。
三縄の上に倒れてる男が俺を「バラしちまえ」と言っていた男だろうが三縄よりも後に死んでるんだから、こいつじゃない。
女の方も可能性が低いと考えたら、やはり俺が殺したのは三縄になるのか。
俺は三縄の死体に近づいて奴にかけてあるジャケットを剥がそうとする。
……結局、できなかった。
こんなに簡単に結論を出していいのか?何か肝心なところを間違えてる気がする……。
そういえば今日(正確には昨日)の午前中に三縄に会ったときは様子がおかしかった。
出勤した時に同じ部署の先輩に話しかけられた。
「お前、営業の三縄と同期なんだよな?あいつ今日、変じゃないか?」
「変って、今日は会ってないですけど、なんかあったんすか?」
「いや、廊下で声かけられて
『俺、お前になんか預けなかったか?』って聞かれたんだよ。違う部署っていっても一応先輩だからな
『お前、その言葉遣いはなんだ』って叱ったんだよ。そうしたら、
『そんなこと聞いてんじゃねえんだよ!』って逆ギレしてきやがってさ。あいつ昔からあんなだったか?」
「いえ、営業やってるくらいだから言葉遣いには気をつけてるはずですし、今までそんなことで、もめたって話も聞いたことないですし」
「だよな、まあとにかく今日はおかしいから気をつけたほうがいいぞ」
そう言われて気になったから始業時間前に三縄に会いに営業部まで行ったら
「今日は有休をとってるぞ」
と、一課長から言われた。
「え?今朝、三縄さんいましたよ」
他の営業の人たちが次々に証言してきた。
「たしかに今日の三縄さんはなんか変でしたね」
会ったという人たちに三縄の様子を訊ねたら皆、判で押したように「変だ」と口々に言った。
企画課に戻ろうとした廊下を歩いていたらその三縄にバッタリと出会った。そして、出会い頭に
「おい、お前になにか預けなかったか?」
聞いてきやがった。たしかにおかしい。言葉遣いも今までと違うが、背広を着ているし小太りな奴だけど、もうずいぶん涼しくなってるのにえらい汗をかいている。
「お前な。さっきからなにやってんだ?」
俺が注意すると
「うるせえ、さっさと答えりゃいいんだよ」
瞬時に逆ギレしてきた。腹が立ったから預かっていることを言わないでおくことにした。なんで俺に預けたことを忘れてるのかわからないが自業自得だ。
だんまりを決め込んだ俺に奴は怒りながらも歩いていった。それにしても今、思い出しても腹が立つ。それで死んでもいいとは思わないが、まるで別人なくらい態度が数日前と変わってビックリした。
……いや、ちょっと待て?突然、根拠もない仮説だがこの思いつきを当てはめると全て成立するんじゃないか。
この女の言ったことも、そう考えると辻褄が合う。だとすれば残りは二人。そして俺の仮説が正しければ俺が殺したのは……。
俺は目的の死体の上着を剥ぎ取り、そいつの首にかかっていた鍵を見つけた。それを、ゆっくりと首から抜いて扉に付いている鍵穴に差し込んでひねる。ガチャンという音と共に鍵が開き俺は数時間ぶりに、この血と胃液とわずかな硝煙の匂いの地下室から抜け出すことができた。
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