幕間――駐輪場の風景

【休走】駐輪場の風景その①

 美桜の無事を確認し、逃げるようにアパートへ帰ってきた日の朝のことである。


 エンジンを切られた原付ユキが、朝日を布団代わりに駐輪場ねどこでうつらうつらとしていると、遠くから聞きなれない音が響いてきた。

 それはまるで、せっかちな人間が手慰みに指先で机を叩くのにも似た、規則的ながらやや耳に響く音だった。

 その音を聞いたユキは、初めはどこかで大工が木槌でも振るっているのかと思った。しかし、近場で新しい建物を建設している気配はない。

 その規則的な音は徐々に近づいてきて、はっきりと聞き取れるようになったところで彼女はやっと――あぁこれは足音で、ヒールを履いた誰かが駐輪場ここに近づいてきているのだと悟った。ユキがすぐにそれを足音であると気づけなかったのは、その音がこの場にはあまりにも不似合いな音だったからである。

 彼女の所有者である佐竹さたけ絃夜いとやが暮らすこのアパートは、住人の男女比率が驚異の男性百パーセントという超男尊女卑物件であるため、住人にはたった一人の女性もいない。もっとも、令和の時代にオートロックもない物件なので、実際に虐げられているのは男性のほうであるともいえる。


 それはともかく。


 そんな、女性が近づくのもはばかられるような建物に近づく身の程知らずは誰だと、ユキが眠気の中で音の発生源へ視線をやると――まだ六月だというのに、自分の季節はとっくに夏であるとでも言いたげなほど、肌を露出した女性が歩いてくるのが見えた。

 なんとも色々なところが開放的そうな女だわね――などと彼女が脳内で悪態をついてみると、薄着の女性は急に立ち止まってこちらをじっと見つめてきた。

 ユキは当初、まさかこちらの考えていることが聞こえているのだろうかといぶかしんだ。そんなことは普通に考えればありえないのだが、絃夜あのバカでさえそんな力を持っている以上――他にも似た能力を持つ人間がいても、なんらおかしくはないと考えたのだ。

 そこで試しに「なに見てんのよ」だの「文句あんなら言いなさいよ」だの「この(自主規制コンプライアンス上とても言えない表現)」だのと思いつく限りの悪態をついてみたが、いずれも返答はない。どうやらその女性は、本当にただ見つめているだけのようだった。

 肩透かしをくらってユキが落胆しかけていると、その女性は、


「井戸屋いるんだ――良かった」


――と、小さく呟いて胸をなでおろした。どうやら彼女は原付ユキがここにるのを見て、主の在室を確認したようであった。

 他人を利用して、勝手に安心してんじゃないわよ――と、聞こえもしないのにユキが再び息巻き始めたところ――その女性は先ほどよりも軽くなったような足取りで歩き出し、階段を昇って行った。


(まったく、一生懸命に生きてやがるわね――)


 通り過ぎる横顔を見て、諦めとも羨望ともつかない複雑な感情を抱きながら、ユキは再びまどろみの中へ落ちていった――。

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