【第二十六走】またね

「おセンチねぇ」

「――うるせーよ」


 ユキが呆れたように言ったのを、俺はいつもの調子で言い返した。


 現在、午後十一時五十五分。

 美桜みおさんとの別れから一週間が経ち、俺は再び彼女の眠る交差点へとやってきたのだった。


 あれから俺は、子供神に新たな救済を依頼をされることもなく、普通の大学生活を送ることができていた。それはきっちゃんを始めとする友人たちと遊んだり、大学で講義を受けたり、たまにルナを撫でてあげたりと、「転生者の救済がどうの」などといった非日常の事件とはかけ離れた、ごくごく普通の日常だった。七香さんとは顔を合わせないままで、それだけは少し気にはなりつつも――おおむね楽しい日々ではあった。

 そう。

 楽しかった――のだが。


 俺の心には、どうしても引っかかるものがあった。

 もちろんそれは、美桜さんのことだ。

 振り返ってみれば、彼女と過ごしたのはたった二日間だけで、時間にすれば、たかが数時間だけの些細なものだった。


 だがしかし。


 そのわずかな時間の間で俺は、一人の相手のことを真剣に考え、力になりたいと願い、そして行動を起こしていた。そこまで誰かのために本気になったのは、二十年の人生で初めてだった。

 俺はまだ、誰かと付き合ったことがないから解らないけれど――もしも好きな人ができて、その人と過ごすことができるのならば――きっとこんな気持ちになるのかもしれないな、と思った。

 残念ながら美桜さんに恋愛感情を抱くことはなかったが、大切な友人ができたような気持ちではあった。だから叶うならば、俺と彼女とユキの三人でまた、下らない話をしながら夜を通したかった。それだけ彼女と過ごした二日間は、今の何気ない日常に負けず劣らずかけがえのない、価値ある非日常であったのだ。

 だからこそ――もう少し上手く、彼女を送り出してあげたかったのだ。

 あんな不意をついたような形ではなく、彼女の口から「もう満足だ」と言えるような形で。


 ユキをいつもの自販機横に停め、俺は目の前に立つ信号機みおさんだったものに手を触れてみる。無機質で冷たいはずのその柱は、心なしか温もりが感じられるような気がした。何度か触って確かめてみると、確かにわずかな温度を感じられた。でもそれはおそらく、六月も半ばに差し掛かり気温が上がってきたせいなのだろう。


 間違ってもここには、美桜さんはもういない――。


 俺はこの目で、天空に昇る光を見たのだから。

 手のひらに感じる温かさで、思わず後悔がこみ上げてくる。

 こらえきれなくなった俺はコンクリートの柱に額をつけ、小さく呟いた。


「ごめんね、美桜さん――」

「あああ謝るくらいなら、て、手と頭を離してほしいのだけれど――」


 突然、脳内に聞きなれた女性の照れたような恥じらいの声が聞こえてきた。


「え――?」


 空耳かと思い、ふと頭を上げた。

 するとそこには――。


 激しく赤点滅を繰り返す、異常な信号機の灯りがあった。


 その光景が信じられず、思わず柱を両手で掴む。

 これはまさか――。


「み、美桜さんか!?」

「そ、そうだけど、お願い佐竹くん、とにかく手を――やッ」

「美桜さん、なんで――」

「だ、だからそこは脚だって、前にも――あっ、手は動かしちゃ――ひゃんッ」


 思わぬ再会を信じられない俺はつい、確かめるように手を動かしてしまう。そしてその都度、信号機みおさんは悶えるのだが、俺はこれが現実であることを確かめるため、お構いなしに触り続けた。


「そんな、なんで、嘘だろ?」

「ととと、とにかく手を離してぇええええええ――!」

「なぁああああにやってんのよ、このバカたけ――!」


 いつぞやぶりに美桜さんの悲痛な叫びが響き、それに反応したユキの怒号が飛んだことで、俺はようやく我に返った。


「あ、あれ――?」

「『あれ?』じゃないわよ、このセクハラ野郎! 遠くから黙って見てればベタベタと――アンタいつからそういうシュミに目覚めたわけ!?」

「い、いや、そんなつもりは」

「――佐竹くんって、実はそんな人だったの? もう――どうしようかしら」


 俺の狼藉で乱れ切った呼吸を整えながら、彼女は言った。「どうしようかしら」という口癖もそのままで、この声の主は紛れもなく美桜さんであるらしい。


「ホントごめん。信じられなくて、つい――」

「乙女のお御足みあしを撫でまわしておいて、『つい』で許されるわけないでしょ! 万死に値するわよ、この変態!」

「本当だよぅ」


 二人の無機物じょせいから責め立てられ、俺はせっかく得た信頼がガラガラと崩れていく音を聞いた。このままでは俺の尊厳が電子顕微鏡を必要とするレベルまでミクロ化すると思われて、とにかく話題を変えることにした。


「それにしてもどうして――あの時、眠りについたはずじゃ」

「う、うん。疲れたから眠って――充分眠ったから、また起きたんだよ」

「――へ?」

「私、確かに未練モヤモヤは消えたけど――別に成仏とかしたわけじゃなくて――」

「――は?」

「そもそも、まだ新しい転生先も決まってないし――」

「はぁ――」


 間の抜けた返事をしながら俺は気付いた。

 言われてみれば、確かにその通りだ。あの時、子供神は「無力化する」とは言っていたが、「成仏させる」や「転生させる」といった、別れを示す言葉は何ひとつ言ってはいなかったのだ。

 少しずつ合点し始めた俺に向かって、美桜さんはおずおずと説明を続ける。


「あの夜、子供の神様からは『眠りから覚めたら、もう地縛霊化することはないから安心しろ』って言われて――それで私、安心したらスッと眠っちゃったの」

「――じゃあ、あの天に昇った光は?」


 俺の疑問に、美桜さんはたいそう言いにくそうにしながら答えた。


「あれは、その――単なる神通力の演出なんだって。佐竹くんが見上げているあいだに言われたの。『あの男は何か勘違いしているようだが、いいからとにかく黙っておけ』って。そのほうが――」


 そこまで言って、彼女はしまったと思ったらしく――これが人間なら、慌てて口を両手でふさぐアクションをしていただろうと思われるが――続く言葉を飲み込んだ。

 しかし耳ざとい俺は聞き逃すことをせず、改めて彼女に問うた。


「――ん? なんだって?」

「あ、いや、その、なんでもない、よ――?」


 必死でごまかそうとする美桜さん。

 だがしかし、ここまで聞いてしまった以上、もはや俺は聞かずには帰れない。だから彼女には、ぜひ最後まで言ってもらう必要がある。

 そう思い、俺は彼女に詰め寄った。


「『そのほうが』なんだって?」

「あ、いや」

「あいつ、『そのほうが』なんだって言ったの? 教えてよ美桜さん」

「ううん、もういいじゃない。こうして再会できたんだし――ね?」

「教えてよ。また触るよ?」

「ちょっとアンタ――」

「お前は黙ってろ。ねえ、いいの? 美桜さん――触っちゃうよ?」


 割って入ろうとしたユキを制し、両手に異様な圧力を携えて、俺は彼女に近寄った。


「うぅ――そ、そのぅ――」


 散々口ごもった末に観念した彼女は、「私が言ったんじゃないからね?」と小さく断ってから、続けた。


「『そのほうが面白いから』って――」


 それを聞いた途端、俺の中で何かが弾けた。


「面白い――か。ふふ、確かに」

「さ、佐竹くん?」

「これは面白いわな。確かに面白い。ふ、ふ、ふふふ――」


 力なく笑いながら、俺の脳裏には子供神のニヤケたツラが思い浮かんだ。あの、初めて会ったときに見せた笑い顔――底意地の悪さを満面にたたえた、人でなしの邪悪な笑み――を。

 そこで、俺の理性は完全にブチ切れた。


「あンの――」


 大きく深呼吸したのち――腹の底から思いの丈を吐き出した。




「クソガキがぁぁぁぁあああああああああ!!」




 あらん限りの声を出し尽くした後、肩で息をして、ようやく怒りを収めることには成功した俺。しかし、悪いことは重なるもので――。


「何を夜中に騒いでる!」


 突然、近隣住民と思しき人物の声が響いた。

 冷静になってみると、今回はあの子供神クソガキがいないので、人払いができていないことをすっかり忘れていた。

 ――まずい。

 もしかしたら、声の主はここまでやってくるかもしれない。

 下手をすれば警察に突き出される恐れまである。

 そうなれば、平穏無事な日常も美桜さんとの楽しい非日常も失われかねない。

 せっかく取り戻したその二つを守るべく、慌てて俺は原付ユキにまたがり、ヘルメットのあご紐をロックしながら振り返って言った。


「じゃ、じゃあ美桜さん――また来るから! またね!」


 返事を待たずにアクセルをひねり、白煙を吐きながらユキが走り出す。すると背後から、やっぱりどこか困ったような、だけど喜びに満ちあふれた声が返ってきた。




「あらあら、どうしようかしら――」

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