【第二十二走】君の声を聞かせて
子供神と俺の間で改めて協調体制が組まれたところで、俺は一度アパートに帰った。
部屋に着くなり軽くシャワーを浴びて、日中の汚れを落とし去る。風呂から出て髪を乾かし、少しだけ水分を取ると、激しい睡魔に襲われた。
振り返ってみれば、昨晩は帰りが遅く、今朝は起床が早かった。そのうえ昼間には田村先輩とのいざこざがあり、先ほどまでは子供神との交渉までこなしていたのだ。さすがに心身ともに疲労はピークに達している。
だから、美桜さんの件はできれば明日以降にして、今日はこのまま朝まで眠りたい――というのが、正直な気持ちである。
とはいえ。
美桜さんをこのまま放っておけないというのもまた、偽らざる気持ちなのである。
そんな二つの相反する本心に戸惑い、徐々に鈍くなる頭を休ませるために、俺は少しだけ横になることにした。
スマホのアラームをセットして目をつぶると、昼間のことが頭をよぎった。
――
――俺なんかかばわなくて良かったのにな。
――それとも俺が、余計なことをしてしまったのかな。
――田村先輩なんか相手にしなければよかったのかな。
――ひどいこととか、されてなきゃいいけどな。
――心配だな。
――連絡、こないかな。
――どうして俺は、
――こんなに彼女のことを気にしているのかな。
取り留めもないことを考えていたら、いつの間にか意識は途切れていた。
*
――ピピピ――ピピピ――ピピピ。
規則正しい間隔で、電子音が鳴り響いた。
目を覚ました俺は枕元のスマホを手に取り、その画面を確認してみる。
【23:30】
七香さんからの連絡は無かった。
耳障りなアラームを止めた俺は小さく舌打ちをして、部屋を後にした。
*
午後十一時五十五分。
昨夜と同じ自販機の横で、俺たちは美桜さんの様子をうかがっていた。
本来、二度目の対面となれば何もこそこそ隠れる必要はないのだが――ここへ来る道中で昨夜の美桜さんの有様を子供神に伝えたところ、
「それは面白そうだ。是非我も目にしたい」
などと言い出したのである。
俺としては彼女の悲痛な状況を知らしめ、子供神を糾弾するつもりだったのだが――結果的には、ただ奴の悪趣味な心に火を付けただけだった。美桜さんには本当に申し訳ないと思う。
とはいえ。
俺はちゃんと、昨日の別れ際に「もうデタラメな光り方はするな」と言ってあるので、大丈夫だと信じていた。
だから子供神に向かって「言い含んであるから、お前の望み通りにはいかねーよ」と言ってやると、
「果たして『望み通り』にならないのは――どちらだろうなぁ?」
などと意味深なことを言ってきた。
いちいち鼻につく物言いにイラつきかけたが、コイツが不愉快なのは「太陽が東から昇る」ということと同じくらい解りきっていることなので、俺はその言葉を黙殺して路上にたたずむ
そして、時刻が午前零時になるやいなや――。
目の前では、昨夜と変わらぬ光の乱舞が巻き起こり始めた。
「見ぃぃぃぃいいいいてぇぇぇぇぇええええええ!」
これも昨夜と同じく、女性の絶叫も響き渡る。
だが――言葉は同じながら、その響きは昨日とはまったく違って聞こえた。今夜はなんだか、身を切られるような悲痛さが含まれているのだ。
その変化に言葉を失っている俺たちをよそに、子供神は笑い転げた。
「イヒヒヒヒ! これはこれは見事な照明だな!」
「そんな、昨日は美桜さんも『大丈夫』って――」
「ヒヒヒ――なかば地縛霊となりかけているモノの怨念が、キサマごときの言葉で晴らされるものか!」
愉快そうに笑う子供神に腹が立ち、俺は思わずヤツの胸ぐらに掴みかかった。
「この野郎――そもそも美緒さんがこんなふうになったのは、誰のせいだと思ってやがる!」
「我は転生はさせたが、怨念を溜め込んだのはあやつ自身よ」
「そんな詭弁が通るか!」
俺と子供神が言い争う背後で、美桜さんの声が響く。
「見てぇぇぇ! 見てぇぇぇ!」
時間が経つほど、必死さが増して聞こえる。
そんな悲鳴に等しい声に耐えかねて、俺が彼女のもとへ走り出そうとしたところへ――子供神が急に真面目な口調で声をかけてきた。
「詭弁などではない。キサマは怨念というものの強さを甘く見ておったのだ。もしも『救済』を明日に伸ばしていたら、手遅れだったやもしれぬぞ」
「――手遅れだと?」
「左様――地縛霊と化せば、その意識は一つのことに囚われ二度と理性を取り戻すことはなく――結果、その者を中心に災禍を撒き散らす存在となる。それが地縛霊だ。この者の場合は、己が注目されたいと願うばかりに他者の意識を引きつけ、交通事故を呼び込む魔の交差点として謳われることとなったろうな」
「そんな――」
「身に染みたのなら、ゆめゆめ忘れず役割に励むことだな」
奴の言葉に俺は「――ちっ」と小さな舌打ちで答えた。
どうやらコイツは、『救済』の重要性と『地縛霊』の恐ろしさを俺に知らしめるため、わざわざ彼女のもがく姿を見せつける真似をしてみせたらしい。
「言葉で言えば、ちゃんと解るんだよ――
悪趣味野郎に向かって精一杯の悪態をついて、俺は美桜さんのもとへ駆け寄った。
「お願い、私をぉぉおおおお――」
なおも叫び散らす彼女を安心させようと、俺は精一杯優しく声をかけた。
「見に、来たよ」
「――え?」
「見に来たよ、美桜さん。こんばんは」
「あ、ああ――」
俺の声を認識すると、すぐに美桜さんは我に返り――戸惑いながらもおずおずと尋ねてきた。
「佐竹くん――だよね?」
「おう、いかにも
わざとふざけて胸を張り、威張ったように答えた。そして自販機の方を指差すと、それを受けて有象無象どもも声をかけた。
「原付のユキちゃんもいるわよ」
「創造主たる我もいるぞ」
「黙れ疫病神。テメーは引っ込んでろ」
「ああ、なんてことかしら――本当にまた、来てくれたのね!」
先ほどまでとは一転して、美桜さんは嬉しそうな声をあげた。
「当たり前だろ、約束したんだから。俺は締切は破るが、約束は破らない男なんだぜ?」
「なんて、なんてことかしら! ありがとう、佐竹くん。私を助けに来てくれたのね――」
「違うよ」
「え?」
一瞬、怪訝そうな声を発した彼女に向かって、俺は正直な想いを口にした。
「助けに来たんじゃない――君の声を聞きに来たんだよ」
「こえ?」
「そう。美桜さんの声。恨みつらみや未練や執念、想いの丈をすべて声にして、聞かせて欲しいんだ。だから――」
真っ直ぐに美桜さんを見つめて、俺は声を張り上げた。
「今夜は、気が済むまで話をしよう!」
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