なつやすみの自由研究
携帯端末の画面を指先で滑らせていたシトリーが、はたとその指を止める。
ふむふむ、熟読する眼鏡が、好奇心のままに持ち上げられた。きらきら、青年の金目は輝いている。
画面を数度叩いた、次の瞬間には彼の傍らに段ボールの箱が届いた。
いそいそと中身を改め、彼が明るい笑顔を振りまく。
「ハルさまー! シトリーお兄さんと一緒に、お料理教室しませんかー?」
「するー!!」
床に寝そべり、お隣さん出身のクレヨンでお絵かきをしていたハルが、輝かんばかりの笑顔で身を起こした。
お子様サイズのエプロンを身につけ、しっかりと三角巾までつけたハルが、椅子の上で膝立ちになる。
袖を捲くったシトリーが、テーブルの上に段ボールから取り出した品々を並べ、にこにこと笑みを浮かべた。怪訝そうな顔で、メアがビデオカメラを構える。
「……どういう魂胆ですか?」
「メアちゃん、言葉のトゲ、もうちょっと抜こう? チョコレートに重曹を入れたら、ふわふわなチョコになるって聞いてね」
「何しているんですか?」
半眼のまま辛辣なメアに、シトリーが苦笑を浮かべる。
ぱん! 手を叩いた青年が、一枚の板チョコを手で指し示した。
「ではハル様、れっつくっきんぐです! 今日はふわふわチョコを作りたいと思いまーす」
「ふわふわ! チョコ!!」
ハルの瞳が輝いた。きゅるきゅる、金目に星が舞う。
メアが胸を押さえて悶えた。ビデオカメラが手振れ補正で修正できないほど震える。
「材料はこちら! 極々一般的なチョコと、不思議な粉と、レモン汁でーす」
ガラス製の小鉢に入れられた、不思議な粉こと重曹と、レモン汁を、ハルがきょとんと見下ろす。
ぱちぱち瞬いた幼子が、レモン汁を指差しシトリーを見上げた。
「なあ、シトリー。チョコ、すっぱくならないか?」
「ふふー、食べてみてからのお楽しみですよ」
「貴様、ハル様に万が一のことがあれば、その首、胴体を永劫の別れを告げることと思えよ」
「俺、上司なんだけどなー! あとこれ、全部食用だからね!?」
禍々しい空気を放つメアに、笑顔を引きつらせたシトリーが叫ぶ。
気を取り直すように、青年がハルへ、チョコを割るよう指示した。
ぱきぽき、小さな手が耐熱ボウルへチョコを落としていく。
破片の大きなものだけシトリーが細かく砕き、丁度良い大きさのものをハルの口へ押し込む。もごもご、口を動かした幼子が、へにゃりと笑みを浮かべた。メアが口許を覆う。
「ハル様貴い」
「じゃあハル様、電子レンジ使いましょうか。溶かしますよー」
「シトリーの火で、ぼっ! てやっちゃ、だめなのか?」
「地獄の業火で焼かれたチョコですかー。中々味わい深くなりそうですねぇ」
抱き上げたハルを床へ下ろし、砕いたチョコを入れたボウルを持たせる。慎重な足運びでレンジまで進んだ幼子から、シトリーが仰々しい仕草でボウルを受け取った。
がこんと閉じた黒い箱が、起動音を立てる。そわそわ、足許のハルが落ち着きなく踵を上下させた。
チンッ! 終了の合図に瞳が輝く。
「まあ、こんなもんすかね。熱いんで、俺が運びますね」
「うん!」
片目を閉じたシトリーが耐熱ボウルを運び、テーブルへ戻る。小走りで彼を追ったハルが、いそいそと椅子をよじ登った。
「いいにおい!」
「あはは。ではハル様、チョコをかき混ぜててくださいねー」
「うん!」
ゴムベラでせっせと溶けたチョコを混ぜるハルが、「どろどろ~」機嫌良さそうに笑う。
「メア、メア! チョコどろどろだぞ!」
「はいっ、ハル様。最上級可愛いです」
今にも召されそうな顔で、メアが微笑む。我が人生に悔いなし。彼女の顔はそう物語っていた。
地獄から追放されそうなほどの満ち足りた微笑みに、彼女の上司が冷や汗を掻く。
どうしよう、このままじゃメアちゃん、天界の人になっちゃう……。危ぶんだシトリーが、ガラスの小鉢をふたつ持ち上げた。じゃじゃん! 重曹とレモン汁だ。
「ハル様、よーく見ててくださいね~」
ハルの目線の高さに合わせて、重曹の中へレモン汁が投下される。
瞬間、じゅわっと膨らんだそれに、ハルは勿論メアまでもが肩を跳ねさせた。
「な、何ですか、それは!?」
「しゅわしゅわしてる!!」
「はーい、これをチョコに入れちゃいまーす! ささ、素早く混ぜてください!」
「はわわっ」
「はいっ、いちに、さんし! あははっ、ハル様ふぁいおー!」
くるくると気軽に掻き混ぜられた発泡する重曹が、またしても気軽にチョコへとかけられる。
派手な音を立てたそれに、ますます幼子が目をまん丸にさせた。
慌てた様子でチョコを混ぜるハルをにこにこ見詰め、青年がシリコン製の型を用意する。
ちなみにこれらの用品は、全てシトリーが購入している。見た目の良さを整え、型から入りたい、彼なりのこだわりがあった。
何だかんだ人間に対して友好的であるシトリーは、人間の真似をすることが好きだった。
スプーンで掬われた、既にもこもこしているチョコが、型へ入れられる。怪訝そうなメアを背後に、ハルは真剣だった。
小さな手が、そーっとスプーンを運び、ぽてっと中身を落とす。
零さないよう慎重なそれは、6個のカップにバラバラな分量を与えた。
「おや、ハル様。ここ少ないですよ?」
「むむっ」
「あれあれ? こっちはどうですか?」
「むむむ!」
にやにや楽しげなシトリーの指示に従い、6等分されたそれにハルが一息つく。
再び慎重な足取りで電子レンジまで運び、赤く光る箱をそわそわと眺めた。
軽快な音が鳴り響き、一層ハルがそわそわとシトリーのシャツを握る。
抱き上げられたハルの目に、もこもこに膨らんだチョコが映った。チョコを指差し、幼子がメアへ振り返る。
「もこもこ!!」
「さすがです、ハル様!」
「あら熱を取ったら、冷やして完成ですよ~。ハル様、お疲れさまです!」
「わーい!!」
ハルが元気に諸手を挙げる。
冷やし固められたハルの手作りチョコはこの日のおやつとなり、ひとくち頬張った幼子が、瞳に星を散らばらせた。
チョコの永久保存をと腰を浮かせたメアを、シトリーが懸命に留める。
「食べてくれないのか?」とうるうるするハルに負け、メアは咽び泣きながら手作りチョコを食べた。
いわく、この日の私の幸運を、瞬きごとの未来と過去の私が嫉妬することでしょう。とのこと。「哲学だね」シトリーが苦笑いで相槌を打った。
「んで、ハル様。その三つのチョコはどうするんです?」
白い皿に並べられた三つのもこもこチョコを指差し、シトリーが不思議そうに尋ねる。えへん、ハルが胸を張った。
「これがじいちゃんので、こっちがばあちゃんの。で、これがハンナさんの!」
「なるほどー。んじゃあ、リボンかなんかできゅきゅっとしましょっか」
「うん!!」
「妬ましい妬ましい妬ましい妬ましい……」
「メアちゃん、落ち着いて……」
世界を滅ぼしにきました ちとせ @hizanoue
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