鎌倉 幽専萬屋 KAMAKURA YUUSEN YOROZUYA

櫛木 亮

依頼 其ノ壱【冬虫夏草】寂しがり屋は誰のせい?

 ここは、神奈川県 鎌倉市 某所。

 

 新緑の季節。暖かな昼下がり。誘惑に負けた昼寝日和。

 爺さんが残した、それはそれはありがたい、猫の額ほどの庭がある、木造平屋のそこそこ大きな古民家。春には沈丁花が甘酸っぱい香りをさせ、秋には金木犀が庭を甘く切なく包む。爺さんがとても丁寧に庭いじりをしていたと分かる庭だった。夏には淡い光を飛ばす蛍も、俺がもう少し若かった頃には見れたのだが、すっかりと男の油がのりだした頃になってからは、一度も見たことはない。


 玄関を入りダイニングから広がる、少し贅沢なリビングに古風な革張りの茶色のソファー。それに大胆に靴のまま横になり、本を顔に乗せ、優雅なひとときを過ごす。なんて贅沢で素敵で理想な空間。時折、とても柔らかな風が部屋を通り過ぎていく。


 どこともなく現れた茶トラの猫がそのソファーに寝転がった人物の横に居座ると大きなあくびをした。なんとも馴々しい。だが、そんなことも気にならない気持ちのいい日だ。


 風が部屋に入る度に白いカーテンがまるで生きているかのように動く。猫は耳をピクリとさせると木製のアンティークのテーブルの上に移動して何度かくるくると回ると定位置を決めたのか、その場に丸くなった。



「あーあー…… だらしがないな〜 またこんな場所でうたた寝してるんですね…… あたたかくなってきたと言っても、まだ五月前ですよ。このままじゃ風邪引きますよ。……聞こえてる癖に無視を決め込むんですね。やれやれですね」


 そういうと、その人物は椅子に掛けてあったひざ掛けを優しく俺の腹の上にかけてくれると、リビングの方向にスっと消えていった。

 

 そして、俺はまたあの夢を見る。 



 霧がかった針山を歩く夢。頂上は遥か彼方。全く見えやしない。そこを永遠に歩くのだ。

 

 もう何度目かの、同じ夢。

 逃げることを諦めた顔に、傷だらけの足。

 赤黒い世界は地獄か? 煉獄か?


 淡い期待は持つだけ無駄だろうと、誰かが耳元で囁くんだ。


 そんなことは分かっている。

 もう、とっくに終わった淡い期待だ。登っても登っても、手をいくら伸ばしても、きっと終わらないのだろうな。

 

 ああ、眩暈がして、溜め息が漏れそうだ。

 職業柄なのか、良くない夢だ。




「なんて夢を見てるんですか……」と、そんな悪夢をぶち壊して笑うのは助手の月野 賢太郎つきのけんたろうだった。スマートな出立ちに似合わない無精髭。薄気味悪い笑みは機嫌の良い証拠。


「賢太郎、紅茶の湯気はひとときの幸せなんですよ? 知ってました?」と、真顔で書類に目を通しながら時折、皮肉そうな目で月野を見るのが事務の橘 たちばなとおる


 そして、ここに横たわっている青いネクタイの渋イケメンがこの事務所の所長の蜂谷 彰だ。そう、俺のことだ。


「えぇ? 誰が渋イケメンよ? そんなイケメンは一体全体どこにいんのよ? アキちゃんってホントに馬鹿じゃないの?」


 アキちゃんと呼ぶな。それから、心の声は読まないでくれよ。年齢不詳の助手見習いの西口 ルイ。


「だってえぇ〜」


 だってえぇ〜 っじゃない! カワイイフリしても手遅れだ! それからすぐに人の心を読むな。普通に会話しろ。最悪にして、最低だ。


「えぇ〜 聞こえてるのにわざわざ会話しなくて良くないですか? あと…… 元々カワイイのよね? 僕ってば〜 見習いなのに、なんて素敵」


 地獄絵図だな。もういい…… もう少しだけでいい、寝させてくれ。


 そう思いながら、俺はソファーに深く腰を掛けなおした。



 んん! 気を取り直していこうか。

 此処の連中は少し変わった奴らばかりだが、頼もしく、時に煩わしい。それは悪い意味ではなく、良い意味で、敬意を表している。つもりだ。



 あ〜 さて。みなさんはマンションの「告知事項」って知ってるかい? それはただの告知ではない。俺らは世間で言う、「普通」は、取り扱っちゃいない。ここまで言えば、感の鋭い人ならば、ピンとくるのではないだろうか。そう。 所謂、「事故物件」というアレだ。今回はそんなお話。



 ――case 1

「冬虫夏草」

 冬虫夏草(とうちゅうかそう)は子囊(しのう)菌類のきのこの一種、土中の昆虫類に寄生した菌糸から地上に子実体を作る、中医学・漢方の生薬や薬膳料理・中華料理などの素材として用いられる、いわゆる冬虫夏草はチベット等に生息するオオコウモリガの幼虫に寄生して発生するオフィオコルディセプス・シネンシスを指す。

 別名を「中華虫草」ともいう。「冬虫夏草」の名称は、チベットで古くにこの菌が冬は虫の姿で過ごし、夏には草になると考えたことから名付けられた。

 チベット高原やヒマラヤ地方の海抜三千メートルから四千メートルの高山地帯で草原の地中にトンネルを掘って暮らす大型のコウモリガ科の蛾の幼虫に寄生する。チベット、青海省、四川省を中心に雲南省、甘粛省、貴州省などでよく見られ、夏に採取されている。

 この種の蛾は夏に地面に産卵し、約一ヶ月で孵化して土にもぐりこむが、この時に冬虫夏草属の真菌に感染すると、幼虫の体内で菌がゆっくり成長する。幼虫は約四年で成虫となるが幼虫の中で徐々に増えた菌は春になると幼虫の養分を利用して菌糸が成長を始め、夏に地面から生える。地中部は幼虫の外観の保っており「冬虫夏草」の姿になる。



 取り急ぎ、コレは某所で借りてきた物の引用だが、悪く思わないでいただきたい。

 今回はマンションのお話だ。あなたの傍にもそんなお話があるかも知れない。


 さあて、温かいお茶でも飲みながら、もうちょっとこっちに来て。


 お話をどうぞ。









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