第17話 日常と賢者の石

 ゲームからログアウトする。時間は二十一時。空腹を満たそうとキッチンでピザを温める。母親の美咲がリビングに入ってきた。


 美咲の年齢は四十六歳。肩まで茶色の髪を伸ばしている。身長は百七十㎝と、すらっと背が高い。


 顔は面長で色白、いつも穏やかな顔をしている。美咲はスーツ姿だった。

「母さん。これから仕事? それとも、一時帰宅?」


 美咲はいささか諦めた口調で教えてくれた。

「残念だけど、うちのボスの都合で、これから仕事なのよ」


 母が言うウチのボスは雇用主の宇宙人を指す。名前はアロハロニだ。

「夜も遅くて、大変だね」


「しかたないわ。宇宙人と私たちでは生活リズムが違うんだもの。遊太と亜美は、ちゃんとやれている?」


 母親らしい心遣いに感謝しつつも、遊太は母親を気遣った。

「こっちは、どうにかやっているよ。それより、母さんの体が少し心配だな」


 美咲は明るい調子で笑い飛ばした。

「若くはないけど、これくらいでへこたれるような歳でもないわ」

「そう、ならいいんだけど。ちなみに今日はどんな仕事なの?」


 美咲はのほほんとした調子で答える。

「遊太は八百万をやっていたはね。賢者の石って知っている?」


 美咲から賢者の石の話題が出るとは思わなかった。

 正直に答えていいか、数秒ほど躊躇った。遊太は関わっている件を隠して訊く。


「知っているけど、何?」

 美咲が冴えない顔で語る。


「今日の夕方にニュースでもやっていたけど、誰かが賢者の石を、大量に買ったのよ。おかげで、需給バランスが崩れたわ。賢者の石が百%近く暴騰したわ」


(一日の値上がり幅にしては、大き過ぎるな)

「そんなに上がったの? 今日で百%なら、明日はもっと上がるだろう」


「それで、賢者の石が必要な業界団体が、供給を増やすように日本政府経由で依頼したのよ。だけど、賢者の石はゲームの景品だから売れない。欲しければゲームで取れって、宇宙人が拒絶したわ」


(宇宙人らしい言い分だな。でも、これは生活に影響が出るぞ)

「それは大変だね。もしかして、賢者の石って医療分野への応用以外の道ができたの?」


 美咲は困った顔で話す。

「かもしれないわね。それで、今日の深夜に賢者の石の供給について、実務者協議があるんだけど、うちのボスが、宇宙人側の関係者として出るのよ。その随伴で仕事なの」


(間接的だけど、賢者の石の影響を、我が家も受けたわけか)

「そうか。なら、行ってらっしゃい。いい結果が出るといいね」


「それじゃあ、行ってくるわ」

 美咲は微笑んで家を出て行った。


(賢者の石か。マンサーナ島で加工できるようになれば、産出量が増える。マンサーナで作れるようになれば、現実世界への供給も増えるか。ヴァーチャルなゲームが現実世界を侵食しつつあるな)


 ピザを食べて、賢者の石に関連するニュースを見る。

 どのニュースも賢者の石の価格の高騰を憂えていた。だが、完全に輸入に頼るしかない現状では、解決策は宇宙人に頭を下げるしかない。対策はなきに等しかった。


(仮にマンサーナ島で日に一個ペースで生産できるようになったと仮定する。でも、この品薄騒動は、収まらないんだろうな。それとも、政府は今以上にゲームを推奨して取りに行かせるんだろうか)


 風呂に入って、眠る。朝起きて、朝食を食べるときにニュースを見る。

 昨晩の深夜から行われた宇宙人との実務者協議が不調に終わった、と告げていた。


「大変だな、日本政府も。俺はゲームをするだけだが」

 自分の部屋に戻り、ログインする。


 その日、マンサーナ島は珍しく曇り空で、風も強かった。

「マンサーナ島の漁は危険か。今日は、マンサーナ沖の釣りは止めたほうがいいな」


 港に行くと、補助員を乗せて行け、と命令するうしおの理のメンバーもいない。


 酒場に行く。酒場に掲示板はあるが、建物本体はまだ完全に直っていなかった。

 掲示板を確認する。


 潮の理から独立したクランがセレーツア島に漁業組合を作った、とあった。

(セレーツア島か、ここより三時間ほど北に行った島だな。転移門を開放する関係で、行った過去はある。だが、釣りをした経験はない。噂では蟹がよく獲れるそうだな)


 ヴィーノの街に行って時間を潰すか、セレーツア島で蟹漁をするか、迷った。

 ゲーム内のポストで電子メールをチェックすると、メールが届いていた。


 差出人はテッドでヴィーノの街にある料理屋ヒッコリに来てほしい。料理屋ヒッコリでオークスのリンクルに接触してほしい、との内容だった。


 リンクルの画像が添付されている。リンクルは、オークスとしては背が低くずんぐりした体型の男だった。


 肌の色は褐色で、鼻筋に一本の白い線が入っている。鬣は白く染めているのか白く、黒のバイザーを掛けていた。格好は冒険者が好んで着る厚手の服に、簡単な胸鎧を装備していた。


(今日は漁に出られないから、リンクルに会いに行ってみるか)

 遊太はマンサーナ島の転移門からヴィーノの街に飛ぶ。


 適当に街をぶらつき、料理屋ヒッコリが開く時間を待ち、向かう。

 料理屋ヒッコリに行くと、開店したばかりだが混雑していた。だが、店の隅のガラス板で囲われた席に『予約席』のポップが立っているのが見えた。


 もしやと、思い店員に声を懸ける。

「リンクルの名前で予約しているものですが」


 予約席に案内された。座って、リンクルを待つと二十分ほどでリンクルが現れた。

 リンクルは愛想よく挨拶をしてきた。


「俺がリンクルだ。待たせちまったか?」

「待ったと言っても、少しだ。気にするな。それに、まだ昼前だ」


 リンクルは明るい顔で提案した。

「そうか。なら、料理を頼んで食っちまおう。おれはゲーム内でもきちんと食う主義だ」


 遊太はヴァーチャル・ゲーム内では、恩恵効果が欲しいとき以外に食事をしない。とはいえ、ここで何も頼まないのも店の人に悪いと思った。


「そうか。なら、付き合うよ」

 リンクルは鮪尽くしコースを頼んだ。


 提供された鮪の量は多かったが、リンクルは、とても美味そうにぺロリと食べた。

 リンクルは幸せな顔で語る。


「ほんとうに、五感を全て再現できるVRMMOが宇宙人によってもたららされて、よかったよ。おかげで、好きな鮪を好きなだけ食べられる」


「現実でこれだけ食ったら、高いからな」

リンクルは残念そうな表情をして打ち明ける。


「俺の場合は、健康上の問題で食事制限がある。ゲームの中でしか、思いっきり食べられないんだ」

「そうか。それは、辛いな」


「さあ、辛気臭い話はなしにして、本題に入ろう」

 リンクルが真剣な顔で、ひそひそと訊く。


「遊太は茨姫の導きで秘密の施設に侵入した。そこで何を見た」

 遊太も声を潜めて会話する。


「一般には不可能だとされる賢者の石を精製できる、老婆コンスタンスの存在を知った」

「遊太はどう見る?」


「オルテガ・バンクが賢者の石の粒や欠片を集める。鏡の騎士団はコンスタンスを使い、賢者の石を精製している」


 リンクルは真面目な顔をして訊く。

「それを真似する。たとえば、一般募集で漁師を集めて魚を獲る。凄腕の錬金術師に賢者の石の精製作業を真似させる作戦は可能か?」


 遊太は正直に答えた。

「無理だ。賢者の石の粒や欠片を集める条件闘争になれば、島を押さえているオルテガ・バンクに敵わない」


 リンクルも、あっさりと遊太の言葉を認めた。

「そうだな。資金力となれば、オルテガ・バンクに俺たち五人では、太刀打ちできない」


「それに、コンスタンスは宇宙人が操る特殊なキャラクターだ。あの技術は人間キャラクターには真似できない」


 リンクルが渋い顔をして同意した。

「特殊な技能を持つユニーク・キャラクターの技能は真似できないからな」


「このままでは、ここで打ち止めだ。だが。俺はまだ、見えていない儲け話が実はあると思う」


 リンクルは興味を示した。

「見えない儲け話って、何だい?」


「ヒントはレジェンド・モンスターだ」

 リンクルは力強い視線で応じる。


「続きがあるなら、協力関係はまだ続けよう。こちらでも、何か探ってみる」

「なら、あんたか茨姫が、手を貸してくれないか、俺は海中をもう少し探ってみたい」


「いいだろう。茨姫をそっちに貸し出す。成果を上げてくれ」

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