不正解な愛し方
猫村空理
受胎告知 天使系お兄さん×女子高生
生花の香りが鼻を擽った。小さな花屋の店先から彼が顔を覗かせる。
「凛、学校終わったの?」
「あ、彰久お兄ちゃん。そう、今テスト期間だから早いんだ」
そっか、と彰久お兄ちゃんは微笑んだ。背後の花々も相まって天使のような様相。彼は浮世離れして美しく、また初めて会った頃からほとんど容姿が変わっていなかった。
彰久お兄ちゃんは私の本当の兄ではなく、近所に住む年上の幼馴染だ。何歳なのかはよくわからないけれど。私が小学生の頃に高校の制服を着ていたから、多分二十代後半だと思う。今は花屋を経営して、その秀でた容貌でこの街の人々に性別問わず花を購入させているらしい。
髪も、目も、肌も日本人離れして色素が薄い。扇のような睫毛は瞬きのたびに風を起こしそうだ。改めて感心していると、彼は首を傾げた。
「どうしたの? 俺のことじっと見て」
「見飽きないなと思って。顔がルーブル美術館だ」
「……褒められてるの俺? まあ、凛が言うなら嬉しいよ」笑って彼は私の頭を撫でる。袖口から青々しい植物の匂いがした。「テスト期間なら、今日はもう帰る? 貰い物のお菓子があるんだけど」
「食べたい! 彰久お兄ちゃん、お邪魔していい?」
「そう言うと思ってた」
おいで。自然に手を取って、彰久お兄ちゃんは私を店の奥へ導く。晴れた外と比べて店内は少し暗く、いつもひんやりした空気が流れている。ここの二階が彼の居住スペースだ。
ことり、とローテーブルの上に置かれた陶製の器。中には小包装のマドレーヌが並んでいる。
私がそれに手を伸ばす前に、床へ座った彰久お兄ちゃんが、とん、とん、と自分の真横を指先で示した。
「凛」
「……うん」
言われた通り、膝立ちでにじり寄って彰久お兄ちゃんの側へ行く。彼の、繊細なつくりの指が、セーラー服の裾からインナー越しに私のお腹へ触れた。薄っぺらいお腹の上を、何かを確認するように指が這う。
「凛。俺たちの赤ちゃんがここにいるんだよ」
インナーの端がスカートから引き出され、直接皮膚と皮膚が接触する。彼の体温はいつも私より低い。
「今、中から凛のお腹を蹴ったよ。わかる?」
「うん。わかるよ、彰久お兄ちゃん」
私の小さい頃から、彼はこうして教えてくれた。学校で教えられる赤ちゃんのつくりかたは本当じゃなくって、私のお腹には、ずっと前から彰久お兄ちゃんとの子供がいること。
いつか、その時が来たら、私はその子を産むのだ。
「ここで、凛に抱かれて眠ってるんだ」
私の剥き出しの腹部を撫でる愛おしげな手つき。
初めはよくわからなかった。彰久お兄ちゃんと特別なことをした記憶はなくて、でも何もしなくてもできてしまうなら世の中にはもっと赤ちゃんが溢れかえっているはずで。
けれど今は、彰久お兄ちゃんの言うことが本当だと知っている。
だって、感じるから。胎動。日に日に増す羊水の重み。お腹を内側から蹴りつける、小さな足の感触まで。
臍に彰久お兄ちゃんのかさついた唇が触れて、擽ったくて笑った。
「きっともうすぐ会えるよ、凛」
帰り際、鞄を背負い直した私へ、彰久お兄ちゃんは白い百合を一輪手渡してくれる。受け取って、店の戸口にもたれる彼を見上げた。
「ありがと。彰久お兄ちゃん、いつも百合をくれるけど、どうして?」
「凛に、似合うから。真っ白で、綺麗で、いい匂いがするでしょ?」
「えへ、上手なんだから。このタラシ! ジゴロ!」
「……ほんとだよ?」
薄く微笑み、人差し指を口元へ。流麗な所作に目が奪われる。
「明日もおいで、凛」
「うん。彰久お兄ちゃん」
こくりと一つ頷いた。握りしめた白百合が、ぞっとするほど清い香りを振りまいていた。
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