とこしえ

 買い込んだ食料をラッリと二人で手分けして持ち、森の家に帰るとヘズが「お帰り」と言う。ライラが「ただいま」と返すのを見て、ラッリが滂沱の涙を流していた。


「あの殺伐とした城内では見れない光景ですね。ううう、殿下がお帰りなんて言う日が来るとは」

「お前にだって普段言っているだろう」

「言われてません。『戻ったのか』とそっけなく言われるだけです」


 そうだったかとヘズは首をひねる。城の中ではいつでも臨戦態勢だったから心の余裕が無かったのかもしれない。物理的な襲撃だけでなくその辺を歩いている貴族にでさえ、揚げ足を取られればそのまま破滅へと追い込まれるような感じがして気を許すことが出来なかった。


「分かった。次に機会があればおかえりと言ってやろう」

「いえ、結構です」

「何故だ」

「いや、なんか……そんな約束されると殿下が死亡する前触れみたいな気がするので」


 ラッリが遠慮がちに言ったが、ヘズは苦虫をかみつぶしたような顔をした。


「お前な……」

「ああ、何となくわかるな。約束を果たされずに相手が死ぬと気持ち悪いんだよな。こっちが破ったみたいで」

「ペルケレ、多分それちょっと違う。ラッリさんの言いたいのは未来の話でしょう。だったら次と言わず今言えば良いのよ」


 ライラの提案にそれもそうかとヘズはラッリがいるであろう方向へと顔を向ける。


「お帰り、ラッリ。……なんか妙な空気だな」

「ただいま戻りました。改めて言うと微妙な感じですね」

「照れるな、照れるな」


 ライラとペルケレと、ついでにラッリが笑う声を聴いてヘズもほんの少しだけ口の端に笑みを浮かべる。ここは、本当に居心地がいい。城の雑多な事など全て忘れて、ずっとここに―――


「さてと、今日の献立は何にしようかしら」

「あ、手伝いますよ、ライラさん」


 現実逃避から一瞬で引き戻されたヘズは、邪魔にならないようにベッドの上へと座り込んだ。ペルケレを呼んで抱えながら、見えない二人の作業を眺めている。


「これはどうします?」

「皮をむいてくし切りにお願い。随分と手慣れてるのね」

「有難うございます。殿下に毒入りを食べさせないように私が料理していたので、そうならざるを得なかったんですよ」

「毒見役はいないのかしら?」

「毒見も取り込まれていたら終わりですからね。前に有ったんですよ。被害者は殿下の伯母にあたる方でしたが」


 水で何かをすすぐ音。まな板の上で何かを切る音。混ぜる音、こねる音、そして二人の会話……

 もしも目が見えていたらライラに教わりながら初めて料理を作っていたのだろうかとヘズは思う。聞こえてくる音はとても楽しげで、座っているだけの自分が酷く寂しく感じられた。そもそも、見えていたら会えない可能性だってあったのに、見えない今がとてももどかしい。


 目が見えなくなってから城で出来ることはほぼ皆無になった。それまで行っていた書類仕事はいちいち読み上げてもらわなければ内容を理解できなくなったし、会議では気を張っていないと誰の発言か分からない時がある。


 不用、役立たず、存在しているだけで税金の無駄遣い。目が見えなくなった分だけ声色には敏感になり、言葉の端々に嘲りが浮かぶ輩にイラついていた。兄クレルヴォよりも優秀と言われていた分だけ、プライドはずたずたに引き裂かれた。


 居心地がいいと感じたこの場所でもヘズは無力だ。呪いが解けるまでここにいてもいいと言うライラの言葉に甘えているだけだ。実際何もできないのだから見えるようになってから恩を返せばいいと思っているのだが、それにしてももどかしい。


 せめて今はラッリに働いてもらおう。

 ライラたちが良く見えるようにとヘズが脇の下に手をあてて持ち上げると、ペルケレの手足はだらーんと垂れてまるで別の生き物のようになった。


「ペルケレ殿から見て、ラッリはどうだ?役に立っているだろうか」

「ああ、ラッリも手際が良いな。まるで夫婦の様に仲良く料理をしているぞ―――って、いてて、指に力を入れ過ぎだ、離せ」

「は、すまんペルケレ殿。ついうっかり」


 慌てて膝の上に降ろしてお詫びがわりに撫でる。撫でながらも、顔は音のしてくる台所の方を向いている。

 夫婦と聞いて、ヘズは婚約破棄をされた時の事を思い出していた。


『呪詛を解こうと努力するあなたの姿を拝見してきましたが、どうやら時間切れのようです。婚約破棄をさせていただきます』

『ああ』

『同情や身勝手で相手を決められるほどわたくしの身も軽いものではないのです。どうかわかってくださいませ』

『理解している。こちらこそ時間を無駄にさせて済まなかった』

『いいえ、未来の王子妃として受けた教育は何物にも代えがたいものでした。お陰でどこへでも嫁ぐことが出来ます』

『そちらの男性がお相手か。どうか、お幸せに』


 目の見えないヘズが気づいていないとでも思っていたのか、ロウヒの近くでたじろぐ男の気配がした。普段は言葉少なに語るロウヒがやけに口数が多かったのが印象に残っている。

 呪詛を解こうと努力していたのはヘズだけだ。婚約者にそれを期待するのもどうかと思うが、ラッリによるとロウヒは何もしなかったようだ。


 婚約は、共に歩み始める為の準備段階だと思っていた。相手に危機が訪れれば助けあい、理解しあって距離を縮ませ永遠に近い時間を分かち合うための助走期間。

 ロウヒは味方でも、理解者でもなかった。それどころか破棄するための理由を探していたのではないか、呪詛に一枚噛んでいたのではないかと疑ってしまう。


 ライラは治そうとしてくれるが、おそらくそう言った関係を望んでいるのではないとヘズは理解している。けれど、どうしても期待してしまうのだ。ライラと主に歩む未来を。

 ヘズは本音をぽつりと漏らした。


「やはりライラも目が見える者の方が良いのだろうか」

「いや、ライラはライラで問題抱えているからな。もしも色恋の相手を選ぶなら、ラッリよりも目の見えないお前の方が都合がいいかもしれねぇ」


 これからも老いずに続く人生を送るライラの隣で、老いていく自分を気にせず生きられる。自分とライラの差をしっかりと受け止めた上で笑っていられる。そんな存在が本当にいるのか、どれ程強靭な精神が必要か悪魔のペルケレでは計り知れない。だったらいっそ何も見えない方が幸せかもしれない。ライラだってその方が気が楽だろう。


「それは……私の目が見えるようになったら候補から外されるのか」

「呪詛なんか解けない方が良いかのような言い草だな。その前に誰かとずっと一緒に歩むのは拒むと思うぞ。お前たちとも一時いっとき道が重なっただけで直ぐに分かたれるだろ。けど…」


 ペルケレはライラを見る。変わらぬ姿にしたのはペルケレ自身で、手助けできる唯一の方法だと今でも思っている。そこに罪悪感などは微塵も無い。

 だが変わることまで禁じたつもりはなく、ヘズ達が来たことでライラに何か変化が起きているのならペルケレはそれを受け入れようと決めている。契約を解くことは出来ないが、孤独に甘んじることなく誰かと関わりを持とうとするのを邪魔したくはない。


「そばにいるにしろ遠くにいるにしろ、ほんの少しでもライラに好意を持っているなら出来るだけ長生きしてやってくれ」

「それは構わな……い、が……」


 答えながら、普段とは違うペルケレにヘズは言葉の意味を探る。悪魔、魔女、魔術に対しての認識。言葉の端々に感じていた、ライラとのほんの少しのずれと違和感。


「ライラは、もしかして人と違う時間を生きているのか」

「俺と不老長寿の契約したのは五百年前だ」


 ヘズは息を飲んだ。


 自分に掛けられた呪いを解くと言う目的でここに来た。解けた後は城に戻り、どれだけ難しかろうとも兄と和解し、王子としての役目を果たすつもりでいた。

 ゆるゆると優しい時間が流れていくこの場所へとどまればいい、全てを忘れて楽に生きようと、まるで誘惑されているかのように思っていたが。


 ライラ自身が致死量に達しない毒をいつまでもあおっているように感じて恐ろしくなる。

 けれど、ヘズはただ若さを保つ為だけにライラがペルケレと契約を結んだとは思えなかった。


「それは、何か目的があってのことだろうか?」

「ああ。簡単には達成できない目的だ。もしかしてライラは諦めているのかもしれねぇが、でっかい問題を抱えている」

「その問題とやらを取り除くことは、私に出きるだろうか」

「分からねぇ。まずはライラがお前に話すかどうか、だ。俺は勝手に話すつもりはないし、余程信頼されないと話してもらえないだろうな」


 ライラの変化をを受け入れようとも、それにペルケレが手を貸すかどうかは別問題だ。自主的に話せるような相手でなければ認めないと、ペルケレは兄か父親のような気持ちでライラを見ていた。


「ヘズ、ペルケレ、出来たわよ。こちらへいらっしゃい」


 ライラの呼ぶ声に顔を上げると、ヘズはふんわりと漂っている料理の香りに気付く。考えを中断して空腹を満たそうと、壁を伝って自分の席へと着いた。


「二人して真面目な顔をして、何を話していたの?」

「目が見えるようになったら、ライラが困っていることを解決したいと思う」

「困っていること?何かお困りでしたら私も手伝います」


 料理をよそっているラッリの言葉を無視してライラはペルケレを咎める。


「ペルケレ、全部話したの?」

「ライラが俺と契約して長生きしているのと、目的があるってことだけだ。詳しくはライラが話すべきだと思ってな」

「そう。……頂きます」


 男二人と一匹はライラの不機嫌を感じ取って無言で料理を食べ始めた。食器のぶつかる音と咀嚼音だけが響く中、ライラの漸く発した言葉は更に空気を不穏なものにした。


「魔術の廃れてしまったこの国に解決方法があるとは思えないわ。あなた達は大人しく私に守られていればいいのよ」


 優しい言葉の奥底に狂気が見え隠れしている。ともすれば傲慢にも聞こえるその言葉に反応したのは、少し前まで同じく傲慢だった王族のヘズだった。


「どうしてそう決めつける」

「五百年よ。五百年ずっと頑張って来たわ。魔術を新たに開発できるほど私は才能が無いけれど、その私より劣るあなた達に出来ると思って?」

「やって見なければ分からないではないか」


 穏やかな態度のヘズではあるがやはり年下である感が否めない。ライラはふふっと笑う。その笑い声に少なからず魅了されたヘズだったが、次の一言で打ち砕かれた。


「目の見えないあなたが、どうやって?」

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