墜ちたら天国でした。

咲場大和

前談

第0話 自己嫌悪

春一番を謳いながら吹く一陣の寒風に身を揺すりながら、私は一人で何をしているのだろうか。



車が多く飛び交う橋の両側面にある遊歩道で、独り、ぼんやりと外側に広がる景色を眺めながら私は佇んでいる。もう少しで夕日も沈み夜が訪れる。



「飛び込んでみようかな。」



ボソッと心にもないことを橋の下を流れる川を見てつぶやいた。私以外、遊歩道を歩く人間は数多くいたが、誰にでも繋がりを感じることができた。2人で歩く男女、電話をしながら歩くスーツを着たサラリーマン風の男性、がやがやと騒がしいグループ。繋がりを持たず、一人立ち尽くしているのは私だけだった…いや、留まっているのも私だけか。

 


 軽く羽織ったダウンのポケットから煙草を取り出し、火をつける。ライターのホイール部分を回すとボッと一気に点火した。煙草から出る煙を深く吸い込むが特に何も感じることはない。誰だよ、煙草を吸うと一瞬幸福になれるとか言った奴。周りの人間の何人かが私の脇を通り抜ける時に視線をよこした。そんな視線を打ち消すかのように肺に溜めた煙を吐き出す。口から出る煙は夕日に透かすとオレンジ色に染まった。



「こんな場所で煙草を吸うな」とでも言いたいのか、わたしが煙草を吸うのが珍しいのか、誰も声をかけるわけではないが視線には侮蔑の意が込められている気がした。男女平等社会万歳。くだらない空想にふけっていると、いつの間にか煙草も短くなっていた。吸い殻を川へ投げ捨て、また橋の外の景色に目を向けるが、依然として気分の高揚やスッキリ感を得ることはない。



 3年前の今頃、地方の方から上京し、大学へ進学した私、中川なかがわつばさは都内から少し外れた郊外で寮生として生活している。一般的な大学生として実家を出て、一般的な生活を送っていた。実家を出る日、ずっと一緒に暮らしてきた大好きなお母さんと離れるのがとても寂しかったが、送り出してくれた母親の笑顔に後押しされ、寂しさが少し紛らわしながら出発したのを憶えている。



娘の私が言うのもなんだが美人でちょっと抜けている可愛らしい女性だった。



そんなお母さんが一昨日、他界した。という訃報が届いた。正確には、ほぼ一週間前に死亡したと聞いた。死因は自殺だった。私の家族は私と父と母の3人家族だった。しかし、父は忙しい仕事なのか毎日、日を跨いでから帰宅するのが日課だった。当然、私たちとの生活時間はずれていて、ほとんど顔を合わせる事がなかった。



 そして私が上京してからしばらくして、お母さんは孤独に耐えられなくなり、うつ病を患った。それ知ったのが上京して1年後の春だった。



それを聞いた時、私は軽く後悔した。私が大学に進学した理由なんて興味半分、働きたくなさ半分という不純な理由だった。夢と呼べるものがあるわけでもない。地元で就職していれば母は元気に過ごせていたのだろうか、との事を当時から今まで考えなかった日は無い。この頃からだろうか、私は人との距離感に敏感になってしまったのか孤独感を強く抱くようになった。その時、私は多くは無いが友達にも恵まれ、初めての彼氏もできた。孤独感を感じる要素はこれといって無かったはずなのに…



 先ほど捨てた吸い殻が川の水面に浮かび上がり、ゆらゆらと揺れる。吸い殻はそのまま流され見えなくなった。訃報を受けた次の日、つまり昨日から意味もなくいえを出て、この橋で煙草を吸いながら川に飛び込む自分を想像して過ごすという生活を続けている。橋の上は絶えず人が行き来する。そんな中、父親と近い年齢だろうという男性が若い女性と一緒に腕を組んで通り過ぎた。



 そんな男性が父親あいつと重なった。父親は浮気していたのだ、田舎の中でも栄えている街の通りで、腕を組んで歩く父親の姿を買い出し中だった母親が目撃した、と遺書に残されていたそうだ。心が弱っていた母親はその日の夜首を吊った。次の日、最初に母の無残な姿を発見したのは父親ではなく、近所に住む母と仲の良いおばさんだった。部屋の窓から普段なら閉められているはずのカーテンが開いていて宙に浮く母を発見したそうだ。父親は母が自殺した日、家に帰らなかった…と聞いた。もしかしたら母は気づいて欲しくてわざとカーテンを閉めなかったのかもしれない。



私が事件の真相を知ったのは今日の朝だった…



 我に返ると夕日は完全に沈み、暗闇の橋の上には点々と街路照明の明かりだけが続いている。いつの間にか橋の上には私以外の人間と行き交う車は居なくなっていた。



今なのかもしれない。



私は多分、人の目が無くなるこの瞬間を待っていたのだ。すぐさま私は背負っていたリュックを床に投げ捨て転落防止用の頭の高さまである柵の上に登り立ち上がる。あいにく風は先ほどまでの寒風が嘘であるかのように微風で背中を押してくれるという事は無かった。多分神様に飛び込む勇気を問われているのだ。



眼下に広がった川は真っ暗な周りの中でも僅かな光を反射してきらきらと輝いていた。



「きれい…」



私は目を閉じ、深呼吸をする。大きく吸い込み、吐き出すとまた大きく吸った。これを4回繰り返し、また眼を開ける。そこには変わらない刹那的な美しさが広がっていた。



「ありがとう、さようなら」



いったいその言葉は誰に向けられたものなのか、自然と出た言葉に私はおかしくなって微笑んだ。私は両手を左右に広げた。微風でも感じる気持ちよさに脱力し、そこから前へ倒れ込む。多分映画だったら落ちている途中にヒーローに助けられてしまうのだろう。良かった、ここがで…神様の試練は私にとっては楽勝だったみたいだ。



お母さん、今会いに行くね。

お母さん、一緒に居れなくてごめんね。

お母さん、今度はずっと一緒に暮らそうね。

お母さん、大好きだよ。



ザバーンッと音と共に全身が冷たいのか熱いのかよく分からない感覚に襲われた。そのまま私の意識は水の中に溶けるように薄れていった。

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