同じ 鍵を 持っている 2

fujimiya(藤宮彩貴)

第1話 星占いのラッキーアイテムって①

「ない。見つからない」


 柴崎さくらは、授業が終わってからずっと、自転車を探していた。

 けれど、日が傾き、肌寒い風が吹きはじめたので、不本意ながら本日の捜索も打ち切ることにした。


 大学の入学祝いに買ってもらったばかりの、赤い自転車。帰ろうとしたら、止めたはずの駐輪場から姿が見えなくなっていた。


 なくなったのは、すでに三日前。


 もちろん、カギは二重ロック。赤とはいえ、あまり見かけない、ラメの入った華やかなボルドー色の自転車。乗り心地もよく、自分でいうのもなんだが、古い京の町にとても似合っていると思ったし、とても気に入っていた。


 まだ、一週間しか使っていなかったのに! 車体に、大きく名前でも書いておけばよかった。

 大学内のあちこちに位置する駐輪場には、卒業生が置いていったとおぼしき放置自転車が、過去の遺物と化して山積みになっている。一台一台、自転車の列に顔を突っ込んで丁寧に確認して歩いたけれど、大学構内にはまだ不慣れゆえに迷子になりかけるわ、同じ場所をぐるぐる回ってしまうわで、効率の悪い行動をしていた。


「なくなったって知られたら、どんな目に遭わされるか。怖いよー」


 さくらは、自転車の贈り主の顔を思い浮かべ、思わずぞくりとした。

 でも今日のところは仕方がない、夕食の買い物を兼ねて今日もバスで帰ろうと思い、さくらは校門に向かおうとした。

 大学がある百万遍(ひゃくまんべん)から、さくらの住んでいる西陣までは、およそ二十分ほど。バスを使っても自転車に乗っても、かかる時間は同じようなものなので、学生の身としては交通費をなるべく節約したかった。


 もともと、さくらは実家のある東京で進学するつもりだったが、無理を言って京都の大学を選んだため、親からの仕送りを受けていない。兄と一緒に住んでいるので、生活費は兄がメインで支えているとはいえ、家計はなかなか苦しい。


 引っ越してきて半月、入学して一週間。新しい暮らしに、大学生活。

 新しい日々に慣れることでせいいっぱいで、自分のアルバイト探しまでには手が回らないでいる。


「あーあ。自転車」


 自転車のことを考えながら、憂鬱さをいだいてさくらは俯き歩いていた。


「あれ、柴崎さん? 学校に残っていたの」


 シティサイクル型の黒いフレームをした自転車を押しながら近づいてきたのは、同じクラスの橋本譲(はしもとじょう)という男子だった。

 さくらと同じ、クラスでは少ない関東からの入学者なので、顔と名前を覚えていた。なんとなく親近感がわいていたこともあり、さくらは笑顔がこぼれた。


「ちょっと、用があって」

「図書館で調べものとか」

「ううん、情けない用事なの。自転車、なくしちゃって……いきなり」

「自転車?」


 さくらは笑い話にもならない自転車紛失の件を、橋本に話して聞かせる。ずっと悩んでいたことを、はじめて他人に吐き出せたので少し、心が軽くなった気がした。連日、京ことばあるいは関西弁にばかり囲まれていることもあり、橋本の話す東京っぽいしゃべりはとても落ち着く。実家は、神奈川県相模原市にあるという。さくらの自宅からも、そう遠くはない。


 黒縁の眼鏡をかけた橋本は、いかにも勉強ができますといったタイプの風貌をしている。もやしみたいにひょろっとした身体つきで、どちらかというと、運動は苦手かもしれない。と、勝手な想像。


「あの、きれいな赤い自転車だね。注意してみるよ」

「私の自転車、知っているの?」

「うん。何度か、乗っているところを見かけて」

「うれしいけど、覚えていたらでいいよ。構内には、もうないかもしれないし」


 大学内は、とても広い。移動には、自転車が必須。鍵を壊され、勝手に乗られて、そのままどこかへ外へ出て行ってしまったという可能性もじゅうぶんにある。それでも、自分ひとりで探すよりは頼もしい。さくらは自転車の特徴を細かく説明した。今週いっぱい探しても見つからない場合は、警察に届けるつもりでいる。


「それじゃ、また明日」


 そう言って、ふたりは門の前で別れた。

 橋本は、大学のほど近くにアパートを借りているという。


***


 夕方の、やや混みはじめたバスに乗り、浮かない顔のまま、さくらは借り住まいのある西陣へと向かった。近所のスーパーで夕食の買い出しを終えて、家に帰る。


「……ただいま」


 もちろん、返事はない。この時間、兄の玲は仕事中。


 京都の伝統工芸である西陣織の糸染め職人を目指し、修業中の身。職場は、玲のおじ・高幡春宵の、自宅兼工場。この借家から歩いて五分ほどの場所にあるが、今夜もきっと帰宅は遅いだろう。さくらが寝る前に帰ってくるかどうか、だ。


 鍵を開けてもひとりという生活には慣れている。さくらはずっと、ひとりだった。父は、国内のリゾートホテルやレジャーを手がける会社で働いているが、忙しい。母はさくらが赤ちゃんのときに亡くなったと聞いている。家事全般は、さくらの得意分野になってしまったのだが。


 その父が、昨年、再婚した。

 長らく独身を守ってきた父の結婚を、さくらは祝福した。しかも、婿に入ることになったので、さくらも『柴崎』という新しい苗字がついた。

 

 再婚相手の柴崎聡子は、うつくして若い女社長。


 夫に先立たれたあと、家業の家具屋を継ぎ、輸入もののおしゃれインテリア家具やメイドインジャパンの和モダン家具を先駆けて紹介し、現在では全国に十店ほどの支店を構えるまでに急成長させた手腕の持ち主。

 そんな『できる』女性と、ごく普通の平凡なサラリーマンである涼一が、どのように仲を深めたのか、さくらはまだ聞けないでいる。

 ほんとうは、聞きたくないのかもしれない。


 聡子にも、さくらと同年代のきょうだいがいて、五人での同居がはじまった。楽しくつき合っていきたい、そう思ったけれど、兄・玲はさくらの高校の同級生であり、ひとつ年下の弟・類は恵まれた容姿を持っているけれど、傲慢で困った子だった。

 同じ家に住み、きょうだいとどのように距離を保つか、さくらは悩んだ。

 玲は無愛想ながらとてもやさしく、類はわがままだけれども魅力的。


 義兄なのに、さくらは玲に惹かれていった。


 玲も妹としてではなく、さくらのことが好きだと告白してくれた。両思いである。京都で就職するという玲を追いかけるように、さくらも京都の難関大学を受験。どうにか、合格した。


 同居の条件として、父・涼一は玲と血判を交わした。

『家では、さくらに手を出さない』と書かれた紙が、目立つよう、居間に貼ってある。


 そんな経緯もあり、京都へ引っ越しした春からも、同居を続けることができた。西陣のご近所さんには、兄妹ということで挨拶を済ませている。ふたりの顔はまったく似ていないけれど、とくに不審がるような声はあがらなかったが、同じ歳の兄妹なので、年齢のことは口外していない。


「玲の夕食は、温めればすぐに食べられるようにしておこう」

 

 今夜は、野菜たっぷりのポトフを作った。春とはいえ、夜は冷えるし、帰宅が遅くなってもあっさりと食べられるように、と考えて。


 京都に来てからの玲は、とてもよく食べるようになった。たぶん、身体を使う仕事をしているから、おなかがすくのだと思う。


 玲は、京都の伝統工芸である西陣織の、糸を染める作業をしている。亡き実父の家業なのだという。現在では、亡父の兄にあたるおじが家長となり、仕事をしている。そこへ、高校卒業後、晴れて弟子入りを果たした。幼いころからの目標だったのだという。

 高幡糸染工場の信頼あってこそ、さくらと玲も京の下町・西陣に住むことができたのである。その、高幡家のつてで借りた家は、築約八十年だという年季の入った町家。さすがに水回りだけはリフォームしてあるが、間取りや階段など残りの部分は以前のまま。全室、畳張り。

 玄関を入ると、すぐに広い土間がある。昔は、機織りの作業場でもあったらしい。ここに機械を置いていたのだと、玲に聞いた。

 確かに、土間に下りて耳をすませば、機織りの音が聞こえてきそうな感じがする。


 しかし、兄妹とはいえ、血のつながっていない男女の同居。玲は個室をはっきりと分けた。

 一階の、居間の奥の部屋が玲の自室。二階の突き当たり、唯一鍵のかかる部屋がさくらの個室である。

 ゆえに、玲はまずほとんど二階に上がって来ない。


 告白が嘘だったかのように、まじめな玲はさくらに一切触れない。将来も気持ちが変わらずに、ふたりが結ばれたとしても、さくらの大学卒業までは兄と妹。それに、涼一が許さないだろう。

 個人的には、学生結婚にも憧れたりするのだけれど。


 さくらとしては、少しさみしい。大学で、誰々がかっこいいなどという噂話になっても、さくらの心はときめかない。それどころか、いっこうに発展しない玲との仲を思い出し、目の前が真っ暗になる。


「たまには早く帰ってきてよね、もう。心細いのに」


 念願の修業生活に入り、玲は朝が早く、夜は遅いという日々を送っている。

 自然、家事の多くは、さくらの担当。玲も家事はこなせるが、京都に来てからは朝晩ちらほらと顔を合わせるだけ。忙しいのは仕方がないけれど、甘いことばのひとつもないのが、さくらには不満だった。


 今夜も、さくらはさっさとひとりでテレビを観ながら食事を済ませ、お風呂を使い、明日の予習をしてから寝る支度をする。

 玲はまだ帰らない。職場が近いだけに、なにをしているのか見に行こうと思えばできる距離なのに、さくらはしなかった。


 玲の夢、をじゃましたくない。


 京都で一緒に住んでいるだけでも、うれしい。なるべく、玲の夢の妨げにならないよう、玲を支えたい。


 さくらも当面、勉強に打ち込むしかない。高校までの勉強とは、まるで違う。語学も教養も、中身が濃くて難しかった。予習しておかないと、とてもついてゆけない。


 さくらは玲を待ちながら、ペンを握ったままうとうとしていると、ようやく玲が帰宅した。


「おかえりなさい、玲」


 さくらはガラガラと開いた戸の音を聞き、玄関で迎えた。玲はよれよれでくたくたの作業着のまま。顔には、ありありと疲労を浮かべていた。


「なんだ、まだ起きていたのか」


 ただいまも言わない玲の頭上で、時計の針は十一時過ぎを指している。


「もうすぐ寝るところだったの。ほら、パジャマ姿でしょ」


 聡子に新しく買ってもらった、これまた激甘のフリフリパジャマで、堂々と胸を張って答えるさくらに、玲が冷たく言い返す。


「先に休んでいろって、いつも言っているだろ。何時になるか、分からないんだから」


 待っていたことが、まるで迷惑とでも言わんばかりに、玲がさくらをなじった。


 玲は顔色がよくない。京都に来てからというものの日曜日も休日もなく、働きつめていた。せっかくの京都なのに、どこにも観光していない。


「待っていたいよ。少しの時間だけでもいいから、一緒にいたい。そんな言い方、ないよ。京都で頼れる人、玲しかいないのに」

「俺は、早く仕事を覚えて成長したいんだ。できる限り、打ち込みたい。しばらくは放っておいてくれ」

「本格的に弟子入りして、まだ半月だよ。あわてても、すぐに修得できるものでもないのに」

「うるさいな。俺は、早く一人前になりたいんだ。寝る時間さえ惜しいぐらいだ」

「顔に染料ついているよ、ほら」


 さくらは、玲の頬に手を伸ばした。お手入れをしていれば、かなりの美形なのに、京都に来てからは髪も切らずに、乱れっ放しで残念なことになっている。


 だが、玲はうるさそうにさくらの手を払った。


「自分でやる。そういうお前のおせっかいなところ、重荷なんだ」


 乱暴に靴を脱ぎ捨てると、玲は作業着も脱ぎながら自分の部屋に入ってゆく。玲がさくらの部屋に近づかないのと同様に、さくらも玲の部屋には入らないようにしている。


 玲はぴしゃりと襖を閉ざしてしまった。振り向いてもくれなかった。

 機嫌をそこねてしまった。……今夜はもう、だめだ。

 さくらは気まずい気持ちのまま、勉強道具をまとめて二階へと無言でのろのろと上がっていった。


 

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