35 託す
重い衝撃に骨が砕け、肉が千切れる音がする。だがその痛みが脳に到達する前に、即座に起き上がった阿蘇がオレの体に手を当てていた。
呪文が唱えられる。大怪我をしていたオレの体は、みるみるうちに治癒されていった。
「この……大馬鹿野郎……!」
呪文を唱えきった阿蘇は、上体を起こそうとするオレの両肩を掴んで激怒した。
「滅茶苦茶……しやがって……!」
「ご、ごめんね、阿蘇さん」
雨と泥と血に汚れた顔を和ませるよう、へらっと笑いかける。それにつられたのか、阿蘇も表情を緩ませた。
「藤田……」
とん、と頭の重さが肩に乗る。
消え入りそうな声が、ほろりと落ちた。
「……よかっ、た……」
そのまま、崩れるように阿蘇の全身から力が抜けた。
「あ、阿蘇!?」
自分の体にもたれかかる阿蘇の体を両手で支える。ぬるり、と生暖かい液体に指先が浸される。
藤田の手は、阿蘇から溢れる血に濡れていた。
息を呑む。心臓が止まりそうになる。呼吸を確認する為、藤田は急いで彼の口に耳を寄せた。
自分の心臓の音と、雨音。それにかき消されそうなほどの心許なさではあるが、藤田はしっかりと阿蘇が息をしているのを確かめた。
大きく安堵の溜息をつき、がくりとうなだれる。
――滅茶苦茶やってるのは、お前の方じゃねぇかよ。
色が変わりきった阿蘇の服を抱き締め、藤田は胸に迫り上がるどうしようもない感情に目を閉じた。
「……阿蘇」
呼び慣れた名を、口にする。
血の匂いがした。自分と同じ色の、血の匂いが。
「……すまん」
目尻に溜まっていた雫が、雨に混ざって頬を滑り落ちていく。……ああ、ダメだ。オレはやっぱり、涙腺が緩いんだよ。
藤田は、阿蘇の右手に自分の指を絡ませた。
――誰よりも、失うことを恐れていると知っていた。
その為に、誰よりも強くあり続けていると知っていた。
ここで自分が見捨てれば、目の前の命が永遠に失われてしまう。それを彼は、いつだって正しく理解していたのだ。
自分さえ手を離さなければ。自分さえ耐え続けていれば。
そんなプレッシャーの中、身を削ってでも立つ事を選んできたのが阿蘇忠助という男だった。
故に、彼は二度と折れることができなくなっていたのである。
たとえ限界が来ようとも、命が尽きようとも。自分の手から失われるぐらいであればいっそ共倒れするほどの覚悟を決めて、幾度と無く立ち上がることを枷とした。
そんな人間がいるはずがない。
いたとしても、人間のままでいられるはずがない。
だから、そうなる前にオレが阿蘇を引き止めなければならなかったのだ。彼が倒れられなくなる最初の理由を作ったのが自分であれば、尚のこと。
彼に限界が近づいたのなら、誰よりも真っ先にオレが気付いて止めなければならなかったのに――。
奥歯をギリ、と噛み締める。どこも怪我をしていない体で、ボロボロの阿蘇を抱え直す。
――こんなズルいことがあるか。こんな不公平なことがあるか。
今の阿蘇は息も絶え絶えで、既に自分の怪我すら治す余裕が無い所まで追い詰められてしまっているのに。
「……」
――“友達”を背負わせて。“神様”を背負わせて。挙句の果てに、オレの命まで救わせて。
オレは、お前に何もできていない。何も返せていないというのに。
この期に及んでまだ、お前はオレに頼られなければならないのだ。
「……クソッ」
己の不甲斐なさにうんざりしながら、鼻をすする。阿蘇は、そんな藤田の腕の中でぴくりとも動かなかった。
……だが、それでもオレはお前に伝えねばならない。託さなければならない。
ここで動けなければ、一生の後悔を阿蘇は背負うことになる。
その事実を、オレが知っている限りは。
深呼吸をする。彼の耳に口を近づけ、意を決して藤田は言った。
「……阿蘇、聞こえる? 今からもう少しだけ、お前に無理を頼みたいんだ」
「……」
声が震えないように気をつける。抱きしめた腕に、力がこもらないように。
「これで最後だ。本当に最後なんだ。帰ったらアホみたいな量のデザートを奢るし、何なら店まで付き合ってもいい。オレもちょっとは食べるし、何軒でも付き合うよ」
――落ちてきたって、何度だって受け止めてみせる。
長い眠りについたって、何年何十年だって待ってみせる。
こんな覚悟だって、お前のものに比べたら全然大したことじゃないけど。
――それでも、誰より人間らしいお前を苛む後悔の数を、今ここで一つでも減らせるのなら。
「……だから頼む。やってくれ、阿蘇」
繋いだ阿蘇の指が、僅かに動く。
それを感じ取った藤田は、目を開けた。
「ありがとう」
手を、ほどく。
そして息を吸い、まっすぐに前を睨んで告げた。
「――後ろに五メートル、上に二メートル」
次の瞬間、阿蘇の目に光が戻った。驚異的な速度で跳ね飛び、呪文を唱える事で強化された脚力で、後方五メートル、高度二メートル地点にいた黒い男に殴りかかる。
この予想だにしない行動に、彼も些か動揺したのだろう。一拍反応が遅れた後、男は瞬時に下方に向けて動き阿蘇の攻撃を避けた。
だが、それを地上にて待ち受ける者がいた。
「――ナイスパスだ。忠助、藤田君」
背の高い男の口元には、マイク。彼の指示をインカム越しに受け取っていた藤田は、小さく片手を上げて返した。
黒い男は振り返る。しかし曽根崎の方が早かった。
「さぁ、これでやっと更新の話ができるな」
曽根崎の手が男の肩に触れる。逃さぬよう指を食い込ませ、曽根崎は不気味に口角を吊り上げた。
「――契約は、“続行”だ。私はまだ、貴様を楽しませる玩具でいられる。そうだろう?」
この曽根崎の言葉に、黒い男は歯の無い口をガパッと開ける。
けたたましい笑い声が、辺りに響き渡った。
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