10 ホームセンターしろせ

「起きろ」


 薄闇の中、誰かに頬をぺちぺちと叩かれる。が、生憎僕はまだ眠い。一つ唸ると、寝返りを打った。


「起きろって」


 なんだよもう、うるさいな……。まだ陽も昇ってない時間じゃないか。こんなに早く起きても、ビデオデータの回収には影響しないぞ。


「景清君」


 そんでやけに丁寧な呼び方するなコイツ。頭でも打ったんだろうか。

 僕は布団をかぶり直し、無作法な同居人に寝ぼけた声を出した。


「やめろって……。まだ寝かせてよ、慎司……」

「……」


 僕を揺さぶる手が止まる。よしよし、分かりゃいいんだよ、わかりゃ。

 そうして横向きに丸まり、もう一度眠りに落ちていこうとしたところ――。


「よいしょー」

「わあああああ」


 布団をひっぺがされ、僕はコロンと床に転がり落ちた。逆さまになった世界で、こちらを見下ろすスーツ姿の曽根崎さんと目が合う。


「おはよう、景清君」

「あれ、曽根崎さん? なんでここに?」

「早くその寝ぼけ眼を覚ましなさい。さ、出かけるぞ。支度をしろ」

「えええ待ってくださいよ。出かけるってこんな朝早くからどこに……」


 まだ着替えてすらいない僕を放置し、曽根崎さんはせっせと準備をする。それでもしつこく尋ねると、彼は節をつけて歌うように言った。


「なんでもあります人生用品。あなたに寄り添う一切合財――」


 ……なんかのキャッチフレーズ?

 ガボッと服を着ながら首を傾げる僕を見て、曽根崎さんは愉快そうに唇を歪めた。


「つまり、そういうことだ」

「いやいや分かりませんよ。ちゃんと名称を教えてください」

「そりゃあ君、子供のおもちゃからテロ用品までなんでも揃う場所といえば、あそこしかないだろ」


 取り急ぎ顔を洗おうとリビングを後にしようとする僕の背中に、彼は答えを投げつける。


「ホームセンター」

「過信しすぎだろ!」


 なんだか懐かしいツッコミをした僕は、蛇口を捻り冷たい水を顔いっぱいに浴びたのだった。










 車で十五分の場所に、そのホームセンターはあった。

 だいぶ老朽化した看板には、“ホームセンターしろせ”と書かれてある。チェーン店ではない、いわゆる地域密着型の店舗だ。店の外で何の脈絡も無く売られている果物や野菜達が、一層の地元感を演出している。


 タクシーを降りた僕は、背筋を伸ばして店を見つめる曽根崎さんに尋ねた。


「そういや、曽根崎さんはここに何を買いにきたんですか?」

「ん? 爆弾」

「ばくっ……!?」


 信じられない単語に曽根崎さんの顔を見た。

 流石に聞き間違いだよな? 本当はクエン酸って言ったんだよな?

 だがそれを確認する前に、曽根崎さんはスタスタと歩いていってしまう。なので僕も慌ててその背中を追った。


 ……だが、もっと早くにその判断を下すべきだったのだろう。自動ドアが開いた瞬間、男の悲鳴が耳をつんざいた。


「おばっ、おばっ、おばけぇぇぇぇぇ!!」


 ――おばけ?

 あ、曽根崎さんのことか。


 当の曽根崎さんはというと、この失礼なおばけ呼ばわりを意にも介さず、相手に会釈した。


「どーも、シロセさん。昨日電話致しました曽根崎です」

「な、何故僕の名前をご存知で!? 佐一さん、助けてください!! 朝からおばけが入ってきました!!」

「……」

「……え、何!? おばけじゃなくて曽根崎さん!? 何を言ってるんですか、曽根崎さんは人間で……ってあああああー!! 曽根崎さん!! 本当にすいません、いらっしゃいませー!!」


 ……賑やかな人である。

 僕は背の高い曽根崎さんの後ろから、ひょっこり顔を出して中を覗いてみた。


 シロセさん、と呼ばれた猫っ毛の男の人が、腰を抜かして曽根崎さんに平謝りしている。若白髪と温和そうな細い目のせいで年齢は判別しにくいが、もしかすると曽根崎さんより年下なのかもしれないな、と思った。

 そして、名前から察するにこの人が店長なのだろう。


 ところが曽根崎さんの目当ては彼ではなかったらしい。レジ奥に向かって首を伸ばし、シロセさんに問いかけた。


「……ユラは奥ですかね?」

「あ、はい。サイチさーん、出てきてくださーい!」

「……」

「そんな顔しないでくださいよ。曽根崎さんの案件なら、僕が対応することはできないんですから」


 その言葉に、レジ奥からするりと一人の男が姿を現す。肩まで伸びたサラサラの長髪を後ろで縛ったその人は、背中を丸めて僕らの様子を窺っていた。


「……」


 彼は僕の視線に気づくと、嫌そうな顔でボリボリと腰辺りを掻いた。なんだなんだ。どういう反応なんだソレ。

 そのまま男はスルスルとシロセさんの所まで行くと、ぴたりと背中に張り付く。そして、ボソボソと何か呟き始めた。


「……」

「……えーと、その後ろの人間は誰だ? だそうです」

「うちに来ているお手伝いさんだよ。色々と気が利くものだから重宝している」

「……」

「俺らの話を聞かせても問題無いのか、だそうです」

「問題無いよ。全ては承知の上だ」

「……」

「なら奥に来い。爆弾の説明を――ばばば爆弾!?」


 シロセさんが勢いよく振り返ったが、ユラさんはそそくさとレジ奥に姿を消していた。

 ……やっぱり聞き間違いじゃなかったんだな、爆弾。


 彼の後に続きレジ奥に入る。そこは、ちょっとした工房のようになっていた。名前も分からないような機械が綺麗に並べられており、僕はそれに手を触れないよう注意しながら曽根崎さんの後ろを進んでいく。

 が、突然ユラさんの足が止まった。


「曽根崎」


 初めてまともに聞いた、ユラさんの声である。


「……隣の人間は、トオルに預けてきてくれ」

「分かった」


 そう答えると、曽根崎さんは僕に目配せをする。戸惑いながらも僕は素直に頷き、指示に従ったのであった。










由良佐一ゆらさいちという人はですね、人間アレルギーなんですよ」

「人間アレルギー?」


 ホットミルクを手にした代瀬しろせトオルさんは、細い目を更に細めて僕の疑問に肯首した。それに合わせて僕もミルクを一口飲み、先ほど聞いたばかりの言葉を脳内で反芻させる。


「というと……人に触れない、とかですか?」

「触れないですし、目も見られないですし、まともに話すこともできないです。同じ空間にいるのも辛いようで……アレルギーと表現するのは少々大袈裟でしょうか? ものすごく、人が苦手な人なんです」

「それって代瀬さん相手なら平気なんですか?」

「平気みたいですねぇ」

「……曽根崎さんも?」

「曽根崎さんは、短時間なら頑張れるようです。お得意さんですし、無碍にはしません」


 そうか、お得意さんなのか。時々、曽根崎さんはンなもんどこで手に入れてきたんだというような謎の機械を持っていた。もしかするとあれらも全て、由良さんが作ったものだったのかもしれない。

 彼は、卓越した技術者でもあるのだそうだ。


「いやー、佐一さんには本当にお世話になってますよ。この赤字だらけのホームセンターを何とか潰さずにいられるのも、彼のお陰なんです」


 そう言う代瀬さんは、どこか誇らしげに胸を張っている。

 ……それでいいのか、ホームセンター店長。イコール、唯一の店員である由良さんがいなくなったら一瞬で潰れるってことじゃないのか。

 しかし、由良さんも由良さんで、まともに接することができる人間は代瀬さんしかいないのである。どちらが欠けても立ち行かなくなるとは、実に奇妙な関係だと思った。


「待たせたな、景清君」


 その言葉に顔を上げる。ちょうど、曽根崎さんが黒いアタッシュケースを持ってレジ奥から出てくる所だった。


「爆弾は手に入ったんですか?」

「無論。今回も最高の取引をさせてもらったよ」


 ニヤリと笑いたかったのだろうが、また表情がうまく動かなかったのか彼はムッとしたような顔をした。


「代瀬さん、代金は後ほど口座に振り込んでおきますので」

「ええ、いつもありがとうございます」

「では、由良にもよろしくお伝えください。……行こう、景清君」

「あ、ちょっと待ってください! すいません、ミルクごちそうさまです。どうもありがとうございました!」


 急いで一礼し、とっとと店を出ようとする曽根崎さんを追いかける。代瀬さんは最後まで手を振ってくれ、由良さんはやはり僕には姿を見せなかった。


「……変わったホームセンターですね。昔から付き合いがあるんですか?」

「まあそんな所だな」

「ちなみに、阿蘇さんを連れてきたことは?」

「無い。勘がいいやつだから薄々察してはいるだろうがな。場合によっては検挙されるから連れて来れない」

「そうでしょうね」


 爆弾を売ってくれる店が、警察官の前で堂々と営業できるはずないと思う。その辺り、代瀬さんが上手くやりくりしているのだろうか。

 ……できる、のだろうか。あの人に。

 ほわほわとした笑顔を思い浮かべながらホームセンターしろせの行く末を心配していると、曽根崎さんがタクシーを止める為片手を上げた。


「次はどこに行くんですか?」

「うーん……実はもう一度、和井教授の家に行ってみようかと考えていてな。昨日は途中で邪魔が入ったし」

「危険ですよ。下手したら警備も厚くなっているかもしれません」

「とはいえ、今動くことができる範囲で調べられる場所も他に無いんだよな。手持ちの資料はミートイーターに関する資料ばかりで、召喚された神を還す方法はどこにも無い。前者も必要なものではあるが、穴を封することができなければ意味が……」

「あ」


 顎に手を当てて悩む曽根崎さんの隣で、僕はピンと閃いた。同時に目の前にタクシーが止まる。僕は、曽根崎さんを押しのけて先に乗り込んだ。


「お、おい、どうしたんだ」

「曽根崎さん、僕、次に行くべき場所が分かったかもしれません」

「どういうことだ?」

「……あの穴って、異次元に繋がる穴なんですよね?」

「うん? まあ、そういう言い方もできなくはないだろうが……」

「なら、閉じられるかもしれません」


 運転席の肩に手をかけ、少し身を乗り出す。緊張のあまり、指先が震えている。


「すいません、今から言う場所までお願いします」


 そして僕は、一週間ですっかり口に馴染んだとある廃墟の住所を告げたのだった。

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