7 阿蘇さんの協力を

「このクソボケもじゃ頭ァ!!」

「うわっ!!」


 阿蘇さんの鉄拳が飛ぶ。それをヒョイヒョイとかわしながら、曽根崎さんは説得を試みていた。


「落ち着け! 落ち着くんだ、忠助!」

「頼む! 実際! 死んでくれ!!」

「やめろ! おい景清君、彼を説得してくれ!」


 曽根崎さんの縋るような目がこちらに向けられる。だが、僕はあのやり合いに割って入る勇気は無い。ふるふると首を横に振って拒否した。


 ……いやぁ……どう考えても因果応報でしょう……。


 何せ、兄の死体を確認してくれと言われ、覚悟を決めてここに来た阿蘇さんである。それが部屋に入った瞬間、普通に生きている曽根崎さんに「やぁ」と片手を上げて挨拶されたのだ。

 これは怒りのままに飛びかかっても仕方ない。無理もない。


 せめて阿蘇さんの気が済むまでと思って見ていると、とうとう曽根崎さんが捕まった。


「よーしクソ兄。これでどういうことか説明してくれるんだろうな……!」

「痛い痛い痛い離してくれ」

「痛覚は死んでるから問題ねぇだろ。何なら本体もすぐに後を追わせてやるが?」

「怖い怖い弟が怖い助けてください景清君マジで」


 曽根崎さんがネック・ハンギング・ツリーで持ち上げられている。流石に雇用主が徐々に血の気を失っていたのでは静観もできなくて、僕は急いで二人の間に飛び込んだ。


「すいません、阿蘇さん。どうかそのあたりで曽根崎さんを下ろしてやってくれませんか」

「三枚に?」

「三枚に!? そんな魚じゃないんですから……!」


 僕は、憤る阿蘇さんに必死で自分達の状況を伝えた。僕らは未来から来ており、三日後全てをうまく収束させる為に今動いていることを。そしてその達成の為に必要不可欠なのが、阿蘇さんの理解と協力なのだと。

 それを部屋の丸椅子に座って終始黙って聞いてくれていた阿蘇さんだったが、僕が話し合えた後にポツリと漏らした。


「……それ、信じられると思うか?」


 ですよねぇー。


 いや、普通の反応である。もし僕も同じ状況に陥ったとしたら、確実に彼と同じ感想を抱くだろう。あるいは、怪異が曽根崎さんの姿を借りて騙そうとしていると推測するか。

 だけどここで諦めるわけにはいかない。阿蘇さんの協力が無ければ、今後の計画に大きな支障が出てしまうのだ。

 僕がどう説得しようか考えあぐねていると、ダメージから復活した曽根崎さんが隣にやってきた。


「……つまり、君が一発で信じられるような証拠を持ってきたらいいんだな」

「あ?」

「それなら可能だと思う」


 そう言うと、曽根崎さんはスーツのジャケットを脱いで僕に手渡した。その行動の意図が読めずぽかんとする僕らの前で、彼はベストを脱ぎ、ネクタイをほどき、シャツのボタンを外していく。


「見ろ」


 シャツを片脱ぎした曽根崎さんは、阿蘇さんに左肩を見せた。包帯を外したそこには、まだ生々しい切り傷があった。


「今から表の景清君に電話をかけ、“曽根崎慎司の死体が現れた”と伝えてみろ。するとそのタイミングで彼の前に表の私が現れるんだがな、景清君は混乱し、私を本物であるかどうか疑ってしまうんだ。だからこの時の私は自分が本物であると証明する為、左肩にハサミを突き立てるといった行動を取る」

「ええ……」

「信じ難いだろうが、これは歴史として既に確定されているんだ。表の私が現れた段階で一度電話を切ってみるといい。すぐにまたかかってきて、死体の左肩に傷が無いか聞いてくるから」


 ……なるほど、あれはそういうカラクリだったのか。

 僕に電話をかけてきた阿蘇さんは、三日後の曽根崎さんと会話した直後の彼だったのである。


 しかし、初めて聞かされる側からしたら荒唐無稽極まる話である。しばらく片手で額を押さえていた阿蘇さんだったが、やがて振り切るように息を吐いて顔を上げた。


「……まだ信用したわけじゃないぞ」

「そうだろな。だがとりあえず、これを渡しておく」

「なんだこの鞄」

「中にノートパソコンと私の偽死体資料が入っている。ノートパソコンは私との連絡用であり、財団のデータベースにアクセスできる端末でもある」

「ああそう。……で、偽死体の資料はどう使うんだ」

「それを見ながら表の景清君と電話でやり取りをしてくれ。くれぐれも、裏で私と景清君が動いていることがバレないようにな」

「……それ、兄さん達が表の兄さんに会って直接話すんじゃ駄目なのか?」

「駄目なのかどうかはやってみにゃ分からんが、最悪死ぬ可能性があるからなぁ」

「そうなんですか!?」


 恐ろしい新情報に思わず食いついた。

 何それ!? 初耳だよ!!


 尋ねると、「SFなんかではよく聞く話なんだけどな」と前置きした上で曽根崎さんは説明してくれた。


「特にタイムスリップを題材にしたストーリー。これにおいてよく論点になるのは、“既存の歴史が変えられるか否か”といった点なんだが」

「なんとなく分かります」

「それにもいくつかパターンがあってな。“歴史が変わった瞬間に世界線が変わり、そこから新しい歴史が作られていく”だの、“歴史の変化に対応し、未来にあった存在が消える”だのがある」

「ふんふん」

「で、その中の一つに、“何がどうあっても歴史は変えられない”という説があるんだ」

「歴史は変えられない?」


 薄暗い部屋の中で、曽根崎さんは「うん」と頷く。


「例えば君はこの三日間、未来から来た自分を見なかったよな?」

「はい」

「つまりその事実が既に歴史として確定している以上、今の君がいくら過去の自分に接触しようとしても不可能ということだ。確定された歴史が変わってしまうから」

「ほう」

「これを“歴史の修正力”などと呼んだりするんだが……極端な話、君が表の自分に話しかけようと思いついた瞬間、暴走トラックが突っ込んできて跳ね飛ばされる可能性だってある。極論、死体になれば永遠に接触できないからな」

「ひぇ」

「そういえば、この三日間で一体身元不明死体が出てたっけ」

「いやだいやだいやだいやだ」

「とまあ、そんな話だ。忠助にはすまないが、私達は今後もひっそりと動こうと思う」


 曽根崎さんのその言葉に、僕は全力で首を縦に振る。それには返答せず、阿蘇さんは渋い顔をして腕を組んだ。


「……仮にお前らが未来から来たとしてだ。つまり、この事件の一通りの顛末は知ってるってことになるんだな?」

「まあ、そうなる」

「なら三日後の藤田はどうなってる? そもそもその穴自体ちゃんと消えんのか?」


 その問いに、曽根崎さんは「んー」と唸りながら首の後ろを掻く。言葉に迷っているようだ。


「その辺りは結構入り組んでいてな、話すとなると長くかかりそうだ。今藤田君は?」

「外で待たせてる」

「なら尚更君を長居させられないな。夜にそのノートパソコンにメールを送るから、それを確認してくれ」

「分かった」

「で、穴については……」


 曽根崎さんが僕に目線をくれる。僕は頷き、言葉を引き継ぐ。


「穴は、曽根崎さんと犯人が穴に落ちた後、ゆっくりと閉じていきました。速度的に、次の日の正午には完全に消える見込みだったそうです」

「はぁ!? なんだそれ!」


 大声を上げてツッコんだのは、まさかの曽根崎さんだった。

 彼は僕の両肩を掴むと、真正面を向かせる。


「もう一度言ってみろ、君! 深馬が落ちたというのに、穴は閉じなかったのか!? 君もすぐ落ちたんじゃなかったのか!?」

「い、いえ。パラシュートとか用意する必要がありましたし、僕が落ちたのは翌日です」

「なんだと……!」

「でも、そういうもんじゃないんですか? ああいうのって召喚者が死んだらじわじわ消えていくとか……」

「いや、召喚者からエネルギーを頼っている怪異は、召喚者がいなくなった瞬間に消えるはずだ。あの性質から察するに、深馬こそがあの穴の媒介者だと思っていたが……」


 ブツブツ口の中で呟いていた長身の男は、ふと何かに気づき鋭い目を見開いた。


「――まさか、独立して顕現している?」


 その口元は、恐怖に歪んでいた。


「まずい、こうしちゃいられない。調査を始めるぞ景清君」

「え、今からですか?」

「ああ、急がねばならない。なんせ三日後には穴を閉じなきゃいけないんだ」

「ええええ。わ、分かりました」

「忠助すまん。そういうわけで私達は急用ができた。後はよろしく頼みたいが、兄として一つプレゼントを渡しておく」


 曽根崎さんは振り返り、阿蘇さんにある物を差し出さた。


「……何これ」

「えげつないぐらい光を通さない目隠しだ」

「目隠し……ってぇと、藤田の?」

「そう。かつての私は君の発想を心の底から馬鹿にしたもんだが、実は穴が発する光がミートイーターの成長を促進させていたらしくてな。謝罪の代わりではないが、藤田君につけてやるといい」

「な、そうだろ!? だから俺言ったじゃねぇか、絶対目隠しが有効だって」

「よーしいい子いい子いい子いい子」

「腹立つ」


 阿蘇さんの手に目隠しを押しつけて、曽根崎さんは僕を伴い部屋を後にする。その際部屋の外にいた藤田さんとすれ違ったが、目隠しをしている今、それが僕らとは気づかなかったようだ。

 けれど人のいい彼は、誰かが通ったことを察知したらしく、通り過ぎた後に小さく頭を下げていた。


「……」

「……おい、どうした?」


 角を曲がってしばらく歩いた所で、僕の様子に気づいた曽根崎さんが声をかけてくれる。慌てて袖で目元を拭い、「なんでもないです」と返事をした。

 ……ここは三日前の世界なのだ。あの時ボロボロになっていた阿蘇さんと藤田さんがまだ無事なのは、当然のことである。


 そう、分かってはいたのだが。


「……ッ」


 こみ上げる怒涛の感情を押し戻し、僕は顔を上げて曽根崎さんを見た。

 彼らの日常を取り戻したいと思うならばこそ、僕は動かねばならないのだ。


「……本当に大丈夫です。ところで、曽根崎さんはこれから行く先にアテはあるんですか?」

「ああ。和井教授の家に行ってみようと思ってな」

「確かに彼の家なら何か資料があるかもしれませんが……。和井夫人は今別居中でしょう。行った所で誰もいないと思いますが」

「ん? 君は和井夫人の発言を忘れたのか? 昨晩、家に泥棒が入った形跡があったと」

「……」


 ――まさか、こいつ。


「さぁ不法侵入するぞ! 確か割れていたのは南側の窓だったな!」

「おまわりさーん! 阿蘇さーん!」

「やめろ叫ぶなこれ以上弟に怒られたくない」


 しかし、どんなに法を犯そうとも僕らの優先順位は決まっている。最終的に納得した僕は、せめて少しぐらい掃除して帰ってあげようかな、などと考え始めていた。


「曽根崎さん」

「なんだ」


 広い歩幅で進む曽根崎さんに追いつく。隣の存在に、僕は決意を込めて言った。


「……絶対、阿蘇さんと藤田さんを助けましょうね」

「ああ、勿論」


 頼もしいその同意に、僕は彼を真似て背筋を伸ばしたのであった。

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