第15話 僕の仮説

 それから、あっという間に三日が経った。

 その間浮浪者達に会うことはなく、四つ足も姿を見せず、廃墟でビデオのバッテリーとメモリを交換するだけの平和な日々が続いていた。

 僕も慎司のアパートに住みついて早一週間近くになる。こうなってしまえば遠慮する時期などとうに過ぎ、お互いだいぶ馴れ馴れしくなってしまっていた。


「濃い」


 いや、違うな。コイツにゃ最初から遠慮とか無かったわ。

 味噌汁に口をつけ朝からほざく慎司を、ジトッとした目で睨む。


 もうどうやったらケチつけなくなるんだよお前!


「うーん……次は味噌を薄くしてみるか……」

「おう」

「でも全部飲みはするんだね」

「俺の金で買ったものだからな」


 今日も今日とて、慎司は慎司である。

 しかしよく食べるのはいいことだ。昨日の夕食時に作った唐揚げも、慎司はバクバクと食べていた。


 ……。


 コイツ、僕が未来に帰ってもちゃんと生活できるよな?


「できるに決まってるだろ。実際今までもやってこれたんだし」

「でもまた携帯食に戻るんだろ」

「うん」

「ちゃんと食べろって。今は良くてもいつか体壊すよ」

「嫁でも雇うか」

「嫁は雇うようなもんじゃねぇ」


 そして募集すれば来てくれる前提なのが実にふてぶてしいな?

 食べながらモノクロアートの写真を見る慎司に呆れつつも、僕は味噌汁の残りをすすった。


「慎司」

「何」

「あれからさ、僕なりに元の世界に戻る方法を考えてたんだけど」


 慎司の箸が止まる。だが次に食べるものを品定めしているだけだったらしく、卵焼きに箸をぶっ刺して続きを促してきた。


「この間、面とか観測者について色々教えてくれたろ。あれを元に、ちょっと水晶の仕組みについてまとめてみたんだ」

「ふぅん」

「僕が以前曽根崎さんを水晶越しに覗いた時、若い曽根崎さんの姿を見た。今にしてみれば、あれはお前の姿だったんだと思う」

「そうだろな」


 慎司はポケットから水晶を取り出した。いい加減返せよソレ。

 だが、今は説明中なのでその要求も後回しにする。


「……黒い男は、それを“観測点”と言った」

「うん」

「僕という観測者が水晶を通して“慎司のいる面”を“観測”した結果、水晶は“観測点”となったんだ。つまりこの水晶は、過去というよりは観測点を通した面を記録することができる」

「……まぁ、いい考察だと思う」


 卵焼きを飲み込むと、慎司は僕に箸の先端を向けた。


「だがこれはどう説明する? 俺も一度水晶を使ってみたことがあるが、その時は何も見えなかったぞ」

「それはあれじゃないかな。慎司は“観測者”を見ようとしなかったから、とか。観測者を見た時にのみ、水晶はその同一観測者のある面を映すんだ」

「いいな、その仮説。俺はあの時漫然と水晶を覗き込んだだけだったから、そう捉えても矛盾は無い」

「だから、僕が元の世界に戻るには……」


 慎司が僕の皿から唐揚げを奪っていく。それは見逃してやり、僕は言った。


「――僕はまた、この水晶で慎司を見て、次は曽根崎さんが落ちた面を観測しなければならない」

「……」


 そうだな、と彼は小さく返事をしてくれた。

 だが、この説にはいくつか穴がある。慎司は座り直すと、それらを深く議論しようと鋭い瞳で僕を見た。


「まず、水晶を覗くという行為に伴うリスク」


 人差し指が眼前で揺れる。


「俺がこの水晶を覗いたのをキッカケに、あの四つ足が現れた。ならば同様の行動を取った場合、同じことが起きないとは限らない」

「うん」

「次に、そのリスクを負った所で間違いなく特定の面を観測できるのか、という点だ。見当違いの面ばかり観測してしまって、気づけば四つ足が無限発生していた……なんて事態が起きたら目も当てられないぞ」

「実質ゲームオーバーだね。……でも僕、それについてはあんまり心配してなくてさ」


 慎司の皿から唐揚げを奪い返し、とっとと食べてしまう。

 そうなのだ。この件についてのみ、僕はある確信を持っていた。


「僕という人間がこれから辿る運命は、未来に戻れず死ぬか、無事にジャストな観測点に移れるかの二択だと思ってる。何故なら、僕は既に未来で面を確定させてきてるからね。つまり、謎の人物が裏で暗躍していたとしか思えない未来の歴史自体は、もう変わらない」

「……なるほど。逆説的ではあるが、未来の観測点に行くことができれば、その謎の人物がお前になる可能性は限りなく高くなるってことか」

「そう。で、さっき慎司が言った四つ足無限増殖の件に戻るんだけどね。水晶に観測点を記録させること、これを例えば僕が異次元の穴に飛び込むギリギリにやってみたらどうだろう」


 僕の提案に、慎司は訝しげに片眉を上げた。


「何が言いたい?」

「僕が異次元に向かうと同時に、水晶で慎司を観測する。そうしたら、異次元に落ちて死ぬか、“僕が望む”観測点に飛べるかの二つに選択が絞られるんじゃないかと思うんだ」

「……」

「なんせその観測点に飛べなきゃ死ぬわけだからね。もし本当に未来で暗躍していた謎の人物が僕だったとしたら、水晶に記録される観測点は未来の曽根崎さんが落ちた面でしかありえない。……僕の死がそこじゃないのなら、必然的に観測点はその一点に絞られる」

「……」

「……まぁ、赤ちゃんの曽根崎さんがいる面に飛ばされる可能性とかもゼロじゃないけどね。でも、こんな都合よく異次元に繋がる場所がポンポン現れるとも思えないんだ」

「……」

「だから、この方法は結構効果的だ……なんて、考えたんだけど……どうですかね」


 途中から慎司が黙ってしまったので、なんだか自信が無くなってきた。不安げに回答を待っていると、彼はゆっくりと腕を動かし……。


 僕の目の前で、ピョンと親指を立てた。


「グー」

「そこはかとなく腹立つ仕草だな?」

「や、目の付け所としては正しいと思うぜ。何ならちょっと感心した」

「あ、ほんと? 慎司にそう言ってもらえると嬉しいな」


 ホッとする。我ながら単純なものだ。

 足を崩した慎司は食後のお茶を飲み、僕に言う。


「そんじゃ、全体はその方向で動くとして……そういや四つ足の記憶はどうだ。あれからお前、何か思い出した?」

「う、それはまだ……」

「オイ早く思い出せよ。今の所アレが一番厄介なんだから」


 核心をつかれた気まずさに、僕は身を小さくした。……潰れた車が出てくる夢を見るには見るのだが、肝心な所で例の手が目を覆い、起きてしまうのである。言い訳にするつもりではないが、四つ足に関しては何の進展も得られないでいた。


「……しかし、そんなに大切かね」

「え、何が?」


 脳内で当時の記憶をなぞろうとしていた僕は、絵の写真を眺める慎司に尋ねられて頭を持ち上げた。


「未来の俺を助けることがだよ。自分の運命は“未来に飛べる”か“死ぬ”かの二択だなんてアッサリ言うが、俺からしてみりゃ信じられんな。どうして実現する確証も無いのに、僅かな希望と推測だけで命張って動けるんだよ。訳がわからん」

「……まぁ、助けたいのは曽根崎さんだけじゃないし」

「お前以外の存在を理由に、お前が死ぬかもってのは変わんねぇだろ? しかも相手は家族でも何でもない赤の他人だ。そこまでするか、普通?」

「……」

「……なんだよ」


 慎司の言葉に、僕は目をぱちぱちとさせた。


 ――そこまでするか、だって?


「…………まったくもってその通りだね!?」

「オイ認めるのかよ」

「認めざるを得ないだろ! うわーほんとだ、今の僕あのオッサンの為にめちゃくちゃ命かけてる状況になってるじゃん! なんだこれ! 不本意だ!」

「いや気づくの遅過ぎるだろ。そこはせめて穴に落ちる前に思い至れよ」

「……あの……なんかもう、当時は“絶対助けてやる!”って必死で……!」

「そ、そうか……」


 頭を抱えてドヨンと沈む僕に、慎司はしばらく黙っていた。それから肩を叩かれ、少しだけ優しく言ってくれる。


「……もうここまで来たことだし、その辺りは考えるだけ無駄だぜ?」


 慰め方限界まで下手かよ。


 ……でも、確かに慎司の言うことは正しいのだ。僕は穴に落ち、黒い男に導かれて過去へ来てしまった。

 ならばもう、グズグズと迷う必要は無い。


「……それに、来たなら帰らなきゃだしね、うん。ここに僕の戸籍は無いし。いやあるけどもう使われてるし」

「そうだな」

「逆にいっそ助けとかないと損というか」

「損得の問題かな」

「よーし、助けるぞー。気合い入れて助けるぞー。いいか慎司、勘違いすんなよ。僕はあのオッサンの為に命をかけてるんじゃない。オッサンを助けようとした結果、ちょっと死にそうになってるだけだからな」

「はい、わかりました」

「よし。なら今日もカメラチェックに行こう。ほら行こう慎司。すぐ行こう慎司」

「え、皿洗いは?」

「もう夕食の時にまとめてやる」


 勢いよく立ち上がる。流し台に皿を運び、慎司を伴って足早に外に出た。今日の天気は、どんよりとした曇り空だ。


 人通りの無い小道を二人で歩く。タクシーが通る大通りに出るまでは、移動手段は徒歩しかないのだ。


 だが、あと三分も歩けば大通りに出るだろうといったところか。

 白昼堂々、その異変は現れた。


「……慎司」

「おう」


 ――道路の真ん中に佇んでいたものを見て、僕らは警戒に身を固くした。

 発した僕の声は、恐怖で上ずってしまっている。


「……なんで、アレがここに」


 ――そこにいたのは、不浄の体現だった。


 鼻の曲がりそうな悪臭。

 ドロドロと垂れる紫色の体液。

 長く伸びた細い舌。


 今まで廃墟にしか姿を見せなかった彼女が――“四つ足”が、僕らの行く手を阻み、ゆらゆらと揺らめいていたのである。

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