第12話 思い出せ

「あの四つ足はまた来るだろうな」


 立ち上がった慎司は、汚れを払い落としてそう言った。とてもさっきまで襲われていたとは思えない落ち着きっぷりである。


「……このホテルを根城にしてるのかな」

「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん」


 僕への返答もそこそこに、彼は腰をかがめて落ちていた物を拾い上げた。なんだあれ。


「水晶。俺ばかり狙われるのが気になったからな。コイツのせいかと思って、襲われている時に試しに捨ててみたんだ」

「人の物を勝手にお前」

「結果、おもっくそスルー」

「ザマアみやがれ」

「つーか景清、あのバケモンのこと思い出したんなら撃退方法も見えたんじゃねぇか? そこんとこどうなんだよ」


 痛い所を突かれ、ウッと黙り込む。

 ……確かに、僕は彼の言う通りあの四つ足の名前を呼ぶことができた。だけど肝心の撃退方法とやらまでは、分からないままだったのである。


「……あの人は、とある女性に執着して何人も殺した犯罪者だ」

「ふぅん」


 が、慎司なら僕の気付かなかったことにも気付いてくれるかもしれない。そう思った僕は、取り戻した記憶の内容を彼に伝えることにした。


「最後は曽根崎さんが理詰めで犯人を追及して事件を解決したんだけどね。でもそこからは……」

「待て」

「何?」

「お前今、未来の俺が四つ足を追い詰めたと言ったのか?」


 頷く。

 すると慎司は、顎に手を当ててギロリと睨んできた。


「なんでもっと早く言わねぇんだ。それだろ、俺が狙われる理由」

「あ、そうか」

「ん? だとすると妙だな。その時って景清も一緒にいたんだろ?」

「うん」

「ならどうして四つ足の標的にならない? 追い詰めたのは俺でも、一緒にいたならお前だって攻撃対象になってもいいはずだ」

「……あー」


 思い当たる節は一つだけあった。でもこれ言いたくねぇなぁ。

 けれど変に黙っておくこともできないので、仕方なく口を開く。


「……いや、その、なんというか……当時の僕は、僕じゃなかったと言いますかね……」

「どういうことだよ」

「……ええと……まぁ、ちょっとした女装をしておりまして……」

「は!? そんな趣味あんのお前!?」

「あるわけねぇだろ! アンタに頼まれて嫌々やってやったんだよ!」

「おおおお俺が!? どういうこと!?」

「金を積んで僕に恋人になれって泣きつくもんだから、もうしゃーなしに……!」

「未来の俺お前に恋人になれって泣きつくの!?」

「あ、ごめん、違う、間違えた」

「ああ、だよな! やめてくれよほんと何が起こったのかと……」

「婚約者だったわ」

「未来の俺ェ!?」


 説明すればするほど誤解が生まれる一方である。そんなわけで、もっと聞きたそうな慎司の追及を流し適当な所で切り上げることにした。


 が、これで慎司が狙われる理由がはっきりしたと思う。彼女は曽根崎慎司に対して、明確な敵意を抱いていたのである。


 だけど、それだと困ったことが一つ出てくる。


「……僕さ、もしあのバケモノが出てきても、また名前を呼べば人間だった頃の正気を取り戻してくれるかと考えてたんだよね」


 僕は、以前出会った全身を小指にされた男性を思い浮かべていた。おぞましい姿になってもなお人格が残っていた彼は、僕が呼んだ名前を聞いて動きを止めたのだ。


「でも慎司のことを狙ってるんだったら話は別だね。正気に戻したら、もっとヤバい状況になりそうだ」

「そうだな。あの時お前の声で止まったのも、“私の名を知るお前は誰だ?”なんて思って見極めようとしてただけかもだし」

「うわぁぁ怖ぇぇぇ!」

「ともかく次も同じ手で追い返すのは難しいってことだ。だから早く全部思い出せよ?」

「え、ええ? でももう思い出すことなんて……」

「いいや、まだある」


 慎司はそう断言すると、水晶を無造作に上に放り投げてまたキャッチした。


「景清。お前は必ずその人間がバケモノになった瞬間を見ているはずだ。そうじゃなきゃ、そいつと四つ足がすぐに結びついたことに理屈がつかない」

「……あ……」

「それを頑張って思い出せ。このミニゲームをクリアするネックは、きっとそこだ」


 唇を曲げて高慢な笑みを浮かべた慎司は、親指で異次元に繋がる絵を指差した。


「――そうだ、ゲームなんだ。お前は主人公で、俺はお助けキャラ。四つ足の敵モンスターを撃退しつつ、あの絵の謎を解く」

「……」

「俺も手伝ってやるよ。だからせいぜいバケモノ退治は頼んだぜ、景清」


 ……確かに、これが黒い男から僕に仕掛けられたゲームだとしたら、僕のみでのクリアは難しいだろう。彼の助力はとてつもなくありがたい。

 けれど……。


「……普通なら、お礼を言うべきなんだろうけどさ」


 コイツは、ただの善意でそれを提案したわけではない。それを僕はこの二日で十分心得ていた。


「お前それ、自分の好奇心をボディガード付きで満たそうとしてるだけだよね?」

「その通りだが?」

「だよなぁ! さっすが慎司、予想を裏切らねぇや!」

「人間関係ってのは互恵関係であるべきだ。その点お前と俺は理想的だよな」


 いけしゃあしゃあとそんな言葉を吐く慎司である。

 元の世界に戻りたいが頼るアテもない僕と、日常に飽きスリルを求める彼。しかし、これを互恵関係と呼んでしまうには、あまりにも彼側の負担が大きい気がした。

 推理をしたり、それに基づく行動を取ったり。未来の曽根崎さんを助けることは自分の寿命を伸ばすことと同義だったとしても、現段階での僕は彼に頼り過ぎているように思う。


「……慎司」

「何?」


 ――まあ、そんな卑屈を伝えるつもりは無いのだが。


「今晩、僕が夕食作っていい?」

「え、別にいいけど。なんだよ突然」

「なんかね、ちょっとでもこう、バランスを取りたくてさ」

「栄養の? お前は俺の親か?」


 慎司にお金を借りた僕は、夕食の材料を買う為にスーパーマーケットに案内してもらうことにしたのであった。











「辛すぎる」


 そして、これが味噌汁をすすった男の第一声である。


 辛い? そうかな?

 テーブルを挟んで真向かいに座る僕も、味噌汁を飲んでみる。……ちょうどいいと思うけどな。

 でも、慎司にとっては違うのだろう。僕はふんふんと頷いて返した。


「そんじゃ、次作る時は少し薄めにしとくよ」

「お、おお。そうか」

「っていうか味分かるんだね」

「分かるに決まってんだろ。馬鹿にしてんのか」


 まぁ、そうだよな。あの人、呪文を使い始めてから、少しずつ感覚が狂ってったって言っていたし。


 慎司は味噌汁を一気飲みし、豚カツに箸をつけた。


「うん、こっちは不味くない」

「かわいくねぇ感想だな。お前がいつも食べてるのよりは歯応えあるだろ」

「歯応えはな。……」

「何、どした?」

「これってここにある分だけ? もう無い?」

「え、いきなりかわいいこと言い出しやがった。いいよいいよ、僕の分も食べて。ご飯もおかわりする?」

「する。あ、でも勘違いすんなよ? たまたま食べられるものがあったってだけだ。これに懲りずに精進してそんで明日は何作るんだ?」

「もう次の献立にワクワクしてんじゃん、子供かよもうー」


 なんだか突然、小学校の先生になった気分である。そういや、普段の曽根崎さんもなんやかんやで結構食べてたな、なんて、僕はご飯をよそいながら思い出していた。











 そして、僕はまた夢を見る。


 暗い世界で、前方がひしゃげた車を前に立っている。昨日の夢では呻き声が聞こえたが、今は物音一つしない。


 ――この中に、彼女がいる。


 僕の心臓は、今にも喉から飛び出しそうなほどにドクドクと脈打っていた。


 ああ、それにしても怖い。嫌だ。見たくない。見れば、僕は“アレ”を思い出してしまうのだろう。

 ……“アレ”とは、なんだ? ……そうだ、それが僕が取り戻さなければならない記憶だ。正常な精神を引きちぎり、狂気へと突き落とす、邪悪極まるおぞましい光景。


 だが、僕はそれこそ見なければならないのだ。勇気を振り絞って車のウィンドウに手をかけた時、べちゃりと何かがボディに張り付いた。目をやると、そこには青と赤が混ざった白い球体の――。


『景清君』


 ――低い声と共に、冷たく大きな手が僕の目を覆った。


「――ッ!!」


 がばりと跳ね起きた。

 全身は汗をびっしょりとかいており、全力疾走した後のように息が荒くなっている。


 まだ暗い部屋の中で振り返ると、ベッドにいる慎司がこちらに背を向けて眠っているのが目に入った。


「……」


 呼吸で小さく上下する布団に、僕は深いため息をつく。


 ――そうか。

 僕の記憶は、アンタが呪文で曇らせてくれていたんだな。


「……まったく」


 汚れた彼のアンクレットをポケットから取り出す。手のひらの温度に同化していく冷たいアクセサリーに目を落とし、ギュッと握りしめた。


「……僕がアンタの庇護下にいたままじゃ、助けられるもんも助けられないでしょうが……」


 やるせない言葉は、誰からの返事も無いままに夜に消えていった。

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