第3話 この時代の

 酷い耳鳴りと、全身が噛み砕かれるかのような激痛。

 それでも僕は、目を開けて意識を保ち続けていた。


 ――絶対に、助けるんだ。


 光が見える。殆ど骨しか残っていない両腕を、力の限り伸ばす。


 ――また、あの人に会えるなら。


 まばゆい光が、僕の全細胞を包み押し潰した。










 埃っぽい空気を吸い込んだ喉が勝手に咳をする。その拍子に、僕は目を覚ました。

 ……どこだ、ここ。

 少なくとも、地面に触れることはできているらしい。うつ伏せに倒れた体に力を入れようと拳を握ったら、爪に砂粒が入り込んできた。


 痛む頭を押さえつつ、体を起こす。……冷たく、無機質な灰色の世界。それでも、割れた窓から差し込む光のおかげで、ここがどういう場所なのかは理解できた。


 ここは、廃墟だ。

 遠くに見える壊れたエスカレーターと、空き瓶やスプレー缶が転がる床。そんな薄汚れたホールのど真ん中に、僕は転がっていた。


「……」


 元は、ホテルか何かだったのかな。


 壁という壁によく分からない落書きが施されてあり、絨毯は汚れ破れて元の色が分からない。なかなかの荒れようではあるが、フロントや大きな窓など所々にかつての面影が残っていた。


「……よし」


 右足に力を入れて、立ち上がる。僕にグズグズしている時間は無い。

 黒い男が言うには、僕はここの“観測点”を経由して望む過去に戻らなければならないのだ。

 自分の身を確認する。……怪我は無かった。パラシュートは変わらず背負っており、ゴーグルもある。が、当然というべきか命綱は切れ、インカムもどこかのタイミングで落としてしまっていた。


 田中さんと柊ちゃんは、まだ穴の前で待ってくれているのだろうか。過去に戻れたなら、三日後にちゃんと謝らないといけない。

 もっとも、その為には曽根崎さんを助けなきゃいけないんだけど……。


 そんなことを考えながら、ポケットに手を突っ込んだ時だった。


「あれ?」


 固いものが指先に触れるはずが、空振りした。

 おかしいな。確か水晶はこのポケットに入れたはずなのに。

 慌ててアンクレットを突っ込んだ逆側のポケットを探る。……良かった、こっちは無事だった。

 ホッとしたが、やはり水晶は出てこない。


「えー……うわ、ちょ、マジで?」


 焦りが募る。

 その辺を見回してみるが、それらしきものは見当たらない。青ざめる僕の額を、冷や汗が伝った。


 あの水晶を失くしたとなるとマズい。だって元々、アレを頼りにここに来たんだし。


 瓦礫をひっくり返す。落ち葉を足で蹴飛ばす。ちょっと遠くまで歩いてみるも、無駄足に終わった。


 えー、ちょっとちょっとちょっとちょっと。


 そうやってうつむき、夢中になってウロウロしていた僕である。当然、背後からやってくる一人の人間に気付くことはできなかった。


「――そこ、どいてくれねぇか」


 低い声で放たれた出し抜けの要求に、飛び上がって驚く。

 急いで振り返ると、背の高い男が冷たい目で僕を見下ろし立っていた。


「……!!」


 その姿に、僕の心臓は止まりそうになった。


 夜を凝縮したような真っ黒な瞳。クモを連想させるような長い手足。

 髪はそれなりに整っており、目の下に引かれたクマも無精髭も無い。何より、僕の知る彼より目の前の男は明らかに若い、のに。


「……曽根崎さん……?」


 彼は決定的に、“曽根崎慎司”その人であった。


「……は?」


 一方男は、僕の呼びかけに眉をひそめる。


「誰お前。なんで俺の名前を知ってんだよ」

「あー……確かに」

「いや確かにって何」


 不審げに顔を歪める男の疑問には答えず、僕は腕組みをして考える。

 ……あの黒い男は、水晶が“観測点”になっていると言っていた。恐らくだが、以前これを使って曽根崎さんを覗いた時に見た光景の世界に、僕は来てしまっているのだろう。


「おい、何か言えよ」


 あの時に見た曽根崎さんの姿は若かった。となれば、ここは過去の世界だろう。この曽根崎さんは僕と出会う前の曽根崎さんなので、僕を知っているはずがない。


「何ニヤニヤしてるんだ。気持ち悪いな」


 だけど若いなぁ。僕と同い年ぐらい? 経由するだけだからあまり長くはいられないんだろうけど、まさかこの時代の曽根崎さんに会えるなんて。

 髪もモジャついてないし、服も普通に私服だ。偉そうなのは据え置きとして、口調は違っててなんか新鮮……。


「あ、もしかしてお前、俺のストーカーとか?」

「誰がストーカーだよ!」

「やっと返事をしたな。で、どこかで会ったことあったっけ」

「知らない知らない知りません気のせいです」


 手と首を振って否定する。

 いくら頭のいい曽根崎さんとはいえ、この状況を説明したら警察か救急車を呼ばれそうである。そして今の僕に、そんな時間を費やしている暇は無い。

 曽根崎さんに会えたのは思わぬ拾い物として置いておき、とりあえず今は一刻も早く元の世界に戻り――。


「ところでこんなの拾ったんだけど、見覚えある?」

「あーーーーーーーっ!!!!」


 曽根崎さんの手に握られた八面体の水晶に、絶叫した。

 コイツが持ってたのか! そりゃいくら探しても見つからないはずだよ!


「返せ!」

「なんで俺がストーカーの物を返してやらないといけないんだよ」

「僕はストーカーじゃねぇっつってんだろ!」

「結構綺麗だな。安物じゃなさそうだ」

「いいから返せよ! 早く!」


 実力行使で掴みかかるが、ヒョイとかわされる。そうだ、この人身軽だったんだ。無駄にでかいのに。


「泥棒め、警察呼ぶぞ!」

「呼んで困るのはそっちだろ、このストーカー」

「だからなんでさっきから僕をストーカー呼ばわりしてんだよ! 失礼だろ!」

「俺はお前を初めて見たのに、お前は俺の名前を知っていた。かつ、俺に対してただの他人以上の好印象を持っている上で、知らないと無理なシラを切っている。それは何故か? 自分の正体がバレては困るからだ。俺に好意を持ち名前まで知っているにも関わらず、自分の正体を伏せる……。つまり今の段階でのお前は、俺にストーカーをしかける同性愛者の男でしかない」

「おおおおおお!?」


 げぇ、今の状況ってそう捉えられるのか。

 懇切丁寧に説明されると、筋が通ってるような気がしないでもない。


 だが、僕は未来からやってきただけのしがないマジョリティピーポーである。よって最低限の誤解は解いておきたい。

 僕は曽根崎さんに向き直ると、クマの無い目をまっすぐ見つめた。


「……曽根崎さんの事を知っているのは認めます」

「お、認めた」

「警察を呼ばれてはマズい、というのも正しいです」

「うん」

「でも誤解しないでください。僕は別に曽根崎さんのことなど好きでも何でもありません」

「お前にどう思われようと構わねぇけど、そこまで言い切られたら少し腹立たしいな」


 水晶は、未だ曽根崎さんの手にある。

 ……奈谷の事件の時には、アレを覗いたら恐ろしいバケモノが飛び出してくるようになっていたが、今はどうなんだろう。


 あまり長く持たせておかない方がいい気がする。

 僕は、曽根崎さんに右手を突き出した。


「返してください。それはアンタが持ってても意味の無いものなんです」

「水晶を持つことに意味もクソもあるか。こんなのはただの石ころと変わりない」

「僕にとってはそうじゃないんだ。返せ」

「ふーん。……ってことはこれ、お前にとってのお守りか何かなのか?」

「え?」

「その様子だと違うんだな。じゃ、この中に何か細工があるとか」

「!」


 僕の表情に曽根崎さんはニヤリと笑う。そして彼は、水晶を片目にあてた。

 止める間も無かった。八面体の水晶の向こうで、曽根崎さんの真っ黒な瞳がまばたきをする。


「なんだ? 何も見えないが――」


 首を傾げる曽根崎さんの背後に、紫色の煙が上る。

 ――曽根崎さんの声を覆うように、辺りに肉の腐ったような臭いが立ち込め始めた。

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