第36話 落ちる
「ぶはっ!」
「ぐえっ!」
吹っ飛んできた曽根崎さんを抱きとめた僕は、反動で潰されたカエルのような声をあげてひっくり返った。
深馬を止めようとした結果がこれである。片腕でいなされ放り投げられる三十路なんて、生まれて初めて見た。
「大丈夫ですか、曽根崎さん!」
「ああ、ちょうどいい場所に落ちたからな」
「ちょうどいい言うな! 労災申請するぞ!」
一方深馬は、フラフラと藤田さんのいる方へと歩いている。
――藤田さんの惨状には死ぬほど驚いたが、あれも曽根崎さんの予想の内だったらしい。
“阿蘇さんの治癒能力で、藤田さんの中のミートイーターを摘出する。”
信じられない方法だが、彼が助かるにはもうそれしか方法が無いというのだ。
絶え間なく呪文を唱え、正気を保ち、自分の友人の苦しみを目の当たりにし続ける。
恐らく、僕のような凡人であれば五分ももたないやり方だ。
しかし、それを阿蘇さんはやってのけている。尊敬を超えていっそ恐怖するような、恐るべき精神力だった。
「いいか、景清君。君の叔父を助けたくば、決して深馬を忠助の元に行かせるんじゃないぞ」
「ええ」
雨に濡れた前髪をかき上げて言う曽根崎さんに、僕は頷いて返す。
阿蘇さんの治癒呪文は、凄まじい集中力を要する作業だ。邪魔が入ると悪い結果にしかならないというのは、彼に言われずとも理解できた。
「……僕が深馬に近づき、穴に突き飛ばすというのはどうでしょう」
「バカ言え。奴に向かった私がどうなったかもう忘れたのか?」
「でも他に方法なんてあります?」
「あるよ。ほら」
そう言うと、曽根崎さんはまたロープを見せてきた。
長く伸びた先に繋がれていたのは、またしても深馬。
「引っ掛けてきた」
「懲りないなぁ……」
「武器は奪われたら危険極まりないが、ロープはロープでしかない。さ、距離を取るぞ。穴の曲線を利用して、直線に引っ張ることで深馬を穴に落とすんだ」
「分かりました。綱引きは得意だったんです」
ロープを持ち、深馬が向かう反対方向へと走る。ヤツにバレぬよう、多少の弛みをもたせておいたままで。
深馬は阿蘇さん達の目前まで迫っている。だが、こちらも準備ができた。
あとは一番いいタイミングでロープを引いて、深馬を落とせば……!
「――巨大な頭部を発達させる為に進化した二足歩行だが、四足歩行に比べるとバランスを失いやすい。いやぁ、知的生命体というのは実に厄介なもんだ」
曽根崎さんが呟く。興味深いが今は関係無い。
「では行くぞ。……いっせーのーせっ!」
掛け声と共に、ぐいと思い切りロープを引っ張る。曽根崎さんの力もあり、深馬は大きく体勢を崩した。
「このまま……引けっ!」
何が起こったか把握していないだろう今の内に、僕らは全力で深馬を穴へと誘う。
急げ、急げ。
ヤツに何をしているか察知されたら、今度は僕らの身が危ない。
その前に、深馬を落とさねば――!
突然手に持ったロープが重たくなり、僕らはガクンと前につんのめる。最初は深馬が落ちたのかと思ったが、僕の前に立つ曽根崎さんが短く息を飲んだ音にそうではないと悟った。
深馬は、穴の手前で倒れていた。
まだ、ヤツは落ちていなかったのだ。だがあの場所であれば、あと一息で穴に落とせる。
だというのに、僕らは深馬から目を逸らせないで固まってしまっていた。
――深馬は、こちらを見ていたのだ。歯を剥き出しにし、血に染まった顔に笑みを浮かべながら。
「手を離せ!」
曽根崎さんの声に、ロープを手放す。間一髪、ロープはものすごい速度で深馬の元へと手繰り寄せられていった。
ゾッとした。あのまま持っていたら、僕と曽根崎さんはロープ諸共穴に落ちていただろう。
だが、次の手を考える余裕など無かった。深馬が驚異的な速度でこちらに向かってきたのである。
動けない藤田さんより先に、邪魔者を排除しようとする魂胆かもしれない。だけど、それにしても……!
「アイツ、あんな速く動けたんです!?」
「ほんと性格の悪い男だな! 手の内をギリギリまで晒さんとは!」
「逃げますか!?」
「いや、悪いがもう少し足掻くぞ!」
曽根崎さんは懐から何かを取り出し、深馬の顔に吹き付ける。
「ぐぅっ!」
しかしそれで止まる深馬ではない。ヤツは曽根崎さんに飛びつき地面に押し倒した。
が、催涙ガスが吹き付けられた目では、まともに曽根崎さんの首を狙えないらしい。手探りで殴りつけようとする深馬の胸部に、すかさず曽根崎さんはあるものを食い込ませる。
あれは――!
「どけっ!!」
僕は深馬の横腹を狙い、飛び蹴りをくらわせた。
スタンガンを受け一瞬動きを止められていた深馬は、いとも簡単に曽根崎さんから剥がれ落ちる。
「流石景清君。よく見てるな」
「どういたしまして。ではもういっちょ!」
泥まみれの深馬の体の下に足を入れ、穴に蹴り落とそうとする。しかし雨で顔に張り付く髪の毛が鬱陶しく、手で払いのけた。
一秒足らずのわずかな時間。だけどそこに、その咆哮は滑り込んできた。
「――あ、あああっ、あああああああ!!」
――阿蘇さんの声だ。
僕と曽根崎さんは深馬のことを忘れ、体ごとそちらを向く。
視界不良の中、まるで少年漫画のようなスピード感で拳を放つ誰かと、それを避ける黒い影が見える。そして少し離れた場所には、力無く横たわる、一人の姿が――。
「……あれ……藤田さん……?」
血まみれで仰向けに倒れる藤田さんは、変わらず整った顔をしていた。横に肉色の蔓が打ち捨てられている所を見るに、ミートイーターの摘出には成功したのだろう。
――ならば、何故、動かない?
「……いや、そんな、まさか。……ね、寝てるだけ、ですよね?」
肌に当たる雨が冷たい。勝手に指先が震えてしまう。
雨のせいだ。雨のせいだ。
決して、最悪の想像を、してるわけじゃ……!
「忠助!!」
曽根崎さんの声に、僕の意識が逸れる。けれどそんな大声に見向きもせず、阿蘇さんは嘲笑を浮かべる男に襲いかかった。
「どういうつもりだ! そいつにそんなやり方が通用するはずないだろ!」
阿蘇さんには何も聞こえていないようだった。よく見ると、小さく動く口に合わせてボロボロに裂けた皮膚が元に戻っている。
……彼の身に、何が起こっているというのだ。
「……呪文を唱え続けて、爆発的なパワーを維持してるんだ。身に余る衝撃による怪我を、また呪文で癒しながら」
「え、でもそんなことしたら……!」
「ああ、体や精神にかかる負担は尋常じゃない。しかも藤田君の治療後にやるなんざ、普段の忠助なら絶対にしないことだ。……何故、あんなバカなことを」
曽根崎さんは、小さな機械を握りしめていた。
「このままでは忠助の命が危ない。気絶させるぞ」
恐らく、ここに来る前に阿蘇さんが首につけていたあの機械を操作するのだろう。僕は頷いた。
だがその直前、男に殴りかかろうとしていた阿蘇さんの目が驚いたように見開かれる。
次の瞬間、阿蘇さんは自分の首につけていた機械を毟り取った。
「はっあああああああ!?」
そして曽根崎さんが吠えた。
「何考えてんだアイツ!? 死ぬ気か!?」
しかしその言葉を口にしてすぐ、曽根崎さんはハッと身を引いた。彼の口角が、じわじわと上がっていく。
「……嘘だろ?」
何がです、と聞きたかった。何に気づいたんです、と。
だが、今の僕らに悠長な会話をする時間は残されていなかった。
「クッ……ひっ、ひ」
深馬の声だ。
ここで僕は、やっとヤツの存在を思い出した。
「いっひ……はは、は」
深馬がゆらりと立ち上がる。しかし様子が変だ。
彼は恍惚とした表情で自ら穴に歩み寄ると、両膝をつく。それから穴に頭を突き出し、四つん這いになった。
「これ、で……楽になれる……。これで、俺は……」
――もしや、彼の中のミートイーターが穴の影響に耐えられず芽吹こうとしているのか?
なら、今がチャンスかもしれない。
ここで僕が深馬を突き飛ばせば、曽根崎さんが穴に近づく要素は一つ減る。つまり、曽根崎さんが生き残れる可能性が高くなるのだ。
この僕が、手を、汚せば。
人を、殺せば。
――違う。運命だ。
深馬は、穴に落ちる運命だったのだ。
決められた運命に巻き込まれたのが、たまたま僕だったというだけなのである。
コイツはたくさんの人を殺した。
藤田さんも、阿蘇さんも、曽根崎さんも傷つけた。
許しておけない。生かして、おけない。
だから、僕が――!
覚悟を決めて、深馬に寄る。深馬の背中を、震えの止まらない両手を押し出そうとして……。
「……ッあ、あ、い、いや、いやだぁぁぁぁ!!!!」
「ッ!?」
突然振り返った深馬に、強くしがみつかれた。僕の眼前で、肉色の蔓が彼の目を突き破る。
汁が飛び散る。雨で流れる。濡れた手が、濡れた僕の服を引っ張って。
深馬の体が、のけぞった。
――あ、え?
嘘だろ?
穴が、迫る。
僕の体が、深馬に持っていかれる。
全身の重心が、全て、一定方向に集約され。
――僕は、巨大な穴に飲み込まれようとしていた。
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