第17話 大学再潜入
兄との電話を終えた阿蘇は、壊れそうなほどにスマートフォンを強く握りしめた。
――絶対に、やらなければならない。あいつが生きられるのなら、なんとしても。
誓い、強い目で前を向く。
が、そんな彼の背中にまたしてもぶつかった男がいた。
「お待たせいたしました。やらしい意味でのデリバリーサービス担当、藤田直和です」
例によって絶賛目隠し中の藤田である。つい今し方トイレから帰ってきた所であった。
彼の開口一番にうんざりした顔をする阿蘇をよそに、ヤツは早速ブー垂れる。
「んもー、阿蘇が手伝ってくれなかったせいで時間かかったじゃねぇか。どうしてくれるよ」
「知らんがな。トイレぐらい一人で行けるだろ」
「まあ手伝ってくれたらくれたで、時間かけるつもりだったけどね」
「何に?」
「そりゃもう、ナニに」
「ハハハ」
「ハハハ」
「……」
「あ、絞まってます阿蘇。阿蘇さん。阿蘇様。すいませんこんな時にふざけ過ぎました許して絞まってるるるる」
チョークスリーパーをかけられた藤田は即座にギブアップ宣言をしたが、いい加減色々と腹に据えかねていた阿蘇は手を緩めなかった。いやほんと普通に鬱陶しい。
「……あれ、お前トイレで誰かに会った?」
ふと藤田に問いかける。
しかし到底答えられる顔色では無かったため、仕方なく解放してやった。床に崩れ落ちた藤田は、横目で阿蘇を見上げて言う。
「……なんでそんなこと聞くんですか……」
「まあ、ちょっとな。……」
少し考え、「よし」と阿蘇は手を叩いた。それからノートパソコンと藤田の片足を掴む。
無抵抗の藤田を携え、阿蘇は兄からの指令をこなす為その場を後にした。
「曽根崎ィー死ぬなってぇー。行けば死ぬんなら行かなきゃいいだけの話じゃねー? そんなに死にたいなら僕がザクーッと一思いにやったげるからー」
「先生、その手のやり取りは昨晩済ませたので、今日は結構です」
「どういうこと?」
去り際に腰にくっついてきた烏丸先生を追い払い、僕らは神菅大学を訪れていた。
「……烏丸先生って何者なんですか?」
「財団絡みの知人でな、以前扱った事件でちょっと懐かれた」
「懐かれたってアンタ」
協力してくれているのに酷い言い草である。
さて、そんな曽根崎さんの本日の職業は刑事だ。とはいえ昨日記者と名乗った者と同じ人間が来ているわけで、事務の人からは思いきり不審な目を向けられてしまった。
……阿蘇さんが事前に警察官を派遣して説明してくれていたから良かったものの、それが無ければ通報されていたと思う。
「さーて、これで堂々と調査ができるぞ」
腰に手をあて、やる気満々の曽根崎さんだ。彼が何かやらかす前に隣に行こうとした僕だったが、廊下を走ってきた誰かにドンと突き飛ばされた。
「景清君!?」
雇用主の声が飛んだが、多少よろけただけで心配されるほどのことではない。他方、突き飛ばしてきた小太りの女性は僕に一切構うことなく、事務員に詰め寄っていた。
「ちょっと! うちの人がまだ帰ってこないんですけど、どうなってるんです!?」
「奥様、落ち着いてください。大学側も警察に問い合わせている最中で……」
「どうせまたあの女の所に行っているのよ! 教授と院生が不倫できるだなんて、ほんとおかしいわね。一体どういう大学方針をしてらっしゃるのかしら!?」
「それはまた別の話でして……」
その会話に、僕と曽根崎さんは顔を見合わせる。彼に顎で指示され、僕は彼女の元へと急いだ。
「失礼、あなたもしかして和井教授の奥様ですか」
「何よ、いきなり!?」
「警察です」
曽根崎さんに渡された偽の警察手帳を女性の前に掲げる。それで一気にクールダウンした彼女であったが、なおも吊り上がったままの目で僕をじろじろと舐めた。
……いつもの私服なら怪しまれるだろうが、今日はスーツだ。堂々としていればバレはしない、と思う。
「……えらく若い刑事さんね」
「よく言われます」
「それで、何の御用かしら」
「失礼ながら、会話を聞かせていただきました。……ご主人の失踪にショックを受けられていらっしゃる所、大変言いにくい話ではあるのですが」
「何よ。こっちは忙しいんです、早く言ってください」
「……和井教授は、何らかの事件に巻き込まれてしまった可能性があります」
「……え?」
「こちらも詳しい事情をお伝えしますので、少しお時間をいただけませんか」
「……」
女性はしばらく値踏みするように僕を見ていたが、一度頷くと受付に背を向けた。対応していた人は、ようやく去った脅威にどことなくホッとした顔をしている。
「ふむ、よくやった。やはりお手伝いさんの顔がいいと何かと便利だな」
いつのまにか近くまで来ていた曽根崎さんが彼女にバレないよう好き勝手言っていたが、それは無視することにしたのである。
彼女の名は、
「……そう、本当にあの人は死んだのですね」
さっきまでの態度が嘘のようにしおらしくなった彼女は、静かに目を伏せて言った。
露実さんを和井教授の教授室に連れてきた曽根崎さんは、怪異が絡んだ事柄は除いた上で、彼女に全てを打ち明けていた。とはいえ、既に死体は上がり警察も動いているので、遅かれ早かれ認知される情報ではあったのだが。
露実さんは顔を上げると、気丈に曽根崎さんを見つめる。
「残念ですが、私から警察にお伝えできるような有益な情報はありません。元々夫婦仲は冷え切っており、最近ではまともな言葉も交わさないまでになっていましたから」
「……先ほど、愛人である火町さんに怒ってらっしゃったのは?」
「夫婦仲が悪いからといって、不貞まで許すわけないでしょう? 証拠は揃えていたので、火町さんとは近々法廷にもつれこんでも争うつもりでした」
おお……不倫怖い。先の一件で彼女の気性を知る僕は、できるだけこの場では黙っていようと背を丸めた。
「そのご主人ですが、最近海外出張に行かれましたね」
だが、曽根崎さんはどんどん踏み込む。人の心の機微に無頓着だからこそ為せる技だ。
「その際、誰かと一緒にいたということはありませんか?」
「知りませんよ。さっきも言いましたけど、今では会話も無いような間柄です」
「それは失敬。……失敬ついでに、和井教授の性格について教えてもらっても?」
「人間関係のトラブルは無かったかって聞きたいのかしら? だとしたら、ありましたわよ」
お、話が早い。曽根崎さんも同様のことを思ったのか、僅かに身を乗り出した。
「六屋准教授だったかしら。うちの人、強引な上に人に取り入るのが上手くてね、かなり我を通してその方より早く教授になったのよ。その時、相当恨みを買う方法を取ったみたいでね、当時うちにその准教授の教え子を名乗る人からクレームが入ったりしたものだわ」
「ほう。で、今その人は」
「半年ほど前に夫の愛人に成り果てた所よ」
「あ、火町さんのことだったんですか……」
ぶっ飛んだ展開に、流石の曽根崎さんも冷や汗を流していた。
……本当だとしたら、和井教授はとんでもない人たらしである。こんな人もいるんだな。
しかし、六屋准教授であれば和井教授のエアーメールを盗み見ることもできただろう。後で話を聞いてみなければならない。
そう考えていた時、微かに吹き込んだ風に自分の前髪が揺れた。風の出どころを探すと、しっかり閉めたはずのドアがうっすらと開いて隙間が開いているのが目に入る。
――誰か、覗いているのか?
「ちょっと」
「ん」
僕の視線を追い、曽根崎さんもそれを認識する。先手必勝、彼は素早く立ち上がると、クモのような長い足を駆使してドアの前に走った。
「どちら様でしょう」
勢いよく開いた扉を前に、逃げる暇など無かったのだろう。ドアの先にいた男は、驚きに顔を引きつらせて硬直していた。
「おや、あなたは……」
曽根崎さんに見下ろされた相手は、ヒッと困惑気味に息を飲む。
――そこにいたのは、昨日教授室を案内してくれた大学生の青年であった。
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