第16話 種子

 烏丸先生は顔色一つ変えずに頷くと、椅子から立ち上がった。


「分かった。そんじゃ場所を変えまっせ。こういう時専用の手術室に行く」

「ありがとうございます」

「僕と曽根崎の仲じゃん。水くせぇ」


 火町さんの遺体をストレッチャーに乗せ、一度診察室を出る。その間も、曽根崎さんはブツブツ何か言い続けていた。


「……タネをどうやって植えつけたのかと、私はそればかりを考えていた。そうじゃない、ミートイーターがどうやって繁殖するのかを考えねばならなかったんだ。ああクソ、それなら……」

「曽根崎、手下君、早く中に入れ」


 曽根崎さんの思考を遮り、烏丸先生は目的のドアを開けた。

 ……いつの間にやら僕は手下になっている。多分であるが、面倒くさがりな烏丸先生にとって“助手”という単語は言い辛かったのだろう。


「血で汚れる。ガウン着て、念の為ゴーグルもつけときな」


 ドラマで見たような手術用の医療着を手渡される。あっという間に着用し、ちゃっかりマスクや手袋までつけている曽根崎さんは、僕を見て言った。


「えぐい見せ物になる。景清君は下がってなさい」

「はい」

「素直でよろしい。チクショウ、羨ましいな」

「本音出てますよ」


 手下は手下らしく親分の言うことを聞くのだ。僕は壁際まで下がり、二人の様子を見守った。


「……じゃ、開けるぞ」


 その言葉と共に、今まで微かだった悪臭がぶわっと部屋中に広がる。その臭いに、思わず体を折り曲げ咳き込んだ。

 果たして、あとどれくらいこの場にとどまらなければならないのか。そんなことを思っていたら、おもむろに烏丸先生が動いた。


「で、何? この花を抜いたらいいわけ? よいしょ」

「あ、先生、そんなあっさり」

「こっちもいくよ。よいしょ」

「ああっ」


 ……早く終わりそうだ。この人、面倒くさがりというレベルでは片付けられない無神経さである。

 脇に備えられたトレイに、べチャリと嫌な音を立てて何かが置かれる。それが終わると烏丸先生はさっさと袋を閉じ、「換気ィ!」とスイッチを押した。


 こもった臭いが薄れていく。僕は一つ呼吸をし、曽根崎さんの元に行った。


「や。終わったぞ」


 直接ミートイーターを触らなくてホッとしたのだろう、彼は怒ったような顔をしていた。

 何かツッコんでやろうかと思ったが、壁に逃れていた僕に言えることは無い。返事をせずトレイの上のミートイーターを見た。


 それは、存外に綺麗な花だった。

 薄く桃色に透き通った四枚の花弁を持った花が、くたりとトレイに横たわっている。

 しかし、美しいのはその部分だけだ。

 茎は、まるで神経や血管、筋肉を一括りにしたようなグロテスクな有り様で、こいつが今まで人間の内部で一体となっていたのがありありと分かる形をしていた。


 曽根崎さんは花弁の元にある膨らみを指差し、この上更に烏丸先生を動かす。


「ここをメスで切ってくれませんか」

「はいよ」


 しかし特に不満を言うでもなく、彼は慣れた手つきでミートイーターにメスを入れた。甘いような酸っぱいような気持ちの悪い匂いと一緒に、ゴロリとアーモンド型の透明な物体が出てくる。


 曽根崎さんは丁寧にそれを摘むと、真っ黒な自分の瞳の前まで持ち上げた。


「……これが、ミートイーターの種子か」

「曽根崎、こっちにも同じもんがあるよ」

「つまり、一つの種子を人に寄生させれば、二つの種子を得られるということだな」


 曽根崎さんは目を閉じた。顎に手をあて、黙考する。


「……すると、あと一つ犯人の手元に種子が残っている計算になる」


 彼の言葉を受け、僕も頭を回転させた。


「えーと……最初に博士から種子を二粒奪って、教授と藤田さんに植えて、教授からまた二粒奪って、火町さんに植えたから、ですか」

「お、私の助手がいい仕事をする」

「からかわないでください。……では、犯人は博士からタネを引き抜くことができた人物――例えば、和井教授と同時期に海外渡航していた人とか?」

「そうかもな。とはいえ、和井教授自身がタネを持って帰ってきたのを奪われただけかもしれんが」


 曽根崎さんは手袋を外しスマートフォンを取り出すと、電話をかけ始めた。


「……田中さん? 六日前時点で南米にいた、もしくは五日前に南米から帰ってきた人のリストを調べて私に送ってください。……え? 私の死体の検案書ができた? あー、じゃあ私と烏丸先生に送っといてください。……いや、大丈夫ですって。極力死なないよう……ああ? やかましいやかましいジイさん。血圧上がる前にもう切りますよ、ハイサイナラ」


 舌打ちが聞こえる。……相変わらず、パトロンであるツクヨミ財団の田中さんに対して冷たい人だ。っていうか、この二人ってそもそもどういう繋がりなのだろう。


 それを言うなら、烏丸先生もそうなのだが。


「で、この植物はどう始末すんの」


 そして烏丸先生は、まるで絞めた鶏の足でも持つかのように植物を握りしめている。曽根崎さんはそちらをチラリと見ると、親指で自分の首を掻き切る真似をした。


「潰しときましょう」

「え、いいんですか?」


 こんな形の発見ではあるが、新種の植物なのだ。完全に消滅させてしまうのには少し抵抗がある。せめてホルマリン漬けとか……。

 しかし、彼はそんな僕の提案を一笑に付した。


「外来種は国内で繁殖する前に防がにゃならんだろ」

「でも、それを研究すれば藤田さんの頭からミートイーターを離脱させる方法が見つかるかもしれません」

「その間に彼のミートイーターは芽吹くだろうな。犯人を突き止め、対処方法を吐かせた方が早い。……この危険過ぎる植物は、残して起きる二次被害の方が大きいよ」


 彼の言うことはもっともであった。それこそ、種が盗まれでもしたらとんでもないことになるだろう。

 曽根崎さんは僕への説明を終え、烏丸先生を振り返った。


「……というわけで、先生」

「はーい」


 ブチュリと嫌な音がする。烏丸先生が、ゴム製のハンマーでミートイーターを叩き潰したのだ。

 グリグリとハンマーをトレイに擦りつけながら、あっけらかんと彼はのたまう。


「後でハンマーごと燃やしとくわ。それでオーケー?」

「なんで先生はそんな肝が座ってるんですか……」

「アンタこそ、なーんで怪異の掃除人の手下やっててそんな屁っ放り腰なのよ。コイツといるつもりなら、いざって時動けなきゃ死ぬよ」


 それから「あ、死ぬのは曽根崎の方なのか」と不謹慎な言葉を続けた。しかし、曽根崎さんがその発言にムッとする様子は無い。


 ……。


 ……僕も、あれぐらい開き直った方がいいのだろうか。


「景清君」


 自身の方向性に頭を抱えていると、ガウンを脱いだ曽根崎さんに名を呼ばれた。


「藤田君のことを考えると時間が無い。もう一度大学に行って調査するぞ」

「は、はい、分かりました」

「だが、行く前に忠助に連絡させてくれ。伝えなければならないことがある」


 僕が承知する前に、曽根崎さんはまたスマートフォンを手に取っていた。すぐに電話に出たらしい弟さんに向かって、曽根崎さんは早口で言う。


「忠助、すまん。例の女性は死んだ」

『……そうか』

「だが死体を並べてみていくつか分かったことがある。まず一つ、やはり今回の事件の裏には一人の人間が動いている。それは恐らく和井教授周りの人間、それも大学関係である線が強い。よって今から私は大学で調査してくるんだが、身分を刑事と偽る予定なので警察使って根回ししといてくれ」

『クソ面倒くせぇ』

「了承助かる。それから、烏丸先生から聞いた藤田君の診断結果についてなんだが」


 曽根崎さんの目は、無意識にミートイーターの残骸に向けられていた。


「……残念ながら、侵食が進んでいる」

『……』


 彼の放った一言に、僕の指の先が冷たくなっていくのが分かった。


「とはいえ、このままのペースが維持されるならあと一週間はもつだろう。ところがそうも言ってられない問題が一つ出てきた」

「なんだ」

「……これまで見つかった死体の落下間隔は、今まで一日おきだった。だが、穴が開いてから私が落ちる二日後までに、一日だけまだ誰も落ちていない日がある」


 阿蘇さんは何も言わない。しかし察しのいい人だ。曽根崎さんの次の言葉に気がついているだろう。


「――明日だ」


 曽根崎さんは、やはり淡々と他人事のように告げる。


「現段階で唯一生存している宿主の藤田君が穴に落ちるとすれば、その日になる可能性が高い」

『……』

「……忠助、友人を守れよ」

『言われなくても』


 電話の向こうの阿蘇さんの声は、怖いくらいに落ち着いていた。それだからこそ僕は数時間前に見た彼の苦悶を思い出し、表情でそれを知られてしまわぬよう俯いたのだった。

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