第16話 絶世の美女だから
小学生の頃、恋をしていた女の子から告白された。
「体育の時間に活躍する君は、とてもかっこよく見える」。彼女ははにかみながら、そう言ってくれた。
ボクは、自分を好きだと言ってくれたのがその子で、とても嬉しかったのを覚えている。
だけど、結局彼女の告白を受け取ることはできなかった。
その子が好きなのは “ 男の子 ” のボクで、 “女の子 ” のボクではなかったのだ。
男の子として生まれてきたなら、 “ 男の子 ” でいなきゃいけない。
好きになる対象が女の子であるなら尚更だ。
男と自称する生き方は、女性の自覚を持つ自分にとって息苦しいものだった。でも、だからといって“女の子 ” として生きる勇気も無かったのである。
“普通じゃなくなった時に、自分がどうやって生きていけばいいか分からない”。そんな恐怖を胸に抱きながら、ボクはなんとなく日々をやり過ごしていた。
そんなボクが光坂佳乃に出会ったのは、中学生二年生の時である。
たまたまアクセスしたオカルト系のWebサイトで、信じられないぐらい盛り上がった相手が彼女だった。
匿名性の高いインターネットは、ボクのような異色には息がしやすい場所だ。現実とは違い堂々と女の子でいることができたボクの性別を、誰も疑いはしなかっただろう。
だからこそ、彼女もあんなメッセージを送ってきたのだ。
「ねぇ、私達、会ってみない?」
……それを読んだ時、ボクの心臓は張り裂けそうになった。
だって、ボクの体は男だ。会えばきっとそれがバレてしまう。
嫌だった。怖かった。ようやくできた自分が女の子であることを偽らなくていい友達を、ここで失いたくなかった。
それでも彼女には会いたい。会って、未来人の骨格について紙の余白を埋めながら二人で語り合いたい。こんな妙な会話ができる友人も、彼女をおいて他にはいなかった。
どうしよう。
どうにかできないだろうか。
そうして目の下にクマができあがりそうなほど考えた末に、ボクはとうとう一つの天啓を得る。
――だったらいっそ、女の子の格好をして行けばいいんじゃない?
思いついた瞬間、手を打った。そうだ、それしかない。むしろその方法以外思い浮かばない。やるしかない。
こうして約束の当日、ボクはスカートをはいて、首にストールを巻き、ロングのウィッグをかぶって佳乃との待ち合わせ場所に赴いた。
うまくいくだろうか。バクバクと高鳴る鼓動を抑えつつ、ボクは佳乃が来るのを待った。
「……柊ちゃん?」
ふいに声をかけられる。ボクは飛び上がりそうになりながらも、なんとか振り返った。
事前に聞いていた通りの、薄緑のロングスカート。優しげに下がった目尻に、柔らかそうな頬。ふわりとした髪に、白い肌。
――ああ、女の子だ。
ボクが憧れてやまない “ かわいい女の子らしさ ” が詰まった子が、両手を後ろに回してじっとボクを見つめていた。
「き、今日はよろしくね、佳乃」
少しどもったが、なんとかいつもより高い声を作って挨拶をすることができた。ついでに、ちょっとぎこちない笑顔も足してみる。
――どうかな? やっぱりバレるかな。
そうだよね。ボクはあなたと違って全然かわいらしくないもの。背も高いし、腕も足も細長いだけ。
気持ち悪くないかな。男の体なのに、女だって言い張る人間は。
ボクが彼女の立場だったらどうだろう。受け入れられるかな。怖がってしまうかな。
――やっぱり、来なきゃ良かったかな。
泣き言ばかりが頭の中で膨張していくボクに、光坂佳乃は、フニャリと笑みをこぼす。
そして、こう言ったのだ。
「――知らなかった。柊ちゃんって、すんごい綺麗な女の子だったんだね」
――その、何気ない一言が。
彼女にとって、ただ見たままを伝えただけの言葉が。
ボクには、一瞬にして世界を変えるほどの感動だったのである。
それはまるで、自分の全てが世界と繋がったような感覚だった。音が、視界が、風が、匂いが、何もかもが一層鮮やかになり、ボクの中を通り抜けていく。
――ああ、そうなんだ。
ボクは、女の子なんだ。
誰が何と言ったって、ボクは女の子でいていいんだ。
だって、ボクは女性なんだもの。絶対に、それだけは間違いないんだもの。
分かってしまえば、笑えるぐらいに当たり前な話だった。こんな簡単なことが、ボクはごく自然に彼女に認められてようやく理解できたのである。
「……そうよ」
返事は、自然と口から出てきた。
常日頃、ボクが心から思っていたことのように。
「だって、ボクってば絶世の美女だから」
――彼女は、ボクの全てを変えるきっかけをくれた。
ボクの心、ボクの行動、その後におけるボクの生活の一切を。
それなのに、言えなかった。彼女にだけは、言えなかったのだ。
柊は、夜の路地をバイクで疾走しながら、叫びそうになる口を引き結んでいた。
――生まれて初めて自分を女の子として見てくれた彼女に、自分の体が男だと伝えられなかった。
言う必要は無い、気味悪がるかもしれない、などと言い訳し、後ろめたさから少しずつ距離を置いてしまった。
なのに、再会した彼女は、あの日と全く変わらない態度で笑ってくれたのだ。
――二度と、彼女に自分を偽るものか。
自分の腰に回された手に一瞬目を落とし、なおも続いているだろう痛みを思い顔をしかめた。
とにかく、一刻も早く彼女を病院に連れて行かなければ。
だが、柊達の行く手を遮るように一台の車が現れた。柊の後ろで、光坂が息を飲む。
「あれは……奈谷さんの車!」
「ウッソ! こんな早く回り込んできたの!?」
「なんでだろう、同じ所を三回ほど回ってたからかな!?」
「おバカ! 気づいてたら言いなさいよ!」
「ゴメンてっきり撒こうとしてるんだと思ってて!」
奈谷の車は、まっすぐにこちらに向かってきている。
……何を考えているのか分からない。もしかしたら、こちらが止まるのを期待しての行動なのだろうか。
逃げるべきだろうか。きっとそれが正しい。
だが、柊に伝わる背中越しの震えが、自分の頭に上った血が、柊の行動を別のものに決定させた。
――アイツはちょっと、ボクのことを舐めすぎたわよね。
ギロリと前方のライトを見据え、柊は叫ぶ。
「佳乃、こっから先は喋んじゃないわよ!」
速度を上げる。ハンドルを握り直す。腰に回された手に力が込められた。
バイクはより速度を増して車に近づいていく。
――さぁ、うまくいってちょうだいよ。
運転席の奈谷と、目が合った。
「食らいなさい!」
次の瞬間、柊はヘッドライトを叩き無理矢理上向きにした。激しい光をまともに受けた奈谷の目は眩み、車が大きく蛇行する。
その隙に、柊は体を倒しバイクを脇の路地に滑り込ませた。
残された奈谷は、忽然と消えたバイクに動揺しハンドルを切り損ねる。
「あああ、あああああああ!!!!」
速度のついた車は止まらない。そのままぽっかりと空いていた区画に突っ込み、盛り土に激突して止まった。
エアバッグに埋もれる奈谷には、もう柊達を追うことはできない。
奈谷の敗北を車の衝突音で悟った柊は、「ザマァないわね」と鼻で笑うと、彼女の後始末を “ 怪異の掃除人 ” に依頼すべくバイクの速度を落としていった。
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