第3話 逢瀬

 数日がたった。アヤカの笑顔もこころなしか増えてきた。医者がいうには、職場から離れると元気になることが多いとか。

 処方するのは、寝やすくする薬らしい。

「自分をせめがちになりますけど、十分な睡眠をとれば落ち着きますから。

 それとですね、やはり旦那さんの力添えは大事ですね。言動などがパニックとでもいいますか、一貫性をかいていても受け止めてあげてください。防御反応のようなものですから」

 とはいえ、浮気は防御反応に入らないだろう。というか、俺は、認めなくなかった。


 仕事だと偽った日がやってきた。俺は家を出て、近くの公園でぼんやりと時間を潰していた。もしかすればアヤカが現れるかもしれないと。

 自分でも都合がいいことだと笑いそうになる。だから。

 まさか、と思った。

 暑いなかジャケットを着た男と二人で歩く彼女がいた。すぐに写真を撮ろうとしたが、二人が何をしようとしているのか追ってみることにした。


 彼女たちは本屋に入っていった。俺も後につづいた。連日、仕事におわれており、新刊情報が滞っていた。しらないうちに直木賞が決まったようだ。俺はブッカー賞くらいしか興味はないが。気鋭の哲学者がいるらしい、若手の社会学者がいるらしい、日本史の決定版が出ているらしい。いつの間にか、俺のしらないことばかりになっていた。

 芥川賞受賞の単行本を手に取った。とにかく薄いからコスパが悪い。

 一行目からなんとも純文学という頭でっかちな冒頭だった。薄さからは想像できない陰湿さである。

 誰かが、俺の肩を叩いた。

「仕事は?」

 アヤカが異物を見る目で俺を睨んでいた。


「サプライズ、ねぇ」

 俺は家に帰る道すがら彼女に無茶な言い訳だと分かりつつ釈明した。店内を見渡しても、ともにいた男の気配はなかった。さっき写真を撮っていればと後悔した。

「その、家にいるだけのお前を驚かそうと」

「べつに退屈なんかしてないよ」クスクスと笑う彼女の平淡な顔は、最近では珍しかった。快復してきたのか、と安堵した。

「私はうまくやってるし、慣れてないのは」と黙って俺の鼻の前に人差し指を突き出した。

「私よりあたふたしてて、なんか可愛らしい」

 彼女は手にしていたファッション誌を買った。

 帰宅すると、早く着替えるようせかされた。俺の私服はポロシャツとジーンズくらいだった。家の衣類は2対8の割合だろう。


 そしてアヤカに連れられるまま、夏服の購入に付き合わされた。梅田までは勘弁したる、と最寄りのイオンモールに向かった。

 男女の買い物時間の違いは、女性が漠然としたイメージをもとに探すから長くなりがちということを聞いたことがある。アヤカも例外ではない。

 二時間、似たようなファッションブランドを物色するから居場所がない俺はスマホに目を落とした。もう正午をすぎていた。すると、腹が減りはじめた。

 残念そうに首をふって店をでた。俺は空腹をうったえた。


 行きつけになりつつある定食屋の『ルビー』に向かっていた。ランチの時間があったはずだったのだ。俺たちが揃って昼間に入店するなんてことはなかったから新鮮な気分だった。

 今日も婦人が景気よくいらっしゃいませと言う。空いていた四人がけの席に座った。すぐに婦人はお冷やとおしぼりをのせたお盆をもってきた。

「すいませんが、二人がけの席でお願いします」

 珍しい要求だなと、婦人の顔を見た。

「えっと、ダメでしたでしょうか」

 婦人はすいませんと頭を下げた。


「今日はお一人様でいらっしゃるので、ご協力いただけるとありがたいのですよ。奥さまと似たようなことをされますね」


 微笑む婦人は、俺の顔しか見ていなかった。アヤカは、やっぱり慣れてないと呟いて、ケラケラ笑っていた。

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