第42話

 ~ ☆ ~


 さて、まさか彼が手を貸してくれるとは思っても居なかった。

 だが、要らぬ面倒ごとや厄介事を避けられると思えば、私にとっても利益のある話だ。

 娘を差し出したようで気に入らないが、それでも……妻が戻ってくるのなら彼女にとっても良い事だろう。


 明日にでも領地に向けて出立せねばなるまい。

 やる事や整えねばならない事は幾らでもある。

 心変わりする可能性すら見越して、事前に準備をしなければなるまい。


 そう思っていたのだが……。


「……よう」


 彼は、酒瓶を片手に宿にまで押しかけてきた。

 昼前だというのに、既に深く酔っているようである。

 ということは、資料の内容を”理解して”読んだのだろう。


 まさか窓からの来訪とはおもわなんだ。

 だが、それはそれで愉快だ。


 部屋に招き入れると、彼は無法者のように酒を呷る。

 もはや大分酔っているのだろう、顔は首まで赤い。


「さて、少年。察するに、君が来たのは……内容に関してかな?」

「……あぁ」

「──思うに、私が”どこまで噛んでいるか”だろうが。正直に言おう、唯々諾々と従った。それこそ、農作物から死体漁りまで。どうかね、侮蔑すべき相手だろう?」

「──まあ、死体に関しちゃど~でもいいです。なら、生きた二人は……」

「それは私の管轄外だ」


 事実、墓を暴く等と言った行為まではやった。

 勿論、金で人を雇ってだ。

 汚れ仕事専門でやってくれる上に口の堅い、信頼の出来る連中を使ってだが。

 得体の知れないマジックアイテムを使って、様々な実験をしたものだ。

 アレですら私が噛んでからのものだ、それ以前はあまりにも杜撰極まった。

 

 実験をするというのなら記録は残さねばならない。

 私が加わるまで、失敗の連続ばかりを繰り返していた。

 愛する妻を、本当に蘇らせられるのか猜疑的だったというのもあるがね。

 だが、成功してしまったのだ。

 最終的に、ライラント公爵は辛抱できなくなった。

 その結果、デルブルグ公爵家の娘を乱雑に誘拐した上に痕跡や形跡さえ残しまくった。

 そうまでしたら、私とてデルブルグ公爵家と事を構えるワケにはいかない。

 妻を蘇らせる確証と算段までは行き着いたのだ、ならば気の触れたライラント公爵と共に沈んでやる義理も義務も無い。


「それで、私を侮蔑するかね? それとも、断罪するかね?」

「……いんや、俺が欲しかったのはあんたの言葉だ。今の言葉が嘘なら、酒の席として忘れる。けど、二度嘘をついたら……」

「ついたら、どうするというのかな?」

「俺は、あんたと二度と相容れない。マーガレットを悲しませる真似だけは出来ないけど、あんたがマーガレットを悲しませる理由くらいにはしてやるさ」

「それはそれは、大分……脅迫めいているように聞こえるが。良いだろう、杖に誓う。私は、誓ってミラノ嬢やオルバ子息を手にかけることに加担していない。もちろん、それはクライン殿を5年もの眠りにつけた事にも関わっていないという事になるが」

「分かった。それで良い。自分が何に手を貸そうとしてるのか、その相手が信用できるのかを考えたかっただけだし」


 ……中々に、肝の据わった青年だ。

 あるいは、豪胆とも慎重とも言える。

 自分の背後に公爵言えがあるとは言え、自身は騎士でしかないというのに。


「一つ聞いてもよいかね? 青年、君はなぜ身代わりを提案したのだろうか。別に義務はあっても義理は無いだろうに。なんなら、見合う対価を支払っても良かったのだが」

「別に、こうする以外に……守れるとか、考えなかったんだよ。それに、俺が……頑張れば、それで誰かが苦しまずに済むのなら、悲しまずに済むのなら、それで良いって……そんだけなんだよ」

「自分が重責や負担を負ぶってでもかね?」

「限度はあるけど……。それでも、今はあの学園での日常が……俺にとっての大きな、魅力的な……」


 ……ふむ。

 若いからだろうが、色々と悩める青年なようだ。

 酔いもだいぶ回っているだろう、酩酊しているように見える。


「しかし、よく屋敷を出てこられたものだ」

「ちょっとばかし、人の目を盗んで何かをするくらいは……得意なんだ」

「例えば、窃盗とか……だろうか」

「……清廉潔白とはいわねえよ。けど、その知識と技術をどう生かすかは……」

「別。ああ、そうだろうとも。清廉潔白で頭の固い連中には”悪意”を前提とした考えは出来ない。出来たとしても青年、君ほどじゃない」


 そうでなければ、私が複製のマジックアイテムに関与しているとは疑問にすら思わないだろう。

 あるいは、確認したいほどに疑いをもつことも出来ない。

 立派なのだからそんなことをするわけが無い、そうやって目を曇らせる。

 それに比べれば、ああ……なんと耽美な事か。


「目的は、なんだ? 俺は……それをまだ聞いてない」

「……妻を蘇らせるのだよ」

「はっ、だと思った……」

「思った? それは、考えが浅はかだというものだ、青年」

「どう違うってんだ」

「娘を見たか? 話をしたか? 彼女の考えを知ったか? その上で今の蒙昧な質問をするのかね? 私のためではない、娘のためだ。ありがたいことに、目が治ったという。それが青年、君の与えた薬のおかげだと言っていた。あの子は泣いていた、そう……泣いていたのだ」

「──……、」

「私は煉獄に行こうが、獄中に行こうが構わぬさ。だが、あの子は産まれたその瞬間から不幸すぎた。神は彼女を見放した。ならば、側に居る、親である私が少しでも幸せにしようと願う事が間違いだと言うかね?」

「……その言葉が、マジもんの真実なら。俺は……俺は、全面的に協力するさ。あんな良い子が少しでも幸せになれるのなら、不幸から救われるというのなら……禁忌だろうと手を貸してやる」

「聞きワケが良いのは、少しばかり疑念を抱く。その回答は35点だ」

「うるせえ。俺だってな、俺だってな! 両親が生き返らせられるのなら、生き返らせたかったよ……。その苦しみ、悲しみ、不幸を専売特許のように扱うんじゃねえ」


 そう言って、青年は酒瓶を全て一息に飲んだ。

 それから数秒後、気分が悪くなったのだろう。

 窓際に駆け寄ると、嘔吐する。

 さて、今のは演技だろうか?

 いや、そこまで出来の良い嘘をこんな場面で言うわけが無いだろう。

 そもそも、それをやるとしたら相手が違う。

 私にではなく、公爵やミラノ嬢相手にやるべきなのだから。


「アンタが思ってるよりも、きっと小さく、細かい場面で母親が居て欲しかったと、望んでる筈なんだよ。それが積み重なって、心を覆い隠したら……お終いだ」

「……なるほど。クク……いや、なるほど。なら青年、君も使うかね?」

「遺骸も遺灰も、召喚されたその時に遠いどこかに置き去りにしちまったよ。だから……だから頼む、辺境伯。今の話、全部本当だったと言ってくれ。マーガレットの為だと、その為に俺が彼女の母親を蘇らせるのが目的だと誓ってくれ……」


 彼は、そう言って”救われたい表情”をしていた。

 泣きそうだ、助けて欲しそうだ。

 もしきっと彼が”理性的でないのなら”、こんなに平穏なやり取りにはならなかったのだろう。

 だから、泣きそうなのだ。

 両親を生き返らせたいのに、その機会を逃したという無念さ。

 その無念さを、身近の他人が救われる事で無理やりに昇華しようとしている。

 自分を納得させる為に、或いはその無念さを解消する為に。


「フッ、誓うとも。なんなら、妻が本当に蘇ったのなら……娘を、その婚儀の相手として認めてやるとも」

「……分かった、分かったよ。それで、正確な位置と必要な条件、事柄は?」

「今手元に無いが、我が領地の隅にある。デルブルグ公爵家と私の領地の狭間……。目の届きにくい場所にあるのだ。聞くところによると、君は神聖フランツ帝国に親善をしにいくらしい。その間にでも準備は進めておくとしよう。だが、戻った時には可能になっていると思いたまえ」

「ああ……」


 青年は、幾度となくうなずく。

 それは自分に対して納得させる為の行為なのだろう。

 

「さて、用事は済んだかな?」

「用事は、済んだけど……。もう一つ、聞きたいんだ。あんたは……マーガレットの、夢を……知ってるのか?」

「──知っているとも。実際に彼女の夢が屋敷に仕える者が事故にあうことを的中させたり、私が死ぬやも知れぬ事柄から救ってくれた事もある。ならば、信じぬことは決してない」

「なら……なら。あの子は、自分が救われたいから、俺に近づいたのかな……」


 ……聡いな。

 辺境伯の娘が好意を持ってやってきた……とは、素直に受け取らなかったらしい。

 あぁ、しまった。

 ”婚儀の相手として認める”というのが引っかかったのかな?

 いや、私は今でも彼の事を認めたつもりは無い。

 ああ、断じてだ。

 

 娘は今まで不幸だった、ならばそれ以上の幸福を与えられる相手でなければどんな男であろうと認めるわけにはいくまい。

 確かに目を治してくれたその事には感謝しよう。

 だが、そんなことで認めるとでも?

 浅はかな事だ……。


「……それは、娘が実際にそういったのかね?」

「いんえ。けど、けど……一番、その方が話がわかり、わかりやす……かなと」

「ならば、私には言える事は無いぞ、青年。私は娘の意に従ったのみだ。私は君とことなど認めていないのでね。そうであるのなら、私としても気が楽だ。なぜなら君を利用するだけだと分かるのだから」

「──そっか」


 その言葉を最後に、青年は眠りに付いた。

 酒瓶を手放すことなく、ただ吐き散らかした酸いの匂いを漂わせながら。

 さて、どうしたものか。

 無理に叩き起こした所で帰ることは出来ないだろう。

 かと言って、無理やり出てきたのだから行方知れずと騒がれても宜しくない。

 

 マリーは動かせないのがいくらか痛いか……。


「しつれ~」

「……ロビン殿。最近は窓から人が出入りするのが習わしなのだろうかね?」


 しかし、都合の良い事もあったものだ。

 デルブルグ家の英霊、ロビン殿がこられるとは。

 胸に手を当て、恭しく礼をするが気に入らないらしい。

 クク……英霊はへそ曲がりが多くて困る。


「ヤクモ、つれかえってもい~?」

「ああ、勿論だとも。むしろ、そうしていただけるのなら、此方としても敵意が無い事を示せる」

「ん、ならそ~する」


 そういうと、ロビン殿は寝落ちした酔っ払いを抱きかかえると窓から出て行く。

 鷹のような目を持ち、その弓は狙った獲物を正確無比に穿つという。

 ならば、彼女のような英霊が警戒していれば青年とて出し抜いたつもりでもそうはならないと。

 ……さて、屋敷の者が抜け出したことに気づいていたかどうかを後に調べてみるとしよう。

 それで青年が抜け出したのに英霊以外が気づけなかったかどうかをはかる事が出来そうだ。

 それに、娘が騙している可能性に気づいた。

 となれば、幾らか扱いには慎重になるだろう。

 真に好いているわけではないのだから、後に自分の首を絞めかねないと理解する筈だ。





 と、そう考えていた私の方が甘かったようだ。

 領地に向けて帰る前にと、娘が見送りに来たのだが──。

 その顔は、憂う顔をしていた。

 

「父様、私は……ヤクモ様を騙したままで良いのでしょうか」

「マーガレット、我が娘よ。私は父親だ。たとえどうあろうと私の娘である以上、どう考え、どうしようと私は支持するとも」

「私は──目を治していただいて、その上あんな悲しい人を騙すだなんて酷い事が出来ません」

「悲しい、とは」

「誰かの為に、側に居る誰かを満たすのに、自分が満たされないままの……悲しい方です」


 それから、彼女はポツポツと語ってくれた。

 それは、娘目線からの青年の印象や、二人きりの時に語ってくれた事柄や反応だ。

 

「偽りの婚儀で、しかも悩んで返事を卒業までの間には必ずすると誠実さを見せてくれたのに。私は、私は……」

「では、どうするというのかな? まさか、可哀相だから……という理由で父を説得するつもりではないだろう。そんな理由で娘に男を近づける訳にはいかないと思うが」

「──私にも、時間を下さい。少なくとも、目を治して頂いた分はお礼がしたいのです。その上で、ヤクモ様が私の為に、守ろうとしてくれるのなら……支えたいと」

「ふむ。それは、妻としてか。それとも、友人や理解者としてか」

「それも……分かりません。なので、直にとは言いませんが……騙していた事は、話そうと思います」

「良いだろう、好きにすると良い。私はそれを支持するし、それで不都合があれば守るとも」

「有難う御座います」

「気にするほどではない。初めて……ああ、初めての我侭だったのだ。父としてこれほど嬉しい事はない」


 とは言え、初の我侭が家や父の名を使って、彼の青年にお見合いの話を持っていく事だとは思わなかったのだが……。

 だが、こういった話の流れになるとは考えては居なかった。

 あるいは……考えないようにしていたか。

 より一層彼の青年には気を配らねばなるまい。

 関係が後退するにしても、前進するにしてもだ。

 ただ、泣かせたら断固として許しはしない。

 勿論、傷つけたり弄ぶのも以ての外だ。

 これに関しては、公爵家に直談判しても良いくらいだ。

 なにせ、私の唯一の子でもあるわけだから。


「それで、話して……どうしたいのかな?」

「分かりません。ですが……私は恩知らずにもなりたくないですし、父様のお顔に泥を塗るような子にもなりたくありませんから。なので、お話をしたら……それでも受け入れてくれるのなら、私の気が済むまでお返しをしたいと思います」

「……そうか」


 父に似なかったことを嘆けばよいのやら、母に似た子とを喜べばよいのやら……。

 いや、私に似るということは性格の悪い娘になるという事と同じことか。

 ならば、妻に似て気の優しい思いやりの出来る子になった事を喜ぶ事にしよう。


「さて、父はそろそろ戻るが。くれぐれも、何かあったらすぐに隠さずに言うのだ。マリー経由でも良い、というよりもマリーを使うのだ」

「え?」

「デルブルグ公爵家では自由気侭にしていると聞く。ならば、アレにはそれくらいの仕事をしてもらわねばな」

「あはは……」


 あぁ、本当に……自由気侭にしているようだ。

 ヘラ殿という姉に会えたのもあろうが、あてつけだろうか。

 まあ良い、隠れ家の金とて上手く着服した金に過ぎない。

 足りなければ上手く運用して増やせば良い、税を増やして誤魔化すにしても限度はある。

 少なくとも人類の危機とやらはまだ理解の範疇には無いが、民を殺して得た金はいずれ尽きるのでね。


 それに、金を着服するにしても民は増えれば増えるほど良い。

 なら、投資と言う形で民に還元してやれば長い時間を経て戻ってくる事くらいは理解している。


「では、しばしの別れだ。彼の青年とは上手くやりたまえ」

「はい」


 さて、準備をせねばな。

 妻が蘇ったとしたら、娘は更に喜ぶに違いない。

 そうしたら、愚昧な連中が片親だの母親が居ないからと誹謗中傷してきた事柄からも遠ざけられる。

 マーガレット……、そうしたら私は父親としての責務を果たしたといえるかな?

 





 ~ ☆ ~


 ……さて、彼の”英雄”と呼ばれる方について幾らか調べてみました。

 当然、従者を使っての情報収集も行います。

 近くに居て新鮮な情報が手に入るのなら、そうしない理由はありません。


 ただ……こう、目の回る事は大分多いです。


「ふざけんな~!!!!!」

「わぎゃーっ!?」


 マリー様とは仲が良いと聞いてはいましたが、それでも時折こうやって衝突します。

 今回も彼の部屋から聞こえたようですが、魔法でも使われたのでしょう。

 開かれた窓から彼が吹き飛ばされていくのを見てしまいました。

 そのまま頭から落下、死亡事故……。

 と思ったのですが、そうはなりませんでした。

 空中で詠唱することなく、姿勢制御を行い浮遊していました。

 そしてそのままゆっくりと地面に着地すると、周囲の連中に申し訳無さそうに頭を下げてから窓の近くまで戻り、そこから浮遊して窓から戻っていきます。


「……馬鹿にしてる」


 クライン様がヤゴさんとの鍛錬をしている様子を見ていたミラノさんが、そんな事を零していました。

 それには概ね同意します。

 学園での魔法に関する授業は程度が低かったり、或いは意図的に教えないようにしている事柄もあります。

 卒業してから、そういったものを”矯正”するのに大分時間が掛かりましたが……。

 それでも、魔法陣もなければ魔力で陣を描いた様子も無い。

 詠唱もしていなければ、そもそも詠唱省略ですらない。

 魔法の名称すら聞いていないので、馬鹿げていると言いたくもなります。


「アルバート。学園では新しい授業をやってるのですか?」

「う、い、いや……。そうでは、ないが。あれは、単に……奴が規格外なだけだ」

「ほう?」

「グリムから……あぁ、グリムに暫く見張らせていたが、奴は初めて魔法を使った時から詠唱を知らん。殆どが魔法名だったが、最近では魔法名すら口にせずに動作術式と言うのを使っている」

「……学園では、そこまで教えてなかったと記憶してますが」

「教えていたとしても、ならば英霊マリーが怒りを撒き散らすのか分からなくなるが」


 ええ、そうですね。

 魔法に長けた英霊である筈のマリー様が怒り心頭になるくらいの事を彼はしています。

 動作術式や魔法名等であれば上等技術としてまだ納得は出来ますが、それも無しとなると……。

 ──それが他者も真似できるのであれば、軍事的な進歩は更に進むでしょう。

 魔法を行使するに当たって、問題となるのが音と光。

 詠唱すればどうしても口から言葉を発する必要がある。

 魔力を魔法に変換する最、どうしても光が溢れてしまう。

 少なくとも、彼が浮遊した際に発光した様子は見られませんでした。

 ……ということは、魔法使いを工作兵や暗殺者、奇襲部隊として組織する事もできそうです。


「あの魔法の行使法、聞いたりは?」

「いや、聞いては居ないが」


 あぁ……。

 聞いているのならこれ以上とない収穫だったのに。

 いえ、そもそもそんな事を期待するのが間違いですね……。

 彼の素性は分かりませんが、自分の所有する技術をそうやすやすと他人に明かすわけが──。


「あ~、えっと。少しなら、私は分かります。キリング様」

「本当ですか!?」

「ッ……」


 驚きのあまり大声を出してしまいました。

 そのせいで、彼の使い魔であるカティアさんが耳を押さえて五月蝿そうにしています。

 それに詫びてから、慎重に紐を解きほぐすように訊ねます。


「……本当、なんですか?」

「とはいっても、私もまだ理解が浅いけど。その前段階として、動作術式を今習得しようとしてる最中なの」

「動作術式を?」

「動作術式の先がさっき見せた奴みたい」

「し、しかし。動作術式とて高等技術ですよ? そんな、幾らミラノさんでも……」


 出来るわけが無い。

 そう言い掛けて、彼女の隣に座るアリアさんが指を鳴らします。

 綺麗な音が、パチリと響きました。

 その指先には、小さな焔が灯っています。


 それにはアルバートも驚いていました。


「とまあ、まだ初歩階級の魔法でしか出来ないけどね」

「それでも、成功率は1割から改善して9割には出来ました。それをこうやって、同時に行使することも出来るんです」


 そう言ってアリアさんはもう片方の手で水球を出します。

 右手で焔を、左手では水を。

 同時に別の魔法を行使するのは中級ですが、それを動作術式でやるなんて……。


「い、一割と言ったか?」

「最初なんて全然出来なかったのよ? それを言われたように寝る前、寝起き、暇な時に練習し続けたら出来るようになったの」

「それでも数日掛かりましたけどね」


 なんでもないように言ってますが、そもそも動作術式は学園では触れるだけで教わる事の無い技術です。

 それを4年生で、数日で習得しつつあるという事実の方が私にとっては信じ難いことです。

 いえ、それを言ったら学園に通ってすら居ない彼がそれ以上のことを行っている事実の方が驚きですが。


「そそ、その練習法。後でお聞きしてもよろしいでしょうか!?」

「自己流で、解釈とかも歪だけれども。それで良いのなら」

「良いも何も、有難う御座います……!」

「因みに、カティアちゃんも凄いんだけど」

「え?」


 使い魔である彼女が?

 元は猫だと聞きましたが、それでもミラノさんやアリアさんよりも凄い?


「いやですわ、アリア様。私なんて、ご主人様に比べたらまだまだで」

「み、見せていただいても?」

「ええ、構わなくてよ」


 そう言って、彼女は一度瞼を閉じました。

 その制動した様子を見ていると、出来の良い人形のように見えます。

 肌の色が幾らか薄い事が、生きているように見えないからかもしれません。

 

 瞼を閉じて直に、彼女の目の前に水球が現れます。

 それが、連鎖するように彼女の周囲に複数現れました。

 中身が空洞の水球は、現れるとそのまま漂っていましたが、徐々に目の前で凍結していきます。

 そして、氷の球体に成り果てるとそれらは砕けて綺麗な欠片へと変化しました。

 パラパラと落下していくかと思えば、そのまま欠片は大小問わずに彼女の周囲を舞い始めました。

 それは、氷刃を風で飛ばしているかのような様子です。

 手を伸ばしたなら、ズタズタに切り裂かれてしまいそうな……。


 ですが、それらの欠片は突如として蒸気を上げます。

 そして彼女の周囲を薄っすらと取り巻き、人形のような彼女が更に神秘的に見えます。

 最終的に、彼女は蒸気に隠れてしまい……。

 蒸気が晴れると、その場に彼女は居ませんでした。

 

「え?」


 呆けるしかありません。

 アルバートも同じ反応を見せていました。

 何が起こったのか理解できないといった様子で。

 

「お楽しみいただけましたかしら?」


 声がかけられて、初めて彼女が私とアルバートの席の後ろに居ると知りました。

 全くその存在を検知できず、移動した事すら分からずに。


「い、今のは。全部──」

「ええ、アイツと同じよ。ただ、私たちと授業を共にしているから学園で教わるような魔法に関してはカティの方が得意で、それ以外に関してはアイツの方が上だけど」

「ただ、ヤクモさんもあまり魔法を理解してないみたいですし、ヤクモさんが理解したものを噛み砕いて、カティアさんがそれを理詰めで説明できるようになっているだけなので」

「結局、彼に行き着くわけですか……」


 ただ、ことの重要性を彼は理解しているのでしょうか?

 今彼女が見せたものは、詠唱も動作すらも無しに魔法を次々に行使して見せました。

 こんな技術が普及してしまえば、多くの事柄がひっくり返ります。

 魔法使いは音や光を放つ存在であるという固定観念がひっくり返り、破壊工作をされても遠距離から魔法を使われても後を追うことすら難しい。

 なんなら、相手の懐に飛び込んで好き勝手できるのですから、直接的な戦争ではなく、間接的な戦争が全て変わる……。


 ですが、学年最優秀とされているミラノさんですら難しいとされている技術みたいですから、そう伝播しないでしょうが。

 これは父さんに報告しなければなりません。

 出来るのならデルブルグ家に、そうでなくとも国に縛り付けておかなければ酷い損失となりえます。

 ミラノさんやアリアさんが教わっているとしても、それは原初ではありません。

 それが出来て、その上他人に教え広める事が出来る人物を他国にやる……。

 他国でなくとも、今なら貴族至上主義者の派閥や反貴族に捕まる事も避けなければなりません。

 もしそうなったのなら、殺した方が利益になってしまう。

 そんなのは、出来ればしたくない。

 アルバートが友だと言える存在で、ここ最近の鬱屈した態度も晴らしてくれた存在を。

 

 それに、英霊の方々が親しげにしているというだけで意味があります。

 英霊は英霊で、人類は人類。

 そう思っていたのですが……。

 彼なら、英霊から何かしらを吸収し、人類側に供給してくれる架け橋になってくれそうです。


 とりあえずカティアさんやミラノさん、アリアさんの手ほどきを受けながらアルバート共々やっては見ましたが……。

 難しい以前の問題で”なにを言っているのか、正気を疑う”と言いたくなるものでした。

 学園や歴史的な事柄で頭が固くなっているのでしょうか?

 一度すら発動できないなんて。

 そもそも、瞼を閉じて魔法を”想像≪創造≫する”と言う事がそもそもおかしい。


 ……と、思ったのですが。


「アルバート、出来てるみたいよ?」

「ぬ?」

「え?」


 ミラノさんの言葉を聞いて、目を見開きました。

 そこには、アルバートの魔法が存在しました。

 眼前で小さくも熱く燃える焔。

 吹けば飛べそうなくらいに小さいのに、その熱気は隣に座っているだけの私に汗を流させるほどです。


「これが、我の……」

「今自分がやった事を、寝る前や疲れたとき、寝起きに直に出せるように練習を重ねると、動作術式が成功するようになって来る。動作術式が確実に出来るようになったら今度はそれで発動できる魔法を増やして、今度は……戻すらしいの」

「戻す、とは」

「今のように、瞼を閉じて使いたい魔法を好きに思い描いて発動できるようにするって意味。瞼を閉じて集中して思い描いて、出せるようにする。それが進むと、瞼を閉じずに集中すらせずに、やりたい事をする……という風になると、カティやアイツみたいになる……らしいのよ」

「それだけ魔法に長けていれば、英雄にもなれますね……」


 例え背後が不明でも、魔物の群れの中から弟やミラノさんたちを引き連れて突破する事だって容易い。

 なら、英雄になるべくして英雄となったというわけだ。

 しかし、そんな思い込みはあっさりと打ち砕かれた。


「アイツ、魔法を正式に使い始めたのは事件後だけど」

「え?」

「ヤクモさん、それまではご自身の持つ武器とナイフのみで乗り切ってましたし」

「嘘だっ!?」

「い、いや。次兄……。事実だ。奴は……だな。本当に魔法をあの時は使ってないぞ」


 な、なら……。

 あんな英霊ですら怒り狂うような魔法の使い方が出来ながら、それを使わずに魔物の群れを突っ切ったという事か!?

 ま、魔法だけじゃなく……戦いも。

 そういえば、アイアスが手合わせしたいと何度か嘯いていた。

 ということは、武芸に関しても見込みが……。


「父さん、父さん!」

「あんだよ、うっせぇなぁ……」


 部屋で休んでいた父のところに向かい、全てを洗いざらい叩きつける。

 彼は、絶対にどこかへやってはいけない人材なのだと。

 それは弟という存在で曇らせた考えではない、客観的な事実を羅列する。

 父さんは、当初でこそ面倒くさそうにはしていたけれども、話を聞いていくうちに真面目な顔つきになる。


「へっ。アルバートを救った、飾りの英雄かと思ったが……。実の伴った野郎だったって訳か」

「なので一考を。デルブルグ家だけじゃなく、ヴァレリオ家やヴォルフェンシュタイン家でも何かしら次善策を考えた方が良いかと」

「──なるほど? まあ、それは任せるが……あまり露骨にやる必要もねえと思うがな」

「なぜですか?」

「アルバートとグリムだ。聞くところによると、二人と当初でこそアレだったみたいだが、今は親しくやれてるみたいじゃねえか。なら、それが楔になる。あれこれと色々やらずとも、こういった自然の物の方が意味を持つ手合いも居るってこった。だが、後押しがいらないという訳じゃねえが」


 ……名誉、金、身分、地位。

 そういったものばかりが人を繋ぎとめるわけじゃないと、父さんは言った。

 言われてから、恥ずかしくなるのを感じる。

 

「良いか、貴族至上主義の連中のようにはなるな。金や女、身分や地位で全てが思い通りになると言うのは、思い込みでしかねえんだよ。与えられた所で、自分で勝ち取ったモノじゃなきゃ……いつか失う。友情は金じゃ買えねえ、女は愛がなきゃ傍にいねえ、身分も中身が伴わなきゃ悲惨極まりねえ、地位も活かす能力が無けりゃただの飾りだ。お前の目から見て、あのヤクモって奴は”ぶら下がる奴”か? それとも”ぶら下げる奴”か?」


 それは、父さんの持論だ。

 爵位も身分も地位に自分の名前をぶら下げるな。

 自分の名前にぶら下げるような奴になれと。

 それを聞いてから少しだけ呼吸を繰り返し──。


「いえ、彼は名前をぶら下げるような情け無い人物ではなさそうです。グリムやアルバート、イリーナの調べや話、そして私自身が見聞きした範疇ではそういった人物ではないかと」

「なら、考えはしても有効な手は今んトコねえな。アルバートやグリムが仲良くやるくらいしかな」

「……それしか、ないのでしょうか」

「おい、そこで不安がるんじゃねえよ。普段はアルバートの事を自慢の弟扱いしておきながら、こういうときだけ不安に思うのは、侮辱だ。なら普段から厳しく言いながらこういうときにあいつの事を信じてる俺の方がまだマシだ」

「──……、」

「アイアスからも聞いた。あいつも腐ってきたかと思ったが、いっぱしの男にまた戻った。てぇことはだ、ヤクモって奴はあいつをちゃんと見てくれてる。誠実な奴だ……なら、例え見返りが酒だとしても、今の所はそれで良いんだよ」


 父さんは、そう言って「まだわけぇな」と言って肩を叩いてきました。

 私は、やりすぎるところだった……。

 しかし、考えた事は杞憂ではない筈。

 彼の知識などが洩れたら、それは国への脅威になりかねない。


「だから! 私が苦労してやった事をあっさり乗り越えるんじゃねぇぇぇえええええ!!!!!」

「元気だねぇ……」


 窓の外で、再び吹き飛ばされている彼の姿を見ました。

 今度も大丈夫だろうと思ったけれども、今回は窓から魔法の追撃があった。

 それを両手で防ごうとして、魔力を回らせた腕が顔面を強打して吹き飛ばされていた。


「あばぁぁああああぁぁっ!?」


 そして、沈黙。

 窓ごしに「ざまあみろ!」という英霊マリーの声が聞こえました。

 彼女が悔しがるほどの素質や能力、知識があるのは……重要だ。


「ま、それとなくグリムやアルバートを突いて、二人がそういった事を学びたがるように仕向ければ良いのさ。そうすれば、勝手にあちらさんから教えてくれる。それをお前が拾い上げて、普及できるシロモンにすれば良いのさ。なにも取り入ったり取り込んだりする必要は必ずしも必要じゃあない」


 そう言って、父さんは意地の悪そうな笑みを浮かべました。

 なるほど、直接何かをする必要は無いと。

 アルバートやグリム経由でも事は成せるだろうと。

 

 けれども、私としては焦る気持ちが幾らかあります。

 アルバートは確かに私よりも魔法に長けているわけじゃない。

 アルバートは、エクスフレア兄さんのように武芸に長けているわけでもない。


 なのに、私には詠唱も何もせずに魔法を出すという芸当が出来なかった。

 それが悔しくてたまらない。

 兄の意地と言う奴が、槍を使えないからこその魔法に長けているという自負が……熱を持つのを感じる。

 けれども、父の部屋を出てから自室へと入って、窓から倒れていた彼が起き上がるのを眺めて、それをアルバートが少しばかり心配しながらも責めているのを見て──。

 優れたところが無いと、父さんが言っていたけれども優れたところがあったと思えば気持ちが落ち着くのを感じた。


 あぁ、そうか。

 私は、もう学園の生徒でもなければ、子供でもないんだ。

 まだ柔軟な思考を持ち、思い込みや偏見を持ってしまった私には難しかった”新しい考え”に適応できるのだと。


 頭を冷やしてから、エクスフレア兄さんの居る部屋に向かう。

 そして、一言。


「朗報です、エクスフレア兄さん」


 喜びとして、今回の出来事を分かち合う事にしました。

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