第2話
~ ☆ ~
さて、困った。
使い魔が人間であると言う事は前代未聞の話だ。
だからどうしたと言われてしまえばそれまでだけど、床で寝起きしているのはどうにもしのびない。
「すみません、メイフェン先生は居ますか」
コンコンと、ノックが彼女の教員室に響く。
教師も一人の魔法使いであり、授業の準備だけではなく個人的な魔法の研究などを行う。
だから生徒も気軽に来ることは難しく、中にはこうやって来訪しても教師が外に出てきて中は一切見せてもらえない事もある。
『あ~、どうぞ。はいる時左足から踏み出してね』
「失礼します」
許可が下りたので扉を開く。
言われたとおりに左足から踏み出すと、右足から踏み出して居た場合の位置に本が粗雑に置かれていた。
「ごめんね? 散らかってて」
そう言って微笑むのは、渡りの魔法使いだったメイフェン先生だ。
かつては傭兵として世界を渡り歩き、そこを学園長によって直々に雇われたという経緯を持つ。
彼と同じくらいの年齢の若い教師で、兄が親しかったオルバ様と同じく天才肌の人物だ。
「どうしたのかな?」
「その……メイフェン先生にこういうお話をするのも変かもしれませんが」
「うん」
「使い魔が人間で……その、寝床をどうにか出来ないかと、困ってまして」
「あ~、そっか。床で寝起きさせるのは……良くないね」
「はい。彼が私の使い魔である以上、その管理は私の責任です。床で寝起きさせた結果体調を崩したり、互いの関係が悪化するのを避けたいと思うのは変な話でしょうか?」
「ううん、変な話じゃないね。彼の主人は貴方なんだから、その処遇をどうするかも貴方が決めたらいいもの。けど、そうね……そういったお話をするとしたら、あの人にするしかないかな」
「マスクウェル学園長ですか」
「そうね」
マスクウェル学園長。
普段はその姿や行動を見ることもなく、存在しているのかどうかも疑われる人物だ。
ただ、入学式や始業式、終業式や式典などには姿を現すので、架空の存在と言うことは無いだろう。
かくいう私は、主席である事から何度か直に接したことがある。
表彰されること三度、全生徒の前で紹介されたこともある。
そして、英霊でもある。
主人は居らず、魔力の供給をそのまま己の力で行っているとか。
主人無しで存在し続けられる、聞いた事の無い話を体現している人物だ。
「……学園長室に居るでしょうか?」
「いけば居ると思うけど、会ってくれるかは別問題かなあ」
「ですよね」
学園長は、その殆どの仕事を生きた人間に任せている。
それでも教員や教師の手に負えない事柄や、責任者として全うしなければいけない時だけ出てくる。
つまり、寝床を一つ部屋に増やして欲しいという要望を聞くのに学園長じゃなくても良いと思われたら終わり。
だと、おもっていたが──。
「ふわぎゃぁっ!?」
部屋の戸がノックもなしに開かれ、そして私が注意された書籍の山に足を引っ掛けた人物が居た。
メイフェン先生は、直ぐに傍に置いていた札を手に取る。
教師に与えられた部屋は文字通り技術や知識の蓄えられた部屋だ。
事故を防止するためと言うだけではなく、魔法の新しい技術などが無いか国によって盗まれない為にも自己防衛が認められている。
だから、先生の行動は正しい。
けれども、それが誰なのかを認識すると私もメイフェン先生も力が抜けたようだった。
「……マスクウェル学園長。またノックも無しに部屋に入って来たんですか。言いましたよね? 部屋に入るときはちゃんとノックをしてくださいって」
「いやぁ、ゴメンゴメン。人付き合いが少なすぎてさ、そう言う事をコロッと忘れちゃうんだ」
「覚えておいて下さい」
「よっ、と」
躓いた書籍の山の中から身体を起こし、起き上がったところに居るのは小さな人物だった。
それは私と同じ位の背丈で、今日は……深々と被っているフードが無い。
「ごき──」
「挨拶省略。私に用があるって聞いたから来たんだよね。それって、今学園で噂されてる、キミの兄に似てる男の処遇に関してでしょ、違う?」
「──はい、その通りです」
マスクウェル学園長は、部屋に居ながら万里を見通すと言われている。
二日前の授業時間外に運び込まれた人物の事を、もう知っているのだ。
「そうだね~……、私も可愛い生徒が使い魔と不仲になるのも、それで問題を起こすのも良くないと思うんだよね。それが、学年主席を4年も維持し続けたキミでもね? ミラノ・フォン・デルブルグさん」
「──……、」
「とは言え、残念だけど学園に予備の床はないから急いでも一週間近く待つことになるけど、それでも良いかな?」
「──有難う御座います」
「良いよ良いよ。これで問題が未然に防げると思えば安いものだよ。とは言え、財源も無制限じゃないから困るんだけどね~」
学園の保有するお金は殆どが拠出金だ。
学生を送り出している様々な家、あるいは国が毎年それぞれにお金を提供する事で成り立っている。
なぜ家もお金を出しているかと言うと、それは”善意”だと聞いたこともある。
勿論、マスクウェル学園長はそんなことは知ったことではないみたいだ。
── お金で成績を買おうとせず、己の力で勝ち取ったものだ。誇ってもいいよ ──
一年目が終わる時、初めて直接会った時に言われた言葉だ。
つまり、学園にお金を渡している中には、生徒への”お目こぼし”を狙っている人も居るという事が直ぐにわかる。
「……それで、例の使い魔クンには名前はつけたのかな?」
「はい。歴史にあやかってヤハウェ・クロムウェル・モンテリオールの三者の名前を一文字ずつ頂きました。ヤクモと……そう名乗っています」
「ヤクモ、ヤクモか……良い名前だ。彼はこれから先多くの問題にぶつかるだろうね」
「……それは、私がちゃんと見てあげないといけないという事でしょうか」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。ヤハウェ・クロムウェル・モンテリオール。その三者の特徴は何か応えてみてはくれないかな、ミラノ女史」
「英雄ヤハウェは前線で兵と供に戦うことに優れ、英雄クロムウェルは後方から魔法で攻撃や支援をする事に秀でていた。英雄モンテリオールはその二人を上手く御して戦場を支配する三者だと聞いてます」
「そう、つまりはだね? 彼らの名を抱いた使い魔クンは、皆の前で戦いに赴き、皆の知らない場所で支援を行う。そして誰も知らない中で場を整える事になる。それは本人が知ってか知らずかは除いたとしてもね。それに、キミの国は色々ときな臭いから、遠からず図らずともそうなる可能性は高い。それが公爵家の為か、国の為か、あるいは……キミのためかはボクにも分からないけどね」
そう言って、マスクウェル学園長は指でトンと私の胸を叩いた。
きっと、本当にそうなのだろう。
そう言われてから初めて、兄の事を思い返した。
誰よりも先に動き、私達のために普段は生き、そして何をしたら良いかを見据えてきた。
遠まわしだけれども、兄と同じ生き方を……私は強いてしまったと言う事になる。
「遠すぎる未来の先、キミの使い魔がどうなるかはボクにも分からない。けど、キミが大事にしてあげるのなら、カレはきっと報いようとしてくれる」
「そうしたいと、思ってます」
「ん、その意気だ。そうだね、ボクにできる助言は、カレには今まで戦いの路しかなかったけど、まずはその道をキミが拓いてあげるんだ」
「具体的には?」
「さあ、そこまでは分からないかな。けど、武器無き兵士は兵士にあらず、知恵無き賢者は賢者にあらず、視野狭き指揮者は指揮者にあらず、そして……」
「主人たらんとしない主人は主人にあらず、ですか」
「そういうこと。キミは主人として考えて、考えて考えて考えた結果どうしなきゃいけないかを考える責任……いや、義務がある。昨今の魔法使いが使い魔を召喚出来ないのは、奴隷のように考えているからだけれども、キミは違うようだ。とは言え、一年早く勝手に召喚を行ったのは宜しくないけど……それは、召喚が成功したという事で打消しにしよう」
「有難う御座います」
例を言うと、学園長は「いいって」と言った。
「生徒を導くのも、教職の務めだからね」
「それでは、失礼します。メイフェン先生も有難う御座いました」
「いいえ。また何かあったら遠慮なく相談する事、いい?」
「はい」
少しだけ、彼の取り扱いに関して迷いが晴れた気がする。
足取りが軽く感じられて、このことを速くアリアに伝えたいと思った。
~ ☆ ~
「ねえ、なんでそんな下僕みたいな事をしているのかしら?」
「まあ、使い魔だから……かな」
私の主人は、外に居る時と違って部屋に居る時などは酷く気弱だ。
曰く、外に居る時は気を張りすぎて、中でまでその気勢を維持できないとか。
ミラノ様も戸惑っていたけれども、ご主人様にとっては当たり前のようだ。
今もミラノ様が先ほどまで寝転がって読書をしていたベッドを整えている。
女神から貰った能力で定規を取り出すと、ピンと皺がないように徹底してベッドメイクをしている。
「床で寝てて、辛くないの?」
「辛くないわけじゃないけど、仕方が無いよ」
「仕方が無いの?」
「成り行きとは言え使い魔になったのは事実で、お互いのことを良く知らないのに多くを要求するのは自分の首を絞めることになるからね。それに、要求するという事は、相手から求められる事もその分多くなるんだ。例え扱いが今は酷くても、自分が何を出来てどれくらい彼女の期待に沿う事ができるのかを知って行くうちに自然と待遇は良くなるよ」
「それは持論?」
「持論でもあるし、経験談でもあるかな。少なくとも、この世界じゃ自分たちは彼女達の後輩であり、新入りなんだから、先達には従っておいたほうが何かと不便じゃないからね」
そう言いながらご主人様は自分のベッドメイクが上手く出来た事に納得しているようだ。
鬱屈した表情をしていたはずなのに、こういうときだけ清々しく笑みを浮かべる。
卑怯だと思う。
「だとしても……」
「あぁ、ちょっと待ってくれ。静かに。誰か……来てるみたいだ」
「──通過、しないみたいね」
「ミラノが戻って来たみたいだよ」
「え、嘘……」
扉の向こうから聞こえる音だけで、ミラノ様が来たという。
そんな馬鹿なと思ったけれども、実際に扉を開けて入ってきたのはミラノ様だった。
「ほらね、当たりだ」
「す……っごい」
「何をしていたの?」
「いや、廊下を歩く音で君が戻ってきたと言ったんだよ。彼女は信じなかったけど、どうやら正解だったみたいだ」
「何を言ってるの?」
「あぁ、いや……。昔読んだ本に、そういった推理の本があるんだよ。音から歩き方を推測して、それが部屋の前で止まったから君だと言っただけなんだけど」
「推理……謎掛け?」
「んと、その本は事件を解決する探偵を題材にした本だったよ。例えば、歩いた時の足音がよく響いてたから、堂々としていること。それから足音がそんなに響くと言う事は、足を伸ばして体重を掛けてると言う事が分かる。それと、歩く速度が早いと、君のようにマン……外套を羽織ってる人だと幾らか擦れる音が聞こえる。音が響くくらいに歩くと言う事は堂々としていることと、目的がハッキリしていると言う事が逆算して導き出せる。それで、自分が知っている中だと君か妹さんだけだけど……、妹さんはその特徴と合致しない。そうなると、必然的に君ということになる」
「……なんか、頭が良く見えるわね」
「論理的って言う言葉が該当するのかも知れないけど、少し……彼女に凄いって所を見せてみたかったんだ」
そう言ってご主人様は苦笑した。
「もしかして、主人ぶってみたかった?」
「カティアが……少し、心配してるみたいだったから。立派なところを見せてみたかっただけだよ」
「しし、心配なんてしてないし! なっさけない顔をしてるのを見に来ただけよ」
「ひどいなあ」
咄嗟に否定の言葉が出てしまった……。
違うの、そうじゃないの。
ご主人様はもっと凄い事ができる、ご主人様はもっと堂々としていて欲しい。
ただ、そう言いたかったのに。
けど、ご主人様は苦笑するだけ。
傷ついた感じには見えないし、凄く傷ついてるようにも見えるけど、私には分からない。
もっと、人間のことが分かれば……。
「本が好きなの?」
「そうだねえ。文章を読むのは習慣づいてたし、苦じゃないよ。それに、海外の本を分かる言語なら読んだりもしてたし、翻訳された本とかも読んでたかな」
「借りたの?」
「ん~、大半は買ってたよ。ただ、国外の本とその翻訳本は借りたり、無償で読める場所があったからそこで読んでたかなあ」
「大金持ちだったのね」
「いや、そんなわけじゃ……。あぁ、そうか。本が高価なのか」
「本は高いわよ? 教会の聖書だって擦り切れてるものが多いし、書籍商は中々買い手がつかないけど、売れれば安くない金額になるもの」
「……えっと、自分が居た場所では本が安かったんだ。その……ここいらの金銭に関して、まったく知識が無いから説明が出来ないけど」
「本はね~、人がいちいち手書きで書き写して、長い時間を掛けてようやく出来上がるものなのよ。本書と副書、どちらにしても安くないし時間がかかるものなのよ」
私は知ってる。
ご主人様の居た世界では、その”時間”を短縮できると言う事を。
インクとコピー機で、データさえあれば数秒で終わってしまうと言う事を。
流石に本書……元となる物に時間がかかるのは変らないけれども、複製にかかる時間はかなり違う。
紙の生成にしても、調本にしても。
全てが違いすぎる。
手間が掛かるから高くつくものが、手間が掛からなくなるから安くなる。
子供のお小遣い程度で一冊が庶民にでも買えると知ったら、ミラノ様はどんな反応をするだろうか?
「とと、こんな事をしている場合じゃなかった。カティを借りてくけど良い?」
「カティアは何かやる事ある?」
「特には……」
「じゃあ、どうぞ」
「それじゃあ、借りてくわね」
物か何かかしら?
けど、仕方が無い。
ご主人様はさっき「私達の立場は弱い」と言う事を説明してくれた。
そこで私が何かを言った所で、ご主人様の立場を悪くするだけなのだから。
ミラノ様について廊下に出ると、一人の女子生徒がちょうど通りがかる。
「あ、ミラノ様。お御機嫌よう」
「御機嫌よう、マーガレット」
「御機嫌よう」
初対面の相手だけれども、どうやらミラノ様の知り合いのようだ。
少しでもご主人様に掛かる負担を減らすためにも、彼女の事は覚えておかないといけない。
見た目と雰囲気、性格だけでも役に立つと思う。
「そちらのお嬢さんは?」
「聞いたと思うけど、召喚をしてみたら男の人が出てきたのは知ってるわよね?」
「はい、そのように伺っております」
「アリアが一緒に召喚に付き合ってくれて、その時に呼び出されたのがこの子なの」
そういうことになっておりますわね。
「可愛いですね」
「お褒めに預かり光栄ですわ、マーガレット様」
「それに、こうやって礼儀正しく振舞えるの。凄いでしょ?」
「はい、とっても。ところで、どういった見た目をしているのでしょうか?」
「見たとおりですわ」
「あぁ、いえ。そうではなく……」
何が言いたいのだろう。
目が見えていないわけでは無さそうだけれども、言っている意味が分からない。
けど、ミラノ様は直ぐに言い直してくれる。
「髪は白、目は赤薔薇、服装もここが白で、スカートの……ここが闇色」
「わぁ、それは……綺麗なお人形さんみたいです」
「あの……」
「ゴメンなさい。私、生まれつき色がよく見えなくて。皆さんが見ている世界と、私の見ている世界とでは、色が違うみたいなんです」
「彼女は父さまの隣に領地を持ってる、マーガレット。それと……この子はカティア」
「お初にお目にかかります、カティア様。私はマーガレット・マルグレイブ・フォン・シャルダンと申します。以後お見知りおきください」
「私はアリア様の使い魔をさせていただいているカティアと申します。ご丁寧な挨拶、有難う御座います。以後よろしくお願いいたします」
「はい!」
使い魔が相手なのに、よろしくお願いしますと言っただけで嬉しそうにする。
それが良く分からないけれども……。
たぶん、色が分からないという事で、色々な事があったんだと思う。
ミラノ様の家と隣り合ってるから、知り合いではあるのだろう。
失礼を働いてはいけない。
「ところで、貴方の部屋はこっちじゃない筈だけど、どうしたの?」
「ちょっと、探し物をしてました」
「まさか虐めじゃないでしょうね?」
「ちっ、違います違います!」
「私に言いなさいよ? 辺境伯の娘とか、そういうの関係無しに。虐めとか、そういう陰湿なのは嫌いなの」
「はっ、はい」
マーガレット様は頭を深く下げると、キョロキョロしながら廊下を歩いていく。
探し物をしているのか、戻るついでに見ているだけなのかは分からない。
ミラノ様は深く息を吐いた。
「カティも、あの子には優しくしてあげてね。あの子、色が分からない事で大変な目にあってきたから」
「虐められていたのかしら」
「この学園では、人と違うと言う事は虐めや嘲笑の対象になりやすいのよ。あとは、酷く成績が悪かったりとかね。……アリアも、昔はそうだったのよ」
「……醜いですわね」
「あまり表では言わない事。けど、その意見には同意してあげる。みんなもっと勉学に集中するべきなのよ。なんで政治の真似事をしたがるのかしらね」
ミラノ様にとって虐めは好ましくないようだ。
それだけじゃなく、生徒達に対しても思う所があるみたい。
不満そうな顔をしていた。
「それで、私たちはどこへむかうの?」
「アリアの部屋。ちょっと貴方にだけお話があって」
「……あの人には聞かせられない話なの?」
「理由があるのよ。その説明を含めて、連れ出してるの」
何が言いたいのだろうか。
けれども、内緒のお話と言う事は大事なお話だと思う。
アリア様の部屋に入ってから、少しだけ緊張してしまう。
ご主人様のためになりそうな事が……少しでも出来れば、役に立てるはず。
「ごめんね? 急に呼び出しちゃって」
「とりあえず席に着いて」
「──……、」
少なくとも、取って食べるような真似はしないと思うけど……。
それでも、私にとっては人間とはまだ理解が出来ない相手だ。
ご主人様の事も分からないのに、それ以外の人間の事が分かるはずもない。
不利益……そう、不利益にならないようにしなきゃいけない。
分からないけど、なんとかしなきゃ。
「……えっとね、カティは匂いとかって分かるわよね?」
「まあ、人以上には鼻が良いと自負しておりますわ」
「それで、貴方には協力して欲しい事があるの」
「協力とは?」
「明日、私達は入れ替わるつもりなの。それで、貴方には黙っていて欲しいのよ。それだけ」
入れ替わる……?
誰が、誰と?
「えっとね、落ち着いて聞いて欲しいんだけど。私達って、双子なんだ」
「それは分かりますわ」
「でね、今までも時々入れ替わったりしてたんだけど。私もヤクモさんの事を少しでも理解しておきたくて、その為にミラノと入れ替わろうかなって思ってるんだ」
「……それは、アリア様では難しい事なのですか?」
「そこは……ちょっと複雑な話になっちゃうんだけど」
そう言って、ミラノ様とアリア様は説明をしてくれた。
ご主人様を召喚したのはアリア様なのだけど、今は亡き兄に似ている事からショックを受けて体調を崩してしまった事。
身体が弱いアリア様を守るために、ミラノ様が偽りだけれども主人としてご主人様の面倒を見ることにしたと言う事。
けれども、何時までも嘘をつく事は出来ないし、ミラノ様が一応安全な人物であると言った事から、少しずつアリア様もミラノ様を演じて理解を深めたいと。
そういうことらしい。
「アリア様としてじゃ、ダメなのかしら?」
「相手によって態度を変えたりする事もあるし、主人かその妹かで見えてくることも違うよね? 私は、出来るだけ失敗を減らしたいんだ」
「お願い、してもダメかしら」
そう言って、ミラノ様の表情が険しくなる。
それは苛立ちや怒りではなく、拒否や否定をされたくないと言うものに見えた。
焦ってるみたいで、結構このことを大事に思っているみたい。
「……ご主人様の扱いが、少しでも良くなるのなら」
「それについては、学園長とお話をしてきた。直ぐにとは行かないけど、寝床を用意してくれるみたい」
「どれくらいかかるのかしら」
「一週間より少しはかかるって」
一週間……。
ご主人様は、少なくとも一週間近くは床で寝起きしなければいけない。
私はアリア様と一緒に寝ているから寒くはないし、寝心地も良い。
少なくとも、あのダンボールの中で野ざらしだったあの頃に比べれば、恵まれている。
けど、先ほどのご主人様の言葉を思い返す。
── 要求するという事は、相手から求められる事もその分多くなるんだ ──
── 例え扱いが今は酷くてもさ ──
── 自分が何を出来てどれくらい彼女の期待に沿う事ができるのかを知って行くうちに自然と待遇は良くなるよ ──
ここで私に出来る事は、何も無いんだと思う。
悔しいけど、納得するしかない。
それに、逆に考えてみればいい。
ご主人様とは違うやり方で、二人と親しくなる事で認められれば、私のほうからの融通も利き易くなると思う。
なら、それが良い。
「分かりましたわ。ご主人様には秘密、という事で黙っていれば良いのね?」
「……有難う」
「助かるよ」
「それで、ご主人様の為になると思ったからそうするだけですわ」
間違いじゃないはず。
そう思いながら、私は二人の話を受け入れた。
~ ☆ ~
ミラノがカティアを連れて行ってから、大分時間がたった。
部屋から出るのも億劫で、やる事も復習以外に出来ることが無い。
部屋の本棚を眺めてみたけれども、アルファベットのようでまったく違う。
これだと判読と言うよりも解読になってしまう。
暫く見つめていると翻訳された文章は視界に表示されるけれども、それは理解を意味しない。
「……はあ、落ち着くなあ」
周囲には女子、女子、女子。
女性に対して耐性も無ければ免疫も無く、どう接して良いか分からない。
部屋の外に居る時のような若干粗野な感じが良いのか、精神をすり減らした今のような状態が良いのか分からない。
そもそも、彼女達が何を考え、何を求めているのか分からないのだ。
「ベッドがあればなあ」
無いものねだりでしかない。
それでも、身体を休めるものと言ったら席に着くか柔らかい場所に寝転がる事だ。
残念ながら部屋の主がミラノである以上、自分には椅子に座る権利すらない。
……少しばかり、自衛隊生活を思い出してしまった。
部屋長の許可が無ければ休憩時間でも椅子に座れず、科業が終わってもベッドに寝転がる事すらできない。
とある中隊の同期は部屋の先輩と部屋長が外出を認めなければ班長にすら外出申請書を提出できず。
別の中隊では半年は週末外出が不可能だったりもした。
自分はそういったことは無く、一週間目で班長から「好きにしていいからよう」と言ってもらえた。
実に幸いである。
まあ、同期が味わった苦しみを今味わってると考えれば、帳尻は合うか……。
「ん?」
ふと、窓の外に何かがチラリと見えた気がした。
それはまるで人の頭部のように見えて、不安を感じさせた。
異世界に来てそうそう自殺を目の当たりにすると言う事は無いだろうけど、窓の外に人影を見るのは不安を掻き立てる要素だ。
窓に近寄って下を見たけれども、特に何も無い。
少しばかり安心をして、窓から離れる。
しかし、再びスッ……と人影が見えた。
今度こそ!?
そう思って窓に近寄ったが、当然誰かが身投げした形跡は無い。
窓下の植え込みには人体は無く、落下したようには見えない。
「……恐ッ」
疲れてるのかもしれない。
寝床に指定されている場所にまで移動すると、外部の情報を遮断するように復習へと集中する。
しかし、その後も何度か同じ事は続き、もしかしたらゴーストタイプのモンスターでも居るのかも知れないと、神経質な自分を休ませるために寝る事にした。
── ☆ ──
「むぅ……」
記憶の無い、素性不明の男だとアルに聞いた。
何か弱みや、不穏な事や怪しい事をしてないか見てこいとも言われた。
けど、特別何か怪しい感じはしない。
寝床を綺麗に整えて、部屋の整理整頓をして、暖炉の傍にある薪の量を確認して、茶葉の量や種類を確認して、本棚を見つめていたくらい。
「ふつー」
そう、ふつー。
従順な民とも言えるし、平凡な人間とも言える。
怪しいのは素性だけで、行動はどこも怪しくない。
ただ、何度も顔を覗かせた瞬間に気づいて、こっちに来たのは驚いたけど。
下を見ても、私は居ない。
居るのは上だし、流石に三度目は使い魔に任せてる。
『~?』
「ん、ありがとー」
『~♪』
風の使い魔を持つ私には、こういった監視だとか諜報が楽だ。
使い魔は人の目に見えないじょーたいになれるし、風の精霊は飛ぶ事を難なくこなせる。
私だと壁を登攀したり縄を引っ掛けてぶら下がるしかないけど、そういう意味ではうらやましー。
「はい、ご褒美」
ポケットからクッキーを出す。
精霊はそれを喜んで受け取ると、頭を下げて姿を消した。
「ん~む、こまった」
しかし、これだとアルに良い報告が出来ない。
何か後ろめたい事をしてるとか、下着の匂いを嗅いでるかも知れないとか言ってたけど、何もしてない。
このまま帰っても「また行って来い!」と言われる。
それは、良くない。
休みの日はわたしの日なのに、宿題もあるのに……。
「ん、デッチあげたら話はかんたん」
賢い。
そうと決まったら、直ぐに終わらせて帰ろう。
そのついでに珍しい格好だから、何か持ってないか見てみよう。
屋上から縄でミラノの部屋にまで降りて、窓の鍵を開ける道具で少しだけ窓を開ける。
それから、睡眠魔法を部屋に充満させてから……少しだけ待つ。
そうしたら、入ってもバレない。
「ん」
部屋に入っても、男は起きない。
ただ、まるで死んだみたいに動かないのは気になったけど、ゆっくりと近づく。
「お~……」
変な服っておもったけど、結構凄い。
布よりもがんじょーで、木綿みたいに柔らかい……。
履物はもっと頑丈で、だけどある程度動きやすくも出来てる。
学園の生徒が着ている服と同じくらい、立派なもの。
「実は、おぼっちゃん?」
他にも秘密があるかも。
調べてみると、首にかけてる変なものから音が聞こえる。
それが何なのかわからないけど、耳を近づけると音楽みたいだ。
首の周りを防御するためのものかと思ったけど、そうじゃないみたい。
「この、おおきなモフモフから音が聞こえる」
どういう仕組みかは分からない。
けど、音楽を好きな時に聞けるって、凄い。
調べてみると変な紐みたいなのが伸びていて、ポケットの中に入ってる。
そっちも見てみたいけど、流石に起こしてしまうかもしれないから断念。
「……髪、キレー」
脂じゃないけど、髪の毛は綺麗に見える。
普段から清潔に出来る育ち?
それに、肌も荒れてる感じはしない。
ただ、服越しに腕とかに触ってみると、それなりに筋肉がある。
アルよりも鍛えてる感じはする、見かけによらない。
それと……見覚えがある顔をしてる。
「ぐーぜん?」
クライン・フォン・デルブルグ。
ミラノたちのおにーさん。
昔アルの付き添いでデルブルグ公爵家のお屋敷に行ったときに何度か見たことがある。
あの人にそっくり。
見た目も、声も。
だからミラノは大事にしてる?
なら、アルが手を出したらふつー怒ると思うけど……。
「ふー」
アルはバカ。
ミラノが好きなら、もっと早くからそう言えば良い。
なのに、主席だから見合う男にならなきゃいけないとか、まだ並び立つ男になれてないとか、言い訳ばかり。
そうやって、もう4年目。
焦るくらいなら、自分が行けばいいのに。
「ん~む」
けど、見れば見るほど、ふつー。
ミラノ達の兄に似ている以外は、特別な所は無さそう。
今日のお昼は魔法を使おうとして暴走させて大爆発させて逃げてたから、あまり脅威にはならないと思う。
性格的にも、戦いとかはできなさそー。
「んむ、任務かんりょー」
色々新しく知った事をアルにつたえる。
そうしたら部屋でゴロゴロ出来る。
教えたことでどうこうどーするかはアルの考える事。
「あ、そだ」
なにか、イタズラするんだった。
けど、良いイタズラが思いつかない。
ミラノ達の兄に似てるから、下着をばら撒くのは良くない。
アルが納得する、可愛いイタズラ……。
「ん!」
そうだ、宿題。
宿題を交換しよう。
これは良い考え。
わたしは楽が出来るし、部屋を預かってるこの人にもイタズラができる。
アルも納得するはず、天才すぎる。
「~♪」
急いでわたしはミラノの宿題とわたしの宿題を入れ替える。
そして、仕掛けを使って外から鍵をかけると窓から出た。
今日はいい日だ!
「グリムさん、ちょっと」
次の日、メイフェンせんせーに呼び出される。
名前も書き換えたし、そこらへん抜かりないから大丈夫。
「なんで誰かの宿題を持ってきてるの?」
「ん、何を言ってるか分からない」
「……えっとね、昨日の宿題は自分の特性にあった魔法の行使に関する所見と、現段階で自分の目指す魔法使いとしての姿と言う物だったはずなんだけど。グリムさんは、無の特性を使えないわよね?」
「──……、」
「無の特性となると、ミラノさんかアリアさんしかいないんだけど……」
せんせーがそう言うと、後ろの方からいくつか声が聞こえる。
「愚か者め……」
アルが頭を抱えてる。
それはさっき宿題を出せなくて頭を叩かれたからじゃないと思う。
「ッ……グリム」
「あはは──」
ミラノも、なんだか怒ってるみたいに見える。
これは……。
「バレた?」
「何でバレ無いと思ったんだ……」
教室の中で、部屋の中に居る時とは違う態度と違う声で喋る男の声が聞こえた。
それは、最近ヤクモという名前を付けられた人のものだ。
「グリムさん、昨日の課題を改めて再提出。もちろん、今日の分もちゃんとやってくる事」
「んにゃ~……」
きょ~は、ついてない……。
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