元自衛官、舞台裏日報

旗本蔵屋敷

第1話

 ・20××年 10月××日

 記入者、香山…… ヤクモ。

 

 出来得る限りでいい、自分の足跡を幾らか残しておきたいと思う。

 そんな事に意味は無いかも知れないが、それでも生きてきた証拠にはなる。

 まあ、こんなものを読むような奇特な人物が居るとは思わないけれども。

 それでも、認めずには居られなかった。

 理由? なんでだろうな……。


 暇だったのか、それとも──。



 ── ☆ ──


「起きなさい」

「んがっ……」


 ゲシリと、背中を蹴られる衝撃に目を覚ました。

 外部からの痛みから自衛官だった名残が、すぐに脳の歯車を噛み合わせていく。

 眠気は酷い、背中は痛むし、寝心地は最悪だ。

 身体を起こしながら、腕時計と自分を蹴った相手を見る。

 一人の少女だ。

 まだ寝巻き姿らしく、ネグリジェというゆったりとしたシルクのような布が彼女の身分のよさを教えてくれる。


「……おはよう」

「随分と暢気に寝ていたわね。自分の状況分かってる?」

「出来れば、使い魔二日目にも分かるように説明して欲しいかな」

「今日は無の日、明日から授業が始まるの。それまでに簡単な事を貴方には教えておかなきゃいけないの。その為には時間は幾らあってもたりないわ」

「──そうだね、っと」


 石畳の床の上で上着を被って寝ていただけなので、あまりよろしくない。

 背中から身体は冷えるし、硬いので身体は休まらない。

 それでも我慢しなければならないのは、使い魔となってしまったが為である。

 契約が存在する間は逃げられず、居場所や動向すら把握するという事を教わった。

 つまり奴隷以下であり、文字通り”サーヴァント”なのだ。

 

「そういえば、自分は君をなんと呼べばいいのかな。ミラノ様って呼べば他の貴族には角が立たないと思うんだけど」


 そう言った時、彼女は少しばかりうろたえた様な……そんな気がした。

 


 ~ ☆ ~


「ミラノ様って呼んだ方がいいかな?」


 そう言われたとき、私は心に突き刺さるものを感じた。

 別にそんな気は無いのだろうけど、昔の事を思い出してしまう。

 外見も声も目の前の男に似ている、兄の事を。

 

 昔私が誘拐された時、兄は待っていられないと単身で助けに来た。

 その時に負傷し、私の目の前で倒れた。

 少し遅れて父の率いる救助隊が来たけど、あの日が兄を見た最後の日となった。

 だからと言って目の前のこの男を兄と結びつけるのは馬鹿げている。

 けれども……兄の姿で、兄の声で「ミラノ様」と言われるのは、なんだか嫌だった。


「呼び捨てでいいわ」

「でも」

「貴方の方が年上でしょ? それに、昨日の受け答えや態度を見て、呼び方一つで貴方が私を見下したり反抗するとは思えなかったもの。貴方は私よりも生きている事を私は尊重する、けど貴方は主人として私に従う。それだけで良いわ」

「……それで周囲へ示しがつくかな」


 そう言われて、私は少しばかり驚く。

 記憶が無いと言いながらも、そういった事にすぐに考えが及んだ。

 貴族や魔法使い、様々な国の学生が多いとしかまだ説明していないのに、的確に現実的な問題を直ぐに口にしたのだ。


「それを貴方は心配しなくていいの。それよりも、貴方は朝は私よりも早く起きる事」

「うん」

「それで……壁に時計がかけてあるけど、私を起こすまでに着替えの準備とお茶の用意を済ませておくこと。もちろん、貴方もこれからは私の所有物であるという認識を持たなければいけない」

「自分がだらしが無かったりすると、主人の顔に泥を塗るから……という事でいいのかな」

「そういうことも分かるんだ」

「まあ、親が……そういうことを教えてくれたから」

「いい両親だったのね」

「うん。そう……だね」


 そう言って、彼は顔を曇らせる。

 よく分からないけど、よく分かる人だと思う。

 感情表現が豊かと言うか、ご両親を本当に大事に思っているのだろうと良く分かる。

 ただ、既に亡くなられているらしい。

 そこを踏み込むのは良くないと思って聞いていない。

 私も、誰かを亡くす悲しみはよく知っている。


「時計だけど、読めるかしら? えっとね、二本の針が……」

「時間を言ってくれれば、たぶん分かるかな。12時間で一周して、長針と短針で時間と分で時間を示してくれるん……だよね?」

「──ええ、そうよ。だから、朝は6時に起こして頂戴」

「分かった」

「それと、着替えはここの洋服箪笥に全部入ってるから、下着と服装の両方を出す事」

「……下着と、服に触っていいの?」

「触らないで出せるの?」

「ああ、うん……いや、君がそれでいいのなら……」


 モゴモゴと、歯切れの悪い言葉が余計に歯切れが悪くなる。

 何が言いたいのか良く分からないけど、戸惑いがあるらしい。

 目がキョロキョロとして不安を示しているあたり、葛藤もあるのかもしれない。


「それと、お茶については昨日見せたわよね? あの器具を使って、魔法で良いから水と火を使うの。適温は流石に知らないでしょ?」

「茶葉次第、かな。 けど、基本は80度以上にすれば良かった……気がする」

「良く知ってるわね」

「母さんがそういった作法とかお茶の淹れ方を学んでたんだ。それで子供の頃はよくお茶を飲ませてもらってたのは覚えてる」

「ちょっと待って。貴方の家って、貴族とかそういった家系なの?」

「いや、貴族ではないよ。ただ、そういった人に関わる事が多くて、母親もそういった人の交流……いや、社交場に出ることがあったんだ。だからそういったことを礼節や作法の一つとして必要としてたかな」


 ……貴族じゃないけど、そういった人とのお付き合いが多かった?

 商人……、じゃ、ないか。

 鍛冶屋と言うには清廉すぎる。

 漁師でもなさそうだし、そもそも貴族との付き合いが深くない。

 卑下? 謙遜してるだけ?

 男爵とか、準男爵のような家の子なのかも……。

 魔法は使えないけど、貴族の片隅には居るような、一代限りの家とか。


「……じゃあ、簡単な教育はあるってことで話を進めるわ」

「うん、ありがとう」

「朝の起きる時と夕食を食べて戻ってきた時、それと寝る前の三回お茶を淹れてくれればいいから」

「茶葉が無くなりそうだったら?」

「その時は私に言ってくれれば女中に言って持ってこさせるから」

「え、そういうこともやってるの?」

「食事時は給仕だってやるし、私達が授業で部屋を空けている間に部屋の清掃や衣類の洗濯、洗濯物を置いたり、お茶に関しても何の葉を使ってるか伝えれば持って来てくれるわ」

「凄いんだなあ」

「……あぁ、そうだ。私が朝起きたら簡単に床を整えておいて。今までは女中にやらせてたけど、女中が来るまでに貴方が仮で整えておいてくれればいいから」

「ん、分かった」


 そう言いながら、彼は何かを取り出す。

 それが何か分からないけれども、書き込んでいるように見える。


「字も書けるの?」

「あぁ、いや、その……。ここの文字かどうかは分からないけど、自分の覚えている地元の文字だよ」

「読み書きが出来て、時計も読めて、ある程度教養がある……か。ちょっと見せて」

「良いけど……」


 そう言って彼が見せてくれた物は、更に別の意味で驚く事になる。

 羽筆のような墨で、質の良い紙が使われているからだ。

 しかも使いやすいようにとうっすらと線まで入っている。

 こんなもの、気軽に使うとしたらどれだけお金が掛かるんだろう……。

 

「読め、ない」

「まあ、そうだろうね……」

「けど、ツアル皇国の連中が使ってるのに似てる字があるわね。これとか」

「漢字?」

「”カンジ”? 象形文字って言うんだけど」

「……あぁ、そうか。漢が無いのか」

「象形文字は分からないのね?」

「えっと、何かを象ったりしたものが、徐々に変化して文字になったという事だった……ような、気が……する」

「概ね、その通りね」


 教育と言っても、職業教育のようなものとは違うのかもしれない。

 職業教育……職人組合の教育だと、結局は要不要で切り捨てられる知識が有る。

 時計が読めるのはまだ良いとしても、文字が何なのかなんて”不要”に該当する知識をなぜ有しているのか。


「貴方は物知りなのね」

「教えてくれた人たちが……優秀だっただけだよ。それに、専門的な教育を受けた訳じゃないから、今の説明もたぶん詳しい人からしてみれば突っ込みどころが多いと思う」

「ううん、そうじゃないわ。突っ込みどころがあったとしても、それは修正できるものでしょう? 土台が存在する知識は後から変更しやすい。けどね、多くの人はその土台が存在しないままなの。象形文字の説明が出来るという事は、貴方はそれがどうして生まれたのかも知ってるはず。つまり、それを語れるだけで更に多くの知識に触れている事を証明してるの」

「そういう、ものなのかな」

「主人が褒めてるんだから、少しは困ってないで有り難がりなさい」

「──ごめん」


 そう言って、彼は目を臥してしまった。

 違う、そうじゃない……。

 そこは有難うと言って欲しかったのに、なんで彼は悲しそうな顔をするの?

 

「……話を戻しましょう。まずはお茶を淹れてみてくれる? まだ朝食まで時間はあるけど、今日は部屋にまで運んでもらうから」

「ん、分かった」


 とは言え、字が読めてもこちらでの字が読めない事に代わりは無い。

 それでも何かしらの普遍的な知識が有るのか、彼は貼り付けている紙と中身を見ながら茶葉を選ぶ。

 そして一度見ただけの器具も、適切に選んで用意することも出来る。


「……そういえば、火ってこのラ……器具を使ってもいいのかな」

「そう、それ。油が詰まってるからひっくり返したりしないでね」


 昨日使っていないのに、火を安定して供給し続けられる道具も見つけ出す。

 魔法で水を出すのも危なげないし、火の魔法も火力の調整を誤らない。

 

「これでいいのかな……」

「あってるあってる。それじゃ、次は着替えを手伝って」

「え゛」

「え、じゃないでしょ。着替えもやらせるって教えたじゃない」

「いやあのえっと……ああ、うん。Dios mio...≪あぁ、神様……≫」


 何かを呟くと、観念したように着替えを取り出す。

 箪笥の中で皺や折り目がつかないようにしまわれたそれらを、同じように丁寧に取り出す。

 下着、下着……。


「下着だけは自分でやるわ」

「Thank god...≪あぁ、よかった……≫」


 なんだか、裸を晒すのは少しだけ恥ずかしかった。

 下着を受け取ると自ら着替える事にする。

 チラリと、助平心を出してはいないだろうか見てみたが、律儀に背中を向けている。

 素肌を見ないようにしているのか、それともどうしようもなく気の弱い男なのか……。

 後者のような気がする。


「はい、それじゃあ着せて」

「わかったよ……」


 服の着せる順序を少しばかり悩んだようだけれども、襟付き服を先に手に取った。

 出されている服から昨日の服装を思い出して、そこから導き出したのかもしれない。

 知能は低くないみたいだ。


「……随分慣れてるわね」

「妹や弟の面倒を見てたことがあったんだよ。長男だと、両親が忙しい時は二人の面倒を見るのも当たり前だったからね」

「面倒見が良かったのね」

「どうかな。両親が家を空ける事が多かったから、そうやって面倒を見ているうちに覚えたんだよ。……次はスカートか」

「どうぞ」

「スカートを取り扱うのは初めてだな……スカート、スカート?」

「どうしたの?」

「スカートで名称はあってる?」

「それ以外になんて言うのよ」

「あぁ、いや……なんでもないよ」


 そう言いながらも彼は着替えをしっかりとやってくれた。

 その間に水は温められてお湯になっている。

 

「外套は部屋を出る前に着せてくれれば良いから、今はお茶をお願い」

「外套は外套なんだ。マントって言わないんだ……」

「”まんと”?」

「いや、なんでもないよ。それよりも、特に気にかけることってあるかな。細かい事は分からないから、大体でやっちゃうけど」

「入れ物を温めてくれてるし、蒸らす為の用意もしてるし、特に無いかしら。お湯が適温か指でも突っ込んでみてくれる」

「火傷するよね!?」

「冗談よ。沸騰したらダメだから、その直前くらいで止め無いと風味が死んじゃうの。だからそろそろ火を止めて淹れて頂戴」

「ん」


 大体で、あんまり知らないとは言っていたわりには所作も丁寧だ。

 男だから粗野だとか大雑把だと思っていたけれども、想像した以上にご両親の躾は良かったのかも知れない。

 私だってお茶の作法や細かい知識を教わった訳じゃないけれども、概ね似たような知識や技術を持っているみたいだ。


「……お茶を淹れる姿が様になってるわね」

「そう? 普段は珈琲しか飲んでなかったけど、これで通用するのならありがたいね」

「ええ、本当に」


 先ほどとは違い、今度は幾らか微笑んだ。

 その所作と微笑み方を見ると兄を思い出してしまう。

 重なりすぎて、まるで『死んだ兄が出てきたみたい』だと思ってしまう。

 兄もよく幼い私にお茶を淹れてくれた。

 お茶の淹れ方を知らないけれどもお茶が好きだった私達に、本当は女中にやらせるべき事を自らやった。


 ── 皆忙しそうだし、これくらい僕がやったって悪い事にはならないよ ──


 そう言って、兄は笑った。

 柔らかい香り、温まる味わい、そして一緒に居た時間は今でも思い出せる。

 私にとっては過ぎた記憶だけど、それでも大事だと思えた。


「どうぞ」

「頂くわ」

「──……、」


 着替えを終えて席に着いた私に、彼はお茶を出す。

 その出し方も、粗雑ではなく幾らか意味のある洗練のカケラが見えた。


「……まあ、初めてにしてはいい出来じゃない」

「ということは、もっと美味しいのを知ってるって事だよね? 言ってくれたら直すからさ」

「あぁ、いえ。思い出の中にある味を貴方に求めても仕方が無いもの。それを抜きにしたら、貴方のお茶は上出来よ」

「──それは、よかった」


 朗らかに笑みを浮かべる彼は、本当に兄に似ていた。




 ~ ☆ ~


 ただ、そんな彼は部屋の外に出るのを酷く嫌がるのを知っている。

 朝食後に庭で魔法についてのお勉強をしたときも、酷く落ち着かない様子だった。

 まるで何かに怯えているかのように見えて、能力や知識と比べると”オタク”のようだ。


「また昨日のように絡まれるのは嫌だなあ……」

「アルバートの事?」

「知り合いみたいだったけど」

「家の繋がりで学園に来る前、ちょくちょく交流があったのよ。父さま同士が昔学友だったから、今でも仲が良いんだって」

「なのに、食事を蹴飛ばすんだ」

「学園に来て、最近言動が目に余るようになってきたのよね。去年まではまだ学生らしかったのに、今じゃなんだか王様みたい」

「昔は、違ったの?」

「昔はもうちょっと見所があったわ。けど、去年くらいから少し焦ってるように見えた。今は……もう、よく分からない」


 アルバートは二人の兄が居る。

 武芸を重視するヴァレリオ家に沿うように、武芸に長けた長男。

 武芸に長けてはいないが、知啓に富んでいて兄を補佐するような次兄。

 そんな二人に大事にされ、可愛がられているアルバートは……残念ながら今のところ秀でたところは見当たらない。

 いや、4年目にして学園で相手をしてくれる者が居なくなったという意味では、彼もまた武芸に秀でているのかもしれない。


 ただ、それでも時折父の行う軍事演習のときの二人を見てしまうと見劣りしてしまう。

 現当主である父親も加えてしまえば、アルバートは霞んでしまうのだ。

 

 本来ならそういった時に補佐をするヴァレリオ家の人物が居る。

 アルバートにはグリムと言う、幼い頃から一緒の少女がいるはずだが……。

 アルバートが迷っているから、グリムもまたどう補佐すればよいのか見出せずに居る。

 

 まあ、そんな事を言ってしまうと私もまた目の前の彼をどう扱ってよいのか困っているところがある。

 少なくとも反抗的ではないし、無知で蒙昧な輩でもない。

 一定の知識も有していて、知恵もある。

 少なくとも使い魔として召喚されるにはおかしい話ではあるけれども、少なくとも不利益を被るような相手ではない。

 初期投資が少なくて済む、学習や教育が楽になるという見方もできるから。


「さて、お勉強はこれくらいにしておきましょう。貴方もあまり詰め込みすぎると零れ落ちるだろうし」

「そう、だね……有り難いかな」

「じゃあ、とりあえず休憩ね」


 そういうと、彼は席を立つと自分の寝床にしている床に座る。

 壁に背を預けると、眉間を揉んでいるようだった。


「ヘックシ!!! うぅ……」

「──……、」


 くしゃみをして、それでも彼は勉強で得た知識や情報を睨んでいる。

 それは休憩とは言わないと言いたかったけれども、彼の立場からしてみれば無理も無い。

 記憶が無くて、放り出されてしまえば身寄りも無い。

 例え床が冷たくとも、状況や境遇に思う所があったとしても受け入れるしかないのだ。

 死にたくないから。


「あのさ──」

「休憩時は好きにして良いから。別に早急に頭に叩き込めとはいってないし、先日まで不調だった事を忘れないで。体調が悪かったら直ぐに報告、自己管理も貴方のお仕事なんだから」

「じゃあ、少しだけ……休もうかな」


 そういうと、彼は本当に休憩していいのだと理解する。

 手帳を閉じると、そのまま上着を脱いで自分にかけると瞼を閉じる。

 10月の気温は、まだ本格的に寒いわけではないけれども、床の冷たさは暖炉だけではどうにもならない。

 ……なにか、出来ることは無いかな。

 あの子に相談した方がいいかもしれない。


「それじゃあ、ちょっと私は妹のところにいってくるから」

「分かった」

「私が居ない間はまだ応対とかしなくて良いから。けど、慣れてきたらやってもらうので覚えておく事」

「了解」


 そう言って、彼は微動だにしなくなる。

 眠っているわけではないのだろうけど、半眠半醒の狭間にストンと落ちたようだ。

 元兵士のような事を匂わせていたから、そこらへん慣れているのかもしれない。


 私は部屋から出ると、アリアの部屋へと向かった。

 ノックを数度繰り返し、私であることが分かるように示す。

 

『どうぞ』

「入るわね」


 部屋に入ると、そこにはあの男と一緒に召喚された少女が居た。

 名前はカティアと言って、どうやらあの男の使い魔らしい。

 今はアリアが何か本を読んでいるようだ。


「カティに何を読んでるの?」

「んとね。聖書だよ」

「神様が人類に慈悲をお与えになり、滅びから救ったという遠い昔のお話ですわ、ミラノ様。……御機嫌よう」

「ええ、御機嫌ようカティ」


 彼女はアリアに聖書を読んでもらっていたようだった。

 私が部屋に入ってくると、直ぐに挨拶をする。

 出来た子だと思う。

 彼が17で、彼女はそれよりも幼いけれども礼儀や作法は知っているようだ。

 スカートをしっかりとつまみ、恭しく頭を下げてくれた。

 私もそれに応じ、返礼する。

 身許が分からない子とは言え、礼儀には礼儀を持って応えないといけないのが貴族の務めだ。

 最近ではそういうのが蔑ろにされてるのを知っているけれども、私はそうはしたくない。


「ご主……あの人は?」

「今は勉強が終わって休んでるところよ。ちょっと色々教えすぎたかも知れない、大分疲れてたと思う」

「……あの、ミラノ様。出来れば──」

「下手に扱うつもりは無いわ。ただ、明日以降早いうちから必要とされる知識や技術を教えただけだし、それで疲れるのは不調があったとしても彼が乗り越えなきゃいけない壁よ」

「──分かりました」


 この子は彼を慕っている。

 大事に思っていて、幼いながらも主人である私に意見をした。

 その事を咎めたりはしない。

 彼はカティを大事にしてくれないかと嘆願した、そのカティが彼を大事にして欲しいという。

 その関係を私は好ましく思う。


「……物事を覚えるという事は、余計な敵を作ったりしないためにあるのよ。立ち振る舞いを学ぶというのは、今の彼が不利である事を踏まえて少しでもその不利を避ける為に覚えるもの。カティがしてくれた挨拶だって、敵意が無い事を示すものでしょう? 私が、私達が甘やかす事は幾らでもできる。けどね、違うでしょう?」

「はい」

「彼は貴方の主人だから辛いのは当たり前で、仕方が無い事なの。彼が上手くやれなかったら、貴方に不利益が被るから。それは彼も承知しているもの」

「──……、」

「すこし、様子を見て来たら良いわ。ただし、瞼を閉じてるから寝てるかもしれない。私の言葉が嘘だと思うのなら、遠慮なく言っていいから」

「分かりましたわ」


 カティはそういうと、再び礼をして部屋を出る。

 最初はゆっくりと、けれども途中から駆けるような足取りで部屋を出て行くのが分かった。

 その音を聞いて、クスリと笑ってしまう。


「良い主従ね」

「そうだね」

「邪魔だった?」

「ううん、私達もそろそろ一息入れようかなって思ってたところ。私のほうでもお茶の淹れ方を教えようかなって思ってたところ」

「飲む?」

「ありがとう」


 部屋の中に居る時は私がアリアにお茶を淹れる。

 それは昔からそうで、今もそうだった。

 難しい話になるのだけど、私はアリアに頭が上がらないから、そうしている。


「どうだった?」

「記憶がないと言ってるけど、育ちはだいぶ良いみたい。私達の受けているものとは違うみたいだけど、教育もちゃんと受けてて、知識も知恵もある。それで気も回るし、読み書きも出来るみたい」

「わぁ、凄いね」

「凄い、の一言で片付けられる話じゃないと思うんだけど」

「人としてはどう?」

「元兵士、みたいな事はいってたけど……その面影は感じられないかしらね。もしかしたら、ご両親を亡くしたのがそれだけ大きかったのかもしれないけど。従順と言うか、反抗的ではないわ。立場は理解してるし、言えば従ってくれる。それだけじゃなくて、積極的に疑問を投げかけたり解消しようとしてはくれるし、悪い言い方をすれば”拾い物”ってやつね」

「そっか……」

「それじゃあ、明日はどうする?」

「明日は……私が行ってみるよ」

「じゃあ、用意しないとね」


 私達は双子……そういうことになっている。

 だからアリアの調子が良い時や、”アリア”を演じるのに疲れたときに私達は入れ替わったりする。

 見た目も、髪の長さも同じだから出来る事だ。

 学園に来てから、私達はそうやってお互いに助け合ってきた。

 今回も、”召喚主であるアリア”が、彼と接するのが恐いからと私が主人のフリをしているだけなのだ。

 

「けど、大丈夫かな?」

「なにが?」

「カティアちゃん、元猫なんだよね? 匂いとかでバレないかな?」

「ん~……。理由は伏せて事情だけ話して黙ってもらうとか」

「それで納得するかな?」

「お互いが上手くいくためなんだから、理解はしてもらう。納得なんて直ぐにしてもらわなくてもいい」


 召喚したのも主人も本当はアリアなのだ。

 けれども、アリアは病弱な上に兄のことを思い出してしまって億劫になっている。

 それが私達の勝手な理由であったとしても、私にとってはそれで十分な理由になる。

 彼を騙すことになったとしても、アリアを守らなきゃいけない。


「──けど、心配しなくていいと思う。なんだか、兄さまみたいな感じの男だから」

「それって、良い意味で? 悪い意味で?」

「両方よ。色々出来るけど全然誇ったりしないし、むしろ困ったり戸惑うような顔をするから。それに、ふとした時に見せる表情とか動作がそっくりだった」

「……そっか」


 アリアは、少しだけ安心したようだ。

 当たり前だと思う。

 アレで中身が粗野な男だったり、あの時の誘拐に携わった連中のような感じだったら、アリアは更に傷つく。

 けれども、ここ数日で私はそれは無いと判断した。

 勿論、アレが演技や偽りの可能性も無いけれども。


「何のお茶が良い?」

「向日葵のお茶。カティアちゃんがね、あの匂い大好きだって言ってたから」

「ふ~ん……」


 言われるがままに、ツアル皇国の産物である向日葵から作られるお茶を作る。

 あそこの国は変った植物や建築物が多いけれども、それも文化の一つだと父が言った。

 人類の盾のように魔物と戦い続けており、その結果建てやすい木材での家屋が多いのだとか。

 多くの国民が戦いに人手を割かれていて、それ以外に割く力は少ないとか。


「調子はどう? 体調におかしなところは無い?」

「大丈夫。あの時は……ちょっと、ビックリしちゃっただけだから」

「そうだと良いけど、無理はしないでね?」

「も~、姉さんは心配性だね。大丈夫だって。私のことは私が良く知ってるから」


 一緒についていったけど、兄にそっくりな男が出てきたことでアリアは一時的に不調になってしまった。

 昔からそうで、驚いたり嫌な事があったりしても体調を崩してしまう。

 その理由は良く分からないけれども、原因となりそうなことには心当たりはある。

 あの誘拐の日、兄を失ったあの日からアリアの体調は悪い。

 学園に居るのも楽ではなく、以前のように苛められたりしたら一週間は部屋の中に居るという事も珍しくない。

 それでも、成長すれば少しは楽になってきたのかもしれないけど、私はちゃんと治してあげたい。

 

「あは、美味しい」

「アリアには負けるけどね」

「ううん、同じ味だよ。淹れ方も、同じやり方なんだから、味が変るわけないよ」

「そう?」

「そうそう」


 そう、なのかな。

 私にはそういわれても良く分からない。

 それでも、アリアがそういうのならそうなんだと思う。

 一息吐いて、少しだけ落ち着く。


「姉さんこそ、疲れてない?」

「ん? 私? ぜんっぜん、大丈夫だけど」

「そう? 変に気負ったり責任を感じてやってるんじゃないかなって思ったんだけど」

「そんなわけ無いでしょ。これくらい出来て当たり前、やって当たり前」

「そっか」


 納得してくれたらしくて、アリアはそれ以上何も言わなかった。

 それから、ふと周囲を見てから詰まれた課題を見つけてしまう。


「アリア、その課題の山……」

「お休みしてた時の奴なんだけど、まだ手をつけてなくて。けど大丈夫、明日までには全部終わるから」

「ほんと?」

「今まで私が、仕方が無い理由以外で課題を出し損ねた事ある?」

「ある。本に夢中になった時、お休みだからって寝すぎた時、やる気がしないな~とか言った時、それと……私と入れ替わる時」

「──……、」

「……──」

「よろしくね?」


 私は直ぐに顔を覆った。

 甘やかしすぎたのだろうか、それともこれは言わなきゃいけないところ?

 兄さま、どうしたらいいのかわからないよ……。

 助けて? ・20××年 10月××日

 記入者、香山…… ヤクモ。

 

 出来得る限りでいい、自分の足跡を幾らか残しておきたいと思う。

 そんな事に意味は無いかも知れないが、それでも生きてきた証拠にはなる。

 まあ、こんなものを読むような奇特な人物が居るとは思わないけれども。

 それでも、認めずには居られなかった。

 理由? なんでだろうな……。


 暇だったのか、それとも──。



 ── ☆ ──


「起きなさい」

「んがっ……」


 ゲシリと、背中を蹴られる衝撃に目を覚ました。

 外部からの痛みから自衛官だった名残が、すぐに脳の歯車を噛み合わせていく。

 眠気は酷い、背中は痛むし、寝心地は最悪だ。

 身体を起こしながら、腕時計と自分を蹴った相手を見る。

 一人の少女だ。

 まだ寝巻き姿らしく、ネグリジェというゆったりとしたシルクのような布が彼女の身分のよさを教えてくれる。


「……おはよう」

「随分と暢気に寝ていたわね。自分の状況分かってる?」

「出来れば、使い魔二日目にも分かるように説明して欲しいかな」

「今日は無の日、明日から授業が始まるの。それまでに簡単な事を貴方には教えておかなきゃいけないの。その為には時間は幾らあってもたりないわ」

「──そうだね、っと」


 石畳の床の上で上着を被って寝ていただけなので、あまりよろしくない。

 背中から身体は冷えるし、硬いので身体は休まらない。

 それでも我慢しなければならないのは、使い魔となってしまったが為である。

 契約が存在する間は逃げられず、居場所や動向すら把握するという事を教わった。

 つまり奴隷以下であり、文字通り”サーヴァント”なのだ。

 

「そういえば、自分は君をなんと呼べばいいのかな。ミラノ様って呼べば他の貴族には角が立たないと思うんだけど」


 そう言った時、彼女は少しばかりうろたえた様な……そんな気がした。

 


 ~ ☆ ~


「ミラノ様って呼んだ方がいいかな?」


 そう言われたとき、私は心に突き刺さるものを感じた。

 別にそんな気は無いのだろうけど、昔の事を思い出してしまう。

 外見も声も目の前の男に似ている、兄の事を。

 

 昔私が誘拐された時、兄は待っていられないと単身で助けに来た。

 その時に負傷し、私の目の前で倒れた。

 少し遅れて父の率いる救助隊が来たけど、あの日が兄を見た最後の日となった。

 だからと言って目の前のこの男を兄と結びつけるのは馬鹿げている。

 けれども……兄の姿で、兄の声で「ミラノ様」と言われるのは、なんだか嫌だった。


「呼び捨てでいいわ」

「でも」

「貴方の方が年上でしょ? それに、昨日の受け答えや態度を見て、呼び方一つで貴方が私を見下したり反抗するとは思えなかったもの。貴方は私よりも生きている事を私は尊重する、けど貴方は主人として私に従う。それだけで良いわ」

「……それで周囲へ示しがつくかな」


 そう言われて、私は少しばかり驚く。

 記憶が無いと言いながらも、そういった事にすぐに考えが及んだ。

 貴族や魔法使い、様々な国の学生が多いとしかまだ説明していないのに、的確に現実的な問題を直ぐに口にしたのだ。


「それを貴方は心配しなくていいの。それよりも、貴方は朝は私よりも早く起きる事」

「うん」

「それで……壁に時計がかけてあるけど、私を起こすまでに着替えの準備とお茶の用意を済ませておくこと。もちろん、貴方もこれからは私の所有物であるという認識を持たなければいけない」

「自分がだらしが無かったりすると、主人の顔に泥を塗るから……という事でいいのかな」

「そういうことも分かるんだ」

「まあ、親が……そういうことを教えてくれたから」

「いい両親だったのね」

「うん。そう……だね」


 そう言って、彼は顔を曇らせる。

 よく分からないけど、よく分かる人だと思う。

 感情表現が豊かと言うか、ご両親を本当に大事に思っているのだろうと良く分かる。

 ただ、既に亡くなられているらしい。

 そこを踏み込むのは良くないと思って聞いていない。

 私も、誰かを亡くす悲しみはよく知っている。


「時計だけど、読めるかしら? えっとね、二本の針が……」

「時間を言ってくれれば、たぶん分かるかな。12時間で一周して、長針と短針で時間と分で時間を示してくれるん……だよね?」

「──ええ、そうよ。だから、朝は6時に起こして頂戴」

「分かった」

「それと、着替えはここの洋服箪笥に全部入ってるから、下着と服装の両方を出す事」

「……下着と、服に触っていいの?」

「触らないで出せるの?」

「ああ、うん……いや、君がそれでいいのなら……」


 モゴモゴと、歯切れの悪い言葉が余計に歯切れが悪くなる。

 何が言いたいのか良く分からないけど、戸惑いがあるらしい。

 目がキョロキョロとして不安を示しているあたり、葛藤もあるのかもしれない。


「それと、お茶については昨日見せたわよね? あの器具を使って、魔法で良いから水と火を使うの。適温は流石に知らないでしょ?」

「茶葉次第、かな。 けど、基本は80度以上にすれば良かった……気がする」

「良く知ってるわね」

「母さんがそういった作法とかお茶の淹れ方を学んでたんだ。それで子供の頃はよくお茶を飲ませてもらってたのは覚えてる」

「ちょっと待って。貴方の家って、貴族とかそういった家系なの?」

「いや、貴族ではないよ。ただ、そういった人に関わる事が多くて、母親もそういった人の交流……いや、社交場に出ることがあったんだ。だからそういったことを礼節や作法の一つとして必要としてたかな」


 ……貴族じゃないけど、そういった人とのお付き合いが多かった?

 商人……、じゃ、ないか。

 鍛冶屋と言うには清廉すぎる。

 漁師でもなさそうだし、そもそも貴族との付き合いが深くない。

 卑下? 謙遜してるだけ?

 男爵とか、準男爵のような家の子なのかも……。

 魔法は使えないけど、貴族の片隅には居るような、一代限りの家とか。


「……じゃあ、簡単な教育はあるってことで話を進めるわ」

「うん、ありがとう」

「朝の起きる時と夕食を食べて戻ってきた時、それと寝る前の三回お茶を淹れてくれればいいから」

「茶葉が無くなりそうだったら?」

「その時は私に言ってくれれば女中に言って持ってこさせるから」

「え、そういうこともやってるの?」

「食事時は給仕だってやるし、私達が授業で部屋を空けている間に部屋の清掃や衣類の洗濯、洗濯物を置いたり、お茶に関しても何の葉を使ってるか伝えれば持って来てくれるわ」

「凄いんだなあ」

「……あぁ、そうだ。私が朝起きたら簡単に床を整えておいて。今までは女中にやらせてたけど、女中が来るまでに貴方が仮で整えておいてくれればいいから」

「ん、分かった」


 そう言いながら、彼は何かを取り出す。

 それが何か分からないけれども、書き込んでいるように見える。


「字も書けるの?」

「あぁ、いや、その……。ここの文字かどうかは分からないけど、自分の覚えている地元の文字だよ」

「読み書きが出来て、時計も読めて、ある程度教養がある……か。ちょっと見せて」

「良いけど……」


 そう言って彼が見せてくれた物は、更に別の意味で驚く事になる。

 羽筆のような墨で、質の良い紙が使われているからだ。

 しかも使いやすいようにとうっすらと線まで入っている。

 こんなもの、気軽に使うとしたらどれだけお金が掛かるんだろう……。

 

「読め、ない」

「まあ、そうだろうね……」

「けど、ツアル皇国の連中が使ってるのに似てる字があるわね。これとか」

「漢字?」

「”カンジ”? 象形文字って言うんだけど」

「……あぁ、そうか。漢が無いのか」

「象形文字は分からないのね?」

「えっと、何かを象ったりしたものが、徐々に変化して文字になったという事だった……ような、気が……する」

「概ね、その通りね」


 教育と言っても、職業教育のようなものとは違うのかもしれない。

 職業教育……職人組合の教育だと、結局は要不要で切り捨てられる知識が有る。

 時計が読めるのはまだ良いとしても、文字が何なのかなんて”不要”に該当する知識をなぜ有しているのか。


「貴方は物知りなのね」

「教えてくれた人たちが……優秀だっただけだよ。それに、専門的な教育を受けた訳じゃないから、今の説明もたぶん詳しい人からしてみれば突っ込みどころが多いと思う」

「ううん、そうじゃないわ。突っ込みどころがあったとしても、それは修正できるものでしょう? 土台が存在する知識は後から変更しやすい。けどね、多くの人はその土台が存在しないままなの。象形文字の説明が出来るという事は、貴方はそれがどうして生まれたのかも知ってるはず。つまり、それを語れるだけで更に多くの知識に触れている事を証明してるの」

「そういう、ものなのかな」

「主人が褒めてるんだから、少しは困ってないで有り難がりなさい」

「──ごめん」


 そう言って、彼は目を臥してしまった。

 違う、そうじゃない……。

 そこは有難うと言って欲しかったのに、なんで彼は悲しそうな顔をするの?

 

「……話を戻しましょう。まずはお茶を淹れてみてくれる? まだ朝食まで時間はあるけど、今日は部屋にまで運んでもらうから」

「ん、分かった」


 とは言え、字が読めてもこちらでの字が読めない事に代わりは無い。

 それでも何かしらの普遍的な知識が有るのか、彼は貼り付けている紙と中身を見ながら茶葉を選ぶ。

 そして一度見ただけの器具も、適切に選んで用意することも出来る。


「……そういえば、火ってこのラ……器具を使ってもいいのかな」

「そう、それ。油が詰まってるからひっくり返したりしないでね」


 昨日使っていないのに、火を安定して供給し続けられる道具も見つけ出す。

 魔法で水を出すのも危なげないし、火の魔法も火力の調整を誤らない。

 

「これでいいのかな……」

「あってるあってる。それじゃ、次は着替えを手伝って」

「え゛」

「え、じゃないでしょ。着替えもやらせるって教えたじゃない」

「いやあのえっと……ああ、うん。Dios mio...≪あぁ、神様……≫」


 何かを呟くと、観念したように着替えを取り出す。

 箪笥の中で皺や折り目がつかないようにしまわれたそれらを、同じように丁寧に取り出す。

 下着、下着……。


「下着だけは自分でやるわ」

「Thank god...≪あぁ、よかった……≫」


 なんだか、裸を晒すのは少しだけ恥ずかしかった。

 下着を受け取ると自ら着替える事にする。

 チラリと、助平心を出してはいないだろうか見てみたが、律儀に背中を向けている。

 素肌を見ないようにしているのか、それともどうしようもなく気の弱い男なのか……。

 後者のような気がする。


「はい、それじゃあ着せて」

「わかったよ……」


 服の着せる順序を少しばかり悩んだようだけれども、襟付き服を先に手に取った。

 出されている服から昨日の服装を思い出して、そこから導き出したのかもしれない。

 知能は低くないみたいだ。


「……随分慣れてるわね」

「妹や弟の面倒を見てたことがあったんだよ。長男だと、両親が忙しい時は二人の面倒を見るのも当たり前だったからね」

「面倒見が良かったのね」

「どうかな。両親が家を空ける事が多かったから、そうやって面倒を見ているうちに覚えたんだよ。……次はスカートか」

「どうぞ」

「スカートを取り扱うのは初めてだな……スカート、スカート?」

「どうしたの?」

「スカートで名称はあってる?」

「それ以外になんて言うのよ」

「あぁ、いや……なんでもないよ」


 そう言いながらも彼は着替えをしっかりとやってくれた。

 その間に水は温められてお湯になっている。

 

「外套は部屋を出る前に着せてくれれば良いから、今はお茶をお願い」

「外套は外套なんだ。マントって言わないんだ……」

「”まんと”?」

「いや、なんでもないよ。それよりも、特に気にかけることってあるかな。細かい事は分からないから、大体でやっちゃうけど」

「入れ物を温めてくれてるし、蒸らす為の用意もしてるし、特に無いかしら。お湯が適温か指でも突っ込んでみてくれる」

「火傷するよね!?」

「冗談よ。沸騰したらダメだから、その直前くらいで止め無いと風味が死んじゃうの。だからそろそろ火を止めて淹れて頂戴」

「ん」


 大体で、あんまり知らないとは言っていたわりには所作も丁寧だ。

 男だから粗野だとか大雑把だと思っていたけれども、想像した以上にご両親の躾は良かったのかも知れない。

 私だってお茶の作法や細かい知識を教わった訳じゃないけれども、概ね似たような知識や技術を持っているみたいだ。


「……お茶を淹れる姿が様になってるわね」

「そう? 普段は珈琲しか飲んでなかったけど、これで通用するのならありがたいね」

「ええ、本当に」


 先ほどとは違い、今度は幾らか微笑んだ。

 その所作と微笑み方を見ると兄を思い出してしまう。

 重なりすぎて、まるで『死んだ兄が出てきたみたい』だと思ってしまう。

 兄もよく幼い私にお茶を淹れてくれた。

 お茶の淹れ方を知らないけれどもお茶が好きだった私達に、本当は女中にやらせるべき事を自らやった。


 ── 皆忙しそうだし、これくらい僕がやったって悪い事にはならないよ ──


 そう言って、兄は笑った。

 柔らかい香り、温まる味わい、そして一緒に居た時間は今でも思い出せる。

 私にとっては過ぎた記憶だけど、それでも大事だと思えた。


「どうぞ」

「頂くわ」

「──……、」


 着替えを終えて席に着いた私に、彼はお茶を出す。

 その出し方も、粗雑ではなく幾らか意味のある洗練のカケラが見えた。


「……まあ、初めてにしてはいい出来じゃない」

「ということは、もっと美味しいのを知ってるって事だよね? 言ってくれたら直すからさ」

「あぁ、いえ。思い出の中にある味を貴方に求めても仕方が無いもの。それを抜きにしたら、貴方のお茶は上出来よ」

「──それは、よかった」


 朗らかに笑みを浮かべる彼は、本当に兄に似ていた。




 ~ ☆ ~


 ただ、そんな彼は部屋の外に出るのを酷く嫌がるのを知っている。

 朝食後に庭で魔法についてのお勉強をしたときも、酷く落ち着かない様子だった。

 まるで何かに怯えているかのように見えて、能力や知識と比べると”オタク”のようだ。


「また昨日のように絡まれるのは嫌だなあ……」

「アルバートの事?」

「知り合いみたいだったけど」

「家の繋がりで学園に来る前、ちょくちょく交流があったのよ。父さま同士が昔学友だったから、今でも仲が良いんだって」

「なのに、食事を蹴飛ばすんだ」

「学園に来て、最近言動が目に余るようになってきたのよね。去年まではまだ学生らしかったのに、今じゃなんだか王様みたい」

「昔は、違ったの?」

「昔はもうちょっと見所があったわ。けど、去年くらいから少し焦ってるように見えた。今は……もう、よく分からない」


 アルバートは二人の兄が居る。

 武芸を重視するヴァレリオ家に沿うように、武芸に長けた長男。

 武芸に長けてはいないが、知啓に富んでいて兄を補佐するような次兄。

 そんな二人に大事にされ、可愛がられているアルバートは……残念ながら今のところ秀でたところは見当たらない。

 いや、4年目にして学園で相手をしてくれる者が居なくなったという意味では、彼もまた武芸に秀でているのかもしれない。


 ただ、それでも時折父の行う軍事演習のときの二人を見てしまうと見劣りしてしまう。

 現当主である父親も加えてしまえば、アルバートは霞んでしまうのだ。

 

 本来ならそういった時に補佐をするヴァレリオ家の人物が居る。

 アルバートにはグリムと言う、幼い頃から一緒の少女がいるはずだが……。

 アルバートが迷っているから、グリムもまたどう補佐すればよいのか見出せずに居る。

 

 まあ、そんな事を言ってしまうと私もまた目の前の彼をどう扱ってよいのか困っているところがある。

 少なくとも反抗的ではないし、無知で蒙昧な輩でもない。

 一定の知識も有していて、知恵もある。

 少なくとも使い魔として召喚されるにはおかしい話ではあるけれども、少なくとも不利益を被るような相手ではない。

 初期投資が少なくて済む、学習や教育が楽になるという見方もできるから。


「さて、お勉強はこれくらいにしておきましょう。貴方もあまり詰め込みすぎると零れ落ちるだろうし」

「そう、だね……有り難いかな」

「じゃあ、とりあえず休憩ね」


 そういうと、彼は席を立つと自分の寝床にしている床に座る。

 壁に背を預けると、眉間を揉んでいるようだった。


「ヘックシ!!! うぅ……」

「──……、」


 くしゃみをして、それでも彼は勉強で得た知識や情報を睨んでいる。

 それは休憩とは言わないと言いたかったけれども、彼の立場からしてみれば無理も無い。

 記憶が無くて、放り出されてしまえば身寄りも無い。

 例え床が冷たくとも、状況や境遇に思う所があったとしても受け入れるしかないのだ。

 死にたくないから。


「あのさ──」

「休憩時は好きにして良いから。別に早急に頭に叩き込めとはいってないし、先日まで不調だった事を忘れないで。体調が悪かったら直ぐに報告、自己管理も貴方のお仕事なんだから」

「じゃあ、少しだけ……休もうかな」


 そういうと、彼は本当に休憩していいのだと理解する。

 手帳を閉じると、そのまま上着を脱いで自分にかけると瞼を閉じる。

 10月の気温は、まだ本格的に寒いわけではないけれども、床の冷たさは暖炉だけではどうにもならない。

 ……なにか、出来ることは無いかな。

 あの子に相談した方がいいかもしれない。


「それじゃあ、ちょっと私は妹のところにいってくるから」

「分かった」

「私が居ない間はまだ応対とかしなくて良いから。けど、慣れてきたらやってもらうので覚えておく事」

「了解」


 そう言って、彼は微動だにしなくなる。

 眠っているわけではないのだろうけど、半眠半醒の狭間にストンと落ちたようだ。

 元兵士のような事を匂わせていたから、そこらへん慣れているのかもしれない。


 私は部屋から出ると、アリアの部屋へと向かった。

 ノックを数度繰り返し、私であることが分かるように示す。

 

『どうぞ』

「入るわね」


 部屋に入ると、そこにはあの男と一緒に召喚された少女が居た。

 名前はカティアと言って、どうやらあの男の使い魔らしい。

 今はアリアが何か本を読んでいるようだ。


「カティに何を読んでるの?」

「んとね。聖書だよ」

「神様が人類に慈悲をお与えになり、滅びから救ったという遠い昔のお話ですわ、ミラノ様。……御機嫌よう」

「ええ、御機嫌ようカティ」


 彼女はアリアに聖書を読んでもらっていたようだった。

 私が部屋に入ってくると、直ぐに挨拶をする。

 出来た子だと思う。

 彼が17で、彼女はそれよりも幼いけれども礼儀や作法は知っているようだ。

 スカートをしっかりとつまみ、恭しく頭を下げてくれた。

 私もそれに応じ、返礼する。

 身許が分からない子とは言え、礼儀には礼儀を持って応えないといけないのが貴族の務めだ。

 最近ではそういうのが蔑ろにされてるのを知っているけれども、私はそうはしたくない。


「ご主……あの人は?」

「今は勉強が終わって休んでるところよ。ちょっと色々教えすぎたかも知れない、大分疲れてたと思う」

「……あの、ミラノ様。出来れば──」

「下手に扱うつもりは無いわ。ただ、明日以降早いうちから必要とされる知識や技術を教えただけだし、それで疲れるのは不調があったとしても彼が乗り越えなきゃいけない壁よ」

「──分かりました」


 この子は彼を慕っている。

 大事に思っていて、幼いながらも主人である私に意見をした。

 その事を咎めたりはしない。

 彼はカティを大事にしてくれないかと嘆願した、そのカティが彼を大事にして欲しいという。

 その関係を私は好ましく思う。


「……物事を覚えるという事は、余計な敵を作ったりしないためにあるのよ。立ち振る舞いを学ぶというのは、今の彼が不利である事を踏まえて少しでもその不利を避ける為に覚えるもの。カティがしてくれた挨拶だって、敵意が無い事を示すものでしょう? 私が、私達が甘やかす事は幾らでもできる。けどね、違うでしょう?」

「はい」

「彼は貴方の主人だから辛いのは当たり前で、仕方が無い事なの。彼が上手くやれなかったら、貴方に不利益が被るから。それは彼も承知しているもの」

「──……、」

「すこし、様子を見て来たら良いわ。ただし、瞼を閉じてるから寝てるかもしれない。私の言葉が嘘だと思うのなら、遠慮なく言っていいから」

「分かりましたわ」


 カティはそういうと、再び礼をして部屋を出る。

 最初はゆっくりと、けれども途中から駆けるような足取りで部屋を出て行くのが分かった。

 その音を聞いて、クスリと笑ってしまう。


「良い主従ね」

「そうだね」

「邪魔だった?」

「ううん、私達もそろそろ一息入れようかなって思ってたところ。私のほうでもお茶の淹れ方を教えようかなって思ってたところ」

「飲む?」

「ありがとう」


 部屋の中に居る時は私がアリアにお茶を淹れる。

 それは昔からそうで、今もそうだった。

 難しい話になるのだけど、私はアリアに頭が上がらないから、そうしている。


「どうだった?」

「記憶がないと言ってるけど、育ちはだいぶ良いみたい。私達の受けているものとは違うみたいだけど、教育もちゃんと受けてて、知識も知恵もある。それで気も回るし、読み書きも出来るみたい」

「わぁ、凄いね」

「凄い、の一言で片付けられる話じゃないと思うんだけど」

「人としてはどう?」

「元兵士、みたいな事はいってたけど……その面影は感じられないかしらね。もしかしたら、ご両親を亡くしたのがそれだけ大きかったのかもしれないけど。従順と言うか、反抗的ではないわ。立場は理解してるし、言えば従ってくれる。それだけじゃなくて、積極的に疑問を投げかけたり解消しようとしてはくれるし、悪い言い方をすれば”拾い物”ってやつね」

「そっか……」

「それじゃあ、明日はどうする?」

「明日は……私が行ってみるよ」

「じゃあ、用意しないとね」


 私達は双子……そういうことになっている。

 だからアリアの調子が良い時や、”アリア”を演じるのに疲れたときに私達は入れ替わったりする。

 見た目も、髪の長さも同じだから出来る事だ。

 学園に来てから、私達はそうやってお互いに助け合ってきた。

 今回も、”召喚主であるアリア”が、彼と接するのが恐いからと私が主人のフリをしているだけなのだ。

 

「けど、大丈夫かな?」

「なにが?」

「カティアちゃん、元猫なんだよね? 匂いとかでバレないかな?」

「ん~……。理由は伏せて事情だけ話して黙ってもらうとか」

「それで納得するかな?」

「お互いが上手くいくためなんだから、理解はしてもらう。納得なんて直ぐにしてもらわなくてもいい」


 召喚したのも主人も本当はアリアなのだ。

 けれども、アリアは病弱な上に兄のことを思い出してしまって億劫になっている。

 それが私達の勝手な理由であったとしても、私にとってはそれで十分な理由になる。

 彼を騙すことになったとしても、アリアを守らなきゃいけない。


「──けど、心配しなくていいと思う。なんだか、兄さまみたいな感じの男だから」

「それって、良い意味で? 悪い意味で?」

「両方よ。色々出来るけど全然誇ったりしないし、むしろ困ったり戸惑うような顔をするから。それに、ふとした時に見せる表情とか動作がそっくりだった」

「……そっか」


 アリアは、少しだけ安心したようだ。

 当たり前だと思う。

 アレで中身が粗野な男だったり、あの時の誘拐に携わった連中のような感じだったら、アリアは更に傷つく。

 けれども、ここ数日で私はそれは無いと判断した。

 勿論、アレが演技や偽りの可能性も無いけれども。


「何のお茶が良い?」

「向日葵のお茶。カティアちゃんがね、あの匂い大好きだって言ってたから」

「ふ~ん……」


 言われるがままに、ツアル皇国の産物である向日葵から作られるお茶を作る。

 あそこの国は変った植物や建築物が多いけれども、それも文化の一つだと父が言った。

 人類の盾のように魔物と戦い続けており、その結果建てやすい木材での家屋が多いのだとか。

 多くの国民が戦いに人手を割かれていて、それ以外に割く力は少ないとか。


「調子はどう? 体調におかしなところは無い?」

「大丈夫。あの時は……ちょっと、ビックリしちゃっただけだから」

「そうだと良いけど、無理はしないでね?」

「も~、姉さんは心配性だね。大丈夫だって。私のことは私が良く知ってるから」


 一緒についていったけど、兄にそっくりな男が出てきたことでアリアは一時的に不調になってしまった。

 昔からそうで、驚いたり嫌な事があったりしても体調を崩してしまう。

 その理由は良く分からないけれども、原因となりそうなことには心当たりはある。

 あの誘拐の日、兄を失ったあの日からアリアの体調は悪い。

 学園に居るのも楽ではなく、以前のように苛められたりしたら一週間は部屋の中に居るという事も珍しくない。

 それでも、成長すれば少しは楽になってきたのかもしれないけど、私はちゃんと治してあげたい。

 

「あは、美味しい」

「アリアには負けるけどね」

「ううん、同じ味だよ。淹れ方も、同じやり方なんだから、味が変るわけないよ」

「そう?」

「そうそう」


 そう、なのかな。

 私にはそういわれても良く分からない。

 それでも、アリアがそういうのならそうなんだと思う。

 一息吐いて、少しだけ落ち着く。


「姉さんこそ、疲れてない?」

「ん? 私? ぜんっぜん、大丈夫だけど」

「そう? 変に気負ったり責任を感じてやってるんじゃないかなって思ったんだけど」

「そんなわけ無いでしょ。これくらい出来て当たり前、やって当たり前」

「そっか」


 納得してくれたらしくて、アリアはそれ以上何も言わなかった。

 それから、ふと周囲を見てから詰まれた課題を見つけてしまう。


「アリア、その課題の山……」

「お休みしてた時の奴なんだけど、まだ手をつけてなくて。けど大丈夫、明日までには全部終わるから」

「ほんと?」

「今まで私が、仕方が無い理由以外で課題を出し損ねた事ある?」

「ある。本に夢中になった時、お休みだからって寝すぎた時、やる気がしないな~とか言った時、それと……私と入れ替わる時」

「──……、」

「……──」

「よろしくね?」


 私は直ぐに顔を覆った。

 甘やかしすぎたのだろうか、それともこれは言わなきゃいけないところ?

 兄さま、どうしたらいいのかわからないよ……。

 助けて?

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