天空橋#2
撤回しよう。
100メートルも進んだところで、俺はなで下ろした胸を再び泡立たせることとなる。
ブィィィィン――――。
「なに、この音?」
下方から聞こえる、ブブブ、という断続的な音にヴィヴィアンは訝しげに首をかしげている。
その数時間前に耳にこびりつくくらいに聞いた音に、俺は頭を抱えたくなる気持ちを振りはらいヴィヴィアンの腕を取った。
「うん?」
「逃げるぞ」
音は次第に大きくなり、マスク越しでも鼓膜を破らんばかりに響き始める。
ヴィヴィアンを引っ張って数歩走ったところで、その偉容は大樹の橋の下から俺たちの背後に姿を現した。
「なにあれ――ッ!」
もしかして、
差し始めた
しかし、体のあちこちには
頭から聳え立つ1本の雄々しい角も同様だ。
そんな満身創痍の体にあって、雄々しく掲げられた背中の
体のほとんどを構成する外皮とは別に、虹色の輝きを周囲に返す神秘的な色彩は、そこだけが幻想じみている。
その美しさの塊とも言える3メートルはあろうという巨大な翅は、目にもとまらぬ速さで大気を掻いて、その巨躯を宙へと浮かび上がらせている。
なにも、気ままに遊覧していて偶然ここに現れたわけでもあるまい。
再び直視した瞳からは、明確な感情が俺へと向けられている。
「――――、あ」
そこで、気がついた。
こちらへと敵意が向けられるその理由。
「そうか、あの時の」
つい数時間前に交わされた命を巡る
彼の甲虫はこちらを追いかけたその結果として、
間一髪で蟻の巣穴へと飛び込んだ俺はその後、甲虫がどうなったのかを知らない。
だが、普通に考えてあの速度、あの巨体が決して柔らかくない構造物に激突した場合、どんなに頑丈な体をしていようと無傷でいられまい。
おそらく、今まではどのような構造物とてあの外皮を傷つけるには至らなかった。
獲物を追いかけ、ビルを木っ葉のようになぎ払い猛進するその姿には、全てを粉砕し得るという
それが、
その身に返ったのは、今まで周囲に振るい続けていた暴威に他ならない。
ビルをへし折る強力が全身を駆け巡った結果が、あのそこかしこに存在する傷痕なのだ。
有象無象に過ぎないと思っていた獲物にしてやられた屈辱の大きさは、昆虫の頭脳をして
加えて、おそらく衝撃の大きさから、甲虫はすぐさま立ち上がることが出来なかったに違いない。
回復するのを待つ間、周囲にいたのは蟻達である。
なるほど、俺を蟻が追いかけてこなかったわけだ。彼らからすれば俺は群体で対抗する必要すらない非力な生物だが、甲虫ともなれば話は別だ。
今まで散々食料にされてきた怨敵がこそが彼である。
身動きできぬその姿を見て、蟻達は群がったに違いない。
その巨大な体のあちらこちらに牙を立て、がじり、がじり、と。
今までの仲間達の恨み、という感情が果たして蟻の中にあったのかは定かではない。
だが、怨敵と認識して止まぬ程度には、蟻という種に刻みつけられた敵意があったのだろう。
がじり、がじり、と。
その有象無象の群体は、甲虫に群がり、生きながらにして、その体を餌にし始めたのだ。
結果は、双方にとって見るも無惨なものだったろう。
蟻達は甲虫が回復するまでにその命を餌とすることが叶わず反撃を食らい。
甲虫は回復した体躯で蟻達を蹴散らすも、体の端々を
であればこそ。
彼の甲虫は今、この150メートルの高みにある。
怒りを原動力に、欠けた体に屈辱を回し。
その誇りの美しさを持って
甲虫の怒りの向く先。
得体の知れない怪獣の瞳に映し出されているのは、他でもない俺である。
ブィィィィン――――。
ひときわ高く、
どことなく、管楽器にも似たその響きは開戦の合図にも似て――
「――、ハ」
俺は、再び幕を上げた
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