3.緊急事態
その後、他のメンバーに状況を説明すると数分と経たず調査班がやってきた。
数台のワンボックスに加えて今回はトレーラーもあるが、おそらく警戒されない距離で待機していたのだろう。
作戦が成功したばかりで高揚感が消え去らない中、見知った髭面の班長からたまに説明を求められる程度で、優人はほとんど調査班の作業をただ眺めるだけだった。
唯一気になっていたのは《光の柱》発生装置内にある爆発物についてだったが、予想以上のスピードで手際良く解体していた。
「一ヶ月前に爆破された残骸とこの手の自爆工作のパターンから、構造は予想できていた」
無愛想だがそう言い切る班長の言葉には確かな安定感がある。
一ヶ月前の作戦後と同様に最小限の指示で部下達を動かし、警備員達への対処や《光の柱》発生装置のトレーラーへの積み上げを済ます。
最後に「おつかれさん」とだけ告げて、班長はクールに立ち去っていった。その場馴れした姿を見て、一つの作戦で一喜一憂する自分はまだ経験が浅い子供なのだと感じる。
それから物流センターの状況に整理がついたと陽香に報告した。
『そっか、ご苦労さん。全て順調に事は進んだわけね。第四管理部隊の方も無事確保したそうよ。こっちはまだマコちゃんがオーダーで背後組織の重要拠点を監視中だけど、そろそろ終わると思うわ。だから戻ってらっしゃい、肩でも揉んであげるわ』
「それは僕の役目ですよ。リーダーなら部下からの奉仕を受けてください」
『あら、じゃあ楽しみにして待ってるからね』
最後に陽香の『よくやったわね』という上機嫌なトーンの高い声で通信は終わった。
前回の作戦が終わった後は、陽香を怒らせた上に説教もさせてしまった。しかしそれに比べて今回は結果自体も後味もかなり良かったと言えるだろう。二階フロアではあまりスマートでない局面もあったが、それを考慮しても自己採点で七十点を与えてもいい。
テスラを停めていた場所に戻り、装備の塊である大腿部と腰のベルト、それにヘッドギアを助手席に下ろしてから新宿へ戻る。
上機嫌であり真夜中で周囲に一般車両も少なめなせいか、優人はついアクセルを軽く踏む。人気のない寝静まった夜の街特有の浮遊感を楽しみながら走るのは心地良い。
すると40km/h程度の速度と青信号が作る緑色の残像が視界を過ぎり――それがきっかけとなり、保留にしていた違和感の正体に思考を巡らせる。
二階フロアで最後の警備員をワルサーで撃った時、その体は何かに持ち上げられたような動きをした。
とても銃弾によるものとは思えない。優人がこれまで見てきた人間が被弾する瞬間に比べてもかなり不自然だった。しかしその妙な現状を引き起こす得体の知れない代物を、優人は今も装備している。
左上腕に付けているキャスターだ。一ヶ月前の作戦中のことは今も忘れていない。
逃走する車のタイヤを打ち抜いた時の不可思議な感触。
弾丸の軌道を導くかのようだった翡翠色のオーロラ。
そんな記録にも残っていない不確かな内容では何の説得力もない。しかし装備保管室で聞いた陽香の話も合わせると、今日もこのキャスターに助けられたとしか思えない。
ただそれ以上続けても無意味な気がした。一人では推測しかできないし、全てが落ち着いてから明日にでも陽香に聞けば良いことだ。
曖昧模糊な思考を一旦打ち切り、再び夜道の変化を楽しもうとした時だった。
インパネの隣にあるディスプレイが待機状態から音声通信表示に切り替わる。しかもリングスメンバー全員へ通じる共有通信だった。
『優人、鷹志、二人共移動中ね? 緊急事態よ』
数分前の通信とは違い、言葉だけでなくその声色も切迫したものだった。
達成感に緩んでいた心臓をすぐさま締め直す。
『状況が変わったわ。まずは映像を送るから確認して』
********************
数分前のプラザホテル地下にある情報作戦室。
概ね全行程が成功。マコトがオーダーで背後組織への監視を続けているがそれもあと僅かだ。
陽香は淹れたばかりのコーヒーカップを片手に持ち優雅にスクリーンを眺めている。
二十五階の司令室にいるときはコーラが多いが今はさすがに飲まない。順調にこなした作戦結果に満足して、ヘッドセットのマイクを避けるように啜るコーヒーはまた特別な味がある。
『リーダー』
「ん? どうしたの?」
通信元は隣にある小部屋でありそこはオーダーを使用するコントロールルーム、マコトからの声だった。
マコトは現在、ウェアラブル電極を使用した専用インナーを着て心電図を計り、複数のケーブル類が接続されたヘッドマウントディスプレイを被り、診察台のようなレザーチェアに座っている。
普段は横髪を結っている紫のリボンを外していることもあり、手術中の患者を連想させる痛々しさがあった。
コントロールルームを区切るガラス越しには、オーダーの異常動作時に備えている丸雄が待機している。但し、つい数分前まで行っていた優人と鷹志への指示や調査班への連絡も終え、小休憩の最中であった。
『優先度二番目の監視対象だった荒川オプトロニクス本社に動きがあります。ここ二十分以内で十五人以上の出社記録が更新されていて、そのほとんどがゲストIDです』
作戦中というのもあるがオーダーの影響か、普段より起伏のない無機質な口調。
そのため気休めにしかならないが、そんな様子が少しでも温まれば良いと思い、陽香は彼女へ極力事務的でない崩した言葉を使うことにしている。
「穏やかじゃないわね、きな臭い。優先度を一番目にして警戒を続けてみてね」
首謀者にあたる背後組織の候補は二つあったが、荒川オプトロニクスで決まりのようだ。
しかし既に《光の柱》発生装置は確保済みであり、調査班の作業で様々な証拠が出てくるだろう。そうなれば首謀者の身柄確保まで時間の問題、今更何をしても無駄だ。
『これは』
マコトの呟きに陽香はコーヒーカップを持ち上げる手を止める。
『全ての入退室記録とカメラの映像記録を追っていますが……荒川オプトロニクスの本社にはネットワークに接続されていないスタンドアローンの空間があります。しかも大きいようです』
「外部に設置した監視カメラの呼び出し、表示させて。疑わしい箇所の拡大もお願い」
昨日の作戦説明に使用した大型スクリーンが切り替わりカメラ映像を表示する。
「何これ」
荒川オプトロニクスの全景からズームされた横長の棟は、球型ではないが開閉部らしき穴があり、天体観測施設のようでもあった。しかし一般的なものより大きい。
『昨日まであんなものはありませんでした。巧妙にカモフラージュされていたようです』
「嫌な予感がするな」
休憩に入ってからは全く喋らなかった丸雄が急に呟く。
「ちょっと、伏線は止めてよ」
普段から無口な彼はチーム内で一番経験豊富でありその一言には大きな重みがあると、陽香は他の誰よりわかっている。
『開口部を中心に高電圧の発生と電磁場の変動を確認。何かが起きてます』
機械的だったマコトの口調にも若干の揺らぎが含まれる。
スクリーンに映った開口部から突如――空へ、一筋の赤色光が放射された。
それはこれまでの青白く発光していた《光の柱》と違い、紫電を帯びた禍々しい赤い輝きを放つ。さらに垂直ではなくやや斜め上へ伸びていく、何かを狙うように。
「なっ」
予期しなかった現状を前に、陽香は眼を大きく見開き、丸雄は椅子から立ち上がる。
それは戦慄せずにはいられない、混沌を思わせる異様な光景だった。
雲を突き抜けてなお数秒間の照射は続き、夜空を血に似た赤黒い不吉な色に染める。
赤色光が収まると、同時に雲の先にあたる遥か上空で断続的な異音が鳴り始めた。
小さく低い音だったが徐々に大きくなり、やがてはっきりとした爆発音を下界に響かせて、雲を掻き分けその正体を現す。
「まずい! FROCが」
鬼気迫る声を張り上げる陽香の意思を汲むように、上空からの落下物へスクリーンの映像がズーム。
破損状態で炎上しつつ火花を散らしているそれは何かの大型機器で、円形のコアユニットにあたる中心部から五本のアームが伸び、アームの付け根は半透明のゲル状膜で覆われている。
その姿はまるで――空飛ぶヒトデのようだった。
しかもそれが一つではなく、続けて三つ四つと落下していく。
陽香は思考停止して、ただ呆然と見続けることしかできなかった。
一般社会へ秘匿されるべき事実を守ることが指名だった。このような緊急事態を回避するために、自分達リングスはもちろん他の管理部隊も社会の裏仕事をこなしてきたのだ。それが今、破られようとしている。
「丸ちゃん。FROCって、大きさどのくらいか覚えてる?」
前触れもなく閃いた予感を確かめるべく、陽香は大型スクリーンの操作パネルを動かす。
「アームの部分を含めなくても直径十五メートル以上はある……まさか」
丸雄の言葉を聞きつつ、FROCと呼ばれる物体の落下予測範囲を割り出す。
「そのまさかよ。このまま落下すれば市街地に被害が出るわ!」
普段から強面の丸雄だが、今は更に表情の厳つさが増し、並々ならぬ危機感を浮かべている。
『それだけではありません』
陽香や丸雄と違い、マコトは取り乱してはいない。
しかしその冷静な言葉が今に限っては、神からの残酷な啓示のようでもあった。
『もしFROCへの攻撃が続けば最悪の
「なっ……」
陽香はその意味を、瞬時に咀嚼する。
「連中、あれの存在を世に知らしめるためなら手段を選ばないつもりなのね」
しかし一方でスクリーンに映るのは、金属の塊であるFROCが市街地へ落下し圧倒的重量で一般家屋を屋根から押し潰していく光景。
明らかにここ十年では同じレベルの緊急事態はない、前代未聞のことだ。
それは紛れもなく、秩序の崩壊であった。
圧倒的な衝撃の前に、陽香は驚愕のあまりしばらく息ができなかった。
ほんの数分間の短い間で思い知ったのだ。一般社会とは掛け離れた仕事をこなしてきただけで、いかに自分が甘い考えで平和ボケしていたかを。
しかし鋼の意思を手繰り寄せて、冷静に思考する自分を取り戻していく。
絶望を頭で唱え続けるのは止めよう、責任を負う立場である自分にそんなことは許されない。これまで機密が露呈しないために様々な作戦をこなしてきたリングスのメンバー達なら、この状況を収束させることも可能なはず。
一刻も早く行動することが最善の選択だろう。なら、まずやることは部下達への通達だ。
「丸ちゃん、火器の弾薬は多めに積んでテクニカルで現場に向かって。オーダーとマコちゃんの管理はあたしが兼任する」
わかった、と淡白な返事ですぐに情報作戦室を出ていく丸雄に感謝する。阿吽の呼吸で意図を察してくれたからだ。
「優人、鷹志、移動中ね? 緊急事態よ」
陽香は共有通信でマイク越しに繋がる二人へ告げる。
「状況が変わったわ。まずは映像を送るから確認して」
********************
転送されてきた映像を見る前に、路肩にテスラを停めておいて正解だった。
優人はその内容が想像を遥かに超えたものだったため、見入ってしまった。運転の片手間で確認することが不可能なほどの衝撃だったから。
『今までの青い光は、FROCの光学迷彩へ干渉および民間へのゲリラ的なメッセージが目的と思われます。しかしこの赤い光はFROCの破壊が目的で、軍用高エネルギー対空レーザーシステムに酷似したものです』
映像が再生される中、マコトが解説する。しかし技術的な詳細を把握する余裕は今の優人には無く、ただ目の前の惨事に翻弄されるしかなかった。
『二人共、事の重大さは理解したわね。思うところはあるだろうけど、今は行動して欲しい。移動中に詳細は続けて伝えるから、まずは転送する指定場所に向かって』
陽香の指示通りに迷うことなく体が自然と動き、ナビに映った板橋区東部へ向かう。しかしFROCが市街地へ落下していく映像の余韻は消えない。
彼らの目的はFROCへの干渉だというのは以前からわかっていた。
但し、一度は誘拐した由梨を開放したことから、無関係な者へは配慮をして一線は超えないのだと信じていた。しかしそれは意味のない安易な想定だったと悔やむ。
犠牲を顧みない卑劣さと自分の不甲斐なさに苛立ち、優人はテスラのステアリングを叩く。
『即席の作戦を説明するけど大雑把な方針程度だから、現場での状況判断も大切にして欲しい。目的は荒川オプトロニクス本社内にある対空レーザー照射装置の破壊、および機能停止。向こうは追い込まれた状態で、全員が戦闘可能か不明だけどこの深夜に二十人以上集めたらしい。だからこちらも強硬手段に出る』
優人は司令室か地下の情報作戦室でしか作戦の説明を受けたことがない。今までより余裕のない状況なのは明白だった。
『あと悪い知らせだけど、あの赤いレーザーが何度も打たれればFROCの光学迷彩が部分的に無力化されて、いずれは《リング》が露出する恐れもあるそうよ。ただわかってると思うけど、仮に《リング》が露出してもすぐに民間で認知が広まることはないわ。各メディアに張り巡らされたサブリミナル効果で、空を見ても認識できる人はほどんどいない。それにFROCの光学迷彩には穴が出来ても自動補完する機能があるからいずれはまた見えなくなるわ。さらに今はまだ深夜、夜明け前に止めればリスクは最小限で済む』
『本格的にまずくなってきたな』
『そうね。だから全員の素早い行動と的確な判断を期待するわ』
鷹志なら連想できたはずだが、それを呟くほどの出来事でもある。一方で優人には所感を口にする余裕すらなかった。
『肝心の行動内容だけど、基本的には照射装置がある場所へ突入する優人を全員でアシストしていくことになる。まずマコちゃんが監視カメラを参考に、照射装置の場所への突入ルートをリアルタイムで更新、優人が到着したらそれを転送して。もし建物内へ突入後に優人が移動の妨害を受けそうなら内部のシステムを利用して可能な範囲で助けること』
『了解』
マコトにしては淡白な返事だ。オーダーの影響のことは聞いているが、この緊急時なら無駄がなくベターな反応だろう。
『鷹志と丸ちゃんは現場、屋外での援護よ。鷹志は狙撃で極力負傷者を出すこと、死者を出さず救護に手間を取らせるようにして。丸ちゃんは支援火器で牽制目的の制圧射撃。あと優人が内部に突入した後でも続けるように。少しでも撹乱になるようにね』
『ん、それって優人への負担が大きくないか? 何が起こるかわからない敵の本拠地に一人で突入なんて』
この緊急時でも鷹志は異見を唱えるが、陽香はそれに苛立つことはない。
『心配ないはずよ、大丈夫。優人はもうアレが使えるから』
『そうか……なら問題ないかもな。やることは了解した。一刻も早く現場に向かう』
陽香のシンプル過ぎる隠語に納得した鷹志は、きっとあの現象の正体を知っているのだろう。
『優人はここまで言えばわかるわね。破壊してもいい、あのレーザーの照射装置を止めて』
「了解です」
この仕事に失敗は絶対に許されない。
しかし任務とは関係なく、個人的な衝動もあった。
裏社会の出来事は誰であろうと、非日常から逸脱させてはならない。日常は守らなくていけないという強い信念が優人にはある。しかし、あの赤いレーザーは無関係な人達を巻き込み、日常と非日常の境界を破壊しようとしている。
だから絶対に許せない。
そんな思いを胸にテスラのアクセルを踏み込もうとしたときだった。
『優人、すぐ済むから少し話を聞いて』
それは、落ち着きなさいと叱咤するかのような呼び掛け。
ナビの上に表示されている通信状態は、一対一の限定通信だった。
『察していると思うけど、この後は優人に掛かる負担がかなり大きいわ。けど今のあなたなら絶対に大丈夫、キャスターを信じて。あれはどんな驚異からもあなたを守ってくれるから』
今も左上腕にある得体の知れないものを、完全に信用したわけじゃない。ただ、余裕のないこの時にする陽香の話に間違いはないはずだ。
「僕はまだこれの正体を何も知りません。でもさっき物流センターの中でも、これに助けられたんだと思います」
一ヶ月前の事も合わせて、似たような不可思議な現象が二回も起こった。何かの力があるのは確かだろう。
『急に信じろと言われても、無理があるのはわかってる。けど今は……キャスターを信じなくても、あたしの言葉を信じて』
「はい。陽香さんを信じてないときなんか……たまにしかありませんよ」
『ふっ、何よそれ。でも、ありがとう』
そこで限定通信が終わると、気づけば怒りの衝動は少し静まっていた。そんな落ち着いた心で、優人はテスラのステアリングを握り直しアクセルを踏み込んだ。
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