2.作戦開始

 優人がいる位置から五〇〇メートル離れた位置、そして地上約五十メートルの高さの十五階建てマンションの屋上に、鷹志はネリーと共に待機していた。

 他にも候補はあったが、狙撃地点にこのマンションを選んだ理由は主に二つ。

 周囲にある他の建物の屋上より給水塔や太陽光パネル等の掩蔽物が多く、カモフラージュに都合が良く発見されにくいこと。目標との間に弾道を遮る障害物が無いこと。

 その他にも細かいことはあるがこも二つが主な理由である。

「さてさてマスター。出番ですよ、本番ですよ、ここからはおふざけなしですよ?」

 マイクの共有通信がオフなのを良いことに、ネリーが作り物の電子音ながら憎まれ口を叩いてくる。

「ふざけてねえ、大真面目な話をしてたんだ」

 しかし妹の気掛かりな内容だったとはいえ、我を忘れて話続けてしまった。目を覚ませたのは、聞き慣れた丸雄の野太い声と口の悪い相棒のおかげとしておこう。

 優人には愚痴をこぼした形になってしまった。しかし彼は自分と違い、目上の人物への配慮や礼儀を重んじる人間である。だからそこは先輩の立場に甘えるとして、今は成すべきことに集中することにした。

『事前の打ち合わせ通り、鷹志の狙撃直後にジャミングとオーダーによる背後組織の拠点警戒を開始する。優人は警備員に向かって走れ。外した場合のフォローだ、時間が過ぎても内部の人間に気づかれず済むかもしれない。二人共いいな?』

『こちらアタッカー、了解した。これから壁を越えて敷地内に入るので、狙撃はよろしく』

「こちらスナイパー、任せろ。万が一外した時は頼む」

 二つの返事に対し丸雄が「では健闘を祈る」と歳臭い台詞を残すせいで、鷹志は声を出さずくすりと微笑む。まだ年代は中年だが、初老のような口振りに思えたのだ。

 鷹志はこれまで座っていた物陰から出て、伏射姿勢に移る。

 黒い銃身のライフルはすでに二脚で固定され、標的へ減音器の先端を向けている。

 肩をストックに密着させ、右手人差し指をトリガーに当て、右眼で高倍率暗視スコープを覗き見る。

 その先には最小限の照明が灯る物流センター、搬入用シャッター前の駐車スペースに警備員が二人。それぞれが約十メートル離れた位置に立っている。

 目的としては、警報等をさせる間を与えずにこの二人を無力化――つまり、素早く二連続のヘッドショットを成功させなければならない。

 過激な方法だが《光の柱》発生装置の重要性に加え、一ヶ月前は確保に失敗した経緯を考えれば仕方のないことだろう。

 そこで装備保管室内にあるライフルの中から、今回の作戦に最適だと鷹志とネリーが判断したのは、ブレイザー・R93ボルトアクション狙撃銃である。

 特徴は通常多くのボルトアクションライフルが、回転式でボルトハンドルの前後移動と回転の操作が必要であることに対し、ブレイザー・R93は前後移動のみで済む直動式であること。これにより排莢・装填時間が短く済むため、連射性が高い。かつボルトアクションの命中精度も保っている。さらに消音器も利用すれば、二人目に気づかれることなく短時間で二連続のヘッドショットが成功する、としたのだ。

 建物の構造上、死角からの奇襲もほぼ不可能。狙撃失敗後のフォローはともあれ、優人からのアシストを利用した工夫もできない。ジャミングにより無線での連絡は妨害できるが、少しでも時間の余裕を与えれば大声を出されてしまう危険も伴う。

 よって即時無力化できるヘッドショットが必要なのだ。

「これより狙撃を行う」

 二人の警備員の内一人に向けて、暗視スコープの倍率ダイヤルを調整。円形で薄緑色の視界の中に浮かぶ十字の照準線の中央にピタリと頭部を合わせる。

「ネリー、気象データの再読み込み」

 すでに風向き・風速・温湿度・気圧等の把握は終えたがやや時間が空いたため再度調べ直す。

「マスター、了解しました」

 普段は無駄にお喋りなネリーだが、今は機械的な口調での返事をする。

 長距離狙撃には実際にトリガーを引くスナイパー以外に、周囲の環境を把握するスポッターという役割がつく場合もある。これを半自律ロボットであるネリーが担当する。

 しかし、ネリーは狙撃専用のソフトウェアが不完全であり、関連知識のある人間の専門家に対し意思決定が必要なアナログな部分は劣る。だが情報蓄積量や照準修正の計算等のデジタルな部分は生身の人間のそれを遥かに上回っている。

「再読み込み完了。風速が強くなっています。左からの風、プラス一修正」

 暗視スコープ内にある十字の照準線に刻まれた目盛を見て、指示分だけ動かす。声は出さない、顎が動けば狙いがブレてしまうからだ。その他の複雑な要素はないため、これ以上の微調整もいらないだろう。

「いつでもどうぞ」

 スポッターの了解も出て、事前の調整は全て終わり。あとはトリガーを引くのみ。

 ミスが許されない狙撃、今まで何度もやってきたため大きな緊張は当然ない。

 しかし一度の瞬きをしながら「すまない」と胸の中で哀悼の意を表する。

 任務とはいえ人の命を奪うのだ。これはいつも忘れない短い儀式。警備員達も非合法な仕事を請け負ったと自覚はあっても罪深いわけでもない。だから、せめてもの誠意を向けたい。

――が早く変わることを切に願う

 右眼と人差し指に神経を集中、自身をライフルと一体化させる。

 余計な精神論を全て思考の外に追いやると、自然と頭の芯が冷えていき、他の感覚が消えていく。この後は人間性などリスクでしかない。

 第一射だけを考えれば、ヘッドショットといえど距離や気象データから考えて鷹志にとっては難易度が低い狙撃だ。

 問題は第二射。二人目に素早く照準を合わせて弾丸を発射しなければならない。焦って速くしても外れるだけ、遅くても察知されれば成功させることはほぼ不可能。

 第一射の後、ボルトハンドルを引いて戻し、ライフルを僅かに動かし照準、トリガーを引く。

 この工程を脳内で二度イメージしてから覚悟を決める。

 そして大きめに空気を吸って息を止め、撃発後に飛翔する308ウィンチェスター弾が目標点へと収束していくビジョンが浮かび――トリガーを引いた。

 スコープを通した映像は気にせず、すぐにボルトハンドルを引いて排莢、元の位置へ押して次弾装填。

「命中」

 ネリーの音声のみで成功の是非を知り、無駄のない最小限の動作で二人目の頭部へ照準。

 照準線の中心からやや右の位置で、二人目の警備員は周囲の異常に気づいたのか、今にも頭を動かそうとしていた。

 しかしほぼそれと同時に、鷹志は再びトリガーを引いた。


********************


 鷹志のライフルの発射がネリーとオーダーの暗号化処理を通じ、優人のディスプレイに表示される。さらに第一射の成功とアタッカーの行動開始指示が出る。

 優人は透過型ディスプレイをヘッドギア内部にスライドさせ、ワルサーを片手に外壁と建物の狭い隙間から飛び出す。急に開けた視界に一瞬だけ泳がされるがすぐに目が慣れる。

 しかし数十メートル先で、警備員が力無く背中から倒れていく姿が見え、急ぐ足を遅める。

 薄暗いため見えにくいが、アスファルトに仰向けになった警備員の側頭部には、帽子のツバごと穿った弾痕らしきものがあった。十メートルほど離れた位置にも倒れている警備員がいるが、おそらく同じ痕がある。

「申し訳ない」

 そう一言だけ呟き、踵を返すといくつもある搬入用シャッターの内一つだけが約一メートル上昇し中途半端な位置で不自然に止まる。事前に聞いていたオーダーを使ったマコトのクラッキングによる操作である。

『優人、シャッターから中に入れ。後の処理は任せるぞ』

「了解」

 丸雄の指示通り速やかにシャッターの隙間に潜り込むと、そこは大小様々なコンテナやダンボールが見渡す限り置かれた見慣れない迷宮。照明も全て消えていて、小さな足音すら許されない静寂が支配する無音の緊張感で満ちていた。

 事前に聞いている《光の柱》発生装置の保管場所は在庫スペースにあたる二階のため、周囲の警戒を怠らず極力物音を立てないように移動し階段を上る。

 二階は搬入口が少ないため一階に比べれば狭い。整理用のラックが無数に並んでいて隠れやすいが、同時にこちらも相手を見つけにくい。それに素早く動くにはやや難がある。

 それを踏まえて全神経を研ぎ澄ましてフロア内の状況を覗うと、ハンドライトを片手に巡回中の警備員が二人確認できた。

 あまり時間は掛けられない事情がある中で、幸いにも二人は逆方向へ歩いていく状況だった。

 踏み込むべきか……と迷った時間は一秒にも満たなかった。

 しかしこの手の判断はどこまで考えても「賭け」の部分は無くならず、堅実に決めることには限界がある。しかし時間経過というリスクは増加していく一方なのだ。

 ワルサーを右大腿部のホルスターへ収め、腰のベルトにマウントしておいたスタンナックルを手に取り親指でスイッチを押す。

 至近距離まで接近する必要があるものの、銃器と違い音は遥かに静かだ。何より相手を殺傷しなくて済むため、優人はこれを過去の作戦で多用してきた。

 二人の警備員の内、比較的近い距離にいる一人の背後に忍び寄り、スタンナックルの電流がスパークする接触部をそのまま押し当てると、

「――」

 真後ろにいた優人にしか聞こえないほぼ無音の呻き声を上げる。

 まずはハンドライトを手に取り、光の軌跡が暴れないようにする。警備員はそのまま膝から崩れ落ちようとするが、周囲に音が響かないよう上半身を支えてその場に横たえる。

 まずは一人。

 次は逆側に歩いていった警備員に対応しよう、と油断をした時だった。

 突如前方から光の眩しさを感じ、反射的に瞼を細める――見つかった。

「誰だ!」

 遅れて声を張り上げた警備員が約七メートル離れた位置でこちらを凝視していた。

 ここからはスピード勝負。

 位置を把握していなかった三人目の警備員が死角にいたのだろうが、そんな細かい分析はすでに優人の頭からは一瞬で消え去っている。気配を消していた全身が一瞬で沸騰して、スタンナックルを片手に迷いなく警備員への距離を詰める。

 しかし相手も物怖じせず、腰に固定していた通信機らしきものに手を伸ばすが、一度の操作では動作せず、その後も二度三度と繰り返し続けた。

 数分前に起動したジャミングの効果である。

 それが隙となり優人は手が届く位置まで接近、警備員の上腕へスタンナックルを叩き込むと一人目と同様に痙攣してその場に倒れ込んだ。

 しかしこれで残り最後の一人は異変を感じて、警戒しているだろう。

 その証拠に何台ものスチールラックの先に見えるハンドライトの光の軌跡は、優人の位置を探すような動きをしている。それを見て最後の一人が無能でないと推察する。

 直線的な接近は諦めやや迂回しつつ、スチールラックに身を隠しながら移動を試みるが――拳銃の発射音、ラックを叩く火花と着弾音が三回。

 狙いはどれもバラバラであり、こちらの位置を正確に把握しているわけではない様子。

 しかし侵入者への牽制としては正しい行動であり、これで容易には近づけない。

 スタンナックルをベルトに戻し、再びワルサーを手に取る。

 即席の戦法として、フォールディングナイフを明後日の方向に投げ、音に反応させて警備員の注意を逸らし、連射しながら一気に接近する。

 これが数秒で描いた優人の青写真である。

 特殊な訓練を受けている人間でなければ、これを受けて冷静さを保てるわけがない。

 すぐ実行しようと、ナイフを左手で引き抜こうとしたが、

「クソッ、どうして動かないんだ!」

 苛立ちを隠さない叫び声と何かを叩く音がすると、警備員はハンドライトの光を上下に激しく振りつつ走り始めた。

 まずい。

 一ヶ月前に見たトレーラーのコンテナが爆発炎上する光景、それが一瞬で脳裏を過ぎり優人は警備員を全力で追う。

 警備員が動かそうとしたものは《光の柱》発生装置を遠隔爆破する機器だろう。それに今、警備員が向かっている方向にはそれが格納されたコンテナがある。昨日のブリーフィング後に確認した二階フロアの配置図と合致するのだ。

 つまり無線操作が利かないと判断し、コンテナ自体に直接設けられた自爆装置を作動させるつもりなのだ。

 優人はスチールラックの狭い隙間を縫うように駆ける。

 ここでしくじれば全てが水の泡だ。

 一ヶ月前のリベンジも果たせない。昨日マコトと交わした決意も叶わず、丸雄の現場指揮や鷹志が行った汚れ仕事も無駄になる。さらにこれは自己中心的な思いだが、成功させなければ陽香へ顔向けできない。忠義に近いものだろう、真摯な心を持つ彼女の期待に報いたい。

 だから《光の柱》発生装置を必ず確保してみせる。

 スチールラックの迷路を抜けると、他の貨物とは一回り大きいコンテナがあり、扉と思わしき開閉部の隣にはカバーに覆われた番号入力のテンキーらしきものがある。警備員はそれを今まさに入力しようとしている段階だった。

 これでは間に合わない、と直感する。

 入力桁数にもよるが警備員との距離は約十メートル。警備員がミスでもしない限り入力完了してしまう可能性がある。

 切迫した状況下で全身を焦燥感が支配する中で、まともな狙いをつけられずワルサーの銃口を向けて神頼みを念じながら連射するが、結果は残酷にも願い通りにならない。

 その間に警備員の指は三桁の入力を終えてしまう。

 しかし距離が詰まるほど命中率は高まるはず。その期待を便りに走りながらマガジンが空になるまで連射を続ける。

 すると警備員の上半身が飛び、テンキーから手元が離れる。

 体の挙動に妙な違和感があったが気にせず、それを凌駕する歓喜に自然と頬が緩む。

 すぐさま困惑状態の警備員へ、全力疾走の勢いを乗せた飛び蹴りを食らわせる。

 外にある常夜灯の僅かな光を受けて反射する緑色の床を滑り、その後はピクリとも動かず警備員は沈黙する。

 他の二人の様子も確認すると、緊張で熱くなった肺の空気を勢い良く吐き、優人はその場で安堵した。

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