第2話

 七時をとうに過ぎたのに、SNSの女から連絡は入らない。

 只野に電話を入れる。

「まだ来ないんで、ダメみたいっすね」

「ばっくれですね! 了解です」

おれも只野も慣れっこだ。

この仕事には付き物で約束が約束ではない。

いちいち気にしている方がアホだ。

おれの口にするスカウト内容も甘いシロップを塗りたくっているんだし、お互いさまだ。

「蘭ちゃん七時までの予定でしたけど、お客さん一枠延長希望です! 蘭ちゃんに聞いたら平気って事なんですが?」

「ありがとうございます。大丈夫ですよ!」

 缶ビールをもう一缶買ってスタジオへ向かって歩く。

すっかり暗くなった早稲田通りを車のヘッドライトが列をなしている。

歩道には週末の夜を謳歌する学生共が溢れかえり目障りだ。

おれは歩道から車道に出て足早に進む。

一台の車が急に進路を変え、おれの前に寄り添った。

「久しぶりだな」

後部座席から男が降りてきた。

おれは近眼で手元以外はぼんやりとしか見えない。

メガネはかったるいしコンタクトは金がかかる。

オールバックに撫でつけた髪、生え揃わないくせっ毛の顎鬚、見覚えがあった。

「おいおい、忘れちゃったのかよ!」

グレーの仕立てが良さそうなスーツから放つコロンの香り。

イケメン芸能人が「飲んでいる」ってテレビで見て彩音がおれに飲まそうとした何とかってメーカーの育毛剤・・・・・・。

こんな時にどうでもいいことが脳裏をかすめる。

男は馴れ馴れしくおれの肩を抱く。

シャネル・エゴイストプラチナム。

おれの記憶にメスが入った。

堂島だ。

「人違いじゃないですか?」

シラを切るおれを相手にせず、車に放り込まれた。

「おまえミチルの紹介でビデオ屋の店員やってただろ!」

「えっ! 誰のことですか?」

一年前ぐらいに歌舞伎町で朝まで飲んで、そのまま夜勤明けの風俗嬢や酔った女達に声をかけていたおれを、こいつの手下数人がおれを襟ぐり掴んで吊るし上げた。

たまたま通りかかったのがミチルで、なんとか丸く収めてくれた。

ミチルとはツルンでいたこともあるが、利鞘とりで仲違いも数えならないほどあった。

ついたり離れたり、その時々でお互いにメリットある話があれば乗るまでだ。

ミチルの知り合いが歌舞伎町でキャッチのシマを持っていた。

おれがいたとこと隣り合わせた一角。

それで、ここいらの一帯のケツもちが、このくせっ毛シャネルだったって訳だ。

それからほどなくミチルから連絡があり仕事を紹介してもらった。

裏ビデオ屋の店員が人手不足だってんで、おれがやらされた。

マッポがいつ内定にくるかわからないヤバイ仕事。

どんだ、おまけつきだ。

 最初は外で番人をやらされたが、たまには店員もした。

アメ横の海苔のたたき売りの要領で、ついでにサービスあれもこれもつけちゃうって感じで売りまくり、おとなしそうな客には値段を吹っ掛けた。

そのうち商品をくすねて知り合いに捌いて小銭稼ぎもするようになった。

ある日おれは外でそれとなく見張りをしていると、3人の男の一団が店のビルへ入っていく。

ピンときた。

おれはその場から逃げた。

「おまえな! ガサ入るのほったらかしやがって!」

堂島はギラギラとした目つきでおれを睨む。

このままシラを切り続ければパンチが飛んでくるだろう事は簡単に予想できた。

「あっ! 思い出しました! 堂島先輩じゃないですか?」

「先輩は余計だ!」

「ガサ入れあったんすか?」

「あぁ? 知ってるくせにすっ呆けてっと、心臓えぐり出して売っちまうぞ!」

「肝臓のが高く売れるかも・・・・・・」

おれは缶酎ハイを差し出しながら言った。

「ふざけんな!」

堂島は栓を開けて酎ハイを喉に流し込む。


「おまえ! 知ってて逃げたんだろうが! 携帯も番号変えやがって!」

「いや、いろいろと事情がありまして・・・・・・」

「迷惑かけたなぁとか思わないのかよ!」

「それはもちろん」

「だよな! どう責任とるつもりなんだ?」

「今日は見逃してくださいよぉ」

「今日以外いつがある?」

「いま人、待たせてるんですよ」

「知るか!」

「金なら、ないっすよ」

おれは財布を開いて見せた。

「さっきパチですっちまったんで残560円也。サラ金も無理っす! おれブラックなんで・・・・・・」

おれは胸を張り、まな板の鯉おなじく、どうにでもなれと開きなおる。

「喰えねぇ野郎だ! こん畜生。電話番号教えろ!」

「わかりやしたぁ~」          

          

 ようやく堂島から解放されてスタジオに向かう。ほろ酔い気分もどこかへすっ飛んでしまった。

早稲田通りから小道を曲がった住宅街のマンションでインターフォンを鳴らす。

オートロックが解除され地下へと降りる。

「遅いじゃん! 澤村さぁ~ん」

蘭ちゃんの不機嫌な声が聞こえた。

「ゴメンね! すいません! 遅くなりまして只野さん!」

「お疲れさまです」

只野が奥のパソコンデスクから顔を覗かせた。

手前の衝立に蘭ちゃんのバッグがかかっている。

「あっ! 蘭ちゃん! 疲れた? 今日は嫌な客いなかった?」

「うん」

「只野さん良いお客さんばかり付けてくれたんだぞぉ~」

「そうなんだ」

客からの差し入れであろう色とりどりのマカロンの箱詰めを抱えて、蘭ちゃんが小首を傾げている。

「次回いつにしよっか? うちのナンバーワンだから、いつでも満枠になっちゃうけどね」

「調子いいこと言ってさ」

笑いながら蘭ちゃんがマカロンを頬張る。

「来週、今日とおんなじで! この時間まで平気」

「わかりました」

只野が壁のスケジュール表に『蘭ちゃん11:00~19:50』と書き込んだ。

「Vの撮影また決まったからさ、来月空いてる日教えてね!」

「あたし彼氏待たせてるから、また予定みて連絡する」

「あっ! ごめんね。じゃギャラ頂いてっと」

只野が用意した封筒の中味を確認し、ゴム印を押した領収書に金額を書いてテーブルに置く。

社名はジュライ、彩音が決めた。

お気に入りのビジュアルバンド名だ。

住所はもちろんデタラメ。先週までは築二十年のおんぼろアパート暮らしをしていたが家賃滞納で追い出された。

おれはブラックだし定職もないので家を借りることができないから、彩音の名義で保証人協会を通して借りていた。

今もっている携帯の契約も彩音の名義だ。

彩音と籍を共にして唯一、助かっている部分だ。

「はい! これが蘭ちゃんの分ね! 大事に使うんだぞぉ~」

「こんだけ?」

とんがったスカルプネイルの指先で器用に枚数を数えぼやく。

「彼氏に貢いだりしたらダメよ、すぐに騙されちゃうんだから。源泉さっぴいてるけど、満枠ボーナス付けてるから他の子より取り分多いんだよ」

「そうなの?」

納得したのかしないのか曖昧な表情のまま札束をカバンにしまう。

「じゃぁ! お疲れさまでした。あっ! 只野さん用に缶酎ハイ買ったんですけど、来る途中知り合いに因縁つけられて、面倒だからやっちまったんですよ。

顎鬚が陰毛みたいにくせっ毛でキモイ奴なんすけどね」

「顎に陰毛って?」

蘭ちゃんが繰り返す。

只野は、笑いながら茶菓子の空き箱のなかに金物やネジ、配線を片づけている。

「それ! 何に使うんすか?」

「ネットで電磁パルス発生器見たんですよ、撮影会中、暇じゃないですか! 面白そうだから自作してるんです」

「っていうと・・・・・・」

「コイルに高エネルギーのサージ電流を発生させて、接続した半導体や電子回路に損害を与えるんです」

「サージ電流・・・・・・すか?」

「えぇ、雷みたいなもんです」

おれは思わず眼を剥いた。

「つまり、例えばここにコイルを巻いて、先っぽを澤村さんのスマホに近付けて電流のスイッチを押すと、スマホが破壊されます」

「げっ! やばっ!」

蘭ちゃんが口に手を当てている。

只野はいたって冷静につづける。

「フィフス・ウェイブって映画知ってますか?」

「近未来都市で謎の知的生命体が電磁パルスを地球に放射して、あらゆる電子機械を止めちゃうんです。

停電して交通機関は麻痺、テレビやインターネットも使えない、どうです? 日常生活が出来なくなっちゃうんですよ」

「只野さん、根暗っすねぇ~」

おれは缶ビールを開けて喉に流しこむ。生ぬるくて不味い、開けなきゃ良かったと後悔する。

「これ作って、どうするの?」

「おぉ! 蘭ちゃんの言うとうりだ。銀行強盗でもするんすか?」

「暇つぶしですよ」

只野は、顔を真っ赤にして箱を隠した。

「さっ! 忘れ物ないように、気を付けて下さいね」

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