調印式

 報告を受けたカプランは暫し考えた後、ザンビエル側の客人を通す様に、文官に伝える。その顔には少なくない憂慮が見て取れる。


 カプランの顔色を見て、シャナンはザンビエル側の使者が厄介な相手なのだと悟った。普段の高慢な態度からは想像もできない変わり様にシャナンも先行きに不安を覚える。それと同時に、あの“アルフォンス”なるザンビエルの勇者に会わなければいけない点もシャナンの不安に拍車を掛けていた。


 文官はカプランの命を受けて、部屋を出た後、しばらくして幾人かを引き連れて現れた。


 シャナンは少し気になり、チラと文官の後方に目を向ける。

 そこには、白い軍服に身を包んだ女性と黒の軍服を着こなした男性が後ろにいる誰かを守るかの様に歩みを進めていた。


 白い軍服の女性は長い金髪をなびかせ、猫科の動物を思わせるしなやかな体躯を持って悠然としていた。その体には服の上からでも筋肉のつき具合が分かる程に鍛え上げられていることが見て取れた。


 対照的に一方の黒い軍服の男性は髪は服装と同じく黒髪で、痩せた体つきをしている。服と髪色、それにやせた頬骨が相まって隣の女性の勇壮さとは逆に陰鬱な雰囲気を醸し出していた。

 一見して身体能力が高いとはお世辞にも言い難い体躯をしている反面、この男性は相手を見透かすかの如く鋭い眼光を周囲に向けている。何も語らずとも、目だけで相当の知恵者を思わせる。視線受け、思わずシャナンは身震いした。


 この二人の背後にいるのは、赤い礼服をまとった綺麗な女性と一人の男性である。女性は碧の瞳と紅い瞳を持ち、眼鼻筋がはっきりとした長身の女性であった。銀の髪を束ねた頭にはティアラを飾り付け、手には金色の錫杖を持っており、服装だけでも威厳が感じられるとシャナンは思った。


 そして、もう一人の男を見て、シャナンはポツリと呟く。


「アルフォンス……」


 その呟きは誰にとも聞かせるためでもなく、一人でに放たれた言葉であった。だが、アルフォンスは耳聡みみざとく聞こえたのか、シャナンに向けてヒラヒラと手の平を振る。

 シャナンはその態度を見て、言い知れない不快感を覚えた。


 文官はカプランの前に一堂を引き連れ、膝を突き、告げる。


「カプラン殿下。ザンビエル王国のエレオノーラ王女と御一行をお連れ致しました」

「…うむ。ご苦労であった。下がって良い」


 カプランの一言で文官はおごそかに退室する。後に取り残されたのはシャナンのいる王国とザンビエル王国側の使者だけだった。


 カプラン王子はザンビエル王国の使者に、にこやかな笑みを浮かべて話し掛ける。


「ようこそ、おいで下さいました。私は……」

「あら?慇懃な物言いですね。幼き時分はあんなに私に仲良くしていただけたのに。つれないですわね、カプラン王子?」


 赤い服の女性の先制パンチで話が始まった。カプラン王子は機先を制され、言葉に詰まる。


「う……ふふ、エレオノーラ殿、相変わらず手厳しいですな。昔と変わりない様で安心しました。しかし、本日は外交の場です。昔馴染みとて、馴々しく貴殿を遇すわけにもいくまいでしょう」

「ふふふ、これは私が礼を失してしまいましたね。大変失礼しました、カプラン王子」

「馴染みの話は、この調印式が終わってからゆっくりと致しましょう。では、席にお着きください」


 なんとか場を凌いだカプランの額にはうっすらと汗が滲んでいた。話の流れからして、二人は幼馴染みの間柄であるとシャナンは察する。そして、少ない会話の中からでもカプランはエレオノーラを昔から苦手としているのだと分かった。先程のカプランの言い返しは彼なりの精一杯の反撃だったのだろう。

 

 額の汗を気づかれずに拭いとり、カプランは、にこやかな笑顔を見せてザンビエルの使者に着席を促す。使者たちもそれぞれの立場に見合った場所に座り、王国側への着席を促した。

 全員が席に座った後、シャナンは言い知れない緊張感が走るのを感じた。今からこの場が国と国の水面下の争いの場、外交交渉の場になるのだ、と幼き身ながらも感じ入った。


 一見すると、同盟の調印式ならば外交交渉の場でなく、儀式的な場と思うだろう。しかし、最後の最後まで気を抜くことはできない。何故なら、土壇場でのどんでん返しが万に一つも起こらないとは言えないからだ。

 そもそも、今回の同盟に向けての下地は両国の文官たちが火花を散らせながら、水面下で地固めしている。考え得る最良の条件だが、最後を決めるのは文官たちではない。あくまで“考え得る“下地を両国の文官たち同士で同意したに過ぎない。

 では、誰が最終的な判断をするのか、というなれば、国家権力を担う両国の王族と答える他にない。

 この王族の判断により、突然に同盟を反故にしたり、想定外の条件を追加する懸念が調印式に潜んでいる。そして、その想定外は王国側やザンビエル側双方に言える話であった。彼らは直前で自国のためにならないと判断すれば、文官たちの努力など気にも止めず、調印式を中断するだろう。


 しかしながら、この場では王国側にはある程度の不利益を呑む覚悟必要であった。そう、交渉の条件が王国側には圧倒的に不利なのである。

 なぜなら、王国側は魔族の軍勢に押され気味であり、客観的に見ても国体が脆弱化している。対して、ザンビエルは魔族の領土と直接的に接している地域は少なく、相対的に国体は強固だ。交渉の場では国の力の差は強力なアドバンテージになる。そのため、この場で強い交渉権があるのはザンビエルにあるのは、火を見るより明らかだった。


 もし、救いを求めるならば、一つだけある。それは、共通の敵“魔族“の存在である。そもそも、この交渉の目的は魔族との共闘戦線を結ぶための同盟締結だ。相手の国力を削ることではない。だからと言って、この場をきっかけに両国間で長年鬱積している問題を解決する起爆剤にしたいとザンビエル側が思わなくもないだろう。

 なればこそ、共通の敵である魔族を焦点に当てて、交渉の場を別の問題解決の場に逸させない交渉力が必要となるのである。


 シャナンも薄々ながら裏の目的を理解しているが、本質的な事情は深くは知らない。知るのは宰相のガネフ、カプラン王子、そして同席している二名の文官たちだけである。あのオリアンヌでさえ、深くは知らない。最も、彼女の場合はシャナンのお付きという立場だけでこの場にいる。元々がこの場にいるほどの役割や地位を持つ者では無かった。


 見えない緊張の糸が全員を絡めとっている中、ホストであるカプラン王子が口を開く。


「遠路はるばるお越しいただき、深謝します。昨今の事情を……」

「カプラン王子、私たちは今回の対魔族の軍事同盟、お受けします」

「なっ!」


 エレオノールの一言にカプランは言葉に詰まる。あまりにも早い決断だった。この言葉の裏に隠されている意図が読めず、カプランは混乱の渦に巻かれるのであった。

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