六郎座の最後

「じ…次郎…兄ぃ…Meは…俺は…どうなっている?」


 息も絶え絶えな男が言葉を発する。


 男は全身を包帯で巻かれ、ベッドの上で横たわる。包帯からは体液が滲み出ており、まばらな斑点を形作っている。布団にも夥しい体液が溢れ、不快な臭いを放つ。その臭いは死が放つ独特の香りを帯びており、知る者が見れば、この男は長くは無いと思うに違いない。


 その死を待つ男から“次郎”と呼ばれた者は、沈黙を保っている。彼は今、目の前に包帯で覆われた相手にどのように返すべきかと思案しているようであった。


 長い沈黙が続く。その沈黙に耐えられないのか、包帯の男が再度、次郎に問い掛ける。


「な、なぁ…次郎兄ぃ…何を言われても…俺は…驚かない…だけど、何も知らず…死んでいくのは…嫌なんだ…教えてくれ…俺は一体、どうなっている?」

「六郎座……」


 次郎は男の名前をボソリと呟く。


 この男、六郎座こと“暴風の六郎座”はカロイの街で勇者シャナンに撃退された魔族の男である。彼は魔王の第六男であり、数多くいる魔族の中でもエリート中のエリートだ。


 そんな彼が率いる千人もの部隊がたった一人の“勇者”に撃退された報は魔族の間に強い衝撃をもたらした。


 精強なる魔族と魔物の混成軍、本来ならば人間の軍隊と比して倍する戦力でも遅れを取ることは無い……筈であった。


 しかし実態は人間側の率いる“勇者”と呼ばれる化物により全軍が全滅したのである。そう、文字通りした。


 本来ならば、軍組織としての全滅とは、軍としての組織機能を発揮し得ない状態を指す。

 戦いとは一度の勝敗で決するものではない。このままでは相手に負けると考えれば、一度逃げて態勢を整えれば良いのだ。勝てないと判断がつくならば早々に切り上げることが上策だろう。


 この逃げるタイミングを誤ると後々の戦況に大きく影響を与える。生命は有限なのだ。有能な兵士を可惜あたら失い、組織機能が発揮し得ないレベルの損耗は、軍組織として大きなダメージを被ることになる。

 何かしらの死守すべき事由が無ければ、逃げて兵力を温存する行為は妥当だろう。


 当然ながら、六郎座は上記を理解していた。しかし、カロイの街では撤退を判断する前に、全てが終わっていた。勇者のスキル“γ線放射”により、全軍に見えない死が与えられていたのだ。

 実際には戦場から敗走した兵士もいたため、広義の意味では全滅では無かったかもしれない。しかし、逃げ出した兵士は放射線の影響で数日の後に血反吐を吐いて死亡した。ある者は髪がゴッソリ抜け、肛門から溶けた内臓を撒き散らして死亡した。快方に向かったと思ったら、翌日には目を覚さなかった者は数えきれない。


 その有様を見た魔族達は戦慄した。これこそ“勇者の呪い”なのだ、と……


 多くの者が“呪い”により死亡するのと同様に、一軍の将であった六郎座も勇者の呪いにより死を待つ身になっていた。彼は落ち窪んだ表情で、己が兄である次郎を見つめる。か細い声で兄に尋ね始める。


「次郎兄ぃ……黙って無いで何か言ってくれ…」

「六郎座……恐らくだが…君は…もう助からないだろう。回復魔法をしても体が再生しない。どんな治療薬でも君の体の損傷は止められないんだ…」


 次郎の苦痛が滲み出た様な言葉を聞き、六郎座は僅かに笑みを零す。笑うところなど無かった。しかし、彼としては敬愛する兄から自らの死を告げられたことで、何か吹っ切れたものがあったのだろう。


 六郎座は憑物が落ちた表情で話を始める。


「そうか……Meは…俺は…死ぬんだな」

「ああ。死ぬ」

「そうか……死…か」


 次郎の冷徹な言葉を六郎座は噛み締める。


「残念だが、君の軍は誰一人生き残っていない。正確には君と同じく死を待つ者が数名いるが時間の問題だろう」

「そうか……」

「…いや、一人、義氏殿だけが安否が知れない。逃げてきた者の話ではただ一人残って、勇者と対峙したとあるが……戦場では彼の死体は見つけられなかった。恐らくは勇者によって跡形も無く消し飛ばされたか…または別の何かが起きたのかは分からない」

「ふ……YOSHIUJI君は殺しても死なない男だ…勇者も…殺し損ね…グフォ」

「六郎座!ッく、そこの治癒術師!六郎座が!」


 話の途中で六郎座が大量の喀血をした。急な容体の変化に次郎は手近にいた治癒術師に大声で呼び付ける。次郎の呼び掛けに慌てて駆け寄る治癒術師に対して、六郎座は片手で制する。


「ふ、ふふふ。い、今更……血を吐いたくらいで…次郎兄は慌て者だな……」

「六郎座…お前は…」

「俺は…俺は知りたい……次郎兄ぃ……」


 六郎座の不意の質問に次郎は無表情にうなづく。次郎が無表情の顔を見て、六郎座はまたも笑みを浮かべる。次郎が無表情の時は、真剣に物事を考える時だと六郎座は知っているからだ。死に行く自分の思いを真摯に受け止めてくれる兄に今更ながら深い敬愛の念を感じている。


 六郎座は喋ることも億劫になる気持ちを奮い立たせて最後の言葉を振り絞る。


「勇者は……あのシャナンと言う勇者は……人間か?あんな化物……人間だとは…思えない。……次郎兄ぃなら…何か心当たりが……ないか?」


 次郎は何か言いあぐねる。その姿を見て六郎座は確信した。あの聡明な兄が言い淀む姿など、今まで見たことがない。ならば、あの勇者シャナンは人間ではない、もっと恐ろしいナニカに違いない。


 では、一体何だろうか。次郎は知っているに違いない。六郎座は冥土の土産として聞きたかった。彼が望む最後の好奇心であり願いだった。


 しかし、その六郎座の思いに答えた者は次郎では無かった。


「勇者……シャナン、か。勇者、ねぇ……」


 誰だ?六郎座は訝しがる。霞んできた目では言葉を発する者の姿が明確には分からなかった。しかし、六郎座はこの声に聞き覚えがあった。


「六郎座君…だったかな?災難だったね。何が起きたかは衛星から監視させてもらったよ。あの実存イグジステンズ相手によくやった、と褒めるべきか…」


 他人事の話をツラツラと述べる男に六郎座は混濁した記憶から探り当てる。


 ──知恵の賢人──


 次郎がどこからともなく探してきた魔王軍の相談役の男だ。見た目は完全に人間だ。だが、この男からは人間とは思えない何か得体の知れない雰囲気を感じる。


実存イグジステンズ……とは…何だ?」

「ふむ。そうだな。明確な定義を言葉で表現することは難しい。だが、感覚的な表現を用いるならば、”そこにいるナニカ“だ」

「ナニカ?……ナニカとは…?」

「ナニカ…とは、実体を持つナニカもいるが、概念のナニカもいる。目で見えるナニカもいれば、精神の中にしか存在できないナニカもいる。ただ分かることは、そこに””ことだけだ。なので、実存イグジステンズと呼ばれている」

 

 六郎座は深い意味は分かり得なかった。だが、知恵の賢人の言葉に何か腑に落ちるものがあった。


 あの勇者の存在は得体の知れないモノ過ぎた。だからこそ六郎座は死ぬ前に勇者の一端を知りたかったのだ。


 知恵の賢人の答えは六郎座が本当に知りたい答えではない。だが、自分が戦った相手は得体の知れない化物であると理解できた。


 自分が負けた理由は化物相手だったからだ、と言う言い訳めいた自己肯定感の中、六郎座は息を引き取った。

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