忘却(オブリビオン)

 悪態を吐く少女の顔は“キョウコ”と呼ばれた自分自身に怒りを放つ。


 少女の言葉を聞き、“本当に油断していたのか”と十三は呆れる。それと同時に、自分の考え過ぎな癖に後悔の念を募らせる。考えている内に少女の生存を確認した後、拘束すればよかったのだ。考えることは後でも出来たはずなのに、十三は自身の性向に唾を吐きたくなった。


 しかし、今更悔やんでも仕方がない。十三は警戒を強め、少女の出方を窺う。誘雷灯を使った電撃魔法の奇襲はもう使えないだろう。


 ならば、どうするか。


 少女自体の得体の知れない力は感覚的に分かっているが、直接的な戦闘力は如何程なのか十三は少女の体格を見る。


 身長も十三の胸辺りしかない。腕の筋力量を見てみるが、然程強さを感じられるものではない。ならば、やはり魔法戦が得意なのだろうかと十三は考える。


 ”脳吸い“ルサッルカ程ではないが、十三自身も魔法は得意な方だ。それに接近戦も魔物のサディ迄とは行かないが、余程のことがない限り、後れを取らないと自負している。


 少女の攻撃スタイルを類推するならば、中遠距離による魔法戦に違いない。ならば、自分は近接戦と魔法を組み合わせた攻撃スタイルで相手の苦手な距離で闘うのみ。


 十三は構えを見せて少女に飛び掛かる隙を窺う。魔法を使おうと詠唱した瞬間……そこが勝負の決め手になる、と十三は覚悟を決めた。


 しかし、十三が相手の様子を窺っている内に、事態は徐々に悪い方向に進んでいた。少女の体に浮かんでいた雷撃傷は段々と癒え、代わりに少女の顔には憤怒の色が浮かんできた。


「な、なんだと……?」


 十三は少女の回復した姿に言葉を失う。少女が回復魔法を使った素ぶりはない。何かしらのスキルなのか、十三は歯噛みして警戒を強める。


 そこへ少女の咎めるような声が大きく響き渡る。


「おい、そこの目つきが悪いド変態!よくもやってくれたわね!」


 少女がビシッと指を指し十三を責める。十三は心当たりがあるだけに言葉を詰まらせながら、反論する。


「だ、誰がド変態だ!」

「ド変態じゃなきゃロリコン野郎よ!」

「ロ、ロリコンだと!違う!俺は……」

「黙れ、ペド野郎!アンタは“力”の権能を持つ“エリカ”様が思いっきりブン殴ってやるわ!」


“エリカ”と名乗る少女が中指を立てて荒々しく吠え猛る。先ほどまでいた”キョウコ“とは違う?また精神召喚か?十三は咄嗟に考えを巡らせる。しかし、”エリカ“と言い”キョウコ“と言い、それまで儚さを漂わせていた少女と同じ人物から発せられた言葉と思えないほど凶悪な悪意が込められている。


 勇者とはこの様な者なのだろうかと十三は辟易した気持ちが込み上げてきた。


 そんな十三を置いて、“エリカ”が話を続ける。


「アンタの使う電撃は単純な運動エネルギーじゃなくて電気エネルギーだから、私じゃ防ぎづらいわ。かと言って私じゃ”世界の理“の“道理”を曲げられないし……」


 少女が頭を掻きながら何やらブツクサ言っている。これは好機だと十三は腿の筋肉に力を入れ、地面を強く蹴って”エリカ“に飛び掛った。


 一瞬で間合いを詰める。それと同時に電撃魔法を唱え、少女の心臓に直接電撃を叩き込もうと右手を下段から左手を上段から挟み込む様に掌底を放った。


 だが、少女は十三の攻撃に気づき素早く構えを取り右手を前に突き出して勢いよく飛び出した。


「破ッ!」


 顎門の様に襲い掛かる十三の両手を前に素早く前に出た少女の中段突きが放たれた。リーチが短いながらも素早く的確な動きで、十三の攻撃が命中する直前で少女の拳が十三の胸に深く突き刺さった。


「ゴフ……」


 十三は数メートル後方に吹き飛び、軽く吐血した。一体何が起きたのか、自分は攻撃されたのか一瞬すぎて何も理解できないでいた。打撃?あの少女が?しかもその威力は少女の筋力では到底考えられない威力であった。


 自身の分析結果と違う予想外の反撃を食らい、混乱で頭が冷静でいられない十三を見下ろし、少女が冷たい口調で言葉を放つ。


「今のは危なかったわ……やるわね」

「な、何を……した…?グフッ…」

「別に。アンタの攻撃の威力にカウンター気味に突きを食らわせてあげただけ。予想外だった?」

「ぐ……だとしても…そんな身体で…あれ程の威力なんて……」

「そりゃそうよ。この子の身体は見かけと違うのよ。表層的な一面だけ見ると大怪我するわよ」


 見た目と違う……だと?十三は少女の言葉に打ちひしがれた。この言葉が真実だとすると、少女の隠された能力は一体どれ位の程なのだろうか。


 十三は置いてきた親友のサディから渡された水薬ポーションを口に入れる。胸の痛みが少しずつ治ってきた。

 だが、傷が治っても十三は気勢を削がれて出方を失ってしまっていた。もし今一度攻撃を仕掛け、先ほどの様な後の先による攻撃を受けては堪らない。どうすべきかと十三は額に汗を浮かべて思案に耽る。


 だが、そんな十三を置いていくかの様に少女が次の言葉を投げ掛ける。


「アンタ、結構油断ならないね。仕方がない。趣味じゃ無いけど、この魔法を使わせてもらうわ」


 少女が両手を組んで天高く掲げる。その両拳を振り下ろし、少女が言葉を紡げる。


「世界の理に代わり勇者の名において命じる。“世界の理”が授けた彼の物の記録を破壊せよ!超越魔法!忘却(オブリビオン)!」


 眩い光が辺りを照らす。その光を当てられて十三は呆然とする。


「な、何をした……?お前!」

「アンタ、もう魔法は使えないよ。いや、それどころか何もかもよ」

「な、何もかもだと!?どう言う意味だ!」

「さて問題。アンタと一緒にいた山羊頭の名前は?」

「何言ってやがる!そんなの……???あ?」

「おやおや〜?誰だっけかなぁ?」


 言葉が出ない。あいつは……あの親友の名前は……何だ?十三は自分を犠牲に人間どもから逃がしてくれたを思い浮かべる。忘れてはいけない。でも思い出せない。十三は焦り、うわずった声で“エリカ”に応える。


「き、貴様!何をした!?」

忘却オブリビオンは頭の思考を全て破壊する超越魔法よ。言語能力、記憶力、判断力に論理的思考力も何もかもアンタはもう使えない。混沌とした思考の渦に絡め取られてアンタは死ぬのよ」

?……あ、あれ?…」

「ふふふ、ほぉら。もう言葉もおぼつかない。もうアンタは何も喋れないし考えられない。さて、それじゃぁ行くわよ。世界の理に代わり勇者の名を持って命じる。我が身に秘められし力を解放せよ!超越魔法!闘気(オーラ)!」


“エリカ”の体から眩い光が放たれる。


 その異様な状況に十三は定まらない自身の頭で必死に考える。だが、何もわからない。何故自分がここにいるのか目の前の少女は何なのか十三は混乱が加速する。


 この様な場合どうすれば良いのか。十三は経験で体に染み付いた行為をするしかなかった。


「まずは…調べる?……そ、そうだ。世界の理に掛けて…分析(アナライズ)!」

「お、凄い。この状況でも魔法が使えるんだ?」


 名も分からない少女が不気味な笑みを浮かべる。


 不気味な筈だが、何故か心が惹かれる。自分はこの少女をどうしたかったのか?十三は壊れた記憶を探ろうとするが、破壊された思考ではまともな答えは出なかった。


 いや、それよりも何をしたかったのか?分からない。先ほどまで自分がしていた行為すら意味があるのか理解できない。頭の中が真っ白だ。

 混乱や恐慌の状態ならば少しでも思考が働くだけマシだった。この魔法は十三から全ての思考を奪い、何もできない木偶人形に変えていく。十三は既にまともな頭脳を維持できなくなっていた。


 突如、十三の頭の中に文字の羅列と数字が飛び込んできた。数刻前に仕掛けた分析アナライズが遅ればせながら発動したのである。だが、今の十三では言葉の意味は理解できない。感覚的に流れる文字を読み解くと何となく異常な内容だと分かる。


「能力が9999?……?スキルって…“猟奇”?殺す?十二人が……?世界の理?そうだ。俺の嫁にしないと…お前は」


 言葉が繋がらない。頭に浮かんだ文字と言葉を意味もなく繋げるしか出来ない。やるべきことは何となく分かるが、その意義と妥当性が理解できない。

 ドロドロのスープ状になった思考に絡め取られた十三に相対して少女が両手の指をポキポキと鳴らして近づいてくる。十三の世界はとっくに崩壊し、今から始まる惨劇も想像がついていない。


 だが、呆けた視界に少女が入り、十三はハッとした。


 ──全てが崩壊した世界で唯一分かること──


 目の前にいる少女に自分は特別な感情を抱いている。それは何か?怒り?憎しみ?それとも……背徳的な感情のような気もするが今となってはどうでも良い。


 だが、その感情は非常に大事な物だと十三は考える。ならば、早く自分の感情に従い、この少女を抱きしめなくては……


 十三は不用意に両手を広げて少女に近づく。その姿にはある種の慈しみが感じられた。しかし、少女は十三を無視して右手を振りかぶり、思い切り殴りかかった。


「吹っ飛べ。この変態野郎!」


 空気を切り裂く音と同時に、途轍も無い力による衝撃音がフォレストダンジョン内にこだました。


 少女の渾身の力により、十三は破壊的な衝撃を受け、体を錐揉み状に回転させながら遥か後方に吹き飛んでいった。

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