少女の素性

 少女の名前は本人含めて誰にも分からない。異世界に召喚された際、頭から抜け落ちてしまっていた。


 金属プレートに“(未定義)”とされていた理由は、自身の名前を忘れてしまったためにあるのだろうとアスランは考えた。


「名前か……」


 自身の名前すら思い出せない少女をアスランは不憫に思う。それと同時に名前が無いことは不便だな、とも感じた。

 仮の呼び名を与えなければいけないな、とアスランは考える。記憶を取り戻すまでの仮初めの名前だが、自らを“勇者あれかし”に思えるような素晴らしい名前を……


 ふと、アスランは思い浮かぶ。我が国に伝えられている英雄“シャナン”の物語を。幼き日に誰しもが御伽話として耳にする女剣士シャナンの名は、護国の勇者にはピッタリだろう。


「シャナン、でどうだ?且つて我が国で名を馳せた女剣士の名前だ」

「シャナン…分かったわ。私はシャナン。本当の名前を思い出すまで、私はシャナンなのね。素敵な名前ね」


 自分の名前を繰り返す少女の姿を見て、アスランは考える。


 少女が召喚された際、周囲に怯え、声すらも出せなかった。その表情は召喚による動揺ではなく、もっと人に対する恐怖に歪んだ顔に感じられた。


 少女はもしかすると、元の世界では想像もできない過酷な環境に置かれていたのだろう。


 少女の記憶の欠落は、召喚の負荷が原因ではないかも知れない。元の世界の悲しい記憶をなんとしてでも消し去りたいために、彼女自身が名前ごとごと消し去ってしまったのではないか、と───


 心の傷は肉体的な傷に比べて簡単に癒せはしない。長い治療が必要になる。


「シャナン、君は召喚前に辛い思いにあっていたのかもしれない。魔王討伐の訓練も兼ねて、王国の治癒術師ヒーラーの魔法で心を癒させてくれ」


 アスランの温かい思いやりに満ちた瞳がシャナンを見つめる。“シャナン”はぎこちなくも初めて笑みを浮かべた。

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