第5話 ヒロシの人生


ヒロシは児童養護施設で育った

彼が産まれてからすぐに始まった母親の虐待

が原因であった

育児ノイローゼで母親も心を病んでいた


思い出せる記憶の範囲では

人がいっぱいいる場所に来た

でも僕はひとりぼっちだ

霞のフィルター越しにそんな思いが

常につきまとっていた


やがて施設を出る年齢になり

川沿いに密集している

ボロボロの建屋が並ぶ町工場の一つに

ヒロシは就職をした


町工場を選んだ理由は

必要最低限度しか人と接しなくてもよいからだ


仕事中はもちろん、仕事終わりでも、ヒロシは

職場の同僚との付き合いは自然と避けた


そんな性格であるから、飲み歩いたり

キャバクラに行ったりすることにも興味が

なかった


人と接する事が嫌いな気質のため

当然彼女も出来ない

友達もいない


来る日も来る日も

黙々と仕事をこなし、帰宅してボーッと

テレビを観る

そんな日々を過ごしていた


人生に熱中して生きていない人間には

日々の時間がたまらなく長く感じる


施設を出たての頃は

街なかを仲睦まじそうに歩いている親子や

見ている方がのぼせてしまうようなカップルを見て

人並みに憧れや、いいなという思いはあった


しかし

人とどう接すればいいのかが分からないヒロシにとっては

自分がそっちの立ち位置になるにはどうすればよいのか?

雲を掴むような感覚位

イメージしにくいものであった


やがて施設を出て十五年の月日がながれた

その頃にはもう、ヒロシは完全に諦めていた


俺はきっとこのまま

人と一切関りを持たないで

孤独の淵で溺れ死ぬんだろうな


ヒロシは年齢を重ねる程

家族や友人・知人に囲まれて

楽しそうに人生を生きているような人達と自分では

異質な世界を生きているような感覚になった


人の輪の中に入りたいという

ほんの少し残っていた欠片も

いつの間にか消えて見えなくなっていた


そんな抜け殻のような生活はヒロシの心身

に重大なダメージを与えていった


五十歳になる直前の会社の健康診断で引っ掛かり

精密検査の結果

末期の大腸がんで余命六か月と診断された

すぐに半強制的にホスピスを勧められて施設に入った


そこは悲しみで溢れていたが

患者と見舞いに来る家族・友人・知人との間で

人と人の心のやり取りが強烈に見られる所でもあった


看護師の方々も施設がらか

菩薩のような慈悲深い目をしている方が多いと思った


親身にヒロシのことを心配してくれて

いるのも言葉ではなく目で充分に分かった


ヒロシは余命いくばくかという時になって

初めて人が自分の事を思ってくれる感覚が

どういうものかやっと腑に落ちた



人の幸せって

思っていたよりもシンプルだったんだな


お金を持っている

お金を持っていない

環境に恵まれなかった


そういう要素は確かに色々なハンディを

生み出すかもしれないけれど

どうにか出来る範囲だ


本当に大切なことは

僕が目を背けてきたこと


出会った方々とのご縁を大切にし

人と交わること


時には傷ついたり、怒ったり、絶望的な気分を

味わうかもしれない

それでも交わり続けて


ひとつでも多くの楽しい思い出を残すこと

ひとつでも多く

誰かと笑いあった思い出を残すこと


それが一番大切で幸せなことだったんだな



産まれてから今までずっと心で晴れること

の無かった濃霧がすーっと晴れ

明るい陽射しを感じる感覚になり

一点の曇りもなく晴々とした気分になった


スッキリとしたヒロシはだんだんと眠くなり

爽やかな笑顔でゆっくりと瞼を閉じた

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