第4話 刺身屋のおかみ


とある漁港の近くに

五十年程前からある

十坪程の広さの刺身屋


漁港が近いので

魚屋は他にも数軒有ったが

刺身専門店はその店だけであった


消費税込で千円の刺身パック

一種類しか商品は無い


トレイに乗っている魚は

イカ、マグロ、カンパチ、タイ、スズキ、など

その日に捕れた魚の種類により毎日変わる


五種類の魚が大切りで五切れ

全部で二十五切れものボリュームで

千円は格安だ


都内のスーパーであれば

鮮度は比較にならないレベルで

数倍の価格は付けられているだろう


鮮度はもちろんこれ以上望めない程

たった数時間前まで海を泳いでいた

のだから


早朝漁港に漁船が戻り

セリが終了すると同時に

漁港から徒歩五分の店に

取れたての仕入れた魚を持ち帰り

すぐにその場で手際よく刺身に

切り分けていく


開店時間は十一時からだが


ほとんどが常連のお客さんで

わざわざ車で一時間程の距離から

その刺身の盛り合わせを買い求めに

来る常連さんも少なくない


そのため

たいてい数時間で全て完売して

閉店となる


経営はおかみ一人とその娘が一人

おかみが魚をさばき

娘が販売を手伝っている


おかみはもう七十代半ば

毎日毎日

しんしんと冷えるコンクリート張の床の上で

長時間立ちっぱなしで腰をかがめた姿勢で

刺身をさばく事は大変な重労働であった


そのため

おかみの背筋はすでに変形して

前へかがんでいた


五十年もの間

毎日毎日同じ作業と姿勢の繰り返しで

酷使された肉体は

もう限界に近い状態であった


娘は嫁いでいて

開店から数時間手伝ったもらうだけであったので

おかみの後を継ぐ者はいない


そのためおかみは限界まで頑張っていた


その強靭な精神力はどこから来るのか?


長年通ってくれている常連さんのため?

それもあるだろう


自身の生活のため?

それもあるだろう


馴染の漁師さんから止めないで

と言われているため?

それもあるだろう


しかし

おかみの一番のモチベーションは

全く別の所にあった


おかみが店を閉めて引退したら

おかみの手によって支えられている

いくつもの命が危険にさらされてしまう

からだ


おかみは五十年もの間に

その働きによって1.000以上の命を救ってきた


魚をさばいた後に残る

魚のカマや切り身が少しへばりついた魚の骨

によって


連綿と続く命のリレー


今日もまた

おかみによって支えられている

命のいくつかが閉店頃にやってくる


にゃーにゃーと

嬉しそうな声を響かせながら

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