第七章 踊る炎<1>

 物寂しいような大地を満たす沈黙が、耳に痛い。

 なだらかな稜線に囲まれた平原は、時が止まったような風景だ。残雪の白と冬枯れの色を堅い竜の鱗のようにまとい、うずくまっている。

 セヴェルグラドを出奔してから、ちょうど一日が過ぎた。大森林(セリガ)の入り口まではあと半日。今のところ、追っ手の姿はない。

 昨夜は一睡もしなかった。今夜は野宿し、夜明け前に出発することにした。

「”正しき日輪、美(うま)し月、匠の聖人よ、願わくば我らの周りに天にも届く鉄柵を巡らし、いかなる目も我らを目にすることなきよう、祈りを捧げます”」

 顔を東に背を西に向け、古い妖精語で祈りながら、エルリフは野営地を木の棒の先でぐるりと線でかこみ、そっと内側に入りながら線を閉じた。

「貴方、サンドールの弟子にもなれるんじゃないの? あの人格破綻ぶりは別として」

 シルヴェンの背に荷物を積みなおしながら、振り返ったイズーが微笑んだ。

「たいそうなものじゃないよ。俺は、父さんに教わっただけ……」

 ウーロムに居を構えるまでは、ゴルダと共に町や村をめぐりながら鍛冶仕事を請け負う日々だった。仕事の褒賞が宿泊と食事だけという日もあった。時にはこうやって野宿することもあって、目隠しの術をした。今までこの輪の中にいて危ない目にあったことはない。

 文句の中に出てくる”匠の聖人”とは伝説の妖精鍛冶師エルリフのことだ。“ユーリク”はエルリフが訛ったもの、昔の人間たちがエルリフを自分たちの信仰に取り入れたのだ。

ユーリク神が金属(かね)に関係があるのもその名残……ゴルダはそのように言っていた。

「効くように願ってるわ。だってあたしたち、ろくな武器を持ってない……あら? そうでもなかったわ。さすがはシャティ!」

 密閉された小さな陶器の壺……一本、線のようなものが飛び出している……ものが彼女の手元に見えた。なんだそれ? と尋ねるが、彼女は内緒よ、と仕舞いこんでしまった。

「ま、こんなの使うほど大事になんてならないわよ、うん」

 相変わらず謎めいたイズーがふと、焚き火の煙の行方を見上げた。

「錬金術ではね、大地から採れる金属は、遠い昔、宇宙を造った全能神が蒔いた種子が育ったものだと考えているの。あたしたちはそれを探し回って、手間隙かけて取り出すわけよね。皆、製錬しなくてもいい純度の高い鉄を血眼になって探すけれど、中々ないもの」

「金属の種子か……俺、なんで鉄が石の中から現れるのか、考えたこともなかったよ」

 火影で、彼女の髪は紅玉色の綾なす光沢を放っている。

 あんな色はどんなるつぼの中にも溶けた鉄の表面にも見たことがない……

(こんなに綺麗な娘(こ)が、俺と一緒にいてくれるなんて……)

 同時に、臆病にもなる。こんな自分が。呪われた出自と滅びかけた血を持つ自分が、彼女を幸せになんて出来るのだろうか……おまけにバカで、彼女曰く変態な自分が……


 無意識に見つめ過ぎていた。イズーが視線に気づき、少しはにかんだ。

「なによ? いよいよ狼に変身する気じゃないでしょうね?」

「え? まさか。俺、人狼人じゃないし……」

 言って、そのままそっと赤面した。たき火でごまかされているはずだが。大人っぽいい彼女を前にすると自分が一秒ごとに幼いことを言う子供になっていくような気がしてしまう。

微笑んでいる彼女の前で、エルリフは黙々と薪をくべる作業に没頭した。

「貴方、セヴェルグラドに居た時より生き生きしてるわ。やっぱり森の中に来たせい? 人間から追い払われた魔物や古代人は皆、森の中で生き延びているんでしょ」

「そんなには居ないよ。俺だって、子供の時ちらりと見たことがあるぐらいさ」

「貴方って、どんな子供だったの?」

 イズーは干し肉を取り出し、エルリフにも半分を差し出した。

 それを食べて、エルリフは彼女の瞳に映っている自分に向けて少し微笑した。

「……山で育って、親方に……つまり父さんに拾われたあとはあちこち、いつの間にかウーロムに居たよ。でもそれまで俺……肉は食べてなかった。鍛冶屋の修行中も、火花が熱くていちいち泣いてたのに、いつのまにか平気になった」

(ああ、陛下をお救いしなければならないのに、ミーリュカが苦しんでいるのに、俺、なんでイズーのことばっかり考えてるんだ! 初恋、かと思ってたけど、もしかして発病の間違いなんじゃないかな……)

 丈夫だけが取り柄である自分は、病気なんか一度もしたことない。が、そうでも考えないと自分の異変は説明できない。

「だから……魔物も、人も、殺せるかも知れない。いま、君を守るためなら」

「柄じゃないわねえ、毛帽子くん。できもしないことを言わなくていいのよ」

「出来るよ! 俺だっていざとなれば、戦いぐらい……!」

「いいの、いいの! あなたは鍛冶屋で金工師じゃなきゃダメなのよ。あのユーリク像のことを思い出すと、胸が張り裂けそうよ。あんなに精魂込めて造ったのに」

 言われて、エルリフの胸を、王都に置き去りにしてきた想いが圧迫しはじめた。

「ボルドスさんなら、俺よりももっといいものを造れた。俺は、あれを作ることで自分を見せつけ、世の中への憂さを晴らそうとしていただけなんだ」

「まさか、そんな恐ろしいこと言わないで。傑作だったじゃない」

「……傑作だったら、なんでも正しいとは限らない。見せ付けることじゃ、なかったのに」

 エルリフは膝を抱えていた腕に力を込め、白状した。

「ウーロムでも、セヴェルグラドでも、俺は”人間”の鍛冶屋と仲良くなれなかった。仲良くしなかった。人間の鍛冶屋に負けたくなかった、差別されるのも怖かった……いや」

 そっと手を広げて、火影に炙らせるように、かざす。血潮が指先まで熱く巡る。

「俺のほうが、一線を引いてた。自分は違う、特別な鍛冶屋だって思っていたかったから。ボルドスさんにごめんなさい、も言えなかった……でも分かる。ボルドスさんは俺を許してくれていたって。俺は生きて帰ったら、必ず、もっといいものを造って差し上げる。今度のは誰もが希望を感じられるような優しいユーリク様にする。皆が辛かったことを忘れ、安心出来るように……いい国にしたいんだ、エルスラン様の、皆の王国を」

 一言一言を金槌のように打つたび、自分自身に驚いた。そうだ、自分は確かに全てを失った。けれど失ったからこそ、空っぽだからこそ新しい水を汲める杯にもなったのだ、と。

 目を戻して、どきっとなる。イズーがそれなりに満足したように微笑んでいたのだ。

「そうね、貴方のそういう言葉が聞きたかったの! また不安になったら今みたいに話してくれたほうがいいわね。こんがらがった頭がすっきりするでしょ?」

 そのかえがえのない笑みに、エルリフは思わず胸を締め付けられた。

 失うのが怖かった。このひとときを。

「でも今は、ドゥーガ湖に近づくにつれて自分がどうなるのかが……怖いんだ」

「怖いって……どうにかなってしまいそうなの? 何かを、感じるの?」

 わからない、としか答えられなかった。ふと口を突く言葉があった。

「君は。君は、俺のこと、怖いと思わないのか? 半妖人の……男なんて」

「色々ありすぎて……貴方が何者かなんて二の次だったから、分からないわ」

 思っても見ない答えだった。密やかだが熱っぽい声。彼女が目を逸らす。

「あたしが無鉄砲なの、知ってるでしょ。それで失敗してきたんだもの……」

 どこか拗ねたような顔をしたまま、彼女がそっちこそ、と囁いた。

「扱いにくい人間の女なんかより、淑やかな半妖人の娘(こ)の方がいいんでしょ?」

「そんなこと、ない」

(君じゃないなら、ほかには誰も要らない)

 まだいまは、心の底に沈めておくべき想いが、不意に溢れそうになる。

「イズー。君に出会ったから、俺、変われたんだ。俺ってものを研ぎ澄まして使命をやり遂げるには君が必要なんだ。君はまるで炎で水で……女神みたいな人、だから」

 すると。イズーがぱっと自分の両手で頬をおさえ、叫んだ。

「……もう、イヤ!」

「えっ、嫌……?」

 愕然となるエルリフの前で、笑みをこらえている風にも見えるイズーが、ため息をつく。

「鍛冶屋ってみんなこうなの? そんなことないわよねぇ……。貴方と話しているとまるで少女(こども)時代に戻ったような気分になるんだもの」

「少女って、君、まだそんなに歳じゃないだろ」

「……ちょっと。感動を自らブチ壊しにするクセ、やめたほうがいいわよ?」

「ごめん。俺……なんていったら君に伝わるのか、わからなくて」

「もう、いちいち落ち込むんだから……難しい話はお仕舞い! ね、踊りましょ!」

「は? 踊る?! な、なんで、急に?」

「踊りたくなったからに決まってるでしょ! さあ立って、あたしの足を真似して!」

 踊りなどという技能は水泳と同じで、自分にもっとも縁のないものだ。

 イズーはエルリフの手を取り、焚き火の周りをスカートの裾をつまんで回り始めた。アルハーン人は踊りながら祈るとも聞く。彼女はそんな地の空気を吸って育ってきたのだ。

「何か歌ってよ、鍛冶屋さん。炎の歌とか鉄の歌とか精霊の歌とか、何かあるでしょ?」

 あ、あるけど……と言いながら、とっさに“まだか、腹ごしらえは”という職人歌を歌いはじめた。幸いイズーは上機嫌で、歌詞の内容などどうでもいいようだった。

「あたしの本名……あたしが生まれつき両親から貰った本当の名前、貴方、知ってる?」

「うん。イズムルード……エメラルドの意味、だろ?」

「やっぱりね! アルハーン人ったら、あたしの本名は長すぎるっていうのよ! だからずっと隠してきたの……貴方なら、職人の貴方なら、もう見つけてるって、思ったの!」

 合格、とばかりにイズーはエルリフの腕を高く持ち上げた。

 焚き火を飛び越えて、エルリフはイズーの体を掴まえた。火の粉を浴びた彼女の髪が自分の毛帽子にかかり、額と額がくっつきそうなぐらい間近に緑の双眸が燃え、その色に縁取られた夜空のような瞳孔に落ちていきそうなぐらい引きこまれる。両手がいつしかイズーの細い肢体を腰抱きにする位置にあるのに気づき、慌てて飛びのこうとした。しかしイズーの腕が思ったよりもしっかりとしがみ付いていたために解けなかった。自分の胸板が彼女のそれらしき円やかなものに当たって、考えまいとするほど意識がいく。

 ほとんど抱き合うような格好で視界がぐるぐる回りだし、鼓動が呼吸とともに深くなる。

 大変なことを言い忘れていた。今なら、言えるかもしれない。

「貴方みたいにぼんやりした人には、あたしみたいなのがついていないとダメよね……」

 何やらうっとりと脱力しているイズーの肩の細さにどぎまぎしながら、軽くゆする。

「イズー、俺……俺!」

 俺、近頃変な病気みたいだから離れていた方がいい、と忠告しようとしたその時。

 それまで、若い二人の空騒ぎにも無関心だったシルヴェンがいなないた。

 エルリフがはっと振り返るとイズーも身を硬くた。

「……あたしとしたことが。酒も入ってないのにちょっと羽目を外しすぎたわ」

「そんなことはないさ。俺だって……」

 何やら自責の念に駆られているイズーと身を伏せ、エルリフは焚き火に水をかけた。

 真っ暗になるとイズーがエルリフの手をすり抜けて、シルヴェンの手綱を引きに行った。暗闇の向こうから何かの気配がこちらを同じように窺っているのが感じ取れた。

 イズー? と呼びながら、不安にかられ、エルリフも暗がりの奥へと向かう。

 闇越し、何かどさっ、というような音が聞こえた。ぞっとするような予感に突き動かされ、シルヴェンの方へ駆け寄る。

 信じられないものを目にした。

 気絶したイズーが、ほかの男の腕でぐったりとなっていた。

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