第三章 破壊<4>

「なんだよ、これ」

 火にかけた大釜の横で腕組みをしていたイズーが、エルリフの声に振り向いた。

 込み上げる不吉な怒りを押し殺しながら指さしたのは、昼間の状態のまま置かれた黒狼である。ただし見るもぞっとするような、巨大な鎖によって台の上に固定されている。鎖の先は職人の手によって鋼鉄の留め具で完全に溶接されていた。

 そして、その周りに積み上げられた灰色の煉瓦のような見慣れないものに眉をひそめる。

 まるで、捕らえられ、これから丸焼きにされる悪魔みたいだ。

「家出からやっとお帰りね、妖精くん」

「その呼び方、やめてくれないか。毛帽子のほうがずっとマシだ」

「………あっそ。わかったわよ、毛帽子!」

「何をしようとしてるんだ。それぐらい、”棟梁”に説明出来るだろ」

「いままでほっつき歩いてたくせに。でもお手伝いは結構。これはあたしの仕事だから」

 その横ではサンドールが黒狼の周りの床にチョークでいかにも怪しげな魔法円を描き、魔石や動物の骨らしきものを置いたりしている。

「サンドール、あんたも何やってるんだ?」

「いやね、この嬢ちゃんが超高温の火精を瞬時に呼べっていうから」

 腰に手を当てて行程を見回していたイズーが炎の照り返しを受けた髪を振った。

「魔法の火力と、秘薬を混ぜた水とでこのデカブツを熱してから一気に冷やすだけ。手を触れなくても壊せるわ。鉄鍋に水を入れて暖炉にかけると沸騰するでしょ。危ないから蓋をとるわよね? 今からこの黒狼を蓋をしたままの鉄鍋状態にするの。知らないみたいだから、教えてあげる。あの周りに積んである灰色のもの、あれは石炭から作った燃料よ」

 石炭ならばエルリフもゴルダから聞いて存在は知っていた。一部の鍛冶屋は薪よりも高温になるといって使っているとも。けれど火床では木炭よりも重く鉄に絡みつき、しかも鍛冶場のフイゴ程度の風では上手く火が熾きないと一顧だにもしていなかった。

「森から薪をじゃんじゃん持ってくればいいだけのあんた達と違って、アルハーンは岩と砂だらけなの。いったいどこでどうやって燃やすもの見つけたと思う? どこにでも神のお恵みはあるものなの。砂漠の下には石炭や燃える水が沢山眠っていたのよ。木炭なんかよりも高温の炉を得られたお陰でアルハイル鋼だって出来たのよ」

 無表情を決め込んだエルリフを、イズーはむっとしたような顔になって睨み返す。

「でもグツグツやってるうちにあれが暴れ出すといけないから、サンドールの火精で一気に温度を上げてもらう。それから特殊な水をあたしが持ってきた水圧砲でかけて、冷すの」

「……冷やすと、どうなる?」

「つぶれるわ」

 イズーは、今年の葡萄は酸っぱいわ、みたいな気軽さで言い放った。

「ちょっと爆発音とか水蒸気とか、凄いと思うけれど。一種の実験みたいなものよ」

 想像しようとした。つぶれる。そんな末期を迎えるのか。ゴルダの黒狼が。

「唯一心配なのはカローリの身体だけよ。でも貴方が言ったから、あの王なら大丈夫って。ねえ……毛帽子。あたしたちって似てると思わない?」

「どこが」

「今夜、ここが爆発して消し飛んだとしても誰も悲しまないって意味で」

 そんなはずはない、だって君の家族は……? そう言いかけて、エルリフははっとなる。

「そういう奴らを集めたんだ、周到なこって! うっひゃっひゃ!」


 エルリフは結局イズーとの会話を諦めて黙り、壁際で見学を決め込むことにした。

 イズーは再度ぐつぐつと煮えたぎる黄金色の液体を見て回った。彼女の元に助手たちが組み立てたらしい“水圧銃”が引き出されてきた。確かに銃の形をしている。ただし、差し渡しはヴァルーシ軍の大盾よりも大きい。銃身は純鉄ではなくおそらくは銀、もしくは合金のように金色がかって輝き渡り、流線型を描く高圧容器と繋がっている。その部分には梃子のように上下に動かせるハンドルがついていて、管で背後にある“秘薬の水槽”と繋がっていた。イズーはその重たげな代物を抱えると、指揮官のように振り向いた。

「いいこと! 説明どおりに動くのよ……開始!」

 もはや、目を見張るばかりのエルリフの前でついに“イズーのターン”が始まった。

 サンドールが炎の精霊の印を空中に描いた。刹那、いかがわしげとしか見えなかった魔法円に閃光が走り、白炎が堅牢な武器工房の石天井を嘗めそうなほどに燃え上がった。

「いいわ、もっと、じゃんじゃん燃やして!」

 火に慣れているはずの鍛冶職たちも怯むほどの高温の火炎に、この場全体が釜になってしまったようだった。がたがたと、黒狼が揺れ始めたのはその時だ。もっとも炎の中の色味に変化はない。赤くもなっていない。しかし相当熱せられているはずだ。

 汗を滴らせながらも一歩も引かずに見守っていたイズーが、ついに“水圧銃”のハンドルを下げた。銃がごくごくと秘薬水とやらを飲み干す音がした。

 引き金に手をかけて、銃身を向けたイズーが仇とばかりに叫ぶ。

「食らえ!」

 “銃口”から、凄まじい勢いで“秘薬水”が噴射された。大量の蒸気で視界が塞がれ、幾人かが暑さと不安から悲鳴をあげた。だが、不協和音を発しながらも黒狼に変化はない。唸りのような軋みを上げて揺れ動き、今にもアルハイル鋼の鎖を引きちぎりそうだ。

 それでも分かる……魔鉄の中の“意志”が、激しくもがき苦しんでいるのが。

 人工の炎が燃えれば燃えるほど、エルリフの心は冷えていき、硬くなっていく。

 あんな炎でゴルダの、妖しの魔鉄(マギスタリ)が解(ほど)けるはずがない。

「何度でもやってやるわ。サンドール、もう一度よ、火精を呼んで!」

「む、無茶ぶりばっかり言いやがって……あと三分、待ってくれ! 冬場のヴァルーシで火精どもを呼び集めるのはそう簡単じゃねえんだからよ!」

 イズーは、汗だくになりながら魔法円を描き直すサンドールから目を逸らし、黒狼に向かってこの堅物! と冗談にもなっていない罵り声を発した。水圧銃を床に置くと、あろうことか、そのままの勢いでエルリフを振り向いた。つかつかと詰め寄ってくる。

 殴られる、と思った刹那、彼女の平手が“毛帽子”の真横の壁に叩きつけられた。

「ちょっと、いい加減にしなさいよ、あんた!」

 エルリフは口元を一度、引き結んだあと、なにが? と平坦な声で答えた。

「俺、何も言ってない」

「言ってるわよ、心の中で、わかるんだから! あんたこれを壊したいの? 壊したくないの? やる気がないんなら出て行って。あんたの意気地のなさには飽き飽きだわ!」

 言われて、エルリフは諾々と退出した。歩きながら彼女の正当性を認めた。

 そうとも、自分は今、密かに黒狼が「つぶれませんように」と祈っていたのだった……!

 逆に、疑念が沸く。なぜイズーはここまで執念を燃やすのか? 彼女が心にくべている燃料はいったい、何なのか。


 入り口ではシャティが長柄斧の石突を地面に付けて持ち、番兵というより竜退治にも行けそうな凛々しさで警戒していた。ふらりと出てきたエルリフと目が合う。

「アルハーンの女の子は、みんなあんなに強くて……国外も旅するのか?」

「彼女、仕事も辞めて、家も売ってきた。国境の向こう、切り捨ててきた」

 シャティのヴァルーシ語もかなり流暢になってきた。しかし、中で強烈な破壊行為に没頭している彼女と、その不退転の覚悟は、すぐには結びつかなかった。

「そ、そうなんだ……? そんなことして、これからどうする気なんだ?」

「……彼女も、分からない、と」

 男なら、在り得そうな話だ。一念発起、異国での士官に己を賭けるというのは。

 しかし彼女は当然、女だ。おまけにこの仕事は春までという決まりなのだ。

(家族とか、親戚とか……恋人とかも、捨ててきたのかな?)

 確か、シャティは元侍女だったと言っていた。侍女を雇うぐらいの家、金持ちの令嬢だったに違いない。それでは尚更、彼女が一人で出奔してきたした理由が分からない。

 心の中では少なからず動揺しながら、エルリフは軽い調子で言った。

「……でも、ここに来たのは正解かもな。錬金術師は貴重みたいだし、ヴァルーシで開業すれば繁盛すると思うよ」

「いまの、私でなく、彼女に言ったら」

「貴女から言ってくれ。俺は……毛嫌いされてるから」

「そうは、思えない。好かれる、努力……? してみればいい」

 言葉を探し探し、言った直後。彼女がいきなり、腰の半月剣に手をかける。どうした? と言いかけたエルリフも、異様な気配が近づいてくるのに気がつく。

「ミーリュカ……? おい、ミーリュカ?」

 エルリフは、みるみる青褪めていった。ミーリュカには違いない、違いはない、が。

 闇の中から現れた亡霊。黒軍服姿に抜き身を下げた、まさに抜き身の少年。手折られた百合のように白けた顔、乱れた髪、泣きはらした目、鉄鋲の首輪……今までエルスラン王の側につきっきりだったのだろう。

 しかし、ついに王の苦痛は限度を越えたのだ。

 そして先に折れてしまったのだ……ミーリュカの心、が。


「ねえ、やめて。お願いだから、もうやめて。何、やってるのさ、ここで……!」

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