第一章 隅の鍛冶屋<1>
フイゴを漕ぐ足を止めると火床(ほど)の炎が赤黒くなった。熱風と炎が生き物の吐息のように繰り返されるたび、暗褐色が、薄闇の中に見える唯一の色となる。
狭い作業小屋だ。若者は一人きりで仕事をしていた。鋼で出来た四角い金床の上で作りかけの刃を叩き、音の変化に耳を傾けながら、変わったところで槌を置いた。
火床と向かい合う場所は一段低くなっている。
若者……エルリフは、親方であったゴルダの跡継ぎだ。だからかつて彼が立っていた場所に自分も立っている。本来ならば、たかだか十八歳の若造には過ぎた場所だ。
熱い鉄の表面に触ることは出来ないので、その代わり鍛冶屋は目と音、そして嗅覚と、伝ってくる鉄の重み……要するに感覚全てで感じ取る。特に色は大事だ。それが飴色なのか、ふんわりとした緋色なのか、秋の日の陽光のような黄金色なのか……。
地鉄と地鉄、あるいは、地鉄と鋼。熱して溶かし合わせ、叩き、延ばし、合金する。
鉄の鍛造の加減を見極めるには世界が明るすぎても暗すぎてもいけない。明け方と夕方が一番いい。小さく飛び散る火花に目を細め、いいだろう、とエルリフの心の声が言った。
ずらりと並ぶ大小の金挟みから一番相応しいものを手に取る。熱した刃をつかむ。焼きを入れるために移動し、粘土で造られた水溜めに沈める。ジュ、という音と、水煙。この音と蒸気を浴びると張っていた心も柔らかくなっていく。
赤い色が葡萄のような暗色に変わる。何度も火に入れ、叩かれ、延ばされ、表皮に浮き上がってきた不純物をやすりで磨いては取り除く。そうやって鉄は生まれ変わっていく。
熱しすぎても低すぎても、よい鉄は生み出せない。
これは農家から頼まれた、秋の収穫用の鉈(なた)だ。エルリフは、どんなにありふれた道具でもまるで宝物のようにぴかぴかに磨き上げてやるつもりだった。
仕事中は開け放っている戸や窓から風が入り込み、熱気の残りを奪っていく。
腹が鳴って、エルリフは一息ついた。夕飯にしよう。
すっかり暮れた無人の道を横切り、真向かいの棲家、木の小屋へ足早に向かう。
鍛冶場とちがってこちらはこざっぱりしている分、余計に寒々しい感じがする。嫁さんも、弟子も、来るあてはない。近頃は一生それでも別に構わないとも感じていた。
エルリフは半妖人(フェヤーン)だった。そう知れば、誰も深く付き合おうとはしなくなるものだ。半妖人は魔法を使って人をだます……そう思われているから。
おかしなものだ。自分は“平凡な若者”でしかないのに……鍛冶であること以外は。
煉瓦と粘土で出来たかまどに火を入れると暖気が室内を巡り始める。壁伝いに鉛管の煙道が取り付けてあって、それが全体に熱を伝えるのだ。残り物のシチーを入れたスープ皿、ライ麦でつくった黒パンを一切れ持って、あぐらをかいて床に座る。
かまどの前には毛布が置かれた空の椅子がある。親方のゴルダは就寝前にそこに座って、大好きな黒コケモモ酒の杯を旨そうにすすっていたものだ。
エルリフは未だ、その椅子に座ることが出来ずにいた。
手早く夕食を済ませ、貴重な燈油に火を点ける。窓辺の作業台の前の椅子に腰掛け、足元の木箱の中からある部品を次々と取り出した。
知り合いの商人から頼まれている品で、明日引き渡すために最後の仕上げをするのだ。
鏨(たがね)や、やすりを無心で動かしているうちに心が彷徨い出した。
『許してくれ、エルリフ……。お前はいつまでも自由でいるのだぞ』
二年前、ゴルダはそう言い残して世を去った。
彼を看取っておきながら、エルリフは言葉の意味を未だ理解することが出来なかった。彼は何の許しを請うたのか。彼は、最期には自由ではなかったとでも言うのだろうか。
窓の外、ふと手を止め、青ざめた宵の空に浮かぶ上弦の三日月を見た。
鎌の刃のように冴え冴えとした光を見るうちに月の輪郭が滲んできた。
……世に武具師は多かれど、ゴルダが鍛えた剣の見事さは三日月さながら、暗い室内を明るくするほどだったという。商人や貴族はもちろん、王侯も彼の剣を求めたと。
その伝説の鍛冶師ゴルダは、エルリフの父、でもあった。
寒冷月(十二月)のユーリクの日はいつも冬晴れが多い。
が、今年は灰色雲が垂れ込める寒い朝だった。それでもウーロ地方最大の街、ウーロムの市場は祭礼で華やいでいた。なにしろ年に二度ある大きな祭礼の一つだ。職人も農民も、商売人以外はたいてい休みをとる。
今日ばかりはエルリフも顔についた煤を落とし、一張羅の灰色の外套(アルミャク)を引っ張り出して羽織っていた。仕立屋の鋏を作ってやった時に譲られた衣である。この辺りでは習俗も東西入り交じったものが多い。この上着も、仕立ては東蛮風だが半人半鳥の青糸刺繍はヴァルーシに伝わる吉兆の印である。
それに耳当てのついた狼皮の帽子をかぶる。そうやって“とんがり耳”を平素は隠している。自分のために、あるいは町のために。
本当は“火護りの刀”を帯に差してこようかと思ったが、やめておいた。
“火護りの刀”とは、鍛冶が最初に自分で打った刀に火の神の祓いを授けてもらった守護の小刀である。この二年間……ゴルダとの死別以来、戸棚の奥に仕舞いこんだままだ。
先日の農家の鉈はたいそう喜ばれ、約束よりも気前よく支払いをもらった。買い物は後回しにして、重たい箱を抱え、祝祭に沸く町通りを横切っていく。
”美(うま)し平原の王国”と謳われるヴァルーシ王国は、豊かな自然資源と馬や毛皮の交易で栄えながらも、東西南北を強敵に挟まれ何百年も辛酸を嘗めてきた歴史をもつ。
地平線の東の果てには強大なる騎馬民族、東蛮(ドゥルダイ)が治める大帝国がある。ヴァルーシ王国の生命線、東の大河ウリンドの河岸で大きな決戦があったのは、四年前。
王国軍は東蛮の大侵略を食い止めた。以後、東蛮軍は河を越えて来なくなった。
大平原に久しく無かった平和が訪れた。かつてはどこも騎馬が飛び越えられない高さの壁や柵で取り囲まれていたものだが、いまでは開放集落が点在している。
その戦が終わった年、エルリフは十四歳で、父と共にここに住み着いたのだ。
母なるウリンド河は広大無辺なる草原を肥やし、巨大な背骨のように南北に連なるルスタン山脈の西側を通り、凍てつく灰青海(シズイマール)へと流れ込む。
ウーロ地方のウーロとは”隅”という意味で、実質的な国境線を成すウリンド河を擁する東の辺境の呼称である。地方最大の町ウーロムの人口は二千人ほど。さらなる東方へ向かうか、ヴァルーシに留まるか、あるいは南に活路を求め異教国家がひしめきあう多教海(パガイマール)に針路を向けるか。決して歴史書に記されるような目立つ町ではなかったが、古来、数知れぬ旅人たちが行き交ってきた交差路である。
ここに居住したゴルダはきっと、ここの侘しさと奥深さ、双方を気に入ったのだろう。
戦争が減ったこともあり、近頃は武具よりも農具や馬の蹄鉄の需要が多い。
この町に「鍛冶屋」はエルリフが知る限りあと三人いて、一人は刀鍛冶、あとの二人が野鍛冶として工房を構えている。エルリフは、彼らのおこぼれに預かっている身だ。なにせ自分は一人だし、若輩者だ。山刀だろうと破れ鍋だろうと鎌一本だろうといっぱしの鍛冶屋ほど「儲けにならない」と難色を示す代物でも手がけることが売りである。けれど、ゴルダから引き継いだ顧客以外にも、近頃は持ち込まれる仕事も少しずつ増えてきた。
それでも雅やかな毛織物をまとう商人の子弟や領主の息子たちなどは、エルリフが通りかかるたびに”半妖の鍛冶屋風情が”とあからさまな嘲笑を浮かべたりする。
二年前の父の死をきっかけに、エルリフは他に行くことも出来たかもしれない。しかし新天地がウーロムより住みよいという保証はなにも無い。自分はゴルダの遺した場所のおかげで誰の奴僕(ぬぼく)にもならずに済んでいる。鍛冶の腕前で、食べ物だって買える。
妙な野望を抱くより、自分の本分と居場所を守って生きるほうを選びたかった。
市の立っている中心部へやってきた。目指すミロス雑貨商の緋色テントはよく目立つ。
「また来て下さいましねぇ、奥様がた!」
婦人たちを滑らかな手の振りで見送っている髭面の男……ミロスだ。
中背のずんぐり体型でいかにも商人らしいが、妙に所作が“上品”な男性である。
ミロスの娘、栗色の髪のリーザの姿はなかった。
懐に忍ばせてある包みのことを考えて、躊躇う。“お祭りの記念に”との口実でリーザに渡そうと思っていたのだ。
女性が、頭飾りのこめかみにつける装飾品……銀めっきとはんだ付け、打ち出し、それに細かな線条細工で仕上げ、赤瑪瑙をはめ込んだ真新しい下げ飾り(リャスニ)を。
『貴方、ちょっと垂れ目気味だけど、優男じゃない。噂してる娘(こ)たち、いるわよ~?』
などと、顔を合わせるたびに艶めいたまなざしで微笑みかけてくる彼女の真意はエルリフにとって謎めき、それでいて無視出来ないものだった。
「おやエルリフ、おはようさん」
彼女を思い浮かべていたエルリフは、ミロスに先に声を掛けられて慌てて我に返った。
「ど、どうも、ミロスさん。あの、例の品を納品に……」
「ああ、そうだったな! リーザを見かけなかったかい? まったく店番もせずに……」
俺も先に彼女に会いたかったです、などということは勿論言わず、エルリフは足下においていた重い木箱をミロスの目の前においた。
取り出したのは昨夜仕上げたものたち……鈍色に輝く、両手に乗るくらいの馬や鹿、それに白鳥たちだった。鉄の部品を鋲打ちや溶接、打ちだし、削りといった高度な技法を駆使して組み立てた鉄細工である。首や足、羽根などを動かして遊ぶことも出来る。
「ほほう、ほうほう、素晴らしい! お前さん、本当に一級の金工師にもなれるわ!」
ミロスの賛辞に含むところはまるでなく、エルリフは誇らしさを感じた。
錆びにくくなるように錫を合金してあるが、そのために磨き上げた銀製にも見えるのだった。鉄細工の考案者は、ゴルダだ。彼は晩年野鍛冶の仕事の合間にこうした鉄細工を作って、ミロスに見せていた。
エルリフの鉄細工も、大部分は父が遺した金型を使い、真似て作ったものだ。
他にこのようなものを造っている鍛冶屋にも、金工師にも、会ったことはない。もっとも、ウーロムでは同じ細工ものでも暖かみのある木彫りの動物人形のほうが需要がある。
鉄細工をこぞって買い求めるのは実は外国人、ミロスが販路として持っている南方のアルハーン国の人々なのだ。
エルリフがこんな腕前を持っていることを人々は知らない。ミロスにも秘密にしておいてもらっている。こんな狭い町で、他の鍛冶屋のやっかみを受けてはたまらない。
そっと木箱の中に戻してやると命なきはずの白鳥や馬たちがどこか寂しげに自分を見返した。職人に出来るのはここまで。創りだし、あとは引き渡すだけだ。
「例の特注品も、一応持ってきたよ」
「ほう、こりゃあまた、いい出来じゃないか!」
ミロスがアルハーン人商人から請け負ってきてエルリフに振った鉄細工である。新しい金型を作るのが大変だからと断っていたのだが、押し切られたのが半年前だ。
布の下から現れた”竜”を一目みるなり、ミロスは感嘆の唸りを発した。
大昔、まだ天界と地上が行き来出来た頃、竜は太陽の化身として現れたという。一方で怪物として恐れられた悪竜もいた。自分が蛇や蜥蜴、猛禽の顔や獅子、あらゆる強きモノから想像して造り上げた竜の鉄細工は神秘と猛々しさ、双方を備えているようにみえた。
でも何かが物足りない。眼球に使った黄鉄鉱の色が薄すぎるためだろうか?
とどのつまり、エルリフはこの竜に強い愛着を覚えすぎていたのだった。
「よしきた! それで、いくらで売りたい? これなら、そうだねえ……」
「あー……まだ完成じゃないんだ。鱗(ウロコ)の仕上げと、それに目がまだ仮だから」
「凝り性だねえ……なんてことを職人に言ってもしょうがないけどな。夕方にでも引き渡そうかと思ってたんだがね。なんだったら、直接会って話してみるかね?」
「ほんと? 俺のこと、嫌がらないかな……」
エルリフが、少し含みを持たせると、ミロスが、あ、ああ……と口ごもる。
半妖人(フェヤーン)、青血人(キリダイ)、人狼人(ドラク)……徐々に人間たちに侵略され、極北の辺境や深い荒地の奥に追いやられてきた亜人たち。自分も、その一員だ。
半妖人は西方大陸の人間世界に溶け込み、人間との婚姻を結ぶ例もある。しかしその多くは美しい半妖人の娘を人間の男がひそかに妾にするというかたちであった。
人間の社会に馴染むことは、半妖人らしさを消してゆくということに他ならなかった。
人間たちは現実の弱い半妖人よりも民話の中の妖精魔法譚を信じている。半妖人は魔法使いで、「人間を恨んでいる」ものだ、と。確かに、父ゴルダも少し魔法を識(し)っていた。けれどどれも護身術のたぐいばかりで、攻撃的なものではなかった。
生物の生き血を好む青血人たちは今でも人間と敵対し続けている。何ヶ月も日の上らない北の大地はほとんど彼らの天下であり、人間を全く寄せ付けていない。
人狼人は、東西世界の狭間にあるヴァルーシでもすっかり見かけなくなった。皆、戦士として厚遇してくれる東方へ去ったと言われている。
「ま、重たいだろし、うちで預かっておくよ。これから御参りに行くんだろ。悪いがもしうちの娘が広場をうろついていたら引っ張って連れ帰っておくれでないかい? どうも今年は嫌な感じがするんでね……」
「どういう意味だい、それ。お祭り、ミロスさんも楽しみにしてたじゃないか」
「わけは知らんが、王都から帰ってこないらしくてね、領主様が。取り巻きやらドラ息子たちもここ数日、引きこもりだよ。またぞろ不穏になってきたか、な……」
「まさか、だってもう、戦争も終わったのに?」
「東側は、な! レグロナの砲術に比べたらヴァルーシの国軍なんてもう時代遅れもいいところだ。今後もまた、都合よく“ユーリクの獣”が出てくれりゃいいがね」
急速に勢力を延ばす西方の大国レグロナ帝国がヴァルーシを反異教戦争に巻き込もうと虎視眈々としているという噂は世事に疎いエルリフですら耳にしていた。
「まったく、女たちときたら気楽なもんでね。王様(カローリ)もそろそろ喪が明けるだろう、とっても“男前”でいらっしゃるし、新しいお妃探しにあたしたちも名乗りをあげようか? ウフフフ! ……だなんて井戸端会議だ。親衛隊に聞かれたどうする!」
それこそ女のグチのように言いながら、ミロスが納品されたばかりの鉄細工をためす眇めつする。少しおかしくて、エルリフは小さく笑った。
「こんな田舎に、親衛隊なんか来たら、いっそみんな見に行っちゃうよ」
「お前さんこそ、呑気にしとる場合じゃあないぞ。カローリは今、国中から鍛冶や武具師を集めてるらしいから、用心するこった!」
「へ? 鍛冶を?! なんで?」
「王はレグロナに劣らない大砲を作るおつもりなんだって噂だ。でもな、問題は、だ。呼ばれた職人たちがことごとく行方不明になってるってことだ。どこに行ったか、だと? さあな、井戸の底かもな。いつだって一番恐ろしいのは外国じゃあない。カローリのお膝元だよ。なにせ、この二年間の間にまるっと変わったからな……」
二年前。仲睦まじかった王妃様が亡くなられてから、だ。
ちょうどその時、灰色雲から一筋の寒風が吹き降ろした。エルリフは身震いした。
「だいたいな、いま宮廷には貴族の首を欲しがる堕天女もいるんだ。カローリの宴もたけなわになった時、堕天女が毒入りの黄金杯をカローリが敵と定めた貴族の前に運ぶんだ。断っても死、断らなくても死ってことさ。でも一番悪趣味なのは……堕天女が実は大膳職(だいぜんしき)だってところだよ!」
話のオチも分らず、ぽかんとしているエルリフにミロスはため息混じりに説明した。
大膳職とは王が臣下に振る舞う晩餐や式典のために衣食住を整える役職のことで、成人前の男子が任命される小姓のようなものだ、と。
「つまり男の子が女装をしてるってことか! そりゃ、見物……じゃなかった、悪趣味だ」
「やれやれ、お前さんの世間知らずぶりも心配になってくるねえ。まあ、お前さんの世間はそう広い必要も無さそうだがね、今のところは」
ミロスの世間話は嫌いではないが、エルリフは、挨拶もそこそこに店を後にした。
そこで、はたと思いついた。広場にリーザがいるのなら、そこで“あれ”を渡せばいい。そうだ、そうしよう、と。
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