第101戦:我が手触れなな 土に落ちもかも

 入る時と同様、周囲から浴びせられている視線を一切物ともせず。菊は同じ調子で男湯から出ると、その足でロビーへと戻り。漸く自販機の前に辿り着くと、目的であった飲み物を購入する。


 そして、その場を後にしようとするも、その最中。図らずも、先程立ち寄ったお土産売り場が目に入り。


 その光景に、自然と菊の足は止まり。けれど、直ぐにもまた前に進ませようとはしたものの。結局は躊躇いがちながらも進路を変え、ゆっくりとそちらに向かって歩き出す。


 中に入り足を止めると、とある一点をただただ見つめ。黙って見つめていると、突然、ぐいと片腕を引っ張られ。その圧力に従うよう、菊は僅かながら遅れを取ってしまったものの、咄嗟に視線をそちらへと向ける。


 すると、見知った顔が彼女の鼻先まで一気に近寄り。



「牡丹の妹、やっと見つけた……」



「さっきはよくもやってくれたな……!」と、瞳にたっぷりの悔恨を込め。萩は鋭く菊のことを睨み付ける。しかし、そんな脅しに彼女が屈するはずもなく。その上、彼以上の鋭さを以って睨み返すばかりである。


 不機嫌面をそのままに、菊はゆっくりと薄桃色の唇を開かせていき。



「足田先輩……。一体何しに来たんですか?」


「だから、俺の名前は足利だと、何遍も言っているだろうが! この女は、本当にっ……。

 飲み物を買いに行っただけのお前が、ちっとも戻って来ないって。紅葉さんが心配するから、仕方なく俺が代わりに捜してやっていたんだ」



 ぶつぶつと愚痴なのか説明なのか、その両方を行ったり来たりさせながら。萩は「分かったか?」と、偉そうに問い掛ける。


 けれど、その質問に菊が答えることはなく。相変わらずな彼女の態度に萩はますます眉間に皺を寄せさせるが、深呼吸をし。気を紛らわせるや、彼女の腕を再び引っ張り出し。



「おい、早く戻るぞ。紅葉さんが待っているんだ。それに、たとえ牡丹が気絶しているとはいえ、いつ目を覚ますか……。

 これ以上、アイツと紅葉さんを二人きりにさせる訳にはいかないからな」



「早くしろ」と、更に掴む手に力を込め。萩は引っ張り続けるも、菊の肢体が動くことはなく。この華奢な身体のどこにそんな力があるんだと疑問を抱きながらも、彼は決してめげることなく格闘し続ける。



「おい、何をしているんだ。早く行くぞ」


「本当に先輩はしつこいですね。一人で戻って下さいよ」


「それだと意味がないだろうが。なんだよ、用はもう済んでいるんだろう?」



 ちらりと彼女の右手に握られているペットボトルに、萩は視線を落とし。



「なんだよ、まだ何か用があるのか? 買う物があるなら、さっさと買って来い。待っていてやるから。

 それで、何を見ていたんだよ……って、もしかして。このお守りを見ていたのか? ふうん……。

 紅葉さんにはあんな風に言っていたが、本当はお前も欲しかったのか?」



 ――刹那、菊は腕を大きく振り払い。その動きにつられ、萩の手は自然と彼女から外される。それに伴うよう、本人自身もそのまま彼から離れていき……。



「おい。今度はどこに行くんだよ」


「どこって、紅葉の所よ。うるさいわね。大体、あの子は心配性なのよ」



 付いて来るなと言わんばかりのオーラを背中から出し。菊は一人、足早に歩いて行ってしまう。


 置いて行かれた萩は込み上げてきた怒りをどうにか堪えさせると、今度は憐みに近い瞳を浮かばせ。その色をそのままに、棚に飾られているお守りを一瞥し。



「……本当、素直じゃない奴」



 そう口先で呟いた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 一方、その頃。旅館内のとある通路にて。



「ったく、やっと見つけた……」



「今までどこに行っていたんだよ」と、またしても似たような台詞がここでも繰り返され。その発言主である梅吉は、ばしばしと隣を歩く桜文の背中を強めに叩く。


 叩かれた桜文は、こてんと首を傾げさせて。



「どこって、風呂に……」


「はあ、風呂だって? なんでそんな所にいたんだよ」


「さあ? 気付いたら何故かいたんだよなあ。お爺さん達と一緒に風呂に入っていた所までは覚えているんだけど、その後の記憶がほとんどなくて……」



「どうしてかなあ」と、能天気にも。質問に質問で返す桜文に、梅吉は呆れた面を浮かばせ。



「お前なあ……。あれだけ暴れておいて、それはないだろう。まさかとは思うが、人をぶん投げたりはしていないよな?」


「うん。それはないと思うけど……」



 そう返す桜文に、本当だろうなと。梅吉は疑いの目を緩めることなくじとりと眺め続けるが、特にそういった噂も聞こえて来ていないことから彼を信じるしかなく。


 卓球ルームに戻ると、既にみんな揃っており。やっと一息吐けると、安心したのも束の間。急に藤助が、きょろきょろと辺りを見回し出し。困惑顔をそのままに。



「ねえ……。そう言えば、芒は?」


「芒だと? 言われてみれば、さっきから姿が見当たらないな。桜文を捜しに部屋にも行ったし、館内を歩き回ったが全然見掛けなかったな」



 ふと湧き上がった疑問の声に、彼等はお互いの顔を突き合わせ。誰からともなく、部屋に向かって歩き出した。そして、襖を開け中に入るも目に付くのは鞄といった荷物ばかりで。お目当ての姿は、やはりどこにもない。



「部屋にもいませんね。芒ってば、一体どこに行っちゃたんだろう」


「祟りだ……、きっと幽霊の仕業だよ! 芒は幽霊に連れ去られちゃったんだ!」


「おい、おい。いくらなんでもそれはないだろう。だが、本当に芒はどこに行ったんだ?」



 誰もが首を傾げさせている中、ふと菖蒲が庭先の地面を指差し。



「あの。この足跡、芒くんの物ではないですか?」


「えっ? あっ、本当だ。こんな所に足跡が……。

 この大きさは、きっと芒のだ!」


「おい。この足跡、柵の向こうに続いているぞ」


「ってことは、もしかして。芒は山の中に入って行ったのか……?」



 地面から顔を上げ。鬱蒼と茂っている木々の向こうを見渡すが、それらしい姿は確認できず。



「旅館の中にはいなかったんだ、そう考えるのが自然だろう。

 よし、それじゃあ、捜しに行くぞ。菊と紅葉ちゃんは留守番な。芒が戻って来るかもしれないから、そしたら連絡してくれ」



 そう簡潔に指示を出すと、梅吉は先頭に立ち。柵を越えて山の中へと入って行く。


 後に他の者も続いて行くが、その様子を傍から眺めていた萩は眉根を寄せさせ。



(ったく、どうして俺まで。妹の次は、弟を捜さないといけないんだよ……。)



 ぶつぶつと心の内で愚痴を溢すも。



「芒ちゃん、どこに行っちゃったのかしら。今頃きっと怖い思いをしているよね」



 くすん、くすんと、小さな泣き声が耳を掠め。薄らと目の端に涙を溜めている紅葉の姿を目にするや、最早反射とばかり。萩は咄嗟に彼女の前へと飛び出して。



「大丈夫ですよ、紅葉さん。なにも心配することなどありません。あのガキ……じゃなくて牡丹の弟は、必ず俺が見つけ出しますから」



(ああ、そうだ。絶対に牡丹より先にあのガキを見つけ出して、『さすが萩さん。迷子になったお間抜けな芒ちゃんを見つけてくれるなんて。やっぱり牡丹さんより萩さんの方が、とっても頼りになるわ! 素敵!』なーんて思ってもらえる、絶好の逆転チャンス――!!)



 この機会を逃してなるものかと、先程までの態度とは一変。萩はふんふんと、鼻唄混じりで最後尾へと付く。


 そんな浮かれ気分の彼を余所に、途中で適当に二手に分かれ。芒の捜索を続けるが、一向に見つからず。その間にも、彼等はどんどん山の奥へと入って行ってしまい……。



「芒、全然見つからないな。こんなに捜しても見つからないなんて……。

 この山には入っていないんじゃないか?」


「確かに芒くんがこんな薄暗い山の中に、兄さん達に断りもせずに入るとは思えませんが……。しかし、旅館にもいなかったとなると、他にもう捜す場所もありません」


「そうだよなあ。それに、芒の足跡みたいな物もあったし……って、あれ。あっちの方から何か物音がする。もしかして、芒じゃないか?」



 耳を澄まし。音のした方へ牡丹は近付いて行くが、それに気付いた萩も咄嗟に飛び出し。彼の前に躍り出ようとするも。



「おい、萩。なんだよ、いきなり。割り込んで来るなよ、危ないだろう」


「うるさい! あのガキを見つけるのは俺だ!」


「いてっ。だから、無理矢理割り込むなよ!」



 気付けば喧嘩へと発展してしまい。二人は揃って大声を上げながらも、我先にと茂みを掻き分けて行く。


 そして、やはり聞こえて来る物音に、確信を抱きながらも大きく前に飛び出すと、丁度茂みが途切れ。そのまま目標物へと駆け寄ろうとするも。拓けた先で待ち受けていたのは、残念ながらお目当ての人物とは程遠い存在で――……。


 鋭い光を宿した瞳と目が合うや、二人の全神経はぴたりと停止し。



「く、くくくっ、くま、くまっ……!? なんでこんな所に熊がっ……!?」



 いるんだよと、一瞬の内に顔を蒼白させながら。嘘だろう――!?? と、ただ一言。


 またしても牡丹と萩は息を揃え、心の内で盛大に叫んだ。

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