第086戦:秋をおきて 時こそありけれ 菊の花

 学祭二日目――……。


 無理矢理菊に引き摺られるよう、教室を後にする萩を見送るや。室内は元通りの静寂を取り戻し。



「あの。それで私は何をしたらいいですか? 重要な仕事だと言っていましたが、萩さんの係りって一体……」


「えっ? ああ……。それなら大丈夫、間に合っているから。

 それより、どうせなら接客でもしてもらわない?」


「そうねえ」



 明史蕗の隣で、宮夜はじろじろと四方から紅葉を眺め出し。



「ねえ、紅葉ちゃん。ちょっとこっち来て」


「えっ? あ、あの……」


「いいから、いいから。悪いようにはしないから、ね?」



 そう半ば無理矢理宮夜に引っ張られ、一度は教室を後にするも。


 数十分後――……。



「キャーッ、キャーッ!! やっぱり私の見立て通り、すっごく似合っているわ!」



 宮夜はすっかりご満悦とばかり。徐にカメラを取り出すと手に構え、紅葉を被写体にぱしゃぱしゃと豪い勢いでシャッターを切り始める。


 そんな彼女の豹変とした様子に、紅葉はもじもじと。顔を真っ赤に赤らめさせ。



「あ、あの。この格好、とっても恥ずかしいんですけど……」


「なんで? 可愛いから平気よ、平気!

 うん、うん、とっても似合っているわよ、ベリーちゃん!」


「えっ? ベリーちゃんって……」


「あれ、知らない? ウエディング・ベリーよ、ウエディング・ベリー。子供の頃にやっていたアニメなんだけど、そのヒロインであるベリーちゃんのコスチュームなの」


「あっ……。なんとなくですが、思い出しました。そんなアニメ、昔やっていたような……」


「紅葉ちゃん、体型も髪の長さもベリーちゃんと似ているから、本当にぴったりなのよね。わざわざウィッグを被らなくていいし。うん、うん。手直しも、これ以上は必要なさそうね。

 よし、そしたらお次は牡丹くんの番だ」


「えっ、どうして俺まで!? コスプレは女子だけだって話だろう?」


「いいから、いいから。悪いようにはしないから」



 牡丹が必死になって抵抗するも、全く周りが見えていない状態の宮夜には痛くも痒くもなく。紅葉の時みたく、ずるずると強引にも連れて行かれ。


「へえ。ちょっと不安だったけど、実際に着てみればなかなか様になっているじゃない。やっぱりベリーちゃんには、誠司くんが付いていてあげなくちゃよね」

と、宮夜に褒められる傍ら。当の本人はと言えば。



(相当裾上げされた……。)

と、元の持ち主のいない所で、人知れぬ敗北感を味わわされていた。



「ていうか、どうして俺がこの格好をしないといけないんだよ」


「だって、足利くんがいないんだもの。誰かが代わりをやらないとでしょう?」


「だからって、別に俺じゃなくてもさ」


「もう、細かいことは気にしないの。

 それより、ほら。早く紅葉ちゃんの隣に並んで、並んで。どうせなら、このまま教室の前で呼び込みしてよ。二人は看板娘と息子ね」


「看板息子って……。そんな言葉、聞いたことないんだけど」



 ぶつぶつと不平を漏らしている牡丹を、いつものマイペースさ加減で軽く流し。宮夜は写真を撮るだけ撮ると満足したのか、一人教室の中へと入って行った。


 ぽつんと、牡丹と紅葉だけが取り残されてしまい。



「本郷ってば、強引だなあ。

 おい、紅葉。大丈夫か?」


「へっ!? 大丈夫って……」


「いや、ほら。本郷に無理矢理着せられていたみたいだからさ。それに、何も紅葉がウチのクラスを手伝う必要なんてないだろう?」


「いえ、そんなことは……。それに、」



 紅葉はちらりと牡丹の顔色を窺うよう、見上げながら。



(こうして一緒にいられるだけで十分幸せなのに、まさか、タキシード姿の牡丹さんの隣に並べるなんて……!)



 まるで新郎新婦みたいと、頬を一層紅潮させ。紅葉は単純にも、その幸福に素直に身を委ねて浸り出す。


 すっかり夢見モードへと突入し掛けていた紅葉だが、不意に外野から素っ頓狂な音が聞こえて来て。夢から醒めると同時、目の前には何故か口をあんぐりと大きく開けた、間抜け面をした萩が立っており。



「も、紅葉さん――っ!?? その格好は一体……」



(かっ、可愛いっ……! 俺としては断然白無垢派だったが、ドレスはドレスで、とてもよく似合っている……!)



 少し考え直さなければと、純白のドレスに身を包んでいる紅葉を前に。一人別世界へと行き掛けていた萩だが、彼女の隣に並んでいる牡丹の姿が目に入るや否や。



「……って、ちょっと待て! どうしてお前がその服を着ているんだ!? それは俺の衣装だろうが!」


「そんなこと言われても、本郷が着れってうるさくて……」


「誠司くんは、俺だろうがーっ!!

 さっさと脱げ!」


「お、おい。少しは落ち着けよ。一体どうしたんだよ、そんなに興奮して。ていうか、菊はどうしたんだ。一緒じゃないのか?」


「あんな女に付き合っていられるかーっ!!

 そんなことより早く脱げ、今直ぐ脱げ! さっさと脱げ!!」



「脱げ! 脱げ! 脱げ!」と、そればかり。紅葉の前であるにも関わらず、猫を被ることもすっかり忘れ。萩は牡丹の襟首を強く掴むと、激しく上下に揺らしまくる。


 ぎゃあぎゃあと喚き出す萩の声に釣られるよう、教室の中からは次々と開けっ放しであった扉の隙間から顔が出されていき。



「おい、足利。どうしてお前がここにいるんだよ。まさか、天正菊から逃げて来たのか?」


「そうだが、悪いか? やはりあの女は気に喰わん。付き合っていられるか!」


「悪いかって、お前なあ……」



 平然とした態度の萩に竹郎達が揃って呆れ顔を浮かばせていると、突然ガッチャン! と甲高い音が鼓膜を震わせた。


 その不審な音に萩は首を傾げながらも音のした方に顔を向けさせると、自身の右手首には銀色の輪っかがまとわり付いており。おまけに傍らには、いつの間にか仏頂面をした菊が立っていた。しかも、手錠の先を――、鎖の先を目で追っていくと、それは菊の左手と繋がっており……。



「なんだ、これはーっ!?」


「なにって、手錠です」


「そんなの見れば分かる! 俺が言いたいのはそう言うことではなく、手錠なんか嵌めてどういうつもりだと訊いているんだ」


「どういうもこういうも、先輩が逃げるので」


「おい、菊。その手錠って、もしかして……」



 しれっとした顔で述べる菊の傍ら、牡丹は目を疑いながらも。おそるおそる、訊ねると。



「おじさんに借りて来た」



 予想通り、淡々と答える妹に。牡丹はやっぱり……と、口先で呟いた。



「おい、早く鍵を出せ! 今直ぐ外せ! 何をぼさっとしているんだ、人の話を聞いているのか? おい、牡丹の妹! って、なんだよ、その目は……。

 あ、ああ、そうかい。外すつもりがないのなら、こっちにだって考えが……。

 ええいっ。こうなったら、壊すのみだっ! このっ、ぐっ……、なかなか丈夫な作りをしているな……」


「おい、萩。そんなことをしても無駄だ。その手錠はすごく頑丈で、鎖の部分さえ、ゴリラじゃないと引き千切れないぞ」


「なんだって、ゴリラだと――!?

 だったら、ゴリラにでもライオンにでも壊してもらうまでだ!」



 そう宣言するや咄嗟にその場から走り出す萩だが、しかし。菊がその場に突っ立ったままなので、彼の身体は直ぐにも止まってしまい。ぴんと伸び切った鎖に引っ張られ、喉奥からは、「うぐっ」と奇妙な音が漏れる。


 手首に走った痛みに、萩は顔を歪ませながら。



「おい、牡丹の妹。何をしている、早く動物園に行くぞ!」


「どうしてそんな所に行かないといけないんですか」


「この手錠をゴリラに壊してもらうからに決まっているだろうが。いいから早く付いて来い!

 うっ……、なんだ、この女。見た目に反して、やけに重いぞっ……!」



 いくら萩が引っ張っても、菊は全くびくともせず。それでも顔を真っ赤にさせたまま彼は前に進もうとするも、それは悪足掻きにしかならない。


 すっかり苦戦していると、今度は反対に菊が萩の足を払い。そのまま床に転倒してしまっている彼には一切構うことなく、彼女はずるずると萩のことを引き摺って、その場から遠ざかって行く。


 そんな二人の背中を見送りながら。


「萩の奴、そんなにこの服が気に入っていたのか?」

と、自身の格好を見回して。牡丹は一人、こてんと首を傾げさせた。

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