第049戦:ありしにまさる 藤のかげかも

 突如、天正家の長男と四男による兄弟喧嘩が勃発し。一度は教室から飛び出して行った藤助だが、始業前にはきちんと戻って来るも、出て行った時と様子はほとんど変わらず。教室の中は半日中、緊迫とした空気が張り詰め息苦しい環境であり。


 昼休みを挟むも、その空気が薄まることは一切なく――……。



「なあ、道松。いつもの愛妻弁当はどうしたんだよ」

と、射撃部の部室にて。陽斗は分かっていながらも、敢えて訊ねた。



「何が“愛妻”弁当だ。気色悪い言い方をするな。なんだ、俺がここで購買のパンを食べたらいけないのか?」


「いや、どこで何を食べようとお前の自由だ。けど、少しくらい空気を読んでもらいたいんだがなあ……」

と遠回しに、陽斗は隣にいる女生徒へと視線を向ける。すると、彼女はにこりと笑みを浮かばせ。



「私は別に構わないわよ」



 そう例の女生徒である池袋いけぶくろ月奏るかは、後を続けさせた。



「陽くん。そしたら私、今日は教室で食べるね」


「おい、池袋。わざわざ移動しなくても構わないぞ」


「構わないぞって、どうして後から来たお前が上から目線なんだよ。大体、いつも俺達がここで一緒に昼を食べていることを知っているだろう?」


「なんだよ。文句があるなら、はっきり言えよ」


「いや、ささやかな恋人達の逢瀬をよく平気で邪魔できるなって。その無神経さは、最早感心に値するぞ」


「ささやかなって、どうせ放課後も一緒の癖に……」



 何を言っているんだと言わんばかり。じとりとした視線を向けて来る陽斗から道松は目を逸らし、ぼそりと呟く。



「お前なあ……」


「まあ、まあ。陽くん、私なら大丈夫だから」


「月奏。でも……」


「私がいるより、男の子同士の方が話し易いでしょう?」



 そう言うと月奏は荷物をまとめ、ひらひらと軽く手を振り二人の元から去って行く。


 その場には、道松と陽斗の二人だけが残り。先に陽斗が、はあと湿った息を吐き出させた。



「はい、はい。分かりました、分かりましたよ。話くらい聞いてやるから。

 聞いたぜ、藤坊と喧嘩したんだって?」


「喧嘩じゃねえし。アイツが勝手に怒っているだけだ」


「ふうん、喧嘩じゃないのか。俺には喧嘩にしか見えないけどなあ……。

 まあ、何があったかは知らないが、さっさと謝っちまえよ。でないと、色々と困るだろう?」


「困るって、なにがだ。別に俺は何も困らねえよ」


「へえ、そうか。でも、そしたら誰に爪を切ってもらうんだ? まあ、お前の場合、その辺の女子に頼めば切ってもらえるか」


「てっめーっ!! 誰が切れないと言った!? 俺だって、爪くらい自分で切れる!」


「あれ、そうなのか? けど、あの藤坊が嘘を吐くなんて思えないけどな」


「それはアイツが大袈裟に言っただけだ。俺だって爪の一つや二つ、その気になればいくらでも切れる。ただ、深爪になっちまうからアイツに頼んでいただけだ」


「それってやっぱり切れないってことじゃないのか?」



 第一、そんなことくらいでなにを威張っているんだと。偉そうにしている道松に、陽斗は半ば呆れ顔で告げる。



「でもさ、あの藤坊があんなに怒っているんだ。余程のことをしたんだろう? 一体何をしたんだよ」


「俺だって知るか。そもそも、どうして俺に原因がある前提で話を進めているんだ」


「だって、どう考えても藤坊に原因があるとは思えないもの。本当に心当たりはないのか?」



 道松は一寸考え込むも、

「……あったら苦労しねえよ」

と、ただ一言。半ば吐き捨てるよう、そう返した。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 時は過ぎ、放課後となり。


 部活も終え、帰路の途中――。



「兄さん達、大丈夫かな……」



 茜色に染まっている空を背景に、牡丹はぽつりと小さく呟く。


 今日一日、校内はすっかりその話題で持ち切りだったなと、改めて天正家のブランドネームの強さを実感すると共に、そのお陰で二人の様子が大体分かり。言い表しようのない遣る瀬無さに、彼は一つ溜息を吐き出す。


 それにしても、あの藤助兄さんがあんなに怒っているなんて。二人の間に一体何があったのだろうと、疑問ばかりが付きまとい。


 だが、考え出した矢先。前方に見覚えのある姿が目に入り。



「あっ、道松兄さん。兄さんも今帰りですか? ……って、それは……」



 一体何かと続けたかったはずが、上手く言葉が出て来ず……。いや、聞かなくとも予想できてしまい、牡丹はつい喉奥を詰まらせる。


 彼の視線は、道松が手に持っているコンビニの袋へと向けられたままで。道松もその続きが分かったのだろう。袋を軽く揺らし、平然と返す。



「なにって、夕飯だ」


「夕飯って、だって……」



(夕飯なら、藤助兄さんが……。)



 用意しているのにと、やはり言いたいことは上手く出て来ることはなく。代わりに唾液ばかりがするりと喉を通り滑り落ちた。


 二人の間に深い沈黙が流れるも、意外なことに道松が先に掻き切り。



「なあ、牡丹。知っているか?」


「はっ、はい。なんですか?」



 道松の緊迫とした声の調子に、牡丹は思わず生唾を呑み込ませるが。



「最近のコンビニはお惣菜に生野菜、果物と、なんでも売っているんだな。まるでスーパーじゃないか。それと、商品に付いているポイントシールを集めると、無料で皿がもらえるらしいぞ」


「あの、兄さん。多分、全国の人が知っていますよ……」



 何を真剣な顔で語っているんだと。そう言えば、兄さんは元お坊ちゃまで、きっとコンビニなんて禄に使ったことがなかったんだろうなと。予想もしていなかった兄の発言に、牡丹は思わず呆気に取られる。


 だが、当の本人としては、余程カルチャーショックだったのか。未だにその面は崩れることなく、お店でもらってきたポイントシールを貼る台紙シートをじっと見つめている。



「ていうか、兄さんはそのお皿が欲しいんですか? まさか、その絵柄になっているクマのキャラクターが好きとか?」


「いや、本当に無料なのかと思ってな。それに、藤助が好きだろう。こういう風に、ちまちまポイントを集めるのは」


「確かに藤助兄さんは、色んな店のポイントカードを集めていますけど……」



 兄さん達は喧嘩中ではなかったのかと、訊ねたかったものの。結局、最近のコンビニ事情に感心してばかりいる兄を見ていたら、牡丹の中で自然とその気は失せてしまった。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 こんな調子であの日以来、道松が食事の席に現れることはなく。


 牡丹の心配を他所に、数日が経過するも――……。


(俺ってもしかして、自分が思っている以上に意地っ張りかもしれない……。)

と、天正家の意地っ張り三人組(道松・菊・牡丹)の顔を思い浮かべながら、藤助は顔を歪ませる。


 掃除に洗濯、それから夕飯の支度と。家事をしていると、どうも余計なことばかり考えてしまうものだなと。鍋の中身をかき混ぜながら、湿った息を吐き出させる。



(それにしても、道松ってば。食卓にも顔を出さないなんて。それじゃあまるで、俺が食べさせていないみたいじゃないか。大体、コンビニ弁当なんて本当は嫌いな癖に、無理しちゃって。

 ……そんなに俺が作ったご飯を食べたくないなら、鶴野さんにでも作ってもらえばいいのに……って、ああ、そうだ。道松には、鶴野さんがいるんだ。それに、梅吉には神余さんがいる。芒も直ぐに大きくなるだろうし、そしたら、そしたら俺は……。)



 なんて、咄嗟に頭を左右に振り。直ぐにも浮かんで来た考えを散らさせる。


 家事も大体片付き、今の内に宿題を終わらせてしまおうと今度は自室へと行き。教科書の棚へと手を伸ばすが、その中に紛れていた細長い厚めの台紙が目に着くと同時。急に込み上げてきた吐き気に、慌ててトイレへと駆け込んだ。


 瞬間、頭の中に赤い映像が流れ出し。何度も何度も、壊れたレコーダーみたく同じ場面が再生される。それは徐々に流れていくが、しかし、映像が切り替わるにつれ悪心は深まる一方だ。



(なんで、どうして。忘れたはずなのに、忘れさせたはずなのに……。)



 どうして――と微弱にも身体を震わせるが、口の中へと残った胃酸に更に吐き気が誘発され。ぐるぐると空回り続け。


 数十分にも渡る格闘の末、どうにか落ち着き。藤助は激しく肩を上下に動かし、荒い呼吸を繰り返す。


 けれど、息は上手く肺には取り込まれず。酸素は脳にまで行き届かない。


 薄れゆく世界の中、それでもどうにか取り入れようと。服の裾を強く掴んだまま、藤助はただひたすらに呼吸を繰り返した。

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