第047戦:薄うごきて 秋風ぞ吹く

 長閑な昼下がり――。


 三年二組の教室では、いつもと変わらぬ調子で授業が行われている。しかし、教師の短絡的な声ばかりが響き渡る中、道松と藤助の二人はちらりと目配せをし――。



「うっ……、いたたたた……」


「藤助!? おい、どうしたんだ?」


「いや、急に頭が。今にも割れそうなくらい痛くて……」


「そうか、それは大変だ!

 そういう訳なので、先生。弟を家に連れて帰るので、俺も一緒に早退します」


「はあ、そうか……」



「分かった」と紡がれるよりも先に、二人はそそくさと鞄を片手に教室を後にする。そして、ぴしゃりと扉を閉めるなり、一斉にその場から駆け出した。



「上手くタイミングが掴めなくて、出るのが遅くなっちまったな。急ぐぞ」


「うん。分かってるって!」



 そう確認し合うと、二人は更に速度を上げる。


 けれど、角を曲がった矢先。階段の踊り場に差し掛かった所で、上から黒い影がふっと豪い勢いで降って来て――。



「うわっ、びっくりした……って、道松兄さんに藤助兄さん!?」


「なんだ、また牡丹か……って、お前等……」



 影の正体は牡丹であり、また、彼の後ろには列を連ねるよう、ずらりと天正家の面々が集結していた。


 その光景に、藤助はくすりと頬を綻ばせる。



「ははっ。結局、みんな考えることは同じってことか」


「はい。やっぱり芒のことが気になってしまって……」


「で、お前等はどんな理由で抜け出したんだ? ちなみに俺と桜文は、揃って腹痛ってことにしたぜ」


「俺達は、俺が頭痛で早退するから、道松がその付き添いで一緒にってことにしたけど……」


「俺は眩暈と吐き気ってことにしました」


「僕も朝から体調が優れなく、不調ということに……」



「しました」と、菖蒲までもが一緒になって。嘘の理由を互いに言い合う。


 だが、そんな場合ではなかったと思い直すや、彼等は目的地へ向け。バタバタと慌しいながらも、清閑とした廊下を駆けて行った。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






 その頃、小等部の校舎では――。


 どこの教室も普段とは些か様子が異なり、人口密度が高くなっており。生徒とその保護者とで溢れ返り、大層な賑わいを見せている。


 それは四年二組の教室も例外ではなく、ぱちぱちと甲高い拍手の音が教室の外にまで響き渡っている。



「はい、とっても素敵な発表でしたね。

 それでは、次は天正くん。お願いします。天正くんのお家は、どなたか来ているの?」


「いいえ、来ません」


「そっか……。それじゃあ、先生がお母さんの代役をするわね」



 そう彼女に促され、芒は黒板の前へと移動する。教室中からの視線が自然と集まる中、すうと小さく息を吸い込み。そして、ゆっくりとそれを吐き出そうとした最中――。



「邪魔だ、梅吉! 俺の前を走るな!」


「なんだと!? お前こそ、俺の前に割り込むんじゃねえよ!」


「ちょっと、静かにしなよ。授業中だぞ」


「そうですよ、二人とも。怒られちゃいますよ」



 不意に外から騒々しい音が響き渡り。教室の中にいた誰もが何事かと首を傾げさせると同時。がらりと外側から盛大に扉が開かれ。



「……っと、間に合ったか!?」


「お兄ちゃん達、どうして……」


「いやあ、やっぱり可愛い弟の晴れ姿くらい、この目でしっかり見ないとな」


「ごめん、芒! 遅くなっちゃったけど、もしかして出番終わっちゃった?」


「ううん、丁度これからだよ」


「そっか。良かった……」



 その返事に、藤助率いる天正家の一同は、ほっと胸を撫で下ろす。



「ふふっ。良かったわね、天正くん。お兄さん達が来てくれて。

 それじゃあ、発表してくれるかな?」


「はい」



 一度は中断させられてしまったものの、芒は再び息を小さく吸い込み。



「……『僕の家族』、天正芒。

 僕には、お父さんとお母さんがいません。お父さんは行方が分からず、今までに一度も会ったことがありません。お母さんは産後の肥立ちが悪く、僕を産んでそのまま亡くなりました。

 なので、僕はずっとおばあちゃんに育ててもらっていましたが、おばあちゃんも介護施設に入ることになり、僕はまた独りになりました。でも、僕は全然寂しくはありません。何故なら、今の僕にはお兄ちゃんとお姉ちゃんがいるからです。

 おばあちゃんと別れた後、僕はお父さんの知り合いの天羽おじさんに引き取られ、同様におじさんに引き取られたお兄ちゃん達と一緒に暮らしています。お兄ちゃん達と僕はお父さんが同じ異母兄弟という関係で、半分だけ血が繋がっています。

 長男の道松お兄ちゃんは普段はクールなふりをしているけど本当は優しくて、次男の梅吉お兄ちゃんは面白くて、みんなのムードメーカー的存在です。三男の桜文お兄ちゃんはよく僕と遊んでくれて、柔道もとっても強いです。四男の藤助お兄ちゃんはしっかり者で、いつも家のことを一人で切り盛りしてくれていて、五男の菖蒲お兄ちゃんは頭が良く、僕に色んなことを教えてくれます。六男の牡丹お兄ちゃんは、最近、一緒に暮らし始めたばかりですが、文句を言いつつも、いつも僕に付き合ってくれます。長女の菊お姉ちゃんは演劇部で活躍していて、本物の女優さんみたいに演技がとても上手です。

 みんな、僕の自慢のお兄ちゃんとお姉ちゃんです。

 僕の家は普通の家とは違うけど、でも、周りの家族と同じくらい、僕は本当の家族だと思っています。だから、これからもみんなで仲良く過ごしていきたいと思います」



 そう締め括ると、芒はぺこりと軽くお辞儀をし。それに合わせ、ぱちぱちと拍手の音が鳴り響いた。



「だってさ、普段はクールぶっている道松お兄ちゃん。良かったじゃないか、優しいって言ってもらえて」


「うるせえなあ。こういう時くらい、おとなしくしていられないのか」


「だって、俺は天正家のムードメーカーだしなあ……って、おい、藤助。まさかお前、泣いているのか?」


「だって、だって……。あんなに小さかった芒が、こんなに大きくなって……」


「大丈夫ですか? 藤助兄さん」


「藤助は涙脆いからな」



 目の端に薄らと浮かび上がってくる涙を手の甲で擦っている藤助の隣で、梅吉はけらけらと軽快に笑う。



「それじゃあ、天正くん。今のお手紙を代表して誰かに受け取ってもらおうか」


「代表か……。

 そんじゃあ、ほら。藤助、お前がもらえよ」


「えっ、俺?」


「ああ。芒の面倒を一番見てきたのはお前だろう?」


「いや、別に俺は……。特に何もしていないし……」


「そんなことないよ、藤助お兄ちゃん。お兄ちゃんはいつも僕達のことを優先させて、自分のことは後回しで。一日中家事に追われて自分の時間が全然取れなくても、文句一つ言ったことがなくて。

 僕ね、お兄ちゃんの作るご飯が、世界で一番美味しくて大好きだよ」


「すすきぃー……」



 最後の一言が止めとなり。藤助の瞳から、どばどばと滝みたく激しく涙が流れ出した。



「あーあ。見事に涙腺が崩壊しちまったな。

 おい、藤助。いい加減、泣き止めよ」


「だって、だってえ……」


「ああ、もういいから。好きなだけ泣け。ほら、タオルだ」


「うん、ごめんっ……!」



 藤助はスポーツタオルを受け取るや目元を押さえ、そのまま道松の肩に頭を預ける。


 いつまでも泣き止みそうにない彼の頭を、道松はぽんぽんと軽く叩いた。



「えーと。それじゃあ、いつまでも泣き止まない弟と、それを宥めている長男に代わり、俺が代表して受け取ります」


「はい、梅吉お兄ちゃん」


「ああ。ありがとうな、芒」



 もう一度、拍手が奏でられる中。芒はにこりと屈託のない笑みを浮かばせた。






✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎






「さてと。道松と藤助は懇談会で残るんだっけか……って、おい、藤助。お前、本当に大丈夫かよ?」


「うん。平気、平気」



 漸く涙も収まったのか。赤い目をそのままに、藤助はへらりと笑みを浮かばせる。


 すると、その横からやや不機嫌面の道松が二人の間に割り入り。



「おい、なんの為に俺も残ると思っているんだ」


「へい、へい。分かりましたよ。でも、なんだか頼りねえからなあ。大体、『ここは俺に任せろ』くらい言えないのかねえ」


「ああっ、なんだとっ!?」


「まあ、まあ。今までこういうのに参加していたのは、ずっと藤助だったんだから」



 仕方がないと能天気に笑いながら。桜文は、睨み合っている道松と梅吉の背中をばしばしと叩く。


 その痛みに、二人は珍しくも息を合わせ。揃って顔を歪ませた。



「おい、桜文。痛いって。力を入れ過ぎだ」


「ん、そうだったか?」


「ったく、力の加減くらいできるようになれよな」


「いやあ、悪い、悪い」


「あの、兄さん達。そろそろ懇談会が始まるそうですよ。早く教室から出ましょう」


「おっと、そいつはいけねえなあ。

 それじゃあ、芒」



「帰るぞー」と、梅吉に手を引かれ。ランドセルを背負った芒は、彼の隣へと並ぶ。その後を残りの面子も、二人とやや間を空けながらもぞろぞろと付いて行く。


 だが、ついと菖蒲が最後尾を歩いていた牡丹の方を眺め。徐々に歩く速度を落とし、彼の隣へと並ぶ。



「牡丹くん。どうかしましたか? なんだか浮かない顔をしていますが」


「いや、その……。昨日のことがあったから、ちょっと心配だったというか、なんというか……」


「心配って、もしかして芒くんのことですか?」



 ちらりと、梅吉の隣を歩いている芒を眺め。牡丹は小さく頷く。


 それを受け、菖蒲も牡丹に倣い前方を見つめる。



「そうですね。確かに彼は幼さ故に純粋で、表裏一体とでもいうんですかね。それに比例するよう、周囲に与える影響も危険性も大層高い。けど、おそらく大丈夫ですよ。何より彼は聡明ですし、兄さん達もいます。

 だから、」



「大丈夫ですよ」と、もう一度。菖蒲は強かな声音で繰り返す。


 それを聞き牡丹も彼を真似て、口先で自身に言い聞かせるようにして唱えた。



「……ああ、そうだな。だって、芒だもんな。

 けどさ、さっきの発表で、芒ってば、みんなのことは良く言っていた癖に、俺に対するコメントがなんだっけ。『文句を言いつつも付き合ってくれる』だっけ? 自分で言うのもなんだけど、もっと他に言いようがなかったのかなって」


「そうですか? 僕はなかなか的を射ていると思いますが」


「うっ。なんだよ、菖蒲まで……」



(それではまるで、仕方なく俺が芒の面倒を見ているみたいじゃないか……。)



 心外とばかり。眉間に皺を寄せさせる牡丹に、菖蒲は珍しくもくすりと口元を緩ませた。



「芒くんのことだから、おそらく君のその反応を見越してわざと言ったんですよ。要はからかわれているだけです。なので、あまり気にしない方が良いですよ」


「それって遠回しに、俺のこと馬鹿にしているってこと?」


「いえ。馬鹿にしていると言うよりは、どちらかと言えば玩具にしているというか……。

 要は愛嬌があるということですよ」


「愛嬌って、やっぱり俺のこと馬鹿にしているってことだよな?」



 少し言葉を濁しただけで大して変わりないじゃないかと、牡丹はますます眉間に皺を寄せた。



「仕方ありませんよ。第一、芒くんの朝の些か乱暴な起こし方に、彼の思惑通りの反応を示しているのは牡丹くんくらいですから。あれを上手く回避できない内は、残念ながら認めてもらえませんよ。

 それより、どうですか?」


「どうって、何が?」


「これが君の言っていた家族ごっこですが、そうですね。僕はなかなか楽しいと思いますよ」



(俺の言った……? ……ああ。そう言えば、そんなこと。)



「言ったっけ」と、朧気な意識の中。牡丹はふと数カ月前のことを思い返す。



 漸く親父に会えると思っていたのに、代わりに待っていたのは半分だけ血の繋がった兄弟達で。自分にそんな関係で結ばれた人物がいたこと自体に驚いたのに、まさか、そのままこんな風に一緒に暮らすことになるなんて。


 露も思ってもいなかったなと、牡丹は薄っすらと考え。



「そうだなあ。うん、こういうのも悪くはないっていうか……」



 ぼそぼそと口先で呟く牡丹に、菖蒲はふっと目を伏せるばかりで。それ以上は口が開かれることはなく、二人の間には虚無な空気ばかりが流れ出す。


 だが、それは別段居心地の悪いものではなく。いや、反って落ち着くと。牡丹は無意識にも身を寄せさせる。



 けれど。



(家族ごっこ、か……。)



 淡い橙色に満ちた夕日に照らされている道を歩きながら、ただその一言を。自身に認めさせるよう、牡丹はひたすらに心の内で反芻させた。

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