参 真赤な
第1話 帰ってきたあの場所
「おまたせー」
秋奈が駅にやってきた。なんだかんだ言って私服の秋奈を見るのは初めてだったので、普段の制服姿の高校生らしさはなく、どこかで見たような大人っぽさに包まれていた。
「どうしたの? あ、もしかしてびっくりしてる?」
「あ、まあ……」
「一応見たことはあるはずなんだけどね」
「ん? 何か言った?」
「いや、何でもない。行こう」
僕たちがこれから行く場所は、今となっては人通りも少なくなってしまった『あなたの手に紅葉載せて』の聖地だ。その作品は、人目を避けて生きている成人男性が、学生時代によく遊んでいた同級生たちに会って、人生を振り返りながらも、今はもう遅いと諦めるという空しい結末で物語を締めくくった、事実をもとにしたノンフィクションだ。何年か前には当時有名だった、俳優兼歌手の逆瀬川隆之介が主演を務め、映画化もなされた。その中でもキーとなるものが、この時期にふさわしい紅葉だった。あの事件があるまでは、海外からも観光客が訪れていたほど、美しい眺めだった。
僕たちはあらかじめ買っておいた特急券を使って、少し豪華な列車に乗った。休日にバイトで稼いだお金を使って買った時は、少しわくわくした。二人席の窓側に座った僕は、リュックから出したカメラの電源を入れて、いつでも撮影できるように前についていた折り畳み式の机の上に乗せた。
「ねぇねぇ」
隣で声がして右を見ると、秋奈がカメラのシャッターボタンを押した。
「あはは、のんきな顔してるー」
「ちょっと、はあ、せめて撮り直しして。流石にさっきみたいな間抜けな顔は」
「わかった。じゃあ、こっち向いてー、はい、チーズ」
僕はそれなりに笑って写真に写った。
「私も撮ってー、それで」
秋奈は机の上のカメラを指さした。まあ、これも記念か。
「オッケー、はい、チーズ」
「ありがと」
ドアが閉まって電車は出発した。
ああ、僕は今夢を見ているのか。辺りが少しぼやけている。すると、少しその靄が取れて何もなかった空間から四つのものが浮き出てきた。青龍、白虎、朱雀、玄武。日本古来から伝えられている四神だ。その時、僕はさらに思い出した。たしか、昔いた仲間で、この四神になぞらえてそれぞれに合う神様を決めていたっけ。古代日本の四神のそれぞれの色には、漢字一文字が充てられていた。
若葉は青龍の『漠』で、仁は朱雀の『明』、和哉は玄武の『暗』、そして、楓は白虎の『顕』だった。小学校五年生になってから、特に意味もなくつけたそれぞれの神様のイラストを描いて遊んでいたっけ。そして、『漠』と『顕』だけ意味が分かってなかったので、辞書で意味を調べたり、先生に聞いたりしたものだ。たしか、俺の、いや、僕の神様は……。
「……君、啄木君!」
僕ははっと目を覚ました。何か夢を見ていた気がしたが、何も覚えていない。僕はこういう時に胸に残るしこりが嫌いだ。頭の中に残さなくてもいい夢の記憶なんて、初めから見なければいいのに。
「どうした?」
「停電が起こって、しばらくこの電車が動かないみたいなの」
「まじか、あとどれくらい?」
「すぐ復旧するって。ごめん、焦って起こしちゃって」
「いや、大丈夫……」
昨日小説を見返したのがあだとなったのだろう。普段のルーティーンをほんの十分無視しただけなのに、ここまで影響が出るとは思わなかった。
「ごめん、今どの辺り?」
僕がそう言ったと同時に電車は出発し、お詫びのアナウンスが流れた。
「あと十分ぐらいだよ」
「わかった、ありがとう」
それからすぐ、トンネルを抜けた。その瞬間、見覚えのある風景が広がった。バスから見ていた五年前のものよりは廃れているものの、よくここまで復興させたな、と感心してしまった。
あの事件、逆瀬川隆之介の結婚した相手のファンによる逆恨みで起こった、アトリアルホール爆破事件。爆発元は、逆瀬川の楽屋だった。警備もそこまで厳重ではなかったので、そこに忍び込み、そのファンはそこで自爆した。遺体の損傷が激しく、防犯カメラに映った人影も黒い帽子を目深にかぶっていたので、結局犯人はわからず、迷宮入りとなってしまった。この事件はしばらくの間、様々なテレビ局によって報道されたが、次第に風化し、人々の記憶の中でたちまち隅に追いやられているのだろう。ホールは町中にあったため、古い民家はその振動で崩れてしまうほどだった。そして、そこで僕は『ジシン』を失い、今現在に至る。
「これが、アトリアルホール跡、なのね」
「………」
もう、一言も出なかった。
電車はついに、聖地についた。最後にアトリアルホールに寄るつもりでいるので、僕らはまず『あなたの手に紅葉載せて』のオープニングの撮影に使われたという山道を目指した。
「ふわあぁぁ」
「まだ眠たいの? さんざん電車の中で寝たのに」
「それでも朝六時に集合したし、昨日寝たのは日付回ってからだったし」
そうでもしないと人ごみの中で見なければならないので、ろくに写真も撮れない。それどころか自分の目で見ることもできない。それでも昨日の日付をカレンダーが示している間に寝なかったのは自業自得だと思う。
「着いたー」
山道は、外国人が「ザ・ニッポン」というような幻想的な風景の中に通っていた。入り口にはかつてこのあたりの看板があったが、今は撤去されている。それでも、『あなたの手に紅葉載せて』の広告宣伝ポスターは残されたままだ。
「あ」
逆瀬川隆之介の墓を見つけた。爆破事件によって病を患ってしまい、去年なくなってしまった。しかし、彼は一昨年既にここに墓を買っていた。
「私は、たたりと共に眠るつもりでいます。これもけがされた方々へのせめてもの謝罪の念をもっての行動です」
そうしてテレビで報道された彼の顔は、全盛期のそれとは比べ物にならないくらいやつれていた。
「手、合わせていこうか」
「うん」
僕は自分と共に「ジシン」を失った彼の冥福を祈った。
あの日、共に運ばれた病室で彼は言っていた。
「今日は、赤だな」と。
山道の景色は、実にきれいだった。まさに、小説が現実にそのまま飛び出してきたかのような、絶景が眼前に広がっていた。そして、僕はこの景色の中で、覚悟を決めた。
「なあ、秋奈」
「何?」
「あのさ、初めて帰り道一緒に帰った日のこと、覚えてるか?」
「ああ、あれね。きみが私を泣かせたあれねー」
「あ、いや、もうそれは置いといて」
ふうーん、と秋奈はにらみつけるような目で、笑って近づいてきた。
「ご、ごめんなさい!」
「で、話は?」
「うん、あのさ……」
僕たちは最果てまでたどり着いた。そこには、紅葉の中を切り裂くように流れる滝があった。下にたまっている湖の上には、子供の手の大きさほどの赤い葉っぱが、ぷかぷかと浮いていた。今はまさに紅葉真っ盛りといった感じだ。その滝につくと同時に、僕はすべてを話しきった。
「え、てことは……あのニュースはでたらめだったってこと?」
「そう言うなら、そういうことだ」
「どうして何も言わなかったの?こんなこと……世間が知ったらどうなることか……」
「逆に、世間がそう思ってくれているなら願ったり叶ったりだ」
「でも、どうしてそれを私に?」
「もうわかってたんだよ。秋奈、お前あの場所にいただろう?」
「まあ、いたけど。それでこの話をしてくれて、知った私はどうしたらいいの?」
「その場にいた人にだけ事実を知ってもらいたかったから。ただ、知っておいてほしかっただけ」
「そう。でもね、実は私、もう知っていたんだ」
「は? どういうことだ?」
秋奈はこちらを見た。紅葉と滝をバックにしてみた秋奈は、どこかで見たことがあった雰囲気がした。
「風車」
「風車……! まさか」
「そう、もうわかったね。さ、二人で写真撮ろう。すみませーん! ちょっと写真撮っていただけませんかー」
秋奈はカメラをおばあさんに渡し、手すりに体重をかけていた僕の隣に立った。
カシャリ、とシャッター音が鳴った。
「これでいいかしら?」
「はい、ありがとうございます」
「二人さん、ここで起きた事件、知ってるかい?」
「もちろん、知っていますよ」
僕はそう答えた。その瞬間、おばあさんの顔に誰かの顔が重なって見えた。
「私の孫もそれに巻き込まれたんだよ。幸い軽いけがだけで済んだけど、心の傷はまだ癒えてないようでね、たまに亡くなってしまった幼馴染のことを思い出しているんだよ。あいつが帰ってくるまで、あいつがこの町に帰ってくるまで、俺たちはここで死んでも待ち続けるからな、なんて言って、夜泣いているときもあってね。見ていて慰めてやろうにも、死んだ人を呼び戻すなんてできなくて……」
「……」
僕たちはおばあさんと別れて、折り返した道を進み始めた。
「啄木君、まさか」
「いや、その予想は間違っている」
「やっぱり会った方がいいんじゃない?」
「でも、あいつにあったらあいつらのことを思い出しそうで」
僕は自分の顔が青ざめているのが分かる。「ちょっと休もう、ね?」
僕たちはアトリアルホールの見える喫茶店に入った。秋奈の気配りのおかげで少し体調がよくなった。ちょうど昼時なので、おなかがすいていた。僕と秋奈は、サンドイッチとジュースを頼んだ。
「ごめん、話題を変えよう」
「そうだね」
僕たちはのんびりサンドイッチ片手に、本の話をした。ある程度話をした後、僕はお手洗いに行った。
彼がお手洗いに行ったのと入れ替わるように、「失礼します」と、アルバイトらしい人が近づいてきた。同年代のようだ。
「お二人様、本が好きなのですか?」
「まあ、それなりには。さっきの彼はもっと本好きですよ。って、バイト中ですよね? 大丈夫ですか? こんなところで油売って」
「大丈夫です。今のお客様はお二方だけなので。作るものも、お客様が何かオーダーしない限りないですよ。それで、私、少しお勧めしている本がございまして」
「おすすめの本?」
「これなのですが」
その本の題名は、『若き海賊の夢想』というもので、作者は最近新人賞をとったことがネットニュースにも上がっていた、アララギジンだ。
「実はこの本の作者とかなりの縁がありまして、この本をどうしても多くの人に広めたいと言っていたものですから」
「なるほど、でも、これゲラですよね?」
「大丈夫です。コピーです。これの一番後ろに電話番号が書いてありますので、感想は後日お聞かせください」
「わかりました」
「ありがとうございます!」
その時、カランカランと、音がして店の扉が開いた。
「はい、いらっしゃいませ!」
アルバイトの人は行ってしまった。その後も続々と人が入ってきて、あの人は忙しそうにしていた。
「ごめんごめん、ちょっと長電話してて」
啄木君がポケットにスマートフォンを入れながらこちらへ来た。そして、ゲラを見つけた。
「なんだ、これ。『若き海賊の夢想』?あっ、アララギジン! どうしてこれを?」
彼は目を輝かせていた。本のことになると、
大人っぽくも、子供っぽくもなる彼の感情の変化が可笑しかった。
アルバイトの女性は、そんな二人をほほえましく見ていた。
「でも、とてもそっくりなんだよ。ほんとに生き写しみたいで」
同僚の男性は馬鹿馬鹿しそうに、
「まさか、いくらここでバイトし始めたからって、もうあいつはいないんだから。そう、あいつは……」と、右のこぶしをさすりながら言った。
「仁も帰ってきたら、このことを話してあげたいな」
「そうだね。よし、仕事、仕事!」
女性は自分の頬をパンパンとたたいて気合を入れた。
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