第8話 最後の日
「あ、みんなー! 無事?」
楓は、三人と知らない女の子を見つけた。
まさか探さないといけないたった一か所に固まっているとは思わなかった。
「あ、楓ちゃん」
若葉は足を抑えながらその名を呼んだ。
「若葉、どうしたの?その足」
「ちょっとくじいてしまったみたいや。心配ない。けがをしてるわけちゃうからちょっと休めば……」
「何言ってるの? おんぶしてでもすぐ出ないと、もう火はすぐそこに……」
その時、すぐそこで天井の落ちる音がした。
「まずい。よし、仁、俺はこの子を背負うから仁は若葉を背負って、すぐに出よう」
「おう、分かった。若葉、早う乗れ」
「言われんくてもわかっとるわ、あほ」
こんな時でも、熱々で。
「二人とも、熱々なのはわかるけど」
二人はこちらをにらんできた。
「もうすぐ物理的に熱くなるから、行くよ!」
真上の天井からパネルが落ちてくるのをかわし、楓たちは外をめがけて全速力で走った。
なんとか到着した五年二組のメンバーは、ほっとする人とあの五人がまだ来ていないことを不安がる人で二分されていた。
「楓ちゃんたち、大丈夫かな」
弘子は心配そうな目でガレージから中に続く長い通路を見つめていた。
「大丈夫。啄木がついているから。あいつもきっと、ここしかないと思っているはずだ」
と、通路を見たとき、
「あ、啄木だ。たくぼ……」
「待って」
秀人は手で制した。
「え、なんで?」
「まだ四人いない。それに、まだ中に人はいたようだ。あの人、見たことないし」
「でも、こっちに来たらいいのに……」
「多分、救護隊員に連れていかれちゃうからだろう。啄木は、みんなを待つつもりだ」
「確かに、そうだね。でもいざというときは……」
その時、さらなる爆発音が聞こえて、弘子は小さく叫んで耳をふさいだ。
僕は弘子の肩に手を置いて、「大丈夫」といった。
間に合ってくれよ。
秀人は一生に一度の願い事のように祈った。
なんとかガレージに続く長い一本道までたどり着いた。外には避難した人々がいた。その中に五年二組のみんながいたのを見て、ほっとした。でも、三人の姿だけなかった。楓もまだ、来ていないようだ。四人がそろってここにたどり着くのを願うことしか、今の啄木にはできなかった。しかし、ここを出ていくと、救急隊員に見つかって救護場所に連れていかれ、楓に会えなくなってしまう。仕方なく、物陰に息をひそめるしかなかった。そのため、彼女もここにいてもらう必要があった。しかし、事情を話すと、快く了承してくれた。俺は先程の話の続きをして、時間を過ごした。
「ところで、君の受賞した俳句はどんな俳句?」
「えーとね。『風車 まわれまわれと 子が笑ふ』っていうんだ。今年、昔の自分のビデオが出てきて、その時は神戸のハーブ園に行ったんだ。そこの手すりのところの風車が止まってたんだけど、その時は風が全く吹いてなくて、風車は全部止まってたんだ。その止まっていた風車に懸命に息を吹きかけて、少し笑っていた五歳のころの私を見て、この句がふわって浮かんだの。実は、ここに来るのはもう五回目なんだ」
「すごいな。毎年選ばれているなんて。少しでも自分に誇れるところがあったらいいよ」
そういった時、随分奥のほうで、ガッシャーンと何かが崩れ落ちる音が聞こえた。そうだ、ここは木材をふんだんに使っていて、頑丈な素材のつなぎ合わせも木だから、鉄くずとかも上から落ちてくることも考えられる。
「どうしよう、君のお連れさん、まだ来てないけど。このままだったらまずいんじゃないかなぁ」
「待って、俺はあいつらを信じる。俺の帰る場所、それはあいつらなんだ」
少女は彼のその目を見て、少しだけ嫌気がさした。昔の自分を、見ているようだった。
「あいつらがいないなら、あいつらがここに来ないなら、俺はここで死んでも……」
「言わないで!」
少女は俺を一喝した。
「私は君の事情を全く知らない。でも、簡単に死んでいいなんて、そんなのだめに決まってる! 君の命は、かけがえのない、イッピンモノなの。そう言って死んでいく人を、私はどれほど見てきたか……。私は、それで何人失ったか……」
俺は、唖然として彼女の顔を見た。よく見れば、彼女は俺の年上のようだった。すっかりおびえていたので、少し幼く見えていたのだろうが、今は残酷な現実を語る大人に見える。
俺は、自分の見てきた世界がいかに狭かったか、痛感した。俺と同じ世代に、ここまで大人びたことが言える人がいたとは。でも、俺はいまだ、ブックマスターのみんながいない世界を想像することができなかった。明日からそういう生活が待っているというのに。
「私は、君に死んでほしくない。私を救ってくれたから。だから、ここが瓦礫に包まれる前に、逃げよう。約束して」
「でも、俺は……」
その時、
「たっくーん! いたよー! みんなー!」
楓が三人を連れてこちらへ走ってくるのが見えた。仁は若葉を背負って、和哉は知らない女の子を背負っていた。そうだ、みんながいれば、俺は本気になれる。“モード”なんか必要ない。仲間がいれば、俺は俺自身でいられる。その希望が失せない限り、走り続けられる。
人は、何か目的をもって走る。その目的が遠ければ遠いほど、その意志の続く限り本気になれる。「走るジプシー」となって、何かに向かっている気がしているだけの、将来の自分を受け入れるために、俺は今、こいつらとともに……。
「よし、行こ……」
しかし、喜びはたいてい、つかの間の休息に過ぎないことが多い。
五人の後ろに大きな音を立てて瓦礫が崩れ落ちるのが見えた。
そして知らない間に、周りはすでに炎に囲まれ、出口は陽炎の中に見えた。
「走れー! タク!」
「了解!」
俺と俳句の子は五人に並んで走り出した。ゴールはおよそ一〇〇メートル先。俺たちにとって、その距離は少し長く感じられた。
「ちょっと遠過ぎやしないかー?」
「大丈夫や。多分。俺らが女子を背負っていたらすぐ着く」
若葉と女の子は泣きそうだった。どうやら、女の子のほうが俺たちの同級生らしい。
「よかった。助けてもらってたのね」
「え、もしかして姉妹?」
「そう、二歳違いのね」
「そうなのか」
何も知らない人が見たら七歳差ぐらいには見える。女の子は上目使いでこちらを見、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「って、これちょっとまずくないか」
後ろには着々と瓦礫が積みあがっていく。しかし、前と左右は火の海。八方ふさがり
だった。
「タク、どうする」
和哉が聞いてくる。ここは一本道だ。だからこそ突っ切れば一瞬、つぶされるのも一瞬、焼かれるのも一瞬だ。
ふと、前を見ると、炎の中に少し薄いところがあった。
「あそこだ! あの隙間なら抜けられる!」
「あそこだな。よし、行くぞ!」
各々おののき、各々猛々しく、各々意気込んで炎の中へ突っ込んだ。
しかし、現実はそううまくはいかない。想像したことの裏のことが起きる。
***
ガレージの上の瓦礫が続々と落ちてきた。人々はそれを遠くから心配そうな目で見ていた。そして、二分ぐらい絶え間なく大きい瓦礫が落ちてきていたとき、突然大きな音を立てて、あたりを煙で覆い、ホールは瓦礫の山へと姿を変えた。辺りの人々は驚きを隠せなかったようだ。中には顔を手で覆う人もいた。
足がすくんで、叫び声をあげた。何度もその名前を呼んだ。周囲では声にならないような声を漏らす人でいっぱいだった。さっきまで動画をとっていた人も、不意にそのスマートフォンを落とした。
けたたましいサイレンと共に救急車がやってきた。
俺の『最後の日』の光景は、鮮やかな、清らかな、そして残酷な、赤だった。
限りなく、赤だった。
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