第6話 君が好き
<秀人>
重たい幕が下り、ついにすべてが終わった。
今日のためにさらに改良を加えた台本も、今日でその役目を終える。今のみんなの顔は、笑顔だった。秀人は自分の衣装を脱いだ。
ふと、啄木のほうを見ると、彼は一人泣いていた。無理もない。彼はもう、明日にはこの町にいないのだから。電車で一時間半という、小学生の僕らにしたら到底かないっこない大きな山が、物理的にも精神的にもあった。
『シャカイ』とかいう大きなものにあらがえるわけない。どうしようもない。それを一番感じているのは彼なはずなのに。その涙は諦めの涙ではなく、悔しさの涙なのだと、僕には思えた。
でも、本当はどうなのかわからない。五年間共に過ごしてきた仲間の気持ちすらわからないで、僕のサッカーチームの司令塔というほのかな願いはかなうのか。
<弘子>
その日は、朝から大忙しだった。学校に朝七時に集合し、バスでホールに向かった。バスの中は妙な空気がしばらく流れたものの、先生が提案したカラオケ大会のおかげで雰囲気は軽くなった。弘子は自分の十八番を歌って、バスの中を大盛り上がりにした。普段からさまざまな役を演じる私の一番好きなキャラは、やっぱりごく普通の『小学生』だ。女優を目指し、日々表現力を磨いてきたが、その後にマイクが渡った仁の演歌で、すべてのムードは持ってかれたのは悔しかった。でも、そういった空気も、みんな今日で少し変わってしまうというのが、一番悔しかった。明日の特急電車で啄木君が隣町に引っ越すことで少し隙間の空いてしまった本棚を埋める本がなかなか見つからないように、しばらくその虚無感が残り続け、それが風化した時でも、何とも言えない心のしこりが時々胸を締め付けるのだろう。別に彼のことを好きなわけではないけど、彼のことがいとおしかった。たぶんほかの人も同じように思っているのだろう。もし、その感情を言い表せないのだとしたら、それは『愛』なのだろう。
そう思うと、私はこの場所を永遠のものにしたいと思い、それができないことへの悔しさが心の底からわきあがってくるのだろう。
九時から始まったそのイベントは、夕方の四時まで続いた。私たちはトップバッターだった。だから緊張度のメーターの針はもう振り切れていた。これほど緊張する舞台は初めてだった。だからこそ、ここは私にとって清水の舞台から飛び降りる覚悟で挑戦すべき、山場だった。そして、このような舞台を作ってくれたすべての人には感謝の念が絶えない。
心の中で「ありがとう」といい、私は自分の出番で舞台に出た。
<仁>
その舞台は、不完全だった。学校の体育館で演じた時のものがどれほど最高の出来だったかを、仁は痛感した。照明、音響、マイクの響き。担当の人は子供からホールの人にシフトし、何一つ不便はなかった。それらすべては自分の脚本をより引き立たせてくれたし、まさに完璧だった。俺は、それらがすべて完璧すぎたのだと思った。俺たちは、その感動を二度と引き立たせることはできないのだ。
今回の感動は、またそれとは別物で、こっちはこっちでジャンルの違う大きな感動を観客たちに与えた。アイドル目当て、歌手目当て、漫才目当て。俺たちのことを見に来たわけでもない人々にも、何かしらの印象を与えられただろう。しかし、今回は観客のために演じたのであって、啄木個人のために演じたわけではない。以前のように、一回きりだという焦りが、今回のようにいつかまた同じようにできるのではないかと思い込んでしまった自分がいた。本当にこれで終わりなのに。
緞帳が下りた瞬間、すべてが本当に終わった。
***
小道具大道具の搬出作業が終わって、各々自由行動の時間になると、みんな思い思いの場所へ散らばった。バンドに興味があったり、お笑いに興味があるものは中に入ったり、それ以外の人はホール前に出ていた出店を、出演料として配布された金券を使って回っていたりしていた。
若葉は、団子を買って仁に渡した。
「はい、これ言ってたチョコ団子」
「おう、ありがと」
そういう仁は、唐揚げを和哉に渡した。
「はい、店のおばちゃんがサービスしてくれたで」
「お、ラッキー!」
そのような感じで、いつものグループの五人は分担して集めてきた食べ物を持って、大きな御神木の下でピクニックした。
「よし、みんなええな。では改めまして、舞台お疲れ様でしたー!乾杯!」
「カンパーイ!」
みんな思い思いのことを語り合った。和哉はちょうどピクニックをしている御神木について、話し始めた。
「ここは、『あなたの手に紅葉載せて』の聖地なんだ。ほら、今年映画化する、あれ。一昨年にはロケハンにも来てたんだ。それで、こことここの近くの商店街が使われたんだ」
「だから途中であの映画の広告がでかでかと立っていたんだな」
「そう、で、実は映画の出演する俳優の中の一人、逆瀬川隆之介が今日このイベントに来るらしいんだ」
「え、あの歌も歌っている、あの逆瀬川が?」
「そうそう。閉会式に出てくるんだって。だから終わりで集合した時に会えるんだよ」
「よし、終わってからサインもらいに行こうや!」
「もちろん!」
「で、この御神木なんだけど、これは樹齢五〇〇年ものらしい。ここまで大きいのは日本でもなかなかないらしいよ」
知識系に強い和哉が言った。
「へえー、てことはここは応仁の乱の時からあるってことだよね?」
「それは違うよ?」
歴史系専門の若葉が指摘した。
「今が二〇〇二年だから、五〇〇年前は室町時代。応仁の乱は一四六七年だから、もっと前だね。実は、今から五〇〇年前って、小さな戦こそあったものの、あまり詳しくは知られていないんだ。だから、私はこのあたりのような空白の時間を『ブランク』って勝手に呼んでる」
「そうなのか。知らなかった。でも、五〇〇年って長い時間だよな。つまり俺のひいひいひいひい……」
「そんなに数えていたら日が暮れるがな」
「そりゃそうだな」
つかの間、笑いが起こった。
「ところで、今日の変え方でよかったか? 俺はちょっと無駄が多すぎた気がしたんやけど」
ものをかくのが得意な仁がみんなに問いかける。
「うーん、たしかに万人受けするけど、前みたいな瞬間の感動はなかったかな。どうだろ、たっくん」
「そうだな、たしかに前のほうが身のぎっしり詰まった熟成肉みたいだったけど、今回は具沢山なハンバーガーみたいだったかな。前のほうがド直球のストレートで、確実にストライクゾーンに入っていたけど、今回はとても遅いスローボールがうねうねしながら来ている感じ」
雑な解釈と比喩が得意な啄木が答える。
「つまり、前はぎっしり詰まって、急な展開に引き込まれる感じだったけど、今回は結末までの疾走感がなくて、普通一般によく見る舞台みたいだったってこと?」
精密な解説担当の楓が訂正してくれる。
「そうそう、これでも悪いってことはないんだけどね」
「たぶん、早すぎる流れに観客だけじゃなくて、私たち役者も引き込まれる感じが一番よかったのかも。前の舞台は本当にどこもまねできないものだったって、今だからこそ強く感じられた」
「なるほど。無駄は物語を良くも悪くもしてくれる、ってことやな」
「せやせや、仁」
「あのなあ」
みんな笑っていた。そう、笑っていた。
この後何が起きるかも知らずに。
その後も、彼らはのんびり話した。
「あ、そういえば、俺たちのチームで、何か名前みたいなの付けない?」
そう言い出したのは、啄木だった。
「それ、いいかも」
「五年二組には、『最高な虹』っていうなんかパッとしないもんがついとるけど、もちろん別物やんな?」
「やっぱり、あれだめ?」
若葉が首を傾げると、四人は揃って「ダサい」と言った。
「で、何がいいと思う?」
「私たちって、やっぱり本好きが集まってできたチームだから、『ブックマスター』とかどうかな?」
「なるほど、それでいく?」
「ええ、ええよ。めっちゃええやんか!」
仁が絶賛しているのを見て、若葉は照れている。
「お似合いやな」と、和哉が茶化して言うと、
「違うわ、あほ!」と二人そろって返したのを見て、俺たちは笑ってしまった。
「よし、ブックマスターとして、これからもっともっと本読んでいくからな。大人なったら、絶対みんなに会いに来るから!」
楓はふっとほほ笑んで、
「待ってるね。ずっと」といった。
「よっ、お似合いさん!」
「いい感じですねぇ、お二人さん」
仁と若葉がここぞとばかりに仕返しの冷やかしをしてくる。
「まあまあ、その辺にしておいて、もうそろそろ移動したほうがいいんじゃない?」
和哉がにらみ合う四人を仲裁した。
気づくと、もう日は傾いていた。遅くなっても、バスで一人一人の家に送ってくれるから心配する必要はない。しかし、翌日の朝早く引っ越す啄木は、そのバスに乗らず、駅の近くのホテルに泊まるのでいよいよみんなとの別れの時がくる。
***
私は、今、言うんだ。今しかないんだ。
「あの、みんな先行ってて」
「え、なんで……」
聞こうとした仁を、和哉が手で制した。
(わかるだろ?)
(あ、なるほどな、了解)
みんなはそそくさと行ってしまった。舞台は整った。
そして、私は行こうとしたたっくんに「待って」と、かすれた声で言って引き留めた。
「ん? 何?」
「あ、あの……」
「大丈夫。俺はいつまでも待つから」
私は、その言葉で涙を流した。やっぱり、彼は私の一歩先をいつも行っている。私はしっかり近づいているはずなのに、全くそんな気になれない。なれないのは。
彼が優しすぎるからだ。
「どうした、何かあっ…」
私は手で待ってのサインをした。
そして、無理やり涙をぬぐって、目の前の憧れていた同級生の大人びた目を見た。
「たっくん」
「ん?」
「私、あ、あの……、たっくんのことが好きなんだ。私さ、いつもたっくんと一緒で、たっくんがいてくれたら、私は強くなれるし、成長できるんだと思う。もしさ、私たちが大きくなって、また会えたら……また逢えたらっ、私と、結婚してほしい!」
「……」
私はすべてを言い切った。たっくんのことをこれほど愛しているんだ。もし、小学生のガキの考えだっていう人がいたとしたら、ガキほど馬鹿で、猪突猛進な生物はいないって反論する。
一生懸命な気持ち、伝わったかな。
彼は、泣いていた。
「楓。ありがとう。本当にこの町から離れたくない。みんなが、楓がいてくれるから、俺も俺でいられる。俺も、楓のことが好きだ!」
「たっくん……」
「もし、会えなかったとしても、大丈夫。そうだ、ここを待ち合わせ場所にしよう。たぶん、俺はここに戻ってくる。だから、その時にみんなのところに行く。もちろん、楓のところにも」
「……うん!」
「よし、みんなのところに行こう! 逆瀬川隆之介を、見損なわないようにしないとな!」
「うん!そうだね!」
私にはとても、今の時間が宝物に思えた。
そして、走り出そうとした、その瞬間。
大きな爆発音とともに、目の前のホールに大きな火がおこった。
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