第4話 受け継いだもの

「あのね、海音かのん。あなたの名前の由来を教えてあげる」

 それは小学校で自分の名前が女子みたいだと馬鹿にされて、泣いて帰ってきた日のことだった。

「私にはね、お姉さんがいたの―――いや、いたはずだったの。私がまだ成人になる前に、亡くなったの。肺がんだった。その人は音楽の道に進んでいて、もう少しでデビューだって時に判明したの。ちょうどその時人間ドックを受ける機会があって、そこでわかったの。余命はたった一年。ステージ四だった。だから彼女はラストライブをして、長い付き合いのバンドメンバーに別れを告げて入院した。四日だった。お姉さんの命は一年どころか半年ももたなかった。私はお姉さんととても仲が良かったから、しばらく立ち直れなかった。その時期に寄り添ってくれたのがあなたのお父さんなんだけどね。それであなたを産んだ。彼女の死がなかったら、私達は出会ってなかったし、あなたも生まれてなかった。ほんと偶然だけど、今のあなたの顔が小さい頃の彼女にそっくりなのよ。だからなおさら確信してる。あなたは彼女の生まれ変わりなんだって。音楽をしてほしいとは言わない。もちろん、やってみたいならやってもいいけど。私は彼女への感謝の気持ちを、あなたの名前に込めることにした。彼女の名前、そして彼女のバンドの名前。それが―――」


     ***


「―――『カノンかのん』」

「そう。だからこれは俺のおばさんになるはずだった人の名前なんだ。俺は何回もこの名前でからかわれて、何回も泣いたけど、その話を聞いてから我慢して涙を飲もうって決めた。流石にこの年になったらそんなことでからかうようなやつはいないけど」

「だからペンネームは『北見響』。喜多・海・音からもじったんだね」

「俺は不幸なことに音痴だったから、世間に出せるような歌は歌えない。だけど、デビュー直前までいきつけたおばさんの感性は本当に受け継いでいたみたいで、文字に起こすことぐらいはできると思って小説を書き始めたんだ。そうしたら賞を獲るようになって。ペンネームをつけるときにおばさんへの感謝を込めたお母さんと同じように、”音”を文字にして受け継いだんだ」

「じゃあ名前は好きなんだね」

「もちろん、大好きだ」

 海音は満面の笑みを見せた。この顔こそ、『友達』にしか見せられない顔だ。

「じゃあさ、これから下の名前で呼んでもいい?」

「え、それは流石に……」

「あ、やっぱり意識しちゃう?」

「……よ」

「ごめん、困っちゃったね。じゃあ……」

「いいよ。名前で呼んでくれても」

 海音は顔をほんのり赤らめて言った。

「……わかった、海音かのんくん」

「その代わり、矢島さんの名前の由来も教えてほしい」

「いいけど、私のは単純だからあまり期待しないでね? 私が生まれた日はすごく晴れていて、お母さんの部屋に連れて行かれたときに空に向かって手を伸ばしたんだって。だから『空』。単純でしょ?」

 空はわかりきったことをを話すように淡々と話した。

「単純だけど、ロマンチックだね」

「そうかなぁ」

 今度は自分が手を出すんだ。そう思ったが、海音にはそれを行動に起こす勇気がなかった。結局、

「よろしくね」と笑いかけることしかできなかった。

「空」

「ひゃっ」

 海音に名前を呼ばれた空は、顔を真っ赤にして海音を見ないように手で覆った。

「空って響き、好きだな」

「……あ、ありがと」

 列車はトンネルを抜けて、出発した駅から九番目の駅に停車しようとしていた。

「あのさ、さっき日本史嫌いって言ってたけど、海音くんの好きな科目って何なの?」

「あんまりー、小説以外に興味ある座学はないから」

「小説って座学なの……?」

「書いていたらどんどん自分を磨けるから、座学とも言えると思う」

「ふーん。でさ、あんまり勉強が好きじゃないってこと?」

「ああ、正解のないことを追求するほうが性に合ってる」

「そっか。ちょっともったいない気がするなぁ」

「なんで? 俺にとっては小説書いている方が生産的だと思うけど」

「私は確かに好きなことをしてもいいと思う。それは私も同じだよ。でもあんなに短時間で変わるんだから、得意なことをやらないのは、もったいないと思うんだ」

「そうか。まあやる気が出れば、の話だがな。まあ空に教える分には悪い思いはしてないから、それは安心しな」

「うん、わかった……あ、この駅じゃない?」

 列車は田舎っぽい駅に停車した。しばらくこの駅に停まっているようだ。

(自分のところのほうがもっと田舎だけど)

 空は心の中でつぶやいた。

「あ、そうだ。じゃあまた」

「うん、またね……あっ、海音くん」

 海音は降りるため立ち上がりかけたが、もう一度座席に座った。

「あ、そんな大したことじゃないんだけど……」

「うん」

「『好きなものこそ上手なれ』だよ。頑張れ!」

 空は笑顔を向けた。

(こんな顔を同級生にするのは小学校以来だな)

「ありがとう。じゃあね」

 海音はもう一度立ち上がり、リュックを背負い直した。そして去り際に

「あ、それ『好きこそものの上手なれ』だからな」と言った。

 空はまた恥ずかしくなって顔を伏せた。そしてもう一度顔を上げたときには列車は動き出そうとしていた。

 既に海音は列車を降りたが、空が見えなくなるまで手を振っていた。空は顔を赤くしながら手を振り返した。


 空はピアノを引いていたときと同じぐらい体を火照らせる彼が気になりつつあった。


―――俺にも、新しい友達できたよ。なんて、こどもくさいことだけど、いいことだよ。天国で見ているかな。会ったことのない、かのんおばさん。―――

 海音は日記を閉じて、布団に潜り込んで眠りについた。

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