かわいいものが溶ける世界で彼女が溶けるのを見守る彼氏
携帯電話の画面を見せつける格好で仁王立ちする都萌に俺は合せた両手を掲げつつ頭を下げた。
ホーム画面には現在の日付と時間が表示されている。
「一時間とか二時間とか待たされるよりマシって言われたりもするけどさ、逆にだよ、一時間も二時間もあったらできることがあるの。十分や十五分じゃできることも少ないしボケーっと立って待ってるくらいしかないの。先に言っとくけど、ゲームしてればあっという間とか、実際そうだったとしても問題はそこじゃないからね。わかる?」
何度も必死に謝って、都萌が携帯をコートのポケットに入れても謝り続けて、そうして不機嫌な顔に卑屈な笑顔を向けながら近くのコーヒーショップを示した。
都萌は季節限定ものが好きだ。桜のフレーバーの新商品を、都萌はまだ試していない。
「そうやってさ、食べ物で懐柔される単純な奴だと思ってさ……」
ぶつくさ言っているが不機嫌顔は既に本当に怒ってる顔ではなく、怒っている体裁の顔になってしまっている。
かわい……いや、かわいくない。断じてかわいくない。
数分後、俺は自分の財布の中身と交換することでピンク色の飲み物を手に入れ、そうして都萌のゴキゲンも手に入れた。
冒険心の足りない俺はいつものカフェオレだ。
この系列の店にしては無愛想な男の店員から商品を受け取り、窓際の席で外を眺める。
都萌はバイト先の客が面白おかしい話やバイト仲間が優しい話や上司がクソだという話をずっとしていて、俺は相槌を打ちながら少しづつ少しづつカフェオレを飲んでいた。
都萌の目の前におかれた桜の柄の入った容器の中で、ピンクの液体の上にのっていた白いクリームが溶けて混ざっていく。
境目のわからなくなった薄ピンクの液体。
「もしかして少し疲れてる?」
今はホワホワ癒し系の先輩がヤンキーものの少年漫画を読んでいて意外だと思っていたら実は、という話の途中だ。
実はなんだったんだと少し気になるが、絶対に聞きたいと言うほどでもない。
もしかしたら、聞きたくないかもしれない。
話を聞いていなかったわけではないが、他のことが気になっているせいか相槌が少し適当になってしまっていた。
いつもと違う俺の様子を心配してくれたらしい。
都萌は優しくて、かわい……いや、全然かわいくない。
「んー……都萌はいつもどおりだなって、」
カフェオレを一口飲む。まばたきをする。
動いていれば堪えられるかと思ったけれど、無理だった。
「いつもどおりで、強いなあって……」
涙がこぼれる。
視界が滲むピンクの液体の入った容器が歪んで見える。
桜柄が溶ける。
「その先輩はさ、そのあとさ、」
「そうだね、……そうだよ」
俺の疑問に答える都萌の声は少し笑っていた。
ぼんやりとした返答になったのは半分は俺のためで、半分は都萌も言葉にするのが怖かったのかもしれない。
都萌は気が強い癖に怖がりだ。
そう言うところが、本当に、本当に、かわいくない。
「なんで俺と会ってくれたの」
鼻水すすりながら、ずるずるの涙声で聞いてみた。答えなんて本当は知ってた。
「カワイイって思ってほしくて」
俺は涙と鼻水でグチャグチャの顔を見られるのが恥ずかしかったけど必死で顔をあげた。
都萌は笑顔だった。すこし誇らしげですらあった。
涙で世界が歪む。都萌が溶ける。
完全に溶けきった世界を見つめながら俺は長い間泣いていた。
少し落ち着いた時に紙ナプキンで涙をぬぐう。
クリアになった視界に都萌はいない。 溶けてしまったので。
カワイイ。と思われたものは、溶ける。
おおむね面積によって耐久性は変わるらしく、小さなキーホルダーは二度か三度で絵柄が分からなくなってしまうし、冊子サイズでも十回を耐えられるかどうかといったところだ。
無機物も有機物も問わず、犬も猫も、人間も。
サイズが多少大きかったところで、たくさんカワイイと思われたら溶けてしまう。
突然そんな世界になってしまった理由は誰にも分からない。
どこかの国の有名な呪術師や、違う国の物知り学者がそれらしい理由を説明していたので本人たちは分かっているつもりなんだろうが、それらを見聞きしたところで俺には納得は無かった。
分からないが、とにかく。カワイイと思われたものは溶けてしまう。
女の子向けのキャラクターはあっという間に消えて行った。
容姿の良い女子は早い段階で溶けて消えて、疑惑が出始めた頃からカワイイと言われる子たちは性別問わず軒並み学校や仕事を休んで部屋に引きこもりだした。
逆に親から言われて家を出される子もいた。捨てられるペットも激増した。
近くにいて確実に溶けてしまうよりは万一に賭けてという気持ちのようだ。
かわいい子が引きこもる一方、あんまりかわいいと思えない女子が自死した話も聞いた。何でそんなことをと思うものの、気持ちは分からなくもない。
ずっとずっと溶けないでいるのは、その子にとっては溶けるよりも恐ろしいことだったんだろう。
都萌もそうだったんだろうか。
俺は都萌のことを好きだったし容姿も嫌いではなかったけれど、クラスで一番かわいいというわけじゃなくて、二番目でも三番目でも無かった。
客観的な評価は、正直にいってかなり低いほうだと思う。
都萌はそのことを少し気にしていて、私でいいの、と聞かれたこともあった。
気の強い都萌がそんなことを思っているなんて知らなかった俺は、それから何かあるたびに都萌にカワイイと言い続けていた。
恥ずかしかったけど、都萌のためだと思って言い続けていて、そうしてお世辞で言っていたカワイイを本当にかわいいと思い始めるようになった。
都萌も最初はお世辞でしょって少し困ってたのに、少しづつ慣れてきて、そして今は本当にかわいいと思われてると思ってくれるようになってたんだろう。
俺と会えばかわいいと思われると信じて、最後のデートをしてくれた。
涙も鼻水も止まらないけど、立ち上がった。
客なんてほとんどいないから回転率とか気にすることはないんだろうけど、単純に恥ずかしい。
出口へ向かっていると無愛想な店員が近づいてきた。紙ナプキンを渡される。
もう少し柔らかいティッシュとかあるだろって思ったら少しだけ気分が明るくなった。
この店員は接客に慣れてるかんじじゃない。
きっと、こんな世界になってしまって無理矢理表に立たされるようになった人なんだろう。
あの、と店員が口を開く。慰めてくれるつもりだろうか。
見るからに、というと失礼だが、あんまりコミュ力高くなさそうな店員だ。
意を決してまで声をかけたくなるほど、俺はヤバイかんじに見えただろうか。
まあ、そうだろうな。相当ヤバイ、
「ぼくの好きだった人、すげーイケメンと付き合ってたんですけど、イケメンはその人のことそんなに好きってわけでもなくて、でも溶けちゃって、ぼくが、たぶん、付き合ってるわけでもないのに、その人のこと、勝手に、……」
店員の声が詰まる。俺も何も言えなくて店員を見つめた。
その店員だけじゃなくて他にもその人のこと好きだった人がいるかもしれないし、その子の親とかが毎日子供のことカワイイって思ってたかも知れない。
あなただけのせいじゃないよって言いたい気もしたけど、言わないほうがいい気もしていた。
「彼女さん嬉しかったと思います。ぼくなんかに言われても、何の足しにもならないかもしれないですけど」
涙で視界が滲んで何も見えない。
ありがとうと言ったつもりだけど、よく分からない声になってしまった。
これから世界はかわいくないものばかりで溢れていくんだろう。
きっとそう、溶けると分かっている彼女と会ってしまう、俺みたいな。
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