継母とJKが何となく心を通わすだけ
昔話のママハハというものは意地悪と相場が決まっている。
私の継母は、意地悪じゃなかった。
料理は食べれないほど下手じゃないけど上手ってわけでもないし、片づけはするけど掃除は得意じゃないみたいで床掃除した後に電灯の埃をとって床を汚したりするし、何もかも完璧な素晴らしい母親とはいかなかった。
でも、そもそも完璧な人なんていない。
学校やバイト先や近所付合い、親戚付き合いでダメな大人もいくらか見てきた。継母は、美紀子さんは、けしてダメな大人ではなかった。
ダメな大人であってほしかったのかもしれない。
そうすれば人並みだったママが、美紀子さんよりも優れた素晴らしい母親だったってことになるから。
ママだって完璧な母親じゃなかったけれど、美紀子さんよりはできることが多かったし、優しかったように思う。
でも私の中の理性的で冷静な部分が、それって思い出補正なんじゃないのって言い出して、私は自信が無くなってくる。
ママを知っている人に美紀子さんとの違いについてそれとなく話を振ってみても、人によって感想は違っているし、なにより私に気を使ってるなっていうのが分かる。
どちらが優れているかなんて問題じゃないって趣旨のことを言われることもあるし、私も心の半分ではそう思っているけれど、残りの半分はママのほうが良かったことを証明したいって思ってる。
心の半分では仲良くしたいと思いながら、残りの半分は絶対に好きになんてなれない敵だって思ってる。
「親だからって愛さなきゃいけない義務は無いのよ」
テレビのリモコンをテーブルに置いた手のまま、私は動くのを忘れた。顔はテレビのほうを向いている。
番組表を眺めた末に大自然の映像に静かなナレーションが時々入るような番組にしてしまった。特に興味があるわけじゃない。どれでもよかったので適当に選んだチャンネルだった。
ちらちらとチャンネルを回していたときに映っていた、良く見る芸人と見知らぬモデルと最近人気の出てきたアイドルが大声で話しているほうの番組にすればよかった。あのにぎやかな番組だったら、美紀子さんはこんな話を始めなかったかもしれない。
穏やかなナレーションも途切れて、落ち着いた音楽だけが流れている。
さっきまで全然気にしていなかったシャワーの音が遠くに聞こえる。
パパは長風呂が好きだ。
今日も一日すべて終わって、明日は休み。
今からゆっくり湯船に浸かるだろう。
「嫌われたら悲しいけれど、だからって無理に好きになってくれなんて言えない。もしもあなたが無理に頑張って苦しい気持ちになっているのなら、私はそのほうが悲しいの」
美紀子さんは静かに言葉を重ねる。普段から穏やかに話す人だけれど、いつもよりさらに、優しい声音を作ろうとしているのが分かった。
私はテレビを見たまま、リモコンの上に手を置いたまま、何も言えなかった。
テレビの横にある棚のガラスに美紀子さんの顔が映っているのに気付いた。
ミカンを手に持っている。握りしめるでもなく、剥くでもなく、美紀子さんの目はミカンを持った手を見つめている。
「生みの親とか育ての親とか関係なくね、親だからって愛さなきゃいけないなんてことはないし、私のことがあんまり好きじゃなくても、それは悪いことじゃないのよ」
「……でもそれって不公平じゃない?」
ようやく出てきた私の言葉に美紀子さんの顔がこわばった。
穏やかな表情を、声を、必死に作っていることは分かっていたけれど、私のたった一言で、必死に作った顔は端っこから少しだけ崩れてしまった。それを見て、私は美紀子さんの強い緊張を知った。
私の言葉はたった一言で、まだ要領を得ない。吐きだした私ですら何を言いたいのかまとまっていないくらいなのに、美紀子さんにとってはここから何を言われるか、不安でたまらないだろう。
私の言葉を待つ美紀子さんの表情がこれ以上崩れてしまう前に、私は頑張って口を開いた。
「無理に愛さなくていいのは、わかるし、そうだと思う。でも新しい親が新しい子供を愛するのは義務っぽいよね。愛せないなら結婚するなみたいな、雰囲気あるじゃん」
雰囲気って言い回しにしたけど、これは私の考える常識で正義だ。でもそれを正義だと言い切るのも気が引けて、そういう風潮もあるよね、ってぼかした。
私は美紀子さんに比べると表面はとても余裕面で、でも内心とても狼狽していた。それでも、私が、美紀子さんが、傷つくかもしれない言葉を避けようと思うくらいの余裕は残っていた。
「子供は親を愛さなくていいのに、子供に嫌われてても親は愛さないといけないって、なんか、一方通行なのは、不公平じゃないの」
言いながら考えながら、まとまらない気持ちをまとめていく。終着点が本当に自分の思う事かどうかも分からないけれど、とりあえず言葉にした。
美紀子さんは私が言い終わってから、しばらく無言だった。たぶん互いに自分の思うことをまとめながら、相手が何を思ってるのかなってたくさん考えている。
「一方通行でもいいって思えることが、親になろうって決意なのかなって、私は思うの」
美紀子さんの声は、少しだけ落ち着いていた。 たぶん、恐らくだけど、私が美紀子さんの立場になって考えていたということは、美紀子さんにとって悪いことではなかったのだろうと思う。
すこしだけ緊張の解けた美紀子さんの声は、テレビのナレーションや音楽と混じって穏やかに。
「あなたに要らないって言われても、あなたのために働いて、学費や生活費を稼いで、ご飯作って、家をきれいにして、風邪を引いたら看病して、あなたを傷つける人がいたら一緒に戦って、そうしてあなたが独り立ちする時に私を嫌ったままだったとしても、しょうがないなあって思えるように」
「こわい」
思わず言葉が出た。
私が、美紀子さんが、傷つくような言葉は避けようと思う気持ちが辛うじて残っていて「やべえ奴じゃん気持ち悪っ」と思ったところを何とか「こわい」という言葉に変換することができた。
どっちのほうが傷つくかは正直ちょっと分からないけれど、私としてはこちらのほうがマシかなと思った。あまりにも微々たる差だけれど。
「いやいや本心じゃないよね本心じゃないでしょ。本心だったらこわい。だって私はやだよ。自分を嫌ってる人に尽くして世話してお金出して、嫌われたまま出て行っても、アタシ頑張ったわぁ~すっごく嫌われてるけどアタシは嫌いになんてならないわぁ~なんて、そんなの無理。こんだけしてやったのに恩知らずがって思う。嫌いになる。普通は思うでしょ。聖母じゃあるまいし。聖母なの? マジの? ガチで? 聖母なの? それってもう良い人通り越してるでしょ。人間じゃない。こわい」
私はガラス越しじゃなくて美紀子さんを見た。まっすぐ見ることはできなくて、何となく斜めに向き合う形だけれど。
美紀子さんの表情は複雑だった。同意したいけど、することもできない。そんな顔をしている。
その顔を見た私は大人って大変だなと思って、そうして、私は大人じゃないんだなと思った。
たしかに未成年だし、学生だし、でも、子ども扱いは何だか釈然としない。言っていいかなと少しだけ迷ったけど、迷いながらも口から出てしまった。
「きれいごとも分かるし大事だと思うんだけど……美紀子さん、私のこと子ども扱いしてる」
小さな子供に嘘を吐いちゃダメだよって教えるのと似た気配を感じている。
嘘が良くない、というのは正しいことだ。でも必要な嘘もある。優しい嘘もある。私はそれを知っているのに、嘘はダメだよって正しいことだけ言われると納得できない。
美紀子さんは、ぽかんとして、少し考える顔をして、腑に落ちたように笑った。
「そっか、そうだね」
美紀子さんの緊張が一気になくなる。リラックスしているとまでは言えないけれど、ミカンを持つ手は強張っていないし、笑顔も作り笑いじゃない。
「もう子供じゃないよね。ごめんね。きれいな建前だけで誤魔化さないで、一人前の人間同士、仲良くなろうって思わなきゃいけなかったのにね。確かに、脱いだ服がひっくり返ったままの時は何度もお願いしてるのにって思う。この程度でイラつく日もあるんだから、聖母にはなれないわ。だからどうか非行に走って家庭内暴力とかはやめてね。きっと私も非行に走っちゃう! 大人同士、お互い様でやっていこうね!」
美紀子さんの声は明るい。清々しい様子に、私は急に不安になった。
「非行に走る予定は今のところないけど……でも、その、私まだ未成年だし、働いてるわけでもないし、大人っていうのも何か、未熟かなって思うし……」
おろおろと言い訳をする。子どもじゃないと自分で言っておきながら、そうだね大人だねと言われると責任逃れしたくなる。完全に子どもだ。
恥ずかしくてうつむく。もともと作り笑いではなかったけれど、美紀子さんは今度こそ楽しそうに笑った。顔を見てなくても声で分かった。
「大人と子どもの境目だからね、難しいよね。そう、そうなの。そういう時期なのに。変に子ども扱いしちゃってごめんね。半分は大人として、半分は子どもとして、仲良くしてもいいなって思ったらでいいから、仲良くしてね。親じゃなくても全然いいから、新しい家族として」
ちらと目線だけ上げて美紀子さんを窺う。穏やかに微笑んでいる。私は小さく頷いて、うんって一言だけ返した。
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